深緋の籠18


 朝食の時間。昨日と同じように食堂で船員より先に食事をした六人は誠凛号の甲板に来ていた。

………

 それより少し前のこと。
 朝食のはるか前、降旗が今吉と別れた頃。彼は船内を歩き、周囲を確認してから相田の部屋へと素早く入った。その中には相田は勿論、既に伊月と小金井の姿があった。
「集まったわね」
 そこで降旗は伊月が鷲の目のスキルを使用していることを確認し、小金井も外を確認しているのを見てから、相田へと向いた。
「とうとうこの日が来たの」
 降旗と伊月は頷く。相田は悔しそうに唇を噛み締めた。
「時間が無いわ。最後のミーティングを始めるわよ」
 相田が強い目で二人を見た。
「黒子君の計画を改めて説明する必要は無いわね」
 私たちは、と相田は言う。
「隙を見て二人を逃すわ」
「そんなこと出来るんですか? 」
「出来る。出来なきゃ、黒子君は私たちを“殺してしまう”」
 強く手を握りしめて、彼女は語った。
「伊月君の鷲の目さえあれば、貴方達を逃すことが出来るし、逃げ続けることもできる」
「伊月先輩を船から出してしまったらみんなは! 」
「もう、黒子君の計画の邪魔は出来ないわね」
 もし、と相田は冷静に言った。
「もし逆らえば、黒子君は私たちを殺すもの」
「っ!! 」
「私たちは黒子君に殺人行為をさせる訳にはいかない。大切な仲間だから」
 いいわね、と相田は二人に繰り返した。
「船から逃したら誠凛から除名しておくわ。そう、敵になるの」
「敵に、なるんですね」
「ええそうよ。生半可な芝居なんて今の黒子君には効かない。だから、全力で敵対する」
 ねえ、と伊月は口を挟んだ。
「みんな納得してるよね」
「ええ、納得させたわ」
 力強い言葉に、伊月はそうかと笑った。それならば安心だ、と。
「じゃあまとめ。黒子君の提案に対して深緋の神子(スカーレット・ミスラ)の周囲がどういう答えを出してくるかは目に見えてる。だから、その混乱に乗じて二人を船から落とすわ」
「えっ! し、しんじゃいますって、え?! 」
「落ち着いて安心しなさい。私の目が、彼らの秘策を見抜いているわ」
 彼らも大半が気がついていないけれど、と相田は笑った。だから絶対に大丈夫だと、彼女は二人に言った。
「じゃあ二人とも、このクエストを受けてくれる? 」
 降旗は神妙な顔で、伊月は微笑んで勿論だと頷いたのだった。

………

 福井がポケットから懐中時計を取り出し、約束の時間が来たことを確認した。誠凛のギルメンも集まり、最後に水色の髪をした少年、黒子が現れた。
「お前は、黒子だったか」
「ええ、貴方は笠松さんですね、昨日ぶりです」
 そうして笠松に向けていた目を、今吉へと動かした。
「そして貴方が、深緋の神子」
「そうやな。ワシは深緋様の神子。でも、キミにそないな話したやろか」
 にこりと今吉が笑うと、黒子もまたにこりと笑った。しかし黒子の笑顔はどこかゾッとするような、生気を感じさせない笑顔だった。
「昔々の、御伽噺のような話をしましょう」
 腕を広げ、黒子は静かに語り始めた。

___かつて世界は灰の神(グレイ)によって支配されていた。灰の神は増悪を吸い、浄化する役目を負っていた。しかしその浄化機能に支障をきたすほどの増悪が生まれてしまった。それが戦争だった。すべての国々、すべての集落が戦争を起こし、世界は混乱を極めた。それを見て、七人の少年少女が立ち上がった。彼らは極めて強い生命エネルギーを持っていた。彼らは神に成る儀式をした。神を増やすことで浄化機能を復活させようとした。しかしそれは叶わなかった。儀式は戦争によって中断させられ、灰の神は地に落ち、中途半端な儀式によって五人だけが神と成った。残された二人は己の生命エネルギーを封印し、長い輪廻の眠りについた。

___そして今、儀式を成就させる準備が整えられつつある。

「僕が、残された二人のその片割れ。黒の神(ダーク)と成る者」
 黒子の水色の目がグルリと奇妙に光る。春日が青ざめ、高尾が慎重に呼吸をした。

___そして、儀式は神子の存在によって完成する。

「それもただの神子ではない。神と繋がる、本物の神子が必要なのです」
 だから、と黒子は手を差し出した。
「今吉さん、僕と共に来てください」
 クスクス、嗤い声を上げるように彼は、人ならざる笑みを浮かべている。
「貴方が居れば、儀式はまた一つ完成に近づく」
 さあ、と黒子は手を揺らした。その正気とは思えない様子に、笠松が今吉をちらりと見た。今吉は動じることなくそこに立っていた。それを見て笠松は黒子を見つめた。
「待て」
 そんなことを信じろというのが無理な話だと笠松は語った。
「しかし儀式が成就すれば神子の存在も必要無くなる。貴方方の願いだって叶うのですよ」
 不思議そうとすら思えるような様子で黒子が首を傾げると、笠松はそうだなと言った。
「もしそうだとしたら、無駄死にする奴が居なくなって、これ以上に良いことはねえな」
 けどな、と笠松は目を細めた。
「今吉が必要ってどういうことだ」
「そのままの意味ですが」
「嫌な予感しかしねえんだよ」
「そうですか? 」
 黒子はうっすらとした笑みで語る。
「深緋の神子が深緋の神への道を開く時、儀式を行う事が可能となる。神への道ができる事で、僕は天上世界へのアクセスが可能となる」
 すぐに笠松が口を挟む。
「道を開くってどういうことだ」
「神子が天へと昇る時、道を開かなければ行けないでしょう? 」
 何を当たり前のことを、と黒子は語った。しかしその時、黙っていた高尾が口を開いた。
「それはつまり、今吉さんが神の元へ行く時。つまり、死ぬ時ですよね」
「ええ、貴方はよく知っていますね」
 黒子がにこりと笑んで高尾を見た。
「ふざけんじゃねえよ!! 」
 叫んだのは笠松だった。高尾も怒りに染まり、花宮が強く黒子を睨みつける。はあ、と黒子が息を吐いた。
「残念です。ここまで話しても理解してもらえないなんて」
 黒子は残念そうにしながら相田を見た。相田は浅く頷き、手を上げる。黒子はそれを確認してから、笠松達と対峙した。
「大人しく渡してくれないのであれば、奪うだけですね」
 行きなさいと相田が指示を出すと、誠凛の全員が笠松達に襲いかかった。

 笠松が二振りの小刀を使って相手の剣を押し返す。そのまま斬りかかり、腕の皮を裂いた。高尾は魔法銃を使って敵のロッドを破壊し、向かってきた炎の球を詠唱後撃ち抜いた。福井はレベルの低い春日と狙われている今吉を守るように魔法で防護壁を生成して、花宮は誰よりも敵の中へと入り込んで暗殺者のスキルを使い、深い傷を相手に与えた。そして今吉は神子術を発動したり魔法を放ったりしながらキリがないと舌打ちした。そう、誠凛の仲間は多く、地の利も誠凛のものだった。圧倒的に不利だと福井もまた焦っていた。
「このままだと保たねえぞ! 」
 福井の言葉に笠松も頷く。どうすればいいのか、誰もがそう考えていた。
 その中で、春日が近くにいた福井にねえねえと話しかけた。
「勝てないなら逃げればいいんだよねい」
「逃げるって、どこにだよ」
「船から降りればいいんじゃないのー? 」
「おま、ここどんだけ高いところだと思ってんだよ! 」
 福井の言葉に、春日はニコニコと人懐っこく笑った。今吉や高尾が振り返って春日を見る。彼はやはり、笑っていた。
「落ちても命が助かる方法があるんだけど」
 俺に賭けてくれるかなと、春日は笑んだ。

 福井の思考共有スキルによって笠松一行に春日の作戦が伝えられる。全員が余裕の無い顔で浅く頷き、攻撃を受け流しながらゆっくりと船の端に後退し、そして。
 落ちた。
「うええええひゃっほおおお!! 」
「高尾うるせえー!!」
「わははー! 落ちとるうう! 」
 その中で春日があらかじめ懐から出していた小さな筒、美しい笛を落ちる風によって大きく鳴らした。途端に遠くから巨大なモンスターの声がし、笠松達の目の前が白く染まった。
「っは、」
「あーおもろかった」
 笠松が固まっとると、今吉は楽しそうに彼の頬をつついた。福井も笠松と似たように脱力しており、高尾は高いテンションではしゃいでた。そんな高尾の隣に居た花宮は今吉が無事そうだと納得すると大きく息を吐いた。
 春日はぽんぽんと白い巨体を撫でて優しい声で語りかけた。
「ドラゴちゃんありがとねえ」
「いやおま、ドラゴちゃんて」
 福井がブンブンと頭を振った。
「これ、ホワイトドラゴンじゃねーか!! 」
「ホワイトドラゴン? 」
 不思議そうな今吉に、高尾は神話によく出てくる白いドラゴンですよと説明した。
「どの神にも属さない白属。その頂点たる孤高のドラゴン。それがホワイトドラゴンです! 」
 本物は初めて見たとはしゃぐ高尾に、花宮と福井が目元を覆った。一方で復活した笠松は今吉の無事を確認してから、デカいドラゴンだなと感心していた。
「春日の契約モンスターなのか? 」
「いやー流石にドラゴンと契約はしてないよん」
「ドラゴンと契約って大層なことなん? 」
「あのな、普通はドラゴンと契約なんて出来ねえよ。出来る奴はもう魔獣使いじゃなくて竜騎士だ」
 竜騎士は王国騎士レベルでありホワイトドラゴンを使役するなど人間業では無いと福井が言うと、今吉は成る程と頷いた。
「俺はねえ、この笛を妖精王にもらったんだあ」
 ニコニコと何でもないように言う春日に、花宮と福井が頭を抱えた。重大性を理解していない今吉と笠松は凄いなあと感心し、ある程度の知識がある高尾はさらにテンションが上がっていた。
 しかし春日はそれ以上言うつもりは無いらしく、不安定な竜の背を歩いて首の方へと向かって行った。そうしてドラゴンを撫でて親しげに話しかける姿を見てから、花宮が刺すように冷たい声色で後ろを見た。
「それで、何で誠凛のギルメンが二人も落ちてんだ」
 二人の少年、そのうちの伊月は乾いた笑いを浮かべながら頭を掻いて、もう一人の降旗は本をぎゅっと抱きしめて震えていたのだった。



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