ルーグ×ディアン・ケヒト/白薔薇の自信/おうちデート/付き合ってません


 何がしたいのか。
 軍医にも休暇は与えられる。ディアン・ケヒトはその休暇をいつも通りの趣味と研究から離れて、何か別のことをしようと考えていた。
 いつもの軍服ではなく、私服の白いシャツにダークグレーのズボンを着た彼は少しの間だけ思考を巡らせた。標本作りは研究である。散歩は偵察である。ならばと彼が向かったのはキッチンだった。
 ディアンは自炊をしている。医学に携わる故に実験の心得がある彼にとって、料理のプロセスは実験と変わりない。計量し、手順通りに料理を組み立てる。幾つかの作業を同時に行い、時間差を計算して複数の料理を作り上げていく。やがて料理のスパイスの香りが家の中には留まらず、外にまで伸びていった。
 カタン、物音にディアンは反応し、キッチンの出入り口を確認した。そして、その神の名を呼んだ。
「ルーグですか。」
 何か用ですかと手を拭いて振り返ったディアンにルーグは大した反応はせず、作りかけの料理たちを眺めていた。その様子にディアンは息を吐いて、ルーグに背を向けて調理を再開した。一言、待っていなさいと告げて。

 ルーグはリビングのテーブルについていた。ディアンは皿に盛り付けた料理をそのテーブルに並べ、取り皿とカトラリーをルーグと自分に用意した。
 仕上げに蜂蜜酒を二つのグラスへと注げば、食事の始まりである。

 ルーグは蜂蜜酒を一口飲んでから、それぞれにと既に取り分けられていた肉と野菜のポトフを口に運んだ。そして口元を僅かに緩ませる。それに目をやりながら、ディアンもまた焼きたてのパンをちぎってスープに付けて食べた。
 ルーグは言う。
「悪くはないですね。」
 その言葉にディアンは、はあそうですかと言いながら食事を進める。腹を満たす作業を続けるディアンに、ルーグは独り言のように続ける。
「貴方の料理は懐かしい。」
 するとディアンはぴたりと動きを止め、口に運びかけていたローストビーフを皿に置いて、信じられない様子で言った。
「まさかルーグ、貴方、料理の匂いにつられて来たんですか。」
「まあ、そうですけれど。」
 大皿のパイを切り崩すルーグに、ディアンは呆れたと額に手を置いた。
「何か仕事の話かと思っていたんですけどねえ……。」
「それなら食事何てしませんよ。」
「そうですか。」
「そうですね。」
 そうして黙々と食事をし始めたルーグに、まずは料理を平らげてしまおうとディアンは取り皿の肉をフォークで口に運んだ。

 ディアンにとって本日二度目の驚きは直ぐにやってきた。
 成人男性の姿をした神は二人でぺろりと大量の食事を平らげた。なのでディアンは食器洗いを始める。皿を水道に運び、がしゃがしゃと洗剤をつけたスポンジで洗い、泡を水で流す。ルーグと、並んで。
「何がしたいんです? 」
「ディアン殿、それまだ泡ついてますよ。老眼ですか。」
「それぐらい見えてます。そうではなく、何故貴方は私と並んで皿洗いをしているんですか。」
「もう洗い終わったので早くすすいだらどうです? 僕は食器を拭きますので。」
「嗚呼はいそうですか、分かりました。」
 ディアンは諦めた様子で泡だらけの食器たちを清潔な水ですすぐ。そうして洗い終わった食器を、ルーグがこれまた清潔なタオルで拭いて片付けていく。食器をどの棚に仕舞えばいいのかをルーグはよく分かっているらしく、迷う事なく大量の食器を棚に収めていった。その様子にディアンはため息を吐いて、手を拭いた。そう、食器洗いも片付けも終わってしまったのである。

 暖炉近くの椅子に座っているルーグに紅茶を渡し、ディアンは自分も紅茶を手にしながら、さて次は何をしようかと考えた。洗濯は朝のうちに終わらせてある。家の掃除は昨日のうちに書類探しのついでにと終わらせてしまった。読書でもするかと、ディアンは紅茶を置いてさらにテーブルの上にあった手袋をはめてから部屋を出ようとすると、ディアン殿とルーグが呼び止めた。名を呼ばれてディアンは立ち止まり、不可解そうな顔でルーグへと振り返った。ルーグはいつものうっすらとした笑みを浮かべている。
「少し、話でもしませんか。」
 そう言われて、少しだけディアンは迷った様子を見せてから、一人掛けのソファに座った。二人の距離は会話に支障が出ない程度に離れている。
 ディアンが切り出した。
「貴方、今日はどうしたんです。らしくない。気味が悪い。」
「随分な評価で。でも、貴方が研究の手を止めている様に、僕だってこういう日があるでしょう。」
「……はあ。」
 ディアンはルーグから目を離し、軽く目を閉じてソファに体を沈めた。そういえば最近はロクに寝てなかったと、仮眠をとる事にしたのだ。もうルーグは放っておくつもりであり、それはルーグにも分かったのだろう。彼は静かに椅子から立ち上がった。
 暗い視界でも、ディアンならば誰かが歩いた気配なんて直ぐに分かる。けれど、彼は休暇を謳歌しようと思うぐらいには疲労が溜まっていた。
 ギシ、ディアンが座っているソファが音を立てる。ディアンがゆっくりと目を開くと、ルーグがソファに手をつき、膝を立てていた。まるでディアンに覆い被さっているような彼は、にこやかに笑う。
「嗚呼、眠っていて良いですよ。少し野暮用があるだけなので。」
「そうですか。でもまあ、貴方が退けば寝ましょうかね。」
「おや、信用なりませんか。」
「信用とは何でしょうねえ。」
 ディアンの首元にあるシャツのボタンに手をかけるルーグの、その手に手袋をはめたディアンの手が重なる。そうして手を止めさせたディアンはジロリとルーグを見上げた。そんなディアンに、ルーグは苦しそうだったのでと笑う様に告げながら抵抗を気にすることなく手を動かし、一番上まで止めてあったボタンのうちの上から二つのボタンを外した。
「このシャツ、ボタンが多いですよね。」
「そうですかねえ。」
「手袋も外したらどうです? 」
「何でですか。」
「寝るなら楽な格好をした方が良いでしょう。」
「仮眠程度なら必要ありませんね。」
 ディアンの言葉に、まあそうかもしれませんねとルーグは笑い、目を閉じようとしないディアンの顔に顔を近づけた。ディアンは重ねていた手を離してルーグを押し退けようとしたが、ルーグはその手を絡め取って肘掛けに押し付ける。抵抗の手段をひとつ失ったディアンは、背凭れに頭を押し付け、さらに顔を背ける。その姿にルーグはクスクスと笑った。そうしてもう片方の手の整った指先で彼の耳を露わにすると、耳の前面、上部の付け根辺りに唇を寄せた。
 音を立てて口付けるとディアンはピクリと震え、ルーグは機嫌良さそうに深い笑みを浮かべた。そうして顔を離すと、ディアンは深く長いため息を吐いた。
「お疲れの様ですね。」
「初めから分かっていたことでしょう。ホラ、気が済んだならサッサと退きなさい。」
「そうですね。」
 するりとルーグはディアンから離れ、壁に立てかけてあった己の槍を持つといつもよりどこか上機嫌そうな笑顔で軽く振り返った。
「また来ます。」
 それでは失礼とルーグは部屋を出て、家を出て行く。ディアンはソファに座ったまま暫く様子を伺い、完全に彼が家を出て何処かへ行ったと分かると、体の力を抜いて息を吐いた。
「何がしたかったんだか……。」
 そう呟きながら立ち上がったディアンは今度こそ仮眠を取ろうと寝室に向かった。

 その道中で軽く頭を振って髪を直すディアンの、その耳には赤い花が咲いていたのだが、彼はもう何も考えたくないと寝室に入って行ったのだった。



白薔薇:私はあなたにふさわしい
耳への口付け:誘惑

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