ルーグ+ディアン・ケヒト/倒れた男、拾った男。/妖精は時に心をえぐる話


 深い霧の夜だった。
 強い月明かりの日。明るい筈のその夜は何故か暗くて濃い霧が立ち込めていた。その霧は今、月明かりがあるのなら浮かぶ筈の陰影を曖昧にし、町の人間を他の世へと誘うかのような、そんな恐ろしい空気を作り出していた。その異様な霧の夜に神のルーグは外に出て、ゆっくりと怯えることなく歩いていた。
 コツ、コツと足音を立てて、石畳の町中を彼は歩いている。寂れた町ではないが人の少ないその町には夜に出歩く物好き何ていない。ルーグは一人きりで槍を持ち、歩いていた。
 しばらく彼が歩いていると、揺れるランプの灯りが見えた。ルーグはそれを気にすることなく進み、霧の中でルーグに気がついた夜警の男が会釈すると彼は同じように会釈を返した。夜警の長靴の音が去って行くと、ルーグは息を吐いて歩くことを再開した。
 コツ、コツと歩く音だけが響く町はガス灯が少ない。暗い町だったが、ルーグは気にすることなく歩みを進めた。そして突然立ち止まり、じっと何かを探ったようだった。そうして何かに気がつくと、彼は進路を変えてまた歩き始めた。

 夜の霧はどこか別世界への入り口のようだ。ルーグは歩き続け、やがて目的地に着くと足を止めた。そこまでくれば誰にでもその異音は聞こえてくる。ざりざり、がりがり。やがて音が止まったその時を待っていたように、ルーグは目的地の敷地へと足を踏み入れた。
 幾つもの墓石。埋められた遺体たち。その中で座り込んでいた神にルーグは語りかけた。
「ディアン殿。」
 その声で神である男はやっと気がついたように、上半身を捻って、座ったまま振り返った。
 夜の濃い霧に溶けそうな、不健康そうな肌はいつにも増して青ざめている。三白眼気味の黒い目は、深い底のような色をしてルーグを見つめる。いつもの白衣は土で汚れ、男が可愛がっている骨のミアハはどれもくたりと地に伏せていた。
 ルーグはもう一度男に呼びかけた。二度目でようやく男は声帯を震わせた。
「嗚呼、ルーグですか。」
 そう言って立ち上がろうとした男はふらついて、また地に座りこんだ。やれやれと男は己の帽子を持ち上げると、それを移動させて口元を隠した。
「お行きなさい。私なら朝迄に戻りますので、そう伝えればいいんですよ。」
 言い聞かせるような声は至って平静に見えたが、ルーグにはそうは見えなかったらしい。クスリと笑い、ルーグはさらに彼へと歩み寄った。そうしてもったいぶって語る。
「上官から連れ戻すように言われたので。どうしたんですか? お爺様らしくない。」
 釣り上げた口元に、男は口元を隠したまま、目だけで笑う。
「それはまた面倒事をご苦労様です。しかし私なら朝迄に戻りますのでご心配なくと伝えてください。」
 そう言ってその場から動かぬ男に、否、その場から動けない男に、ルーグはもう手が届く距離まで近付いていた。男の目が霧の中で揺れる。
 そこまで近付いてしまえば濃い霧で視界が悪いも何も無い。ルーグは男の帽子へと手を伸ばし、それを手にとって地面へと捨てた。そうして現れた男の口元は、笑みに似た歪な何かを浮かべていて、どう見ても常とは異なっていた。
 ルーグは笑う。
「酷い顔。死体でも食べたんですか? 」
「そんな事はしませんよ。」
「そう……。」
 ルーグは男の腕を持ち、立ち上がらせた。よろりと立ち上がった男はルーグに支えられないと立つことが到底叶わぬ状態らしい。しかしそこでようやく骨のミアハが動きだし、男の持ち物らしき鞄と、散らばっていた道具を纏めて持った。ルーグはそれを冷めた目で一度見ると、すぐににこりとした笑みを男に向けた。だが男は立つことにやっとで気がついていないらしかった。

 夜の濃い霧は、やはり異界への門を開いていたのだろう。体のどこにも異常が無いのに疲弊しきった男を、ルーグは危うげなく支えながら、ゆっくりとした歩調で町の中を歩いて行った。
 彼から漂う"妖精"の臭いには触れぬ侭、其の儘。

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