深緋の籠23


 福井が案内したのは素朴な二階建ての建物だった。一応邸宅であろうその屋敷に、福井は臆することなく声をかけながら入った。ささやかな門を入ると庭仕事をしていた修道服姿の少年が振り返った。
「福井アルか」
「よう、劉久しぶり。岡村は? 」
 劉が彼なら裏庭だと言うと、そうかと福井は頷いて笠松達を連れて裏庭へと向かった。
 裏庭にはガラスに包まれた大きな温室と、それを囲む色とりどりの花々があった。その中で修道服姿の二人の少年が花の世話をしている。福井が岡村と呼ぶと、男らしい少年が振り返った。
「おお、福井か! 突然じゃのう。どうしたんじゃ? 」
「ちょっと知識が欲しくてな。今話せるか」
「なら少し待ってくれるかのう」
 そして隣に座っていた見目麗しい少年に声をかけて手を差し伸べた。少年は浅く頷いて、その手を取った。その様子に笠松達が違和感を感じた時、少年がクスリと笑った。
「お客さんがたくさんいるみたいだね。オレは陽泉の氷室タツヤ」
 よろしくねと顔を上げた氷室の両目は閉じたままだった。そのことを指摘する前に笠松達が福井を見つめれば、彼は頭を縦に振った。その気配を感じたのか、氷室はクスクスと笑った。
「この目のことかな? まあ、代償みたいなものさ」
「代償ってなんだ? 」
 笠松の問いかけに氷室は何でもないように答えた。
「【神子を拒否した】その代償さ」

 希望した氷室と今吉をその場に残し、笠松一行と岡村はテラスへと移動した。劉が淹れたお茶と岡村が作ったというクッキーを目の前に、福井は陽泉の状況を語った。
「陽泉は知っての通りエクソシスト集団だが、三年前に活動を休止している」
「三年前に何があったんですか? 」
 高尾の問いかけに、福井は氷室のことだと答えた。
「氷室は幼い頃、それも物心がつく前から藤紫(オーキッド)様と夢を通じて会話してきたらしい。氷室は深い信頼を藤紫様に寄せていた。けど、三年前に藤紫様から提案された神子に成る案を、氷室は拒否したんだ」
「待ってください。神子に成ることは拒否できるんですか」
「ああ、拒否できるらしい。ただし、拒否した代わりに、氷室は逆上した藤紫様の手で両目の視力を失った」
 降旗がひっと声を上げる。あまりの仕打ちに言葉を無くす笠松達に、岡村は悲しそうに語った。
「それでも、氷室は藤紫様の事を信仰しとるんじゃ。あまり、とやかく言ってやらんでくれんかのう」
「とやかくって。彼は代償だって言ってましたけど、そんなの代償でも何でもない。ただ奪われただけじゃないですか! 」
 伊月の言葉に岡村は目を伏せて、それでもと言った。
「それでも、氷室は藤紫様のことを信仰しとるんじゃ」
「そんな……」
 手を握りしめる伊月に、笠松も続けた。
「氷室は納得してるっつーのか」
「その通りじゃ」
「視力を奪われて、一人じゃマトモに生活できなくなってもか」
「その通りじゃのう」
「悪いが、理解できない」
「理解なんぞ、出来たら恐ろしいわい」
 岡村が寂しそうに笑った。
「神様はそういうものだとしかあいつは言わんのじゃよ」

………

 温室に行こうか。氷室がそう言ったので今吉はならばと手を差し伸べた。今吉がガラス張りの建物かと聞くと正解だと答えるので、二人は揃って温室へと足を踏み入れた。
 温室内は温かく、裏庭の花々よりも多くの種類の花が咲き乱れていた。品種はバラが多めだろうか。カラフルなそれらを横目に、暑いくらいの温度だと今吉が言うと、氷室は笑っていた。
 今吉が氷室を導くことで二人揃って椅子に座ると、他愛ない自己紹介を交わす。そして、氷室はそうかと言った。
「きみは神子(ミスラ)を受け入れたんだね」
「そうやな。拒否するなんて、考えたことも無かったわ」
 一寸も考えなかったと今吉が言うと、氷室はクスクスと笑った。
「オレはエクソシストの仕事をしてたからね。特にメリットが浮かばなくて拒否したんだ。そしたら目をやられちゃった」
「そうかあ。まあ、神様ならやりかねんなあ」
 今吉が苦笑すると、氷室はにこにこと笑った。
「神は、というか藤紫の神はとても子どもっぽいところがあってね。ま、そういうところも親しみやすくていいんだけど」
 氷室はゆっくりと言葉を噛み締めるように、そして歌うようになめらかに語った。
「神子を拒否した今でもよく話すよ」
 むしろ視力を失った分、藤紫様がよく話しかけてくるようになった気がすると笑っていた。

………

「氷室は優秀なエクソシストじゃった。ワシらもなんとか視力を戻してやれんかと動いとるところなんじゃ」
「と、いうことは福井さんって」
 高尾が言いかけると、福井は嗚呼と頷いた。
「俺が狼同盟に移動したのは氷室を元に戻す方法を探す為だ。陽泉では動けるところが少ないからな」
「実質二重所属になっとるようなモンじゃが、訳はギルマスのワシから狼同盟の実渕に話してあるわい」
 だから問題無いと話す岡村に、ならば良いと笠松は頷いた。そして続ける。
「それで話が変わるんだが、聞きたいことがある」
「おお、そうじゃったな。何を聞きに来たんじゃ? 」
「神と成る儀式について、何か心当たりはないか」
「神と成る儀式……? 」
 岡村が眉を寄せる。そして劉を呼び、問いかけると劉は書庫にそのような儀式の話は無かった筈アルと答えた。岡村は眉を下げてすまないと言った。
「すまんのう。ワシらでは力になれそうも無いわい」
「そうか。ダメ元だったから気にしないでくれ」
 それでも申し訳なさそうにする岡村は、今夜はこの屋敷に泊まると良いと提案した。笠松はその提案を受け入れ、今夜の宿が決まったのだった。

………

 温室、氷室は今吉の方を向いた。
「神に会うかい? 」
 例え何が起きようとも、きみは神様に合うのかと氷室は問いかけた。その問いかけに、今吉はほんの一息すらも間を置かずに答えた。
「うん。ワシは深緋様の神子(スカーレット・ミスラ)やから」
 柔らかな今吉の声に、氷室は安心したように微笑みを浮かべたのだった。



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