深緋の籠16


 笠松が誠凛号(セーリン・シップ)内を歩いていると、扉が開いている部屋を見つけた。少し考えてから中を覗いた笠松に反応して、部屋の中にいた人物がくるりと振り返った。水色の髪をしたその少年は笠松を見るとにこりと笑った。
「こんにちは、初めまして。あなたは客人ですね」
「ああ、初めまして」
「名前を伺ってもいいですか」
 その問いかけに笠松は眉を寄せてから、ため息を吐いて名前を名乗った。少年はうっすらとした笑みを浮かべ続けている。
「笠松さん、ですか。そう、あなたはとても良い素質をお持ちですね」
 その言葉に笠松が動きを止める。息を詰める笠松に、少年は語る。
「運命から逃げ、諚を叛き、大切にすべき者達の手を叩き落としたあなたは、実に“彼”に向いている」
 笠松は黙っている。少年は続ける。
「今、あなたは己の正義を求めている。その先の未来すら見えていないのに、あなたは選んだ道を後悔していない。誰かを導くことに長けたあなたは、やはり“彼”に向いている」
 まあボクには関係ありませんが、と少年はクスクス笑う。その様子に笠松は長い息を吐き、うんざりとした視線を向けた。
「お前、名前は」
「そうですね、黒子テツヤ、黒子とお呼びください」
 黒子はうっすらとした笑みを崩さない。笠松はその様子から目を離し、室内を見回した。至る所で淡い輝きを放つのは大小様々な魔法石、そこに繋がる幾つもの魔法回線は見たこともない様式だった。異界の知識ですよ、と黒子は言った。
「この世界(ミラルエ)と隣り合う平行世界、その幾多もの一つ。魔法の無い科学世界の様式を借りたものです」
 素晴らしい出来でしょうと黒子は語る。しかし笠松は何も応えず、さらに室内を注意深く見た。幾多もの魔法石と魔法回線、その隙間に様々な本が置かれている。魔道書らしいそれから、笠松は興味を無くしたように目を離した。再び黒子と対面する。
「お前……」
「何かありましたか? 」
 にこりと笑う黒子の目を笠松は見る。水色の目はこの世のものとは思えない光を帯びていた。それを確認した笠松はまたため息を吐いて部屋を出る。その扉をくぐる際、黒子は笠松の背中に言った。
「神子を守ってくださり有難うございます」
 ちらりと笠松が振り返ると、黒子はにこりと奇妙な笑みを浮かべていた。

………

 花宮は船内を歩いていた。どうも誠凛のギルドメンバーは花宮が苦手らしく、見かけた船員はそっと花宮を避けた。しかし花宮も思うことはあるらしく、ショックなどを受けることなく歩き続けた。
 鶏肉の焼ける香ばしい匂いがして花宮は立ち止まる。キッチンらしいその場所を覗けば、赤い髪をした少年が忙しなく料理を作っていた。そしてふと花宮に気がつくと、ぺこりと頭を下げた。花宮も軽く頭を下げると、少年は調理へと戻った。少年の手により、魔法のように生み出される大量の料理に花宮はほうと感心したように息を吐いた。
「上手いモンだな」
「慣れてるからな」
 花宮の呟き対して律儀に返事をした少年に、花宮は目を細める。どこか懐かしそうな目に、少年は首を傾げた。しかし、花宮はそれ以上何も言わずその場に立ち続けた。少年はそんな花宮に違和感を抱きながらも自分の仕事を進めたのだった。

………

 夕食は客人である笠松達が先に食べ、誠凛のメンバーはその後に食べるらしかった。賑やかな夕食後も自由行動で、明日の十時ごろに看板に集まってくれればそれでいいとのことだった。笠松達は部屋に戻り、各々寝る準備を整える。
 やがてすっかり眠りについた六人だったが、ふと笠松が目を開き起き上がった。誠凛号は揺れも騒音も無く静かに夜の空を飛んでいて、笠松がその夜空を見ているとごそりとまた一人起き上がった。
「笠松、どうしたん? 」
 また眠れんのかと眠そうな今吉が問いかけた。数度瞬きをし、目をこする今吉に笠松は苦笑する。何でも無いと笑った。しかし今吉はうそつきと笑った。
「はよ寝てしまった方がええで」
「そうだな」
「なんならキッチンであったかいもんでも頼んだらええやん」
「そうかもな」
 今吉から目を離し、窓の外を見る笠松に今吉は口を閉じる。意地でも頼らないつもりかと小さく呟くと、笠松はああと小さな返事をした。
 今吉は長いため息を吐くと立ち上がり、窓際に立つ笠松へと近寄った。
「嫌な夢でも見たんか」
 その問いかけに、まあなと笠松が呟く。今吉は少し迷ってから、言った。
「悪夢は、人に言うと正夢にならんって」
「そうも言うな」
「言いたく無いなら言わんでええよ。でもな、ちゃんと眠らんと」
 笠松はそうだなと今吉へ振り返った。その目が揺らいでいたので、今吉は目を見開いた。笠松がそっと今吉の手を触った。
「生きてるか」
「……生きとるよ」
「俺はお前を守れてるか」
「たくさん守ってくれとるよ」
「この先も、お前を守り続けられるか」
「それは分からんな」
 手を離した笠松に、どうしたのだと今吉は視線で問いかける。笠松は弱々しく笑った。

「俺の家は代々王に仕える騎士の家系なんだ」
 突然の告白に今吉は口を閉じる。何を言い出すのかと彼は笠松の様子を伺った。夜の闇の中、笠松は続けた。
「所謂貴族って立場もあった。父親は厳格な人で、誰よりも王の為に生きていた」
 幼馴染も居たと。
「貴族ではなかったけど、同じように騎士の父親を持つ幼馴染が居た」
 でも、と笠松は言う。
「俺はよく知りもしない王の為に命を捧げるなんてとんでもないと思ったんだ」
 さらに、父親は冷酷だったという。
「敵に情け容赦しない。味方にだって厳しかった。己にも厳しく、人にも厳しく……とてもじゃないが、人とは思えなかった」
 まるで悪魔のような人だったと。その体に血液すら流れていないと思ったと。
「父親が嫌いだったん? 」
「ああ、世界で一番大嫌いだった」
 だから、逃げたのだと。
「騎士団に入らず、一族からも幼馴染からも逃げた。狼同盟で実渕に保護してもらうまで、日雇いの傭兵として生活してた」
 剣の腕だけはあったからと笠松は笑った。それでも、狼同盟に入ってからは、騎士として父親から習った剣術は使いたくなくて、独学で双剣士の剣術を身につけたのだと。
「嫌いだったんだ。たった一人の主人を守る為なら家族にすら剣を向けるようなあの人が、大嫌いだったんだ」
 でも、と笠松は言った。
「最近になって、少しだけ分かる気がするんだ」
 守る為に親しい誰かに剣を向けること。そうでもしないと守り続けることは無理なのだと。
「剣を、向けたんか」
「向けてない」
「なら、分かるわけないやん」
「でも、逃げているだけだ」
 親しい人から逃げているだけだと。だから、剣を向けていないだけなのだと。
 だから己はいつか、剣を向ける。大切だった人たちに刃を向け、その体を切り裂くだろうと。守りたい、人の為に。
「お前を守りたいと思ったんだ」
「……ワシを? 」
 今吉は目を見開く。笠松は笑った。
「最初はその場で助けられる命だからって手を伸ばしただけだった。でも、一緒に旅して、お前を支えてやるって決めて、お前もまた俺に寄り添ってくれた。それが、もう手に入らないと思ってた時間だったんだ」
 大切な人なんてもう二度と出来ないと思っていたと。
 だから、と。
「俺はお前の騎士になりたい」
 今吉が息を飲む。笠松は優美な仕草でその場で跪いた。二振りの小刀のうち、一振りを手に取った。
「お前の為なら、この剣を振るうことができるんだ」
 許しを乞う笠松に、今吉はしばし唖然としていたが、違うだろうと言葉を発した。
「笠松は騎士になりたくなかったんやろ」
「それでもお前の騎士になりたいと思った」
「ワシは騎士なんていらんわ。そんな大層な人やないし」
「それでも俺はお前を守りたい」
 守りたいなんて、と今吉は頭を振った。
「守るだけなら騎士にならんくてもええやろ」
「誓いが必要だと思ったんだ」
 確かな誓いを立てたかったのだと。
「俺は大切な人たちを裏切った人間だ。裏切り者だ。この先お前を守り続ける自信なんて、ひとつもねえんだ。だから、確かな誓いが欲しかった」
 それさえあれば、己はどのような時でも奮い起つことができるから、と。

 今吉はため息を吐く。笠松を見て、アホかと罵倒した。
「アホや、大バカ者や。そんでもって分からず屋」
「何でだ」
 不満そうな笠松に、今吉は目線を合わせる。鋭い三白眼が笠松の目を貫いた。
「あんな、そんな誓いなんて無くても笠松は充分ワシを守ってくれとった」
「……」
「それにワシは騎士なんて要らんって言っとるやん。聞こえとらんのかこのアホンダラ」
「でも俺は」
 でもなんて言うなと今吉は言った。
「騎士とか主人とか、守るとか守られるとか、いやワシが弱いから守られるのは仕方ないとしてもな。そんな関係性は堅っ苦しくてかなわんわ」
 それにと今吉は寂しそうに笑う。
「ワシはきっと、どう足掻いても神子なんや。笠松には悪いけど、多分最後には深緋(スカーレット)様のところに行く」
「行くな」
「いやそこは拗れるからな、今はええの。つまりな、そんなワシには騎士の誓いなんて重すぎんねん」
 だから、と今吉は苦笑した。
「“相棒”とかどうやろ? 家族とか兄弟でもええけど、なんか違う気がしてなあ。被保護者と保護者って気に食わんわ。ワシだって、ワシを攫ってまで守ろうとしてるアホを支えたいと思っとるし」
 支え合うって多分相棒だと思うと今吉は言った。
「そもそも、ワシはもう笠松のこと相棒やって思っとるんやで」
 笠松はどうなのかと今吉は笑った。笠松はしばし呆然としていたが、くしゃり、笑った。
「ああ、家族じゃなくて、兄弟じゃなくて、騎士と主人でもなくて。……相棒か。いいなそれ」
 俺はお前の相棒で、お前は俺の相棒だと笠松は笑った。潤んだその目に、今吉もまた目を細めて笑った。笠松は囁く。
「ずっと守ってやるよ」
「ならワシはずっと支えたるわ」
 今吉もまた囁いた。約束する、と。
「神子(ミスラ)はやめられんけど、神子やないただの今吉翔一は、ずっとキミの相棒や」
 だから安心して今晩は眠ってしまおうと二人は笑い合ったのだった。



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