深緋の籠9

 宿場町を出てしばらく、一行は道なりに港町へと向かっていたが、途中で笠松がふと空を見上げた。どうしたんですかと最初に反応したのは高尾だった。今吉や花宮もどうしたのかと立ち止まれば、笠松は空を指差して言った。
「雨が降るぞ」
 指差した方向の真っ黒な空に、皆は驚いてすぐさま宿を探して走り出したのだった。

 道の脇にあった小さな安宿。一行が駆け込むと途端にザアッと大雨が降り出した。暗い空は分厚い雲の証。遠くまで続く空模様に、高尾が一晩は雨が降り続くだろうと予想した。花宮と笠松も同意した。
「しかしマズいですね、このままだと真ちゃんに会えない……」
「この雨じゃ進めねえからな。魔法通信の機械を借りて連絡したらどうだ? 」
「こんな安宿にあるんですかね」
「無いのこともあるん? 」
「魔法機械は高いですからね! 」
 しかし万が一あるかもしれないと高尾が宿主に尋ね行った。その間に笠松がチェックインを済ませていると、今吉がそういえばと発言した。
「雨、止めばええの? 」
「あ? まあそうだな」
「それなら深緋(スカーレット)様に頼めばええんとちゃう? 」
「頼めば、って……天気の操作なんて出来るのか」
「んー、頼んでみんと分からんけど」
 多分できると言い切った今吉に、おいと花宮が口を挟んだ。
「それはアンタの体に負担がかかるだろうが」
「かもしれんなあ」
「かも、じゃねえよ。深緋様が何の代償も無しに叶えるワケがねえ」
「うーん、せやろか」
 首を捻る今吉を横目に、花宮は頭を振った。絶対に反対だと語る目に、笠松は苦笑した。
「とりあえず一晩経てば止むだろうから頼まなくても大丈夫だ。それに連絡さえつけば高尾が何とかするだろうしな」
「なんとかって? 」
「それは本人から聞けばいい」
 ほら、と笠松が見た方向に今吉たちが目を向けると、オンボロの機械を持って戻ってきた高尾がいた。

「回線繋ぐには修理が必要ですねこれ! 」
 高尾が肩をすくめると、花宮がボロボロの魔法通信機をつついた。
「修理できるようなスキルのあるやつならウチに居ますよ」
「え、まじで。お願いしてもいいですか? 俺あんまり得意じゃなくて。笠松さんに頼もうかと思ってたんですけど」
「得意なやつが居るならそっちに頼みたい」
「分かりました」
 古橋と花宮が呼ぶと現れた少年は無言で機械と向き合った。二十分で直ると古橋は言い、高尾が興味津々に修理の様子を見つめていた。今吉も興味深そうに修理の様子を見ていたが、ふと部屋に荷物を置きたいと言い出したので笠松と花宮との三人で皆の荷物を部屋に置いた。
 部屋は四人部屋を二つ借りた。一方は花宮の仲間たち、一方は笠松たちだ。質素ながら清潔な部屋に満足した様子の花宮の横で、今吉は宿にも色々あるのだなと頷いていた。荷物を置くと宿の主人に食事を頼み、魔法通信機のところまで戻った。順調みたいですと高尾が楽しそうに言った。
 食事の用意ができる頃、魔法通信機は直った。食事の前に高尾が通信機を操作し、秀徳号(シュートク・シップ)へと回線をつなげた。
「久しぶりです、高尾です。……はい、分かりました。いえそれが、ちょっと真ちゃんに会いたくて。ええ、患者です」
 通話を皆が見守っていると、高尾が笑った。
「分かりました! それじゃあ失礼します! 」
 通信を切り、高尾は笑顔で皆に振り返った。
「秀徳号の修理をしているそうです。一週間ぐらいは確実に港町に居るらしいですよ! 」
「そうか、それなら間に合うな」
 笠松たちのやり取りに、花宮が静かにホッとしていた。今吉はのんびりと夕飯が冷めてしまうよと笑っていた。皆は安心して食事へと向かったのだった。


 夜中。降り注ぐ大雨の音がぴたりと止んだ。笠松はむくりと起き上がり、隣のベッドに今吉が居ないことに気がつくと部屋を出て外を目指した。
 外の地面は雨でぬかるんでいた。月明かりの下、足跡を辿れば今吉が一人で立っていた。発光する魔法植物やリスのような小さな魔物を撫でる姿は無防備で、笠松は大きく息を吐いた。すぐに気がついた魔物がその場から逃げていく。今吉がくるりと振り返った。
「笠松、」
「何してんだ。危ねえだろ」
「危ないやろか」
「ああ、危ない」
 笠松が隣に立つと、今吉はクスクスと笑った。胸元でキラキラと赤いネックレスが煌めく。
「深緋様が傍に居るから平気や」
「ふうん」
「あ、信じとらんやろ」
「俺は神を知らねえからな」
 言い切った笠松に、今吉はハハと笑う。
「ワシとは大違いやなあ」
 楽しそうな今吉に、なあと笠松は問いかけた。
「ここなら、聞いてもいいか」
「……うん」
 なら、と笠松は言った。

「お前【記憶が無い】だろ」

 今吉はそっと目を伏せ、浅く頷く。そしてしばらく黙っていた。静寂の後、笠松は言う。
「記憶が無くなった理由は分からねえけど、それは置いておくとして、どうして記憶があるフリをしてんだ」
 今吉はそうだなあとゆっくり語った。
「花宮がな、ワシを神殿で見つけた時、あの子、泣きそうやったんよ」
 今吉を目の前にして、くしゃりと顔を歪めて、囁いたのだ。
「『覚えてますか、俺です。花宮真です』ってな。あんなに震えた声、ワシは知らんかった」
 その時思ったのだ。ああ、この子を泣かせちゃいけないと。
「ワシな、神殿に入る前の記憶が無いんや。いや、神殿に入ってすぐの頃の記憶もあんま無い。だから、生まれた時から神殿に居たと思ってたんよ」
「……」
「深緋様への信仰だけがワシの心の拠り所で、そりゃもう真摯に深緋様へ祈っとった。周りの世話係はワシに一線をひく大人ばかりで。だからやろか。花宮を泣かせたらアカンって思って、嘘を吐いた」
「嘘か」
「そう。『よく覚えとるよ、花宮』ってな」
 なあ、と今吉は笠松に向き直った。笠松もまた今吉を見る。
「この事、花宮には黙っておいてくれん? きっと、知ったらあの子は泣いてしまうわ」
「……ああ、分かった」
「ごめんな」
 寂しそうな今吉に、笠松はその肩を叩いて言った。
「謝らなくていい。ただありがとうって言っとけ」
「嘘の手伝いなんてさせるのに? 」
「いいんだよ。花宮の事を思って行動するんだから」
 許容範囲内だと笠松が言うと、何それと今吉は笑った。笠松も笑う。ひとしきり笑うと、笠松は言った。
「花宮だけじゃねえ、皆にも黙っておく。だから早く寝るぞ。明日も早い」
 戻るぞと笠松が今吉の腕を掴んで歩き始めると、今吉は何とかついて行きながら穏やかに笑った。
「うん。はよ、寝よか」
 よく眠れそうだと、今吉は呟いた。



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