ルーグ+ディアン・ケヒト/親愛のチョコレート


 冒険者により解放されてまだ二日といったところか。そんな日の昼に、これどうぞ、と渡されたのは軽い箱だった。チョコレートですと笑った天使のナビィは冒険者のお使いだと言って飛び去って行った。
 中身を確認すればそこには艶やかなチョコレートが並んでいた。ひょこと顔を出したモンスターに一粒投げて与えると問題なく食べ始めたので恐らく毒は無いだろう。モンスターを討伐してから、場所を探して歩き始めた。
 ただ、座って食べられるならそれでよかった。だから森の中を見回りも兼ねて適当に歩いた。しばらく歩くと光が多く差し込んでいるらしい方向を見つけたのでそちらに向かった。それだけの事だった。
 がさり、歩いていた足が止まる。予想通りに開けていたその場所には先客がいたのだ。勿論、その"神"は僕に気がつき、振り返った。
「嗚呼、貴方ですか。どうしたんです? こんな森の奥に。」
 にこりと表面だけで笑う神は、軍医のディアン・ケヒトだった。

「ディアン殿こそ、こんな森の奥に何か用事でも? 」
 そう返せば、ディアン殿は嗚呼とまた表面だけで笑う。そして、こんな森の奥には人が来ませんからねと言う。そして手を置いていた医療道具の入った鞄の、その蓋を閉めた。どうやら用事は終わったらしいと判断して、ならば早く戻った方がいいのではと伝えた。ヌアダ上官が探していましたよと、あながち間違いでもないような推測を伝えようとした。
 だって、上官はディアン殿をなるべくコントロールしていたい筈なのだから。
 しかし全てを言い切る前にディアン殿が何か目を鋭くし、ドンッと彼の骨に突き飛ばされた。地面に転がって、何か妙な琴線に触れたのかとぼんやり思った。しかし直ぐに始まった衝撃音の応酬に、ハッとして起き上がった。舞い上がる草の葉、微かな風に色濃く香る殺気、衝撃音はあまりに多く、ディアン殿は神技を発動した。
 魔神と、戦っていた。

 僕は直ぐに立ち上がり、槍を構えて魔神へと向かった。魔神は馬のような魔神であるプーカで、その素早さにディアン殿は手こずっている様に見えた。
 そう考えて、まずは足を狙おうとして、僕は。
「なっ……!」
 あろう事か、狙いを外した。
 驚いてしまい、プーカの足が向かってくるのに気がつくのに遅れ、腕でその蹴りを受けた。ディアン殿に突き飛ばされた時とは比べものにならない強さで蹴り飛ばされ、木の幹にぶつかる。腕の痛みと頭をぶつけたことによる痛みで顔が歪む。顔を上げれば、ディアン殿が神技を発動し、プーカを葬ったところだった。
 霧の様に消える魔神。ディアン殿はそれに興味を示す事なく、真っ直ぐに僕を見ると鞄を持って近寄ってきた。

 彼は私の腕を一度その手で持ち上げると、直ぐに僕の腕の袖を捲り上げてからミアハに腕を持たせた。そして鞄を開いて何やら医療道具を数点取り出した。手袋をはめ、瓶に入った水で傷口を洗い、傷薬を手袋を着けたまま塗り込む。そしてまた汚れた手袋を替えてから、清潔な布を傷口に当て、その上に白い包帯をくるりと巻いていった。その作業の中で彼は口を開いた。
「まだ貴方は解放されてから日が浅いので力が少ない。らしくないミスなんてするもんじゃない。」
「……。」
 何も言えずにいると、包帯が巻き終わった。
「はい出来ました。私に治療されるのが嫌ならサッサと器用にこなす事ですね。」
 白い包帯を見て、まだ何も言えなかった。ディアン殿はほんの少しだけ訝しむ様な気配をさせたが、直ぐに興味を失くした様子で手袋を脱ぎ、医療道具を片付け始めた。
 鞄がカチリと閉じられる音がした頃。僕は胸の内を渦巻いていた言葉をようやく発する事ができた。
「……貴方が僕を治療するとは思わなかった。」
 本心からの言葉である筈だ。そんな言葉にディアン殿は呆れた様子になった。
「ルーグ、貴方はヌアダ殿が目をかける戦力でしょう。私は軍医としてヌアダ殿に従っているのだから当たり前の行為ですけれど。」
 不機嫌なような、機嫌の悪そうな声がした。僕はまだ包帯を見つめていた。
 けれど、言わなければならない事がある。だから気がつかれない様に呼吸をしてから包帯から目を離し、顔を上げた。ディアン殿の姿が頭の先まで見えた。にこりと笑って見せる。
「ありがとうございました。ディアン殿。」
 何でもない様に伝えれば、ディアン殿はフッと興味を失くした様子で立ち上がり、鞄へと手を伸ばした。
「礼を言われることではないですけどねえ。まあ、そうですか。はいはい。」
 そうして歩いて去っていく彼の、その背中を見ていた。

 あの神が森の中に消えて、木々の隙間にすらその姿が見えなくなってからは真新しい包帯へと視線を戻す。
 真新しい包帯。吸い寄せられるように、怪我をしていない腕の指でそれに触れようとして、我に返る。空中で止まる不自然な手を握り、開く事を数回繰り返してからどちらの腕も投げ出すように下ろした。

 ふと、ナビィから渡されたチョコレートの箱が草の上に落ちていたことに気がつく。立ち上がり、歩き、拾い上げて、その箱を眺める。沢山のチョコレートの粒が入った箱に、思う事があった。けれどそれはあまりに不釣り合いだと、まだ少しだけ痛む頭を振って思考を振り払う。そして当初の目的通りに手頃な切り株に座った。そういえば、ここは先ほどディアン殿が鞄を置いていた場所だった。

 箱を開くと艶やかなチョコレートの粒が最初と変わりなくあった。その中の一粒を摘み、口に運んだ。甘くて、甘くて、悪くはない筈だった。

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