紫→今/地球が呼吸を続けて僕も酸素を吸って/コメディ風味/深読みすると紫原さんが病み気味です


 クスクス、クスクス。笑い声が聞こえるようだ。
 街を歩けば視界に入る、人、人、人。雑踏はけたたましいほどにワシの聴覚を刺激するのでうんざりする。いつもはこうではないのに何故今日に限ってこんなに耳障りなのだと少し苛立てば、ふと紫色が見えた。人々より頭二つは抜けているそれはゆらゆら揺れながら歩いていた。紫原だ、思う前に腕を掴まれた。
「アンタ、顔色悪いんだけど。」
 いつの間にこんなに近くにいたのだろう、考えると頭がぼうっとして、暗転。

 熱中症である。あまりにバカバカしいと頭を抱えそうになった。体が怠くて腕は到底持ち上がりそうにない。開いた目で辺りを見回せばなにやら和風な一軒家の中にいるらしい。畳のにおいと開け放たれた障子の先には縁側と日本庭園が見える。はて、ここは何処だと思っていれば目が覚めたと聞き覚えのある声がした。
「熱中症だってさ。ばーちゃんが言ってた。」
「……ばーちゃん?」
「ここばーちゃんの家。ちょっと用事あって帰ってんの。」
「そうなん。」
「んで、死にそうな顔して歩いてるアンタに声かけたら目の前で倒れるし、とりあえず近くのここに運んだわけ。」
「そら、ありがとさん。ところでワシはキミより年上なんやけど。」
「別にいいでしょ。此処には俺しかいないし、ばーちゃんには叩かれると思うけど。」
「ようないやん。」
 はあとため息を吐けば、差し出されたペットボトルに驚く。寝ているワシの隣に来ていた紫原が差し出したよく見るスポーツドリンクのそれに、飲めということだろうかと苦笑した。
「おおきに。でもちょっと今は飲めそうにないんやけど。」
「起きてよ。」
「体が怠くてアカンわ。」
「じゃあ起こすから。」
 え、と思う間に腕が伸びてきてグッと強制的に起き上がる。頭がぐらりとして気持ち悪さと嘔吐感。信じられんと思っていれば蓋を回す音がして、ペットボトルの飲み口を唇に押し当てられた。なんでやねんと半ば無意識に言おうとして口を開けば口内に注がれるスポーツドリンク。急いで飲み込むもののとめどなく注がれるそれに呼吸が出来ず、これ吐くパターンだと頭が痛かった。
 ペットボトルを口から離されて、咳と荒い呼吸を元に戻すべく奮闘しているとペットボトルの蓋を回す音がした。見れば、どうやら半分ほどを飲んだらしい。熱中症の正しい対処って何だっけと思っていれば再び寝かせられる。しかし今度は頭にひんやりと冷たいものがあった。氷枕だ。
「取り替えたから。」
「いつの間に。」
「あー、もう膝んとこのぬるくなってんじゃん。もうひとつ持って来なきゃ、めんどくさ。」
 話の流れを考えるに、ワシが目を覚ました時にはすでに氷枕が頭のところにあったらしい。さっきのスポーツドリンク事件の間にそれを新しいものに取り替えてくれたのだろう。嬉しいが、些か乱暴ではないだろうか。
 紫原が出て行って静かになった部屋に僅かな風と風鈴の音がした。鉄製のその音は決して慣れ親しんだものではないのに、どこか懐かしかった。
 少ない風でも気分の良くなるものだなとぼんやりしていればすぐに紫原が戻ってきた。足を動かされて膝の裏に氷枕が置かれる。ありがとうと礼を言おうとすれば何故か隣でお菓子を食べ始めていた。そういえば菓子が好きだったっけと桃井から聞いたことのある情報を思い出していると、紫原は口の中のお菓子を飲み込んで口を開く。
「だいぶ顔色が良くなったじゃん。」
「そうなん?確かに大分気分はマシになったと思うけど。」
「まー、良かったね。ていうか次から自分で予防してよ。こんなめんどくさいのもうやだし。」
「ワシとしてももうこりごりやで。」
「でしょ。だから予防頑張って。」
「分かったわ。今回はおおきに。」
「はあ?俺が勝手にしたことでしょ。お礼いらない。」
「いや、そこは受け取ってくれへん?」
「アンタに貸し作るの嫌。」
「紫原のなかのワシの印象が解らん!」
「元気になった。」
「そらな!」
 よいしょと起き上がれば目眩がしたものの、何とか歩けそうだと判断できた。そろそろお暇しなければと考えていると、隣で紫原がペットボトルを傾けて飲んでいることに気がつく。しかしそれが問題だった。
「え、それワシが口付けたやつ。」
「あ、あー?ほんとだ。まあいいや。」
「適当やな!」
 はあとため息を吐けば机の上を指差される。見れば二つのガラスのグラスに入った冷たい麦茶があった。グラスの中の氷が涼しげだ。
 飲めばと言われるがままに片方を手にとって飲めば冷たい麦茶が心地良い。気分がよくなると思っていれば、あれと思う。麦茶あるならわざわざぬるいスポーツドリンクを飲まなくてもいいのではと。飲みかけだったからだとしたら、ワシが飲んだものだとすぐわかるだろうしとモヤモヤしていれば首筋にひやりとしたものが当たって驚いて声を上げる。振り向けばもう片方の冷たいグラスを当てられていたらしかった。
「アンタそういう反応できるんだー。」
「だから紫原の中のワシって何なん?あーもう驚いたわ。」
「ふうん。」
 その声色がどこか不穏だと気がついた時にはうなじに紫原の大きな手があてられて、紫原の顔が近くて、唖然としていれば紫原は不思議そうに、言った。
「呼吸が聞こえる。」
 あたり前だと叫んで頭突きをしなかったワシはきっとこの数分で大人になったのだろう。



title by.恒星のルネ

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