森今/選択肢のエトセトラ/片思いの出現のようなそうでないような/ベクトルの意味が違うように見せかけて無自覚な二人



 海常と桐皇が練習試合をした次の日の日曜日。黄瀬の提案で笠松と小堀と黄瀬と、俺こと森山由孝の四人で東京に来ていた。ちなみに二年の二人も誘ったらしいのだが、二年だけ日曜日に授業が入ったのだとか。二年生の学年主任であるあの先生ならやりかねないと俺たちは納得したけど、黄瀬はぶすくれて、その後すぐに次の約束を取り付けていたからちゃっかりしているなと改めて感心した。危なっかしい綱渡りではなく、きちんと地に足をつけて世渡り上手な様子を見るとやはり安心する。やっぱり黄瀬は俺たちのかわいい後輩なのだから。
 さて、半ば現実逃避な思考はここまでにして。そうです。ここは東京です。そして俺は迷子となっています。
「いや、迷子と言いたくないし思いたくない。はぐれただけ。うん。そう。俺ははぐれた!だけ!」
「なんや元気に迷子宣言しとるな。」
 俺に向けられた声に驚いて振り返れば、そこにはメガネ越しにある目を細めて人懐っこそうな笑みを浮かべた知人、桐皇の今吉翔一がいた。服装はどうやら私服らしく、真っ黒なパーカーを着ていた。
「えっ、サトリ?」
「いやダダ漏れやったで。んで、ワシは正真正銘人間や。てかそれ誰に聞いたん。」
「え、あー、偶然だな!」
「そうやな。ちなみにここはわりと表通りから離れとるけど。」
「なんだって……!」
「迷子やな。」
「はぐれただけなんで。」
「ジブン、苦しすぎるわ。」
 ほな行こか、と歩き出そうとした今吉に戸惑えばくるりと今吉はこちらを向いた。
「表通りまで行けばお仲間と合流するやろ。」
「送ってくれるのか?」
 思わず聞けば、今吉は呆れ顔になった。
「キミん中のワシのイメージは何なん。ま、何でもええけど。ついて来んと置いてくで。」
「待って待ってついて行くから!」
 真っ直ぐ歩いていく今吉の隣に駆け寄り、歩く。ちらりと今吉を見ればわずかに目線がズレていることに気がついた。身長などのデータは知らないので勝手にまったく同じ身長なのかと思っていたが、ほんの僅かに俺の方が身長が高いらしい。コートの中で立ちはだかる対戦相手の司令塔は自然と大きく見えるし、何より今吉独特のプレイスタイルはコート外での温和そうな表情とは裏腹に威圧感がある。どちらが素でどちらが作り物かなんて知らないけれど、どちらも含めて今吉翔一なのだろうと思っている。どうしてかって言われたら黄瀬の例があるからだ。黄瀬の二面性だってどちらかが作り物だなんて事はないのだから。
「で、森山はなんであんな所にいたん。」
「まあ色々あったからわけで。」
「ナンパ関係か?」
「何故分かる……。」
「ウチには優秀な諜報員が居(お)るからなあ。」
 諜報員と聞いて桃井さんを思い出す。彼女の脅威は黄瀬からよく聞いていたけれど、こんな情報までもたらすのかと驚いた。そしてウチに居ればなあなんてどうしようもないことをほんの少し思った。
(そうすれば、)
 そう思って、あれと首を捻る。今、俺は何を考えたのだろう。
 そうしていれば今吉が前を向いたまま軽やかに告げる。
「あげへんよ。大切なウチの子やからなー。」
 その横顔は愛しさを全面に押し出した綻ぶような笑顔をしていて、それは恋愛感情ではなく無償の愛に見えて。
「……羨ましい。」
 小さな小さな声でそう呟いていた。ハッとして口元を手で覆えば、今吉はカラカラと笑う。いいだろうと。けれど笑い声を止めて立ち止まり、俺を見た。
「黄瀬を選んだことは間違いじゃあないやろ。」
 そうして正面から見た自信に満ちた笑みは、まるで今まで出会った笑顔の中で一番美しいかのような笑みで。
(俺は今吉が欲しいなあ。)
 決して黄瀬が要らないんじゃない。ただ、この少年が欲しいと思った。全部欲しいのだ。この少年の全てが。
「いま、」
「ああ、ホラ、彼処やな。」
 今吉が見る先には笠松の姿。その後ろには小堀と黄瀬も居た。バスケ部で来ていたのかと笑って、じゃあこれでと離れようとする今吉の腕を掴む。一瞬だけ目を開き、すぐに細めて、どうしたのかと聞くその少年に俺は伝えるのだ。
「今吉が欲しい。」
 今度こそ目を見開いた今吉に、俺は続けた。
「全部、頂戴。」
 そして腕を掴んでいた手を引き寄せれば、今吉がふらついて俺に近付く。もう少し、否、もっと近寄って。そして、そして?
「俺に愛を与えて。」
  そうだ、そうだ。俺は最初にその無償の愛が羨ましかったんだ。
 黙っていた今吉が口を開く。
「とりあえずオトモダチからでどうや。」
 その許容に心の何処かで違和感を覚えたけれど、それを打ち消すほどの歓喜に身を任せれば今吉は苦笑した。
「ま、落ち着いたらどうなるか知らんけど。」
 その言葉を認識する暇もなく、笠松の声に半ば反射的に振り返ってしまう。すると手の中から腕がするりと抜け出し、しまったと急いで今吉を追いかけようとすれば、もう黒いパーカーは見えず、東京の雑踏に隠れてしまっていた。

 近寄ってきた笠松に、迷子になるんじゃないと怒られて謝れば不思議そうな顔をされる。曰く、何故そんなにも嬉しそうなのかと。だから俺は答えるのだ。
「俺は正しい選択肢を選べたんだ。」
 笑えば笠松は、それはそれは怪訝な顔をしたのだった。

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