深緋の籠31


 白亜の神殿へと向かう旅の中、皆が寝静まった夜中のこと。ひやりとした夜の闇の中、火の番をしていた高尾がじっと火を見つめていた時。どうしたのかと声がかかる。高尾が振り返ると今吉が起き上がり、高尾を見ていた。
「深刻そうな顔しとる」
「そうですか?」
 そんな事は無いと思うけどなと笑った高尾に、今吉は苦笑して隣に座った。
 悩み事でもあるのか、今吉が問いかけると、そりゃもうたくさんと高尾は目を伏せて言った。そりゃそうかと今吉が納得していると、高尾はふと思い出したかのような、自然な声色で言った。
「俺は他の誰よりも貴方の無事を願っています」
 驚く今吉に気が付かぬフリをして、高尾は段々と語尾を強くしていく。
「自警団よりも、花宮さんよりも、笠松さんよりも」
 そして今吉を見た。
「絶対に神の元になんか行かないで、俺と一緒に居てください」
「高尾……」
「俺は貴方を亡くしたくない」
 嫌なのです、失いたくないのです。強い言葉でそう伝える高尾にはいつもの余裕が見えなかった。今吉はそんな高尾に驚き、何も言えずにいたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「ワシはきみの妹やないで」
 その言葉に高尾は緩く頭を振る。
「重ねて見てるのは否定しません。でも、俺は」
「きみにとって神子がどういうものか、神様がどういうものか、ワシには分からんやろな。やって違う人間やし」
「はい」
 だから、と今吉は笑った。
「だから一つ。きみは妹を助けることだけに集中せなあかんよ」
 二兎を追う者は一兎をも得ず。そう言って笑顔を浮かべる今吉に、高尾は真剣な面持ちで問いかける。
「助けられるんですか」
「さあなあ、けど、願ってたら叶うかもしれんよ」
 ははと笑った今吉に、高尾もまた微笑んだ。
「貴方が言うなら、そうなのかもって思っちゃいます」
「そんな大層な人とちゃうけど」
 それでも、願えば何か変わるのだと今吉は笑っていた。

 さあ、次の火の番を起こそうかと今吉が笠松の元へ向かう途中、高尾がその背に声をかけた。
「今吉さん」
「なんや? 」
「俺は妹を取り戻す。緑間を天上世界に返す。そして、貴方を信じます」
 まっすぐな目に今吉は笑顔を返した。
「ん、それで良し。良い子良い子」
「もー、子ども扱いしないでくださいよ!」
「わはは、二歳差は大きいんやで」
 むむと高尾がむくれると、今吉はクスクスわらって、今度こそ笠松を起こしたのだった。

………

 高尾と交代して火の番となった笠松は二人を寝かせて、静かに火を見守っていた。するとごそりと音がしたのでそちらを見れば、緑間が起き上がるところだった。どうした眠れないのかと笠松が問いかけると、緑間は頭を横に振る。
「元々肉体を失った身、睡眠は特に必要無いのだよ」
「でも疲労は溜まるだろ」
 疲れを取るために休んでおけと笠松が火に枝を足しながら言うと、緑間は聞きたい事があると言った。
「高尾は何故灰の神(グレイ)の事を知っていたのですか」
「会ったからな」
 高尾も俺たちもと答えれば、緑間は目を見開いた。会った事があるのですかと緑間は繰り返す。笠松は頷いた。
「自分の神子(ミスラ)だって人と二人で静かに暮らしてた。もう、人としての人格も命も失ったらしいがな」
 緑間は今度こそ言葉を失い、己の手のひらを見つめた。握り、開き、握る。何度か繰り返すと、緑間はまた口を開いた。
「何と、言っていましたか」
 緊張した声に対し、笠松はなんでも無い声で答えた。
「落とされたことは恨んでない。そして、神と成る儀を完成させても浄化の力は復活しない、成果となるのは神子制度が消える事ぐらいだろう」
 そう言っていたと笠松が言うと、緑間は力無く嗚呼と呟いた。
「そうか、やはり、もう戻らないのか」
「……」
「浄化のシステムをもう一度復活させれば、戦争は無くなる。人々から悪意は消える。それを願って俺たちは、身を捧げた。その結果が、歪な神子制度。何万という人間が神子という名目で殺された、この、制度が……」
 緑間は肩を震わせだす。笠松は何も言わず、ただ火を見ていた。緑間は顔を上げ、眠る今吉を見、一筋の涙を流した。
「俺たちの罪なのだよ、かつての神子制度は人が死ぬ必要なんてなかった。ただ、神殿で神と会話すればよかった、遊ぶだけでよかった。なのに、いつから俺たちは」
「神の意識」
 笠松がぽつりと呟き、緑間が口を閉じた。
「黒子の様子がおかしくなったと言えば、お前は覚醒したと言った。灰の神は人としての人格を失ったと言っていた。つまり、お前たち神ってのには人としての意識と神としての意識があるってことだろ」
 緑間が何も言えずにいると、笠松は続けた。
「神としての意識は人とは絶対的に違う。それは黒子と灰崎を見ていれば分かる。だから、お前たちも神の意識に囚われてしまったんだろ」
 誰が悪いということも無いと、笠松が言うと、緑間は静かに問いかけた。
「俺たちを許すというのですか」
「許すとか許さないとかって問題じゃねえけどな。少なくとも、過剰な悪意は無意味だってことぐらいは分かる」
 さあもう寝ろ、明日もまた歩き続けるのだから。笠松が言うと、緑間は何か言いたげにしていたが、やがて安心したように息を吐いて横になったのだった。



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