それはまさしく羽化だった。

満月の光で溢れた庭で、白くて両手のひら大の繭が宙に浮き、一部が破けだした。最初に見えたのは皺だらけの羽らしきもの。やがて背中がゆらりと現れ、徐々に上半身がだらりと垂れるように現れると、ずるりと地面に落ちた。落ちたそれは確かに両手のひら大の繭から羽化したのに、僕ほどの大きさをしていた。
羽がゆっくりと開き、動く。羽は色鮮やかで僕の目が奪う。さらに頭部からは黒い触覚が二つ生えていた。
言葉を失った僕など気にも止めぬように倒れていたそれは上半身を立たせた。丁度女の子座りになったそれは目を開けた。深い瑠璃色のそれは羽の色鮮やかさなど塵に見えるほどに美しく、髪は澄んだ胡桃色をしていた。
蝶の羽と触覚を生やした、瑠璃色の瞳と胡桃色の髪のそれは青年の姿をしていた。青年は薄く、色付いていない唇を動かした。

「ビャクロクは」

青年、いや、“ミナキ”君は僕の紫色の瞳だけを映していた。僕を自身を愛した僕の祖父と区別し、祖父の名を呼んだ。

(ああ、これが)

(これこそが蟲人形)

僕は微かに震える手で何時も持ち歩いていた懐中時計をミナキ君に差し出す。その懐中時計は祖父が大切にしていたものだ。だから、ミナキ君は生きられる。

「…」

ミナキ君は瑠璃色の瞳で懐中時計をしばらく見つめると、細く長い指を巧みに操って僕の手から懐中時計を受け取る。そして迷うことなく、ただゆったりとした動作でそれを口に入れていった。そしてゴクリと飲み込む。上下する喉の動きは懐中時計のサイズと合わないもので、やはりこれは蟲人形なのだと思った。世間の常識が通用しないイキモノ。血の通わぬ、冷たいイキモノ。

「…こんばんはミナキ君」
「こんばんは」
「僕はマツバ。キミを愛したビャクロクの孫なんだ」
「知っている。でも私は幼いマツバしか見たことがないな」
「そうだね。僕がうんと小さい頃は、ミナキ君がまだ繭になる前だったからね」

ミナキ君は懐かしむように目を細めた。何時の間にか唇が桃色に色付いていた。それは祖父の懐中時計のおかげか、それとも。

「僕はキミに愛をあげる」
「どうしてだ?」
「一目惚れだったんだ。」

僕は初めてミナキ君を見た、あのただの人形だったミナキ君を思い出した。幼い僕は、外国の美しい人形の姿をしたミナキ君に恋をした。一目惚れで、初恋だった。祖父にはそのことを内緒にしていた。己の子のようにミナキ君を愛していた人だったから、内緒にしていた。それももうお終いだ。

「ミナキ君、キミを愛してる」

僕がそう言って微笑むと、ミナキ君はみるみるうちに髪が艶やかになり、両目が煌めいた。白い肌は透明度を増して、蝶の羽の色がより鮮やかになる。ああ、なんて美しい!

「キミからの愛まで欲張らないから、キミを愛することを許してくれないかな」
「私に愛されることを拒否する理由はないさ」

ミナキ君は自然に微笑み、僕が屈んで抱きしめるのを柔らかに受け止めるのだった。





キミと僕の二度目の出会い
(僕は歓喜する)

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