深緋の籠27


 灰崎と石田の家で雨宿りをした後、一行は海の王国へと進みだした。
 一日歩くとちょうど宿を見つけたので笠松達はそこに泊まった。その日の晩、降旗と伊月、福井と春日の四人部屋で降旗は異界の書と向かい合っていた。三人は既に寝静まっていて、起きているのは降旗だけだった。
 異界の書を開き、浮かび上がる文字を追う。そしてこれではないと頭を振った。
「何か、何かが違うんだ……」
 なにが違うのか、と降旗は考えていたが、はたと思いつく。
「そうか、発想が違ったんだ」
 そうして降旗は異界の書にペンで字を書き込む。そしてぶわりと浮かび上がった文字の羅列。それを嬉々として読み始めた降旗の顔はだんだんと青ざめていった。
「そんな、そうだとしたら、そんなの、止めるなんて」
 降旗は震える声でそっと呟いた。
「“契約”と“友情”の天使“ミスラ”」
 そうか、そういうことだったのだと、降旗は悔しそうに手を握りしめた。

………

 夜の中、高尾は起き上がるとベッドから降りて今吉の眠るベッドへと近寄った。深く眠り込んでいる今吉のその姿を高尾はじっと見つめ、手を伸ばした。頬に触れる瞬間、手を止めて己の手を下す。高尾の黒い目は宵闇の中で奈落のように黒く深い。それに対して対照的な、白い肌に浮かぶ唇がそっと動いた。
「必ず、守るから」
 貴方こそは、と。それだけ言うと高尾は自分のベッドに戻り、目を閉じたのだった。

………

 海の王国、造船の街。すぐに見つけた大きな秀徳号のその前には宮地と木村が居て、笠松達を見つけると手を振った。笠松と高尾はそれに手を振り返しながら駆け寄った。他のメンバーもワンテンポ遅れて駆け寄る。
「緑間に用があるんだってな。ちょうど今なら部屋で休んでるさ」
「人数増えたなァ、話し合うなら食堂にすっか。人払いは済ませておく」
「わー! ありがとうございまっす! 」
「さんきゅ。大坪はどうしてる? 」
「大坪は患者の対応してる。夕方ごろまでかかるだろうな」
「今は午後1時か、もし会えたら挨拶がしたい」
 分かったと宮地は頷くと木村と共に笠松一行を食堂へと案内した。

 前に来た時と変わりない食堂に笠松と今吉がホッとしていると、すぐに木村が緑間を呼びに行った。
 しばらくして食堂にやって来た緑間は高尾を見ると頷いた。そして、聞きたいことがあるのでしょうと席に着いた。
「お前が緑間か。あー、何から聞くかは結局考えてなかったんだけどよ……」
「あ、あの! 」
 福井の声に被せるように降旗が言う。どうしたと伊月が降旗を見ると、彼はまっすぐに緑間を見つめていた。
「神子(ミスラ)の本当の意味を教えてはもらえませんか」
 神子の本来の意味。降旗はつらつらと語りだす。異界の書、異界の定義ではミスラとは、天使の名前だった。古くは契約の意味を持っていたが、今では友情の守護を持つものだと。
「この世界(ミラルエ)と俺の世界(セカイ)は全く違うけれど、干渉しあっているところもある。だから」
 降旗は緑間の目を見つめた。
「ミスラとは元々、友達を意味していたのではないですか」
 そうして口を閉じた降旗に、緑間はしばらく彼を見つめると、ふっと息を吐いて目を伏せた。
「その通りなのだよ」
 その通りって、と笠松達が戸惑う。しかし緑間は気にすることなく続けた。

 神は天上世界で寂しくないように、己と仲良くなった“友達”を契約の元に己の傍へと呼んだ。それが長い年月をかけて神子制度という形になったのだと。
「元々の灰の神(グレイ)の時代では、神子は天上世界に昇る必要はなかった。何故ならその頃の神は地上でも活動していたからな」
 だが、と緑間は淡々と続ける。
「不完全な儀式の果てに神となった五人は地上に降りられなかった。素質のある人間とは夢という形で交流できたが、やがて物足りなくなった。だから、神子を自分たちと同じ方法で天に昇らせた」
「同じ方法って」
「殺した、ということだ」
 笠松がガタッと立ち上がる。怒りに染まった顔に、今吉が落ち着いてと、立ちあがって笠松の背中を撫でた。それを横目に、福井は冷静な声で言った。
「待てよ、何でそんな事が分かる? もし事実だとして、緑間は何故そんなにも詳しいんだ」
 その質問に答えたのは、緑間ではなかった。
「真ちゃんは若草の神(グラスグリーン)だから」
 答えた人物、高尾はにこりと表面だけの笑みを浮かべて口を閉ざした。

 しばらくの静寂の後、緑間はそっと口を開いた。
「俺は若草の神として、高尾と高尾の妹と交流できた」
 そのうち神子を選ぼうと考えた若草の神は、高尾の妹を神子に選んで、天に昇らせた。しかし、天上世界で若草の神と暮らしていた神子はいつしか若草の神に地上で多くの人と触れ合ってほしいと望んだ。その結果、神子が若草の神の役割を代行する形で若草の神は地上に降りることができた。だがそのせいで、より世界の法則が乱れてしまった。
「おそらく、黒子が覚醒したのはこの頃なのだよ」
 緑間は目を伏せ、語る。

 世界は神を求めている。その為に黒子は覚醒した。

「黒子を元に戻す方法を、俺は知らないのだよ」
 力になれなくて済まないと緑間は頭を下げた。



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