花嫁様は隠したがり/カントボーイカーヴェとその周囲のすったもんだ/カーヴェ受けではある。書きたいシーンが恋愛シーンではないのでまだ特に相手を決めてません。常に余裕のないカーヴェくんがいます。あと女の子たちが強い。旅人は女の子です。パイモンも女の子です。アンバーも出ます。ナヒーダ様大活躍。アルハイゼンも出ます。ガイアも出ます。大半が初書きです。


!生理の話が出ます!


 カーヴェと旅人とパイモンがスメールの街中で顔を合わせること数度。カーヴェはすっかり旅人に気を許していた。いやちょろい。旅人は真剣に心配になったが、パイモンは旅人が異常に人誑しなだけなんだよなあと思っていた。
「あの、絶対に人がいない場所で相談したいことがあるんだ」
 しどろもどろに、周囲を気にして提案された旅人はふむと考える。絶対に人がいない場所、というか、旅人とパイモンという信頼した人物にしか話せないことだし、他人に聞かせたくないことなのだろう。
 ならばカーヴェとアルハイゼンの家とか、と思ったが、アルハイゼンが家に入れてくれるわけがなかった。なので却下。
 壺だろうか。だが、カーヴェはまだ壺に入る資格がない(メタ)ので却下。
 他に絶対に周囲に聞かれない場所とはどこぞや。旅人は真剣に考えた。考えた結果、ふと思ったのだ。
「ナヒーダには話していいんじゃない?」
「ナヒーダって誰??」
 というわけで旅人はサクッとカーヴェの手を掴み、ワープをし、走った。

「あら、どうしたの?」
「人払いできる?」
「構わないわ」
「草神様じゃないか?!?!」
「そうね? あなたはどうしてここに?」
「人払いしたら万事オッケーだと思う」
「そう思うぞ!」
「それなら良いけれど」
 ナヒーダはテキパキとお触れを出して、聖域にしゃんと結界を貼る。旅人を信頼しているからこそ、連れてきたには訳があると信じている。美しい信頼関係である。片方は謎の旅人で片方は神様なんだが。カーヴェは控えめに言って死にそうだった。
「それで、何のご用かしら?」
「いや、カーヴェが私に話したいことがあるって」
「あ、う、その」
「たぶんナヒーダが聞いても大丈夫だと思うし、危うい秘密だった場合、ナヒーダが味方だととても心強いから」
「あら嬉しいわ」
「僕の心の準備は?!?!」
「話せないのか?」
 パイモンの無垢な目。旅人のミステリアスな目。ナヒーダの不思議そうな目。目、目、目。うあと、カーヴェは羞恥で顔が赤くなる。
「あ、あの、僕は」
「うん」
「その、えっと」
「うん」
「下半身が女性なんだ」
「うん??」
 旅人が首を傾げた。パイモンは宇宙を背負った。ナヒーダはパチパチと瞬きをした。
「半陰陽、と称されるものかしら」
「……はい」
 カーヴェは泣きそうになってぷるぷると震えている。恥ずかしいやら惨めやら、色々な負の感情が巡っていた。ナヒーダはそっとカーヴェに近寄る。そして、カーヴェをしゃがませて、きゅっと抱きしめた。
「今まで一人で抱えていたのね」
「は、はい」
「そう、よく頑張ったわね」
「ん、んん」
「大丈夫、あなたは愛しい民、必ず守るわ」
 ナヒーダの言葉に、カーヴェはゆっくりと体の力を抜いて、ペタンと座った。
「はい、草神様」
「ナヒーダと呼んで頂戴」
「ナヒーダさま」
「呼び捨てでいいのよ?」
「そ、そんなことできません!」
「そう? とりあえず、」
 ナヒーダは旅人を見た。旅人は強い目で頷いた。パイモンは宇宙から抜け出して、カーヴェの周りをくるくる回った。そして言った。
「心配するな! 旅人もオイラも秘密を守るぞ!」
「あ、ありがとう」
「それに、カーヴェのことはちゃんと守るからな!」
 胸を張るパイモンに、カーヴェはふにゃりと笑った。
「ありがとう、きみたちは本当に親切だ」
 本当にちょろすぎないか。旅人は心底心配になった。

「僕の指針は、これからも男性として生きること、結婚はしない、恋人は作らない、とにかく性器についてバレたくないことかな」
「それ、まずアルハイゼンとルームメイトしてるのはどうなの?」
「最近そこが怖いんだ。ちょっと訝しんでる気がする」
「というか誰にも知られてないのか?」
「うん。幸いなことに健康体だから病院に行くこともないし、人前で全裸になることもない」
「待って病院に行ったことないの?」
「旅人もそうだろう?」
「まあうん。いや待って、行くべきじゃないのかな」
「何で?」
「せめて婦人科とか」
「何で??」
「今からストレートに聞くよ」
「う、うん」
 旅人の勢いに完全に飲まれたカーヴェが頷いた。
「生理ってきてる?」
「ない」
 即答であった。
 ナヒーダが、そうねと浅く頷く。
「半陰陽の場合、性器がうまく成熟しないことがあるわ」
「うん。僕も自分で調べてみたら、そうあったから、僕もそうなのかなって。妊娠しない体質ってことかなあ、みたいな」
 ふわふわ言っているが旅人としてはかなり衝撃的であった。旅人も生理はある。その期間は宿屋に泊まっているし、生理用品は使う。健康体なので、痛みははぼ無いし、出血も酷く無いので、テイワットの病院に行った事はない。という大前提があるが、そもそも生理が来ないのは本当に怖いことだと旅人は知っている。テイワットの人間がどんな身体構造をしているのか、旅人は医者では無いので知らないが、無月経は病気が潜んでいることがほぼ確定である。触診せずとも、血液検査で分かる範囲のことかもしれない。
 と、ざっと考えてナヒーダを見る。ナヒーダは大丈夫よと微笑んだ。なお旅人は己の思考は全部伝わったものとした。
「念のため、口の固い医者に診てもらいましょう」
「でも」
「そうね、スメールではどこから誰に見られるか分からない。他国がいいわ」
「モンドはどう?」
「いいかもしれない。カーヴェは身分を隠して出国、モンドで信頼のできる医者に診てもらってから、帰国かしら」
「そ、そんなことなら医者に診てもらわなくても」
「でも病気が潜んでいたらどうするの?」
 ナヒーダの優しい問いかけに、ううとカーヴェは涙目になる。
「でも、生理がないから、今の生活が保ててるし……」
「速やかにルームメイト解消した方がいいよ」
「それが出来たらそうするさ! 借金があるし、家が無い」
「速やかに家を出よう」
「同じことを繰り返す程か?!」
「パートナーでもない男性と一緒に住んでいるのは、不安ね」
「く、草神様まで」
「ナヒーダよ」
「ナヒーダさま、まで」
「というか、オイラとしては借金がすぐ返せそうに思えるぞ?」
 だってカーヴェは建築家として名前が知れ渡ってるじゃないか。パイモンの指摘に、カーヴェは難しい顔をする。
「いくら何でも額が大きすぎて、普通に働いてたら、すぐには無理だ」
「そんなになのか……」
「速やかにアルハイゼンから離れよう」
「旅人はアルハイゼンが嫌いなのか?」
「いやそういうわけじゃないけど」
 旅人は遠い目をして回想する。例の任務である。以下略。
「あのアルハイゼンが家に人を置いてることがおかしい」
「そうね」
「あ、うん。それは僕も思う」
 多分だけど、とカーヴェは言った。
「家の細々としたことを僕がやってるから、楽なんだろうな。あとは、付き合いが長いから、友達じゃなくて、家族?いや違うな、身内判定?されてるんだと思う」
「そうかな?」
 旅人は心の底から疑問だったが、ひとまず横に置いておく問題とした。完全に己を満たした庇護欲によって今すぐ引越しさせたいが、カーヴェが乗り気ではないし、あのアルハイゼンの日常を壊した場合に何が起こるかが恐ろしい。負ける気はさらさらないが。旅人は本気である。
「身分を隠す際は手伝うわ。愛しい民の願いですもの、叶えたいわ」
「ナヒーダさま……」
「神に子を成す器官はないけれど、知として、認識している内容として、あまりよくない状態ではあると思うの。でも、不安がらないで。みんながついてるわ」
「うう、ありがとうございます……」
 じゃあ医者にいつ行くか。今でしょ。と旅人は天啓が降りたが、流石に無理がある。
「アルハイゼンが仕事中にこっそり行くしかないね」
「でもアルハイゼン、定時で帰ってくるやつだけど、たまに会議とか放り出して帰ってくるから」
「引き留めておきましょう」
「えっ」
「できるの?」
「ええと、職権乱用、かしら」
 でもそれぐらいはさせてね。にこりと笑うナヒーダは愛らしくも神々しい。カーヴェはこくりと頷いた。
「じゃあ明日に頼めるかしら。なるべく早いほうがいいわ」
「ナヒーダこそ明日、定時までアルハイゼンを拘束できるの?」
「こ、拘束?!」
「無理強いはしないわ。そうね、お話していればきっと大丈夫」
「本当かあ?」
 パイモンは首を傾げている。ナヒーダは任せてと楽しそうだ。そして、ナヒーダはそっとカーヴェの神の目に触れた。
「明日、アルハイゼンが離れたら目眩しができるわ。ええと、名前を隠すから、偽名はどうしましょう」
「ミスターKとか?」
「それは無いと思うぞ……」
「うーん、パイモンは何か案ある?」
「うえっオイラか? うう、とりにく?」
「それこそ無いよ……」
「仕方ないだろお!」
「偽名なら、僕から連想できないものがいいんだよな?」
 カーヴェの発言に三人がきょとんとする。カーヴェはあまり気乗りはしないけれど、と前置きして、言った。
「カラーはどうだろう?」
「カラー?」
「何でそれなんだ?」
「まあ、花嫁ね」
「そう、僕とは無縁だろう」
「確かに」
 旅人は一応納得した。パイモンはそれ何語の訳なんだとナヒーダに問いかけ、古代文字の一つよと返されていた。
「じゃあ明日の予定だけど……」
 旅人主導による、カーヴェを病院に連れて行く作戦が幕を開けた。

 かくして翌日。カーヴェはいつもより早起きをして、身なりを整える。朝食を作り、ついでに昼食も用意した。
「どうしたんだ」
「うわあ!?」
 急に後ろから話しかけられてカーヴェは驚いた。さっと振り返れば、不可解そうなアルハイゼンがいる。
「急に後ろに立つな!!」
「声はかけた」
「聞こえなかったなら意味がない! おはよう!」
「ああ、おはよう。朝からうるさい」
「煩くさせてるのはきみだ! さっさと身支度をして朝飯を食べるなり何なりしろよ!」
「そうするが、どこか行くのか」
「どこに行くのも僕の勝手だろ。あ、僕の鍵を持ってくなよ」
「ここは俺の家だが」
「あの合鍵は僕のものだろ!」
 これ以上は話さないぞというつもりで、自分の作った朝食を食べようと机に行くと、アルハイゼンは身支度に向かった。
 ちょっと嫌な予感がする。カーヴェは直感が働いた。天啓を得たとも言う。先に玄関先に行って自分の鍵を持った。これで良し。さっさと机に戻り、朝食を食べ始めたのだった。
 家を出るアルハイゼンに声をかけてから、カーヴェは朝食の後片付けをする。さて時間だ。カーヴェは昔使っていた薄手のシンプルなローブを引っ張り出してフードを目深く被る。とりあえず髪と目が目立つので隠してほしいというのは旅人の意見だった。服装も普段のものから装飾をいくつか外してある。音を立てることを防止するためもあるし、カーヴェが身につけている装飾品は自分で作ったものが多く、特徴的だからだ。印象に残るものは避けましょう、とはナヒーダの意見であった。
 これで大丈夫だろう。するとノック音がする。旅人とパイモンの声がして、さらにカラーさんいますかと声をかけてくる。これが合言葉だった。扉を開くと、いつもの旅人とパイモンがいる。だが、旅人の目は覚悟があったし、パイモンも何やら気合いが入っている。
 なんか大事になってないか? 今更だし、引く事はできないが、カーヴェは少し気が重かった。

 旅人のワープを使ってスメールを出る。普通なら借金のあるカーヴェがスメールから出る事は、容易ではないだろう、多分。少なくとも手続きは必要になるはずだ。それを突破したのはナヒーダのお陰である。何をしたんだろう。ちょっと怖いな。カーヴェは遠い目をした。
「とりあえずモンドまでまた飛ぶけど、気持ち悪いとかそういうのない?」
「吐き気はあるか?」
「いや無いよ」
「じゃあ大丈夫そうだね。行こう」
「おー!」
 ふわり。また、ワープだ。

 モンドである。滅多に来ないのでカーヴェは建築を見たかったが、ぐっと堪えた。たったと少女が駆け寄ってくる。旅人と知り合いらしい。
「アンバー、来てくれてありがとう」
「うん。急に秘密にって言われて驚いたけど、医者は頼めたよ。で、そっちの人がカラーさん?」
「そうだよ」
「身分は明かせないって聞いたけど、一応神の目はあるんだね。良かった」
「?」
 いや、とアンバーは笑う。
「神の目があるなら、多分大丈夫かなって。それに、身を守れないわけじゃ無いって分かるからね」
 旅人はアンバーに何と説明したんだろう。声を出すことは基本的に無しだと言われているため、そっと旅人を窺うが、スルーされた。まあ、そりゃそうである。
 アンバーの案内で裏道を通って、病院に裏口から入る。そして直接医者に会った。そこで、アンバーが見張る中、カーヴェはフードをとった。アンバーが息を呑むのが分かる。上半身は男だから、婦人科医に見せるのは通常はない。だがそういう説明は後回しだ。カーヴェは医者からの問診と血液検査を受け入れた。
 なお、アンバーが息を呑んだのはカーヴェが見たことのない異国の綺麗な人物だったからであるが、そこは閑話休題である。

 医者曰く。
「ホルモンバランスが崩れていますね」
「はあ」
「そして、子宮と卵巣は成熟してます」
「えっ」
「生理が無いのはこちらの、この数値が低いからです」
「はあ」
「これが低いということは、」
「ということは?」
「まだ幼い少女と同等になります。つまり、初潮前ですね」
「ヒェッ」
 ズバズバとした直接的な説明にカーヴェは心が折れそうになっていた。いや医者だから当たり前である。むしろ包み隠されたら嫌だ。来た意味が無い。
 とりあえず、毎朝体温を測ってほしい事、記録をつける事、頼れる人に頼る事。それらを医者は言った。どれも不可能では? カーヴェはしなしなになっていた。
 しかし、そうも言ってられない。とりあえず自室にアルハイゼンが入ってくる事は、緊急時でも無い限り無いので、体温を測るのはいい。記録をつけるのは、紙が見つかった場合、何も言えないので、自分の記憶能力を頼って医者に直接伝えるしかない。頼れる人、となると旅人とパイモンとナヒーダである。半分以上人間じゃない。つらい。
「あの、私も頼ってくれていいんだよ?」
「えっ」
 アンバーの申し出に、カーヴェが驚くと、これでも騎士だし、神の目があるとアンバーは言った。
「秘密はちゃんと守るよ。絶対に言わない。何ならカラーさんの本名も出身国も知らないよ」
「そうだけど」
「だから、頼りにしてほしいな」
 アンバーの申し出に、カーヴェが戸惑っていると、医者が言った。
「彼女の口が固いのは確かです。カラーさんのように、諸事情で表立ってこの病院に来れない女性の案内は、全て彼女に頼っていますから」
「そう。何ならカラーさんと他の患者さんの情報を混ぜちゃえば誰か分からない」
「わあ」
 本気の目である。意外と肝の据わった少女らしい。カーヴェはお願いするよと微笑んだ。という事で、カーヴェには味方が増えたわけである。名前も出身国も伝えていないが、そこは互いに承知の上である。
 かくして、初診は終了した。アンバーの細心の注意の元で病院から出て、裏道の途中でアンバーとは別れる。フードを目深く被ったまま、旅人の手のきゅっと握った。小さな少女の手だが、今のカーヴェにとっては何よりも頼もしい。ワープをするか。パイモンが言いかけた時、旅人がきゅっとカーヴェの手を握りしめた。喋るな、ということである。誰か来たのだ。コツコツと足音がした。
「おや、どうしたんだ?」
「やあ、ガイア」
 誰だ。カーヴェの体が強張る。パイモンがカーヴェの肩にそっと触れる。ローブ越しだが温かいような気がした。
「そちらの人は誰かな?」
「諸事情で内緒だよ」
「うん?」
「名前はカラーさん。ね?」
 カーヴェはこくこくと頷いた。目深くフードを被っているため、ガイアという人の見た目はさっぱりわからない。だが、声からして男性だろう。病院でのズバズバとしたやりとりに傷心気味であったカーヴェは若干人間が怖かった。というか男性が怖い。こんな思いをすることになるなんてなあ、とはどこか冷静な思考の隅が喋っていたが、そんなことより今をどう切り抜けるかである。
「ガイア、とにかく見なかったことにしてくれる?」
「それはそちら次第だな」
「カラーさんは早く帰らなくちゃいけないの」
「そうか」
「だから、またね」
 旅人は前触れなくワープした。うわっと声を上げそうになったが、それよりもパイモンがじゃあなと大声を出したので、なんとか耐えた。声を発さないルールは破れなかった筈である。

 場所はどこかの草原だった。とりあえず中継地点ね、と旅人は息を吐いた。
「アクシデントはやっぱりあったね……」
「カーヴェは絶対にガイアと話さないほうがいいぞ。全部喋らされるからな」
「なにそれこわい」
「モンドに通院するのは確定だから、とにかく、一人にならない事とガイアと喋らない事と、というかアンバー以外気を許さない事だね」
「ワア」
 へろへろなカーヴェはその場にぺたんと座り込んだ。そのカーヴェを見た旅人がそういえば何だけど、と言った。
「その座り方、男性には難しいらしいよ」
「えっ」

 カーヴェは旅人に連れられて家に帰ると、すぐに自室に入り、ローブを脱いで隠して、外していた普段の装飾品を身に付けていく。いつもの姿になると、一安心してから、家の掃除をするかと自室を出た。
 さくさくと掃除をして、積まれた本を本棚に戻し、作っておいた昼食を食べ、仕事をする。そんなことをしていると夕飯の支度の時間になるので、いつも通りに夕飯を作る。心労がこの時点でかなり酷いが、仕事をしたのが精神的に落ち着いた。カーヴェとしての、自我が、しゃんとある気がするのだ。カーヴェの自認は男性だ。下半身が女性なだけである。訳がわからんが、そうなのである。気合いを入れ直して、夕飯を作った。カレーである。
 ガチャと鍵の音がした。あ、帰ってきた。カーヴェが玄関に顔を出しておかえりと言うと、ただいまと返事があった。あったが、何やら不機嫌である。まあ、定時までナヒーダに拘束、こと、お話させられたのだ。早く家に帰りたいアルハイゼンのことだ。もしかしたら早く帰れる算段があったのかもしれない。カーヴェはナヒーダに感謝した。
「今日はカレーだからな」
「ああ」
「自分の機嫌は自分で取れよ」
「ああ」
「先に風呂に入ってもいいんじゃないか」
「そうする」
 気分転換になるだろう。カーヴェは、彼は手のかかる後輩だと思っている。今の精神的にちょっと怖いが。だが、そんな様子を見せたら何を言われるか分からない。顔に出やすいカーヴェだが、何とか素知らぬふりをせねばならない。何はともあれ、カレーは美味しい匂いを漂わせていた。
 夕飯の支度が終わると、風呂から自室に行っていたらしいアルハイゼンが、部屋着で机についた。顔はいつもの様子になっていたので、気分は戻ったのだろう。家が好きな人間なので、わりとほっとけば機嫌が治るのである。カーヴェは安心した。
 適当に仕事の話をしながら夕飯を食べていると、ふっとアルハイゼンが口を開いた。
「で、どこに行ってきたんだ」
 何で聞くんだ。カーヴェはツッコミを横に置いた。
「別にどこでもいいだろ」
「酒場ではないだろう」
「酒は飲んでない」
「昼食は家で取ったんだろう」
「それが何だよ」
「どこに行ってきたんだ?」
 とても、とても不思議そうである。純粋な疑問を訴えてくる。後輩ムーヴしないでほしい。カーヴェはいつもなら甘やかしてしまう後輩の姿を、思考の横に置いた。うん。見なかった。昔のアルハイゼンの姿が思い浮かんだけど、見えなかった。うん。
「散歩しただけ」
 ある種、嘘では無い。旅人が中継地点だと言っていた草原は清々しかったなと思い出す。
「そうか」
 アルハイゼンはそれ以上何も言わなかった。とりあえずセーフである。これ、通院の度にやるのか?無理では?カーヴェは泣きそうになる心をそっと横に置いた。今泣いたら流石のアルハイゼンでも驚くし、何か言われる。そしてデリカシー皆無の発言が飛んでくる。それは今のカーヴェには対応しきれなかった。
 そこからは何となく仕事の話を再開して、夕飯を終え、アルハイゼンが後片付けをすると言うので、風呂に入った。入浴剤が入れてあったが、カーヴェの好きな香りだったので、まあいいやと湯に浸った。すっきりとしたミント系の香りだが、仄かにスメールローズの匂いがする。以前、後輩に、イケメンしか許されない香りですよとか言われたが知ったことではない。実際カーヴェにしろアルハイゼンにしろイケメンかはともかく、顔はいいので許せ。カーヴェは今は他国で仕事しているという噂の後輩を脳裏に浮かべて、うんうんと頷いた。

 風呂を出ると、片付けは終わっており、アルハイゼンはソファで本を読んでいた。また数冊出して適当に置いて読んでいる。何で本を片付けないんだこいつ。カーヴェはジト目で見てから、さっさと自室に戻ることにした。おやすみと言えば、ああと生返事が返ってくる。本に集中しているのだ。よくあることなのでスルーして、カーヴェは自室に入るとそっと内鍵を閉めた。完全にカーヴェの心の安寧のためだけの鍵である。ナヒーダがなんかふしぎなちからでつけてくれたらしい。何だろうな、怖いな。
「さっさと寝よう……」
 とにかく疲れた。カーヴェは寝間着に着替えて、お気に入りの香油で髪や肌の保湿をしてから、ぽふんとベッドに沈んだ。シーツにくるまって、くいと指を動かして電気を消した。ベッドから電気を消せるようにしたのは名案である。惰性というな。
 そうして、カーヴェはすぐに寝入ったのだった。

- ナノ -