物書きと逆トリのルムメ


 現代日本においてもなお、至極あやしい職種とは存在している。その中の一つが、小説家という物書きのことである。

「いやーほんときっついわ」
「きついのはこっちなんですよ、先生」
「ごめんて。締め切りは間に合ったから許してほしいです」
「はいはい。とにかく原稿受け取りました」
 じゃあまた週明けにでも。そう言って担当の森谷(もりたに)君が去っていく。私はくあと欠伸をした。
「よし、掃除するか」
 掃除しながら、荒々しくなっていた精神を落ち着かせようと、まずは窓を開いた。

 場所、日本の田舎。ただし、電車のある街にはそれなりに近い。もちろん車は必須。以下略。
 私はせっせと窓を開けて掃除をした。食器洗いを済ませて、掃除機やはたきを使い、雑巾掛けもする。これは私が仕事の山場をひとつ終えるたびに繰り返しているルーティンでもある。一種の儀式と言ってもいい。家事は基本的に好きだ。誰にも褒められないし、やりがいなんてないが、生活の基礎なのだから大切にしている。ていねいに生きろとは言わない。むしろ雑だ。雑でもなんとかなるから、家事はいい。褒められないが、そもそも文句を言う人はこの家にいない。
 まあ、一人暮らしなので。

 夕飯に煮込むだけのポトフを作って、欠伸をする。そろそろ眠くなってきた。ふと窓を見ると、猫が庭先で微睡んでいた。猫は寝る子。あの子は隣の畑本(はたもと)さんの家の猫だろう。首輪がしっかりと煌めいていた。
「そういえばゲームやろうかな」
 仕事が忙しいとすぐに放り出してしまうそれを、何となく思い出す。スマホを手に、試しに原神を開こうとしてダウンロードがあった。電波が良さそうな場所に放置しておくかとスマホを置くと、ふっと空気が揺らいだ気がした。
「あ?」
 うわあ!!と声がした。

 庭に出る。畑本さんの猫がキョトンとしていた。庭にすごい美人のお兄さんがいた。
「いたた、ええと、ここは……」
「……」
「すみません、あの、」
「……うわ」
 第一声が酷すぎる自覚はある。あるが。
「ごめんなさい、私いますっごく眠いんですよね……」
「えっ」
 ただまあ、ここで謎の人物を放置しておいていいとは思えない。

 田舎のご近所なぞ、皆知り合いである。目の前のお兄さんはこの辺では見たことがないし、服装が現代日本にあるまじきものである。
 というか、原神のカーヴェに見えるんだが。
「僕は建築デザイナーのカーヴェです」
「私は、物書きの青沼(あおぬま)です」
 どうもと玄関先で挨拶をしてから家の中に招く。掃除しておいてよかったと思いながら、茶と茶菓子をだす。
「緑茶ときんつばです。こちらが黒文字」
「えっと」
「とりあえずここは日本ですよ。田舎ですけど」
「にほん?」
 首を傾げるカーヴェさんに、私は言う。
「カーヴェさんはどこから来ましたか?」
「……テイワットのスメール、かな」
「オッケー、そこはここではゲームの話ですね」
「はい?」
 私はスマホを見せる。ほらこれと原神のロード画面を見せた。
「これの中で私はカーヴェさんを見たことがあります。詳しいことは知らないですけど」
「え、え?」
 緑茶をひとくち飲んで、唇を濡らす。
「まあつまり、カーヴェさんは異世界に来たんですよ。たぶん」
「そんなことがあるのか?!」
「あるんじゃないですか? 見たことはないですけど」
 とにかく、すべきことは。
「そのうち帰れることに期待して、まずはこの家で過ごすにおいて決めておくべきことがありますね」
「順応早くないか?! いえ、あの、決めておくべきって?」
「寝る場所です。幸い、客間があるのでそこで布団敷いてください。大丈夫、布団は先週、森谷君がクリーニングからとってきてくれました」
「森谷君とは??」
「夕飯は2時間後ぐらいに出来ます。飲み水とか水出しの茶はあそこの冷蔵庫の中です。オッケー?」
「はあ、」
「あと服? その煌びやかなのは目立つんですけど、なんか控えめなのありません?」
「今は持っていなくて……」
「森谷君に頼むから、ちょっと立ってください。高ッ!細!」
「はは、」
「森谷君にメール打つんで……」
「あの、そこまでしてもらえても僕は何も返せなくて」
「モラは日本じゃ利用されてないんでいらないです。何かしたいのでしたら、家の中ならお好きにどうぞ。家の外は少なくとも服をなんとかしてからですね」
「えっと、でも、なんでそこまでしてくれるんですか?」
 困り顔のカーヴェさんに私は言い切った。
「私は眠い」
「……うん?」
「面倒なことはさっと片付けて15分だろうと5分だろうと早く寝たいんですよこちとらなア」
「あ、ええ、」
「家の中を探索しても構わないので。とにかく、私は寝ます。おやすみなさい。2時間後に夕飯なので、リビングに来てくださいね」
 ではおやすみなさい、と私は寝室に入って寝た。

 2時間後。すっきりと起きて、着替えてからキッチンに向かう。ポトフは良く出来ていた。量を作って良かった。メールで森谷君にカーヴェさんの服を頼み、スマホの電源を落とす。
「あの、青沼さん、おはようございます」
「おーおはようございます。カーヴェさんは何してました?」
「書庫を見てて、えっと字が分からなくて」
「テイワット言語じゃないですからねえ。っていうかなんで会話できるんだろ。ご都合主義か? 翻訳こんにゃくならちゃんと仕事してほしい」
「青沼さんは学者なのかい?」
「なぜ?」
「本がたくさんあったから……」
「あれは資料ですよ。電子書籍はあまり信用ならないので。本は何でも読んでいいですから。言語については自力で習得してください。私は教師には向かないんで」
「そうなんだね」
「とりあえず夕飯にしましょう。ええと、来客用の食器かあ」
 よっこらと出して、盛り付ける。キャベツと玉ねぎ、じゃがいもとにんじん。あとは厚切りのベーコンと、バジル入りのソーセージだ。
「はい、簡単なものですが」
「ありがとう」
「何か言いたげですね?」
「いや、何となくルームメイトを思い出して」
「そうですか? 似てないと思いますけどねえ」
「知ってるのかい?」
「ゲームでなら」
 私は飲み物として水出し茶をコップに注ぎ、席に着く。
「いただきます」
「いただきます?」
 そうしてポトフを食べ始めた。カーヴェさんには足りないかもしれないので、おかわりならありますよと言っておいた。

「先生ーッ!!」
「おっ森谷君はやーい」
「今度は何を拾ったんですか先生!!」
「人間」
「違和感がないところが嫌ですね」
「私もそう思う」
 森谷君がカーヴェさんを見てから私をまた見た。
「拉致ですか? 誘拐ですか?」
「遭難者救助だよ失礼な。保護だ保護」
「嘘だあ」
「あの、えっと」
「あ、すみません。こちらが服です。ついでに食料もいくつか買ってきたんでここに置きますね」
「助かるゥ」
「……恋人?」
「「違います」」
 カーヴェさんに服を着せつつ説明する森谷君を客間に追いやって、せっせと食料を冷蔵庫に詰めた。

 もう夜なので、森谷君は泊まってくれと頼んだ。同性なのでカーヴェさんと同じ部屋で寝てもらう。ついでに風呂やら何やらの水回りの説明もしてもらうことにした。

 そうして寝るだけになってから、私は仕事部屋に入った。仕事を確認して、スケジュールを詰め込み、資料にしていた本を腕に、仕事部屋から出る。書庫の指定の場所に戻して、寝室へと向かった。灯りを消して、眠る。
 睡眠とは死への一歩である。


・・・


 翌朝、目覚めるとさっさと着替えて洗面所に向かう。身支度を整えて、キッチンに立つと、三人分の朝食の用意を始めた。
「青沼さん、おはよう」
「あ、カーヴェさん、おはようございます。早いですね」
「朝の方が得意なんだ。何か手伝えないかな」
「簡単なものなんで手伝うも何も。あ、目玉焼きとオムレツならどっちがいいです?」
「オムレツかな」
「スパニッシュ風でもいいですかね」
「すぱ……?」
「玉ねぎとか豆を食べたいんですよねーはっはっは」
 冷凍しておいた茹でグリーンピースを解凍したり、玉ねぎを簡単に刻む。調味料を入れた卵液に具材を入れて、スパニッシュ風オムレツを作る。厚めの食パンをトースターに入れたり、紅茶を用意していると、がたがたと森谷君が起きてきた。
「おはよう森谷君。珍しく早いな」
「先生おはようございます……カーヴェさんも、おはようございます……うう、美味しそうなにおいがする……」
「さっさと顔を洗って来い。出社時間を考えるとまずいだろう」
「はあい」
 そうしてテーブルに朝食を並べると、カーヴェさんは困った顔で席にいた。
「何かしないと性に合わない質だね」
「そうかもしれない。できれば、役立ちたいよ」
「前向きなんだか後ろ向きなんだか。心意気は結構だが、ここでカーヴェさんがやるべきことは何もない。まあ、なんとか生きてくれ。そのうち帰れるだろうし」
「……あまり考えてないのかな?」
「必要以上に重く考えても仕方ないだろうに」
 そこで森谷君が戻ってきたので、三人で朝食を食べた。

 かくして帰った森谷君を見送ると、私は家事をする。炊事洗濯掃除というやつである。作り置きの類が減ってるので、さっさと作る。私の作るものはスープが基本なので、スープの元になるものを作っては分けて冷凍する。
 カーヴェさんは何をしてるのかと思えば、書庫から何冊か本を持ってきて眺めていた。適当に紙と鉛筆を渡してみると、助かるよと言われた。つまりは文字を学ぼうとしていた。頑張ってほしい。この家には本が山ほどあるので言語さえ分かれば暇が潰せるだろう。

 庭先を掃除していると、隣の畑本さんが猫と共にやって来た。畑本さんはご高齢だが、元気な人だ。お孫さんとのテレビ通話が楽しみらしい。
「おやまあ先生、お仕事は無事ですかえ」
「なんとか。先日は玉ねぎをありがとうございました。美味しく食べました」
「それは良かったですねえ。わたしもいただいた味噌和えが美味しかったですよ」
「それは良かった」
 猫がナアオと鳴くので、畑本さんが猫と散歩に向かった。仲が良さそうで何よりである。
 通りかかったご近所さんに挨拶をして、せっせと庭先を通れるものにすると、家に戻った。
 カーヴェさんはメラックも使って、なんとか文字を会得しようとしている。頑張ってくださいねと声をかけつつ、昼食を用意する。肉入りのサラダにしよう。

 昼食をテーブルに並べると、カーヴェさんが席に着く。日本語について、質問されたことは、なるべく分かりやすいように説明した。

 さて午後。仕事は夜からと決めているので、カーヴェさんを連れて商店に向かう。つまりは顔見せだ。
 すれ違うご近所さんには、カーヴェさんを遠縁の親戚と説明する。小さな商店でも同じ説明をした。
「それで通るのかい?」
「この辺りの人は私の一族を知ってますからねえ」
「というと?」
「まあ、少し変わった人らが多いんですよ」
 商店では川魚を買った。ヤマメだ。近くの川魚漁が趣味の新井(あらい)さんが取ったものだ。流石の鮮度であった。

 帰り道は遠回りをした。日本の田舎はこんなもんですよとカーヴェさんに説明していると、先生と声をかけられる。
「こんにちは、先生!」
「ああ、こんにちは。元気だね、千穂(ちほ)ちゃん」
 この辺りでは珍しいことに小学生の女の子だ。老人が多いので、子供は大層大切に可愛がれている。赤いワンピースの千穂ちゃんは私に駆け寄り、じとりとカーヴェさんを見ていた。なるほど。
「こちらはカーヴェさんで、私の遠縁の親戚だよ」
「先生の親戚なの? ふうーん」
「変かな?」
「でも先生の親戚みんな変」
「はっはっは、確かにな」
「あのね先生、きょうはね」
「すまないな千穂ちゃん、今日はカーヴェさんを案内しているんだ」
「ええー!」
「だが、いいことを教えよう。新井さんのヤマメが商店に入ってるぞ。家の人に伝えたらきっと買ってくれる。塩焼きがいいぞ」
「そうする! バイバイ先生、カーヴェさん!」
 千穂ちゃんはてってと駆けていく。転ぶなよと声をかけると、はあいといい返事が聞こえた。
 カーヴェさんは、微笑ましそうに千穂ちゃんを見ていた。
「素直な子だね」
「そうだとも。この辺りは子供が少ないから、貴重だよ」
「そうなんだ」
「さて、そろそろ家に着くぞ」
 夕飯はヤマメの塩焼きにするつもりだ。

 だが、帰ると問題がまた発生した。
「……いや待て」
「っ、アルハイゼン?!」
「カーヴェか」
 第二の来訪者である。アルハイゼンさんが庭先にいるし、隣には、にこにこと笑う畑本さんと猫がいた。なんだこのカオスは。




・・・

登場人物

青沼(あおぬま)
・夢主。日本人女性。成人。独り身。炊事洗濯掃除がわりと好き。
・職業は物書き。田舎に住んでる。

カーヴェ
・逆トリしてきた。詳細不明。

アルハイゼン
・逆トリしてきた。詳細不明。

森谷(もりたに)
・夢主の担当編集者。成人男性。わりと若い。

畑本(はたもと)
・隣の家のお婆ちゃん。猫を飼ってる。お孫さんがいる。

新井(あらい)
・近所のお爺ちゃん。川魚漁の名人。

千穂(ちほ)
・近所の小学生。女の子。夢主に懐いている。

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