深緋の籠番外/クエスト!願いの舞台


 狼同盟の宿屋。朝の祈りを済ませて掲示板を眺めていた今吉の元に、高尾が軽快な足音を立てて駆け寄ってきた。
「今吉さーん!」
「高尾、どうしたん?」
「ちょーっと思い出したことがありまして!」
 演劇、見てみませんか。高尾は笑顔で提案したのだった。

………

 いくつもの劇場を抱え、四六時中どこかで一つは演劇が行われているという演劇の国。その国へと、高尾は今吉を連れてやって来た。勿論、保護者こと笠松も一緒である。花宮は彼曰く、たまたま演劇の国から警備のクエストがあったとか何とか言って、姿は見えないものの同じように演劇の国に滞在しているらしい。
「すごい賑わいやなあ! でも演劇って何を見るん? 色々やっとるみたいやけど」
「ちゃんと目星はつけておきましたよ! 13番劇場に行きましょう!」
「わ、ちょっ!」
 高尾に腕を引っ張られ、今吉は13番劇場へと向かった。そんな姿を笠松は、楽しそうだなと優しい目で見守っていた。

 開幕が近いために照明が落とされた劇場内へと入り、高尾達は空いていた席に座った。その際に笠松だけは、たまたま空いていた席ではなく高尾が用意した席だと気がついたが、楽しそうに目を輝かせる今吉を見たので何も言わなかった。
「なあなあ、どんな舞台なん?」
「物語は今吉さんなら知ってると思いますよ!」
 それよりもと、高尾は今吉の目を見つめた。
「今日の歌姫の子、ちゃんと見てあげてくださいね」
「え?」
 今吉が何故と問う前に舞台の幕が上がった。

 物語は春の楽園から始まる。春の楽園で生まれた少女はある日、ウサギを追いかけて穴に落ちてしまう。その穴の先には不思議な黒の国が広がっており、少女はそこで様々な体験をし、やがて麗しい黒の王に見初められる。少女もまた黒の王に恋をし、二人は愛を誓うが、春の楽園にいた母君が少女を取り戻しにやって来る。少女は母君を説得するも、母君は二人の愛を前にしても連れ帰る覚悟を変えることがなかった。ならばと黒の王は母君と契約を交わす。一年のうち、冬の間だけは不思議な黒の国に、その他の時期は春の楽園に少女を住まわせようというのだ。母君は少女の真の愛と黒の王の真摯な態度に免じてその契約を受け入れ、少女を連れ帰る。帰ってきた春の楽園にて、少女は母君を説得することを諦めないと、黒の王と出会うきっかけとなったウサギに決意を語り、幕が下りた。

 今吉は拍手と歓声が上がる中、呆然と舞台を見つめていた。舞台では演者達が笑顔で挨拶をしている。頭を下げ、一言ずつ礼を言う姿。その中の一人、最も大きな拍手を受けていたのが母君を演じた女性だった。否、演技を終えた安心感から表れたあどけない表情からすると、彼女は女性ではなく少女なのだろう。娘の帰還を望んだ母君の台詞と歌声は、この舞台の演者の中で最も胸に迫る演技だった。まるで、自分にも取り戻したい人がいるかのように。

 明るくなった劇場の中、高尾は歓声に紛れそうな囁きを発した。
「今吉さん、妹がいたんですよね」
 弱々しく頭を横に振る今吉に、高尾は続けた。
「青の村は革命によって消えました。その影響で、村人は各地に散らばったんです。その一人が、あの子ですよ」
 黒い髪、三白眼の鋭い目。その目をふわりと緩ませてあどけない笑みを浮かべる少女。今吉の目から、ぽろりと涙が溢れた。
「あの子、ちゃんと今吉さんのこと知ってるんです。記憶だって、少しだけあるって。優しい手と、優しい笑顔が忘れられないって、泣きそうな顔で言ってました」
 俺も兄ですからねと高尾は笑う。
「楽屋に会いに行きましょう。もう話は通してありますから!」
 さあ涙を拭いてくださいと高尾が指で涙を掬う。今吉はぽろりぽろりと涙を流しながら、こくりと頷いた。

 それから、観客が席を立つ頃になって、ようやく彼は喉を震わせた。
「あの子、ワシを取り戻したかったんやな」
「馬鹿な子だと思いますか?」
「いや、思わんよ。ただ、そうやな、ワシは思ったより沢山の人に必要とされとったんやなあって思っただけや」
 しみじみと語る今吉に、高尾はぱちりと瞬きをし、あははと可笑しそうに笑った。
「もー、何言ってるんですか! そんなの当たり前ですよー!」
 俺だってと、高尾は続けた。
「俺だって、今吉さんを助けたくて、今もここに居るんですから!」
「……今も?」
「そうですよ! だってまだ、今吉さんは深緋(スカーレット)のモノなんですもん」
 不満そうに、しかし悪戯っ子のように目を細めて、少年は告げた。
「俺は自分の手で、妹も、今吉さんも、いつか必ず神の籠から取り戻すんですから!」
 高尾はそう、高らかに宣言したのだった。

 楽屋へと向かおうとする高尾と今吉の背を追いながら、笠松は息を吐いた。そして、おいと空中に声をかける。
「聞いてただろ」
「……俺の天使(ミスラ)を奪うとは、大口を叩くじゃないか」
「あまり当たり散らすな。火の粉が飛び散ってる。あと、今吉と呼べ」
「翔一は俺の天使です」
「全く、神の方も大概か」
「貴方にだけは言われたくない」
 心底不機嫌そうな赤司に、面倒なやつだと自分を棚に上げた感想を述べてから、笠松は楽屋へ入ろうとする高尾と今吉を追いかけたのだった。



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