深緋の籠26


 陽泉の館を出た笠松一行は本の国へと出発した。教会の国の門を出て、方位磁石と地図を頼りに道を進む。途中、長い道のりになるからと魔獣使いの春日が騎乗モンスターを呼び出し、その背中に降旗と二人で乗った。春日は今吉も誘ったが、もっと疲れてからでいいと彼は断った。なお、騎乗モンスターは大きな白猫のような生物であった。
 道中、モンスターと戦闘したり、休憩を挟んだりしながら、丸一日。宿が近くにないことから野営となった一行は、春日と花宮の仲間達を中心に準備を整えて焚き火を囲んだ。

 春日が作った夕飯を食べている中、降旗がおずおずと声を出した。
「あ、あの、前から思っていたんですけど」
「うん? どうしたフリ」
「神に成るっていう儀式は、今吉さんが神子として天に昇る時の道を利用すると、黒子が言っていました。なら、そもそも今吉さんが天に昇らないようにすれば良いのでは……? 」
 控えめに提案した降旗に、笠松はそれはその通りだがと眉を寄せた。
「今の所、今吉が天に昇るというのがどういう事なのかも分からない。自分の意思で決められる事なら精神論で何とかなるだろうが、そうではない場合はどうしようもない」
「そうではない場合ってー? 」
「単純に、自分の意思が無視される場合。考えられるだろ」
 どうだと笠松が福井を見ると、福井は頷いた。そして福井は一度今吉を見てから、言う。
「本人を目の前にして言う事じゃねえけどよ、神子ってのは心の底から神を信仰している。いや、それが信仰ってモンなのかは微妙な所だけどよ。とにかく、神子は神を信じきってる。自分の身すら、神の前では優先順位が下がってしまう。何と比べても、己が信仰する神だけが特別なんだ」
「藤紫の神子(オーキッド・ミスラ)がその視力を奪われても許したように、ですか」
 花宮の指摘に、その通りと福井は頷いた。
「神の前では神子の意思は無いも等しいってことだ」
 そう締めくくると、福井はパンを口に放り込んだ。
 しばらくの無言の後、今吉がゆっくりと口を開いた。
「その事は今話してもしゃあないやろ。情報を得るために本の国にサッサと行って、儀式について調べようやないの」
 そうすれば解決策も見つかるのではないかと笑った今吉に、だけどと伊月が返す。
「本の国に本当に情報があるかどうか分からないですよ」
「ま、その時はその時やな。時間がどれくらいあるか分からんけど、ちょっと迷うぐらいの時間はあるやろ」
 だから変に不安がる事はないと降旗を見つめた今吉に、皆の視線が降旗へと注がれる。降旗は不安そうに手を震わせていたが、皆の優しい様子にハハと笑って見せた。
「すみません。少し、怖かったんです」
 今はもう大丈夫だと答えた降旗に皆がどこか安堵する中、高尾がじっと今吉を見つめていた。

………

 教会の国を出て三日。笠松一行はいつも通りに道を進み、道中は賑やかに会話しながらも出てくるモンスターを撃退したり、立ち寄った村でクエストを受けて資金を稼いだり、さらには旅に必要なアイテム等を買い足しながら過ごしていた。
 そんな中、名もなき集落を出てすぐのこと。不味いと笠松が空を見上げた。それを見て他のメンバーも空を見上げると、そう遠くない空に暗い雲が見えた。
「雨が降るぞ」
 笠松のその言葉に、高尾が素早く地図を見て、洞窟が近くにあるのでそこに行こうと提案、一行は走り出した。

 もう洞窟が近いという頃、ポツポツと降り出した雨がすぐに本降りの大雨となる。一行が洞窟に転がり込むように入った頃には、皆がずぶ濡れだった。
「皆居るか。ったく、しくった」
「ひーふーみぃ……全員いますね! ホント、間に合うと思ったんですけどねえ」
 とりあえず火を起こすかと福井が動こうとすると、洞窟の奥から人が出てきた。

 驚く一行に、その人物は灰色の髪を揺らして首を傾げた。
「こんな処、こんな雨の中にどうした」
 いや、雨だからこそ雨宿りかとその人物は頷き、無表情で奥を指差した。
「奥に俺たちの住む家がある。ここは寒いし、家なら暖炉があるぞ」
 来るなら来いと歩き出したその人物に、笠松達は顔を見合わせてから、特に敵意や悪意は感じないと結論付けてついて行った。

 灰色の髪をした人物について行くと洞窟の奥には空が覗く広い場所があり、そのやや奥の中心に小屋のような家があった。空が見えるが、どうやら結界系の魔法で雨が降り込まないようにしてあるらしく、雨雲の隙間から覗く僅かな日差しが広い空間に差し込んでいた。人物が家に入るままに笠松達が続くと、すぐに火のついた暖炉のある広間に出た。
 くつろぐと良いと、灰色の髪をした人物が言う。そこで笠松一行は彼の目が髪と同じように灰色をしていることに気がついた。中でも、降旗はやけに挙動不審だ。伊月と今吉が指摘しようとしたところで、彼は深呼吸をしてから口を開いた。
「貴方はかつての神、灰の神(グレイ)ですか」
 灰色の髪をした人物は瞬きをし、ふっと笑った。
「久しい名だ。もう俺のことを覚えている者なんて居ないだろうに」
 灰の神だったと肯定した少年に、笠松達は戸惑うように彼を見つめた。かつて灰の神であった少年は、胸に手を当てて微かに笑む。
「俺は灰の神であったもの。そして、」
 その時、奥の部屋からお客様なんて珍しいなと黒髪の少年が現れる。優しく微笑んだ少年は軽く頭を下げた。
「石田と呼んでください。なあ灰崎、この人たちは? 」
「招かれるべき客人らしい。石田さんは温かい飲み物を頼む」
 灰崎って、と伊月が呟くと、灰の神であった少年は答えた。
「人の名を、灰崎祥吾と言う」
 灰崎と呼べば良いと彼は微笑んだ。

 笠松一行がそれぞれ椅子に座り、暖炉を囲む。その輪の中に灰崎もまた混ざり、聞きたいことがあるのだろうと問いかけた。まず、笠松が口を開いた。
「貴方は灰の神だったと言うがもうずっと昔の話ではないのか? あと、石田って人は何者なんだ」
「嗚呼、そうだな。灰の神として働いていたのはもう数百年以上前になる。石田さんは……」
 灰崎はそこまで言うと今吉を見つめた。今吉が首を傾げると、灰崎は苦笑した。
「石田さんは灰の神子(グレイ・ミスラ)だ」
 春日や伊月が目を見開く、笠松が冷静に問いかけた。
「それなら、さっきの話からして灰の神子だって数百年は前の人だろう」
「そうだな。俺たちはもう生き物の命とは掛け離れた存在になっている」
 灰崎は肩をくすめた。そしてちょうど石田がやってきて、皆に温かい飲み物を配った。温かなそれはスパイスが入ったフルーツジュースで、体がよく温まるだろうと彼は笑っていた。
「昔話をしよう」
 きっとその話を聞くために出会ったのだと、灰崎は穏やかな声で語り始めた。


「地に落とされたことは怒っていない。強引に落とされたが故に本来の人格は失ったが、俺もまたそうして神と成ったもの。人の事を言える立場ではない」
「どういうことなん? 」
「そのままの意味だ。神と成る儀は決して良い側面ばかりではないということ。しかし今心配するべきなのはただ一つ、今の世界(ミラルエ)はバランスが悪すぎることだろう」
「バランス? 」
 笠松が言うと灰崎は頷いた。
 灰の神は世界の浄化作用を一手に引き受けていた。様々な悪意、憎しみ、妬み、恨み、辛み。それら全てを吸収し、浄化していた。しかし浄化作用が追い付かないほどの悪意の塊である戦争が起きてしまい、灰の神に疑念を抱いた七人の子供たちが神と成る儀式を用いて神となろうとした。しかし、その儀式は戦争によって邪魔をされ、不完全のまま遂行された。結果、五人のみが神と成り、二人が地上に残された。
「元々七人で成立する儀式だった、七人で成立する浄化作用の術式を組んでいた。しかし、それが不完全だということは」
「浄化作用が働かないということか」
 福井の指摘に灰崎は頷いて肯定した。
「しかし今更七人になったとしても、浄化作用はもう使えないだろう。叶うとしたら、神子制度が消えるぐらいだ」
「消えるってどういうことですか」
 高尾が強く反応すると、灰崎は目を伏せて続けた。
「制度が消えれば、過去、未来、現在の神子の概念が消える。その際に、存在が消える神子も出てくるだろう」
 そして灰崎は今吉を見る。彼は肩をすくめ、笑った。その笑みに、灰崎は苦笑し、もう気がついていると思うがと、続けた。
「神と成る儀式は罪深い行為だ。今居る神と世界の法則を否定する為の儀式だからな。だけど、行わなければ歪な世界がもっと歪むだろう」
 灰崎はそう言うと笠松を見て言った。
「残された二人のうち、もう一人に会うべきだ。そして、地に降りた緑の神に会うと良い」
 占い師のような言葉に笠松達は眉を寄せる。しかしその内の二人だけは違った。高尾は驚きのあまり言葉を失い、降旗は小さな声で驚きの声を上げていた。

 そんな二人の様子に皆がそれぞれ気がつくと、どうしたと声をかけた。すると言葉を発せない高尾より先に、降旗が声を上げた。
「緑間が居るってことですか?! 」
 どういうことだと花宮が低い声で言った。笠松もまた疑念の目を向ける。伊月と春日と福井は戸惑いと疑問で首を傾げると、高尾が口を開いた。
「真ちゃんに会いましょう。魔法通信機はありますか」
 高尾の言葉に灰崎は頷き、立ち上がると部屋の片隅にある小型の魔法通信機を持ってきた。そして皆が見守る中、高尾は黙って機械を操作し、秀徳号に連絡を取る。短いやり取りの後、高尾は言った。
「海の王国の、造船の街にいるそうです」
「えっと、そこはどこなん? 」
「ここからそう遠くない、大きな街ですよ! 」
 先ほどまでの様子からガラリといつもの調子に変わり、にこりと笑った高尾はくるりと灰崎を見た。
「通信機をありがとうございます! 」
「構わない」
 そこで奥から石田が話は終わったかと顔を出す。灰崎が頷くと笠松達に近寄った。
「俺には多くのことが分からないが、きっと大変な事を成し遂げようとしているのだろう」
 そして石田は今吉の前に立つとそっと笑った。
「貴方は神子で間違いないか」
「そうやけど、何ですか? 」
「いや、俺は他の神子に会ったことが無くてな。そうか、君のような神子もいるんだな」
 石田は一度目を伏せて、また今吉を見つめた。
「貴方の思うようにすれば良い。同じ神子としてのアドバイスだ」
 その言葉に今吉はパチパチと瞬きをしてから、ありがとさんと薄く微笑んだのだった。



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