深緋の籠8


 泉から再び出発した一行は何度か戦闘を挟みながらも順調に進み、やがて宿場町に辿り着いた。すぐに通り抜けることも可能だったが、今吉が興味深そうにしていたことと回復薬などの消耗品の補給の為に二時間ほど留まることになった。
 では買い出しにと一行が薬屋に向かっていると、ふと目を真っ赤に腫らした少女に出会った。すぐに今吉が近寄り、どうしたのかと問いかけると迷子のようだった。
「迷子って、どうすればええの? あー、きみ泣いたらあかんよ、ほら目が腫れとる」
「高尾、親の姿はあるか」
「近くにそれらしき人影は見えないですねー、うーん。ちょっと探しますか。花宮さんと愉快な仲間さん達もお願いしますね! 」
「はあ?! 」
 こういうのも得意でしょと高尾は走り出し、花宮は深いため息を吐いてから仲間に指示をしてその場を離れた。その際に今吉へ振り返ると彼が笑顔で手を振っていて、花宮はまた深いため息を吐いていた。
 それらを見届けた笠松はとりあえず近くの露店で果実のジュースを買って少女と今吉に渡した。
「わ、ありがとさん」
 お兄ちゃんありがとうと少女はジュースを飲み始め、それを見て今吉もジュースを飲んだ。しかし一口飲んで驚きの声を上げた。
「これ美味い! 」
「初めて飲むのか? 」
「ジュースは飲んだことあるんやけど、多分果物の種類が違うわ。あれや、神域で採れた食べ物しか貰えんかったし……」
 今吉の言葉に少女は首を傾げ、あんまり甘いものを食べないのと問いかけた。今吉が少し悩んでから頷くと、少女はパアッと顔を明るくして、美味しいものいっぱい知ってるよと今吉に教えた。果実の花蜜漬け、魔法植物の茎を砂糖蜜で揚げた揚げ菓子、パンにシロップを漬けて焼いたもの……少女はどうやら特別甘いもの好きだったらしく、どれも甘くて美味しいお菓子ばかりだった。今吉はそれを興味深そうに聞き、時折質問したりした。二人が楽しそうに喋っていると、高尾と花宮が女性を連れて戻ってきた。少女がママと叫びながら駆け寄ると、女性つまり母親が彼女を抱きしめ、それから一行に頭を下げる。ありがとうございましたと母親が言うと少女は明るく笑ってお兄ちゃんたちありがとうと今吉と笠松に向かって告げた。今吉が彼女の目線に合わせてしゃがむ。
「これからはお母さんと離れたらあかんよ」
 うんと少女は明るく笑い、二人は去っていった。その後ろ姿を今吉がじっと見つめているのを見て、笠松がどうしたと問いかけると、何でもないけれどと今吉は呟いた。
「随分と明るく笑うんやなあって」
 笠松はその言葉に、あのなあと言った。
「感謝されて嬉しいなら嬉しいって思っとけ」
 妙なところで捻くれてんなと笠松が言い終えると、今吉は瞬きをしてからハハと笑って薬屋に行こうと皆を促したのだった。

 笠松達が買い物を済ませ、時折店を覗きながら歩いているとどんと今吉に誰かがぶつかった。すぐに花宮がその誰かの首根っこを掴んで引き離すので笠松がおいと花宮の頭を叩き、高尾がその誰かに駆け寄った。今吉も近寄り、二人で誰かに手を差し伸べた。その誰かは少年だった。顔を上げると目を見開いて声を上げて驚き、それからありがとうございましゅっと妙な挨拶をして何とか一人で立ち上がった。
「きみ、どうしたん? 」
「えっ、あ、その、」
「大丈夫、取って食ったりしねえって! 見たところ俺と同い年ぐらい? 」
「え、あの、それは」
 焦っているのか、口が回っていない少年に落ち着けと笠松が言っていると、おういと後ろから声がかけられた。伊月先輩と少年が声を上げたので一行が振り返ると、そこには黒髪の少年がいた。
「フリ、ごめん見失った」
「お、俺もです……素早かったですね」
「そうだね。で、そちらの皆さんは? 」
 伊月と呼ばれた少年に、代表して笠松が自己紹介をする。
「俺は笠松。そっちは高尾でこっちは花宮。まあなんか他にも居るが」
「そちらの方は? 」
「ワシ? ワシは」
 今吉がそっと首元の赤いネックレスに触れて挨拶をしようとすると、花宮がそれを止めた。
「この人は今吉。訳あって自分の名前を取られてます」
「名前を? それは大変ですね」
 伊月はそれならこちらの番だと自己紹介した。
「俺は伊月。フリは降旗。どうやらフリを助けてもらったみたいで、ありがとうございました」
「ぶつかってごめんなさい! 」
「ええよ、けどもっと前見て走らなかんで? 」
「はい! 」
「けど、何で走ってたんだ? 」
 随分と急いでいたみたいだなと笠松が言い、さらに誰かを追いかけていたのかと問いかければ伊月は肩を竦め降旗を見る。降旗が気がついたように手を上に掲げれば、ぽんっと本が空中から現れた。
「えええっ! 何それ! 空間移動術? すっごい高度な魔法じゃん! 」
「あ、いえ、違うんです」
 降旗が言葉に困っていると、すかさず伊月が解説をした。曰く、この本を先ほど盗まれたのだと。
「確かに見たこともない装丁をした本ですね。高く売れそうですよ」
「はは、花宮は目敏いな。けどこれは売れないんだ。この本はフリから一定以上離れると自分でフリの手元に戻ってくるみたいなんだ」
「え? 」
 仕組みは分からないけどと伊月が苦笑する横で、降旗は難しい顔をして俯いていた。今吉がそんな降旗の顔を覗き込むと奇声を上げて顔を上げた。今吉が笑う。
「つまりきみだけの本ってことやろ。胸張ってええんやない? なかなかそういうのは無いモンやろ」
「そ、そうですか? 」
「多分な」
「た、たぶん……」
 伊月は困惑する降旗に、仕方ないなと肩を竦め、そろそろ戻ろうと降旗に声をかけた。笠松はそれなら俺たちもそろそろ行くかと言うと皆が賛成した。それじゃあと伊月と降旗と別れた一行は宿場町から出る為に歩き始めたのだった。


 伊月と降旗はしばらく無言で歩いていたが、伊月が小声で降旗に話しかけた。
「彼らを知ってる? 」
 多分、と降旗は頷いた。
「笠松幸男さん、高尾和成、花宮真、そして今吉翔一さんだと思います」
「狼同盟と、蜘蛛の巣かな。今吉って人は何者だろう」
「分かりません。というか、メンバーが謎すぎます」
「そりゃ、狼同盟と蜘蛛の巣が一緒にいたら不思議だけど」
「いえ、そうじゃなくて、その……」
 降旗が難しい顔をして眉を寄せる。
「笠松さんは騎士団の海常(カイジョー)隊にいるのが自然で、高尾は船の医者団の秀徳ギルドに居るはずです。蜘蛛の巣は普通だと思います。そして今吉さんが、分かりません」
「分からない? 」
「今までの法則からいくと、今吉さんは桐皇学園の仲間と共に居るべきですが、桐皇の名前が付く集団が無くて……」
「トウオウ、か。確かに聞き覚えがないね」
 伊月はふうと息を吐き、それらはと続ける。
「【俺たちの願い】の妨げになるかな? 」
「分かりません。でも【黒子の願い】の障害にはたぶん、ならないと思います」
 そこで伊月が降旗を咎めるように口を開いた。
「フリ、黒子の願いじゃなくて、俺たちの願いだよ。決めたじゃないか」
「それは、そう、ですね」
「いいかい、俺たちには【この世界(ミラルエ)を変える】使命がある。これはただ小さな願いだったかもしれない。けど今はもう、俺たちにとって手の届く使命だ」
 伊月はじっと前を見据えた。
「何としてでも変えなくちゃいけない。このままにはしておけない。その為の【犠牲】を、俺たちは認めなくちゃいけないんだ」
「……はい」
 ねえ、フリ。そう伊月はすっと遠い目をして言った。
「俺だって、本当は」
 そして目を伏せるのを見て、降旗はぎゅっと腕の中の本を抱きしめて頷いた。
「先輩、どうしても、どうしたっても、【革命】は【犠牲】無しでは【有り得ない】んですよね」
「……うん、そうだよ」
「そう、ですよね。うん、そう、ですよね」
 降旗は俯きながら歩き、伊月は前を見ながらも僅かに暗い顔をして歩き続けたのだった。



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