8.もう全細胞から求めちゃってんです/春今/掌編


 春日の手がワシの手の甲をなぞる。手首から指先へ、指先から手のひらへ。手のひらから、指と指を絡めて。
「いい手してるよねん」
「なんやそれ」
 好きなところってこと。そう笑った春日に、あほらしと言えば、恋をしたら盲目なんだよと言われた。まあ、恋は盲目、一理ある。
「てか何なん、ここワシの寮なんやけど。そんでもって深夜なんやけど」
「内通者に頼んだからね〜」
「諏佐め」
 身の危険を感じるわと言えば、そんなことないでしょとにっこりされた。
「俺たちみんなで救い出してあげる〜」
「なんやそれ」
 あ、二回目、なんて笑う。いつも笑ってんなあと言えば、笑ってる方がいいでしょと言う。その言葉の裏に、ワシの前でだけだとの意味を汲んで。そういや笑わない顔も他の人には向けてるなあと思った。
「あーあ、今吉のこと、全部欲しいのになあ〜」
「全部って?」
「んー、全細胞?」
「こっわ」
 怖いのに、笑ってしまうのは春日が笑顔だからだろう。優しく笑っているからだろう。だからこそ、タチが悪い。
「今度来た時はおやつでも持ってくるねん」
「カロリー低めで頼むわ」
「砂糖たっぷりのジャムとスコーン」
「ひっどいヤツやなあ」
 酷いのはどっちだろうねと春日がぐりぐりと額を胸に擦り寄せる。地味に痛いんやけどと言えば、痛ければいいよと言われた。
「俺たちで今吉を等分したらだいぶちっちゃくなっちゃうね〜」
「グロ?」
「そうじゃないよ〜」
 そうじゃないもんねと顔を上げてへらりと笑った春日は月夜の明かりの中だからか、まるでたった一人を愛した王子様のようだった。

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