生が為=己が為=君は唯一/アルカヴェ/オメガバース/αのカーヴェがαのアルハイゼンにビッチングされてΩになってしまう話/旅人(蛍)、パイモン、タルタリヤ、ティナリ、ナヒーダ、ショウ、鍾離、ディルック、アンバー、セノ、辺りが出てきます。


!捏造しかない!
!これは二次創作です!
!アルハイゼンがだいぶ弱ってます!
!通常のオメガバースには無い設定があります!


 最初の記憶は泥酔していた時だと思う。
 うなじをじっとりと舐められて、歯を立てられて、力を込められる。やわい噛みつき。そうして離れていく熱。痛みはない。夢の中みたいなほんの短い時間だ。甘い戯れみたいなもの。それが、何故か、自分に与えられていた。

 カーヴェはアルファである。バース性と呼ばれる第二性はスメールだけではなく各地に散見される。大体はベータと呼ばれる普通の存在。希少なのはアルファであり、輝かしいリーダーシップを持つ天才であるとされる。そしてそのアルファより希少なのがオメガである。ほぼ見つからないとされるオメガは潜んで存在している。何故ならオメガは生殖に特化した性機能を持ち、なおかつ愛らしく庇護欲を掻き立たせる見た目の持ち主なのだ。大抵のオメガは見つかり次第各国で保護されて、箱庭で暮らしているという。そこに生殖の問題があるが、オメガが希望すればアルファとのお見合いがある。ここに、か弱いオメガの権力がある。アルファを選ぶのはオメガであり、オメガに選ばれたアルファは大抵のことではそのお見合いを断れないのだ。何せ国の重鎮からのバックアップがあるオメガだ。たとえ恵まれたアルファといえど、何が身に起こるかわからない。
 とまあそんなバース性は大抵の国で第二次性徴期に血液検査で強制的に調べられる。こと、スメールも同じであり、カーヴェはその際にアルファだと見つかった人間だ。
 かといって、カーヴェはすでに教令院の生徒であったし、カーヴェ自身鬼才の変人の割に気さくでお人好しというレッテルがしっかりと生徒たちに根付いていたため、希少で恵まれたアルファだからと陰口は言われなかったし、むしろ友人たちには同情されたし、国に保護されたオメガからのお見合いの話があったら何がなんでも逃げろと言ってくれる人が多くいた。
 だがまあ、カーヴェは特にお見合いの話は来なかった。何故、と言われたら、それはカーヴェ自身ではなく、他人からの評価になるが「カーヴェの見た目はアルファらしくない」らしい。顔がいいけれど、それはとても美しい、と。アルファらしい精悍さとか、男らしさに欠けるとか何とか。ただ、オメガの庇護欲を掻き立てる愛らしさは無い。そんな評価を気の利いた友人たちが言ってくれた。ありがたいことである。カーヴェは建築ばかりが頭を占めて、特に結婚に興味がなかったし、特に子を成すつもりもなかった。カーヴェ自身、家族というものがどこか遠いものに感じているからかもしれない。
 そんなカーヴェは学生時代に同じアルファに出会った。アルハイゼンである。出会った当初、まだカーヴェより幼い見た目をしていた後輩はその頃から既に可愛い後輩ではなかった。愛想はないし、言葉にオブラートはないし、人の心がない。とにかく人間として無いものだらけだが、才能は凄まじかった。カーヴェも鬼才と呼ばれたが、アルハイゼンもまた天才だった。天才同士だからと言って接触したわけでは無い。たまたま知恵の殿堂で本を漁ってたら出会っただけである。高い位置にある本を取りたがっていた小さな後輩に取ってあげたらジト目で見られた上にぶっきらぼうなお礼と皮肉が返ってきたのだ。カーヴェは呆れた。
 お互い、アルファであることを秘密にしていなかったので、勝手に知って、勝手に討論して、勝手に共同研究なんてことになって、互いに勝手に派手な喧嘩をした。
 大体そんな流れだった。少なくとも、カーヴェにとっては、そんな認識だった。
 それから卒業したり破産したりしてたら何故か大人になっていたアルハイゼンに拾われたわけである。意味がわからない。だがアルハイゼンの思考が分かったことはないので今更だとすぐに思考を投げた。とりあえずはアルファ同士として、かつての友として、ルームメイトになるためのルールを作った。
 まず、オメガを連れ込まないこと。当然である。オメガのフェロモンをカーヴェは知らないが、文献によるとそれはそれはアルファにとって恐ろしいものらしい。発情期ってやつはこわい。
 次に、互いの部屋に入らないこと。プライベートは守りたい。それはそうである。
 さらに、お見合いの話が来たらすぐに連絡すること、である。まあ断れないものらしいので、必要なことだ。カーヴェはお見合いが来たことはないが、大人になったアルハイゼンはおそらくオメガ好みの見た目だろう、興味はないが、お見合いの話もあったに違いない。アルハイゼンなら断りそうで末恐ろしい。
 バース性についての話はこの程度であった。その他、家事などに話は及んだが、不確定な未来をどこまで規定するかという話である。まあ曖昧に決まった点が多かった。
 かくしてアルファ二人のルームシェアが始まり、カーヴェはたまに酒場で泥酔してはアルハイゼンに運ばれるというスメールシティ酒場名物が出来ていた。不名誉である。

 とまあ長々と前置きしたわけだが。カーヴェはううんと首を捻る。最近、泥酔している時に誰かにうなじを甘噛みされていることを覚えている。ただ、その感覚が馴染みのあるものなので、だいぶ前からされていたようである。酒場の飲兵衛がやったにしてはタチが悪い。バース性、オメガのうなじをアルファが噛むと番と呼ばれる特別な関係になる。これはオメガが国から守られるほど希少である以上、何があろうと許されない罪であり、相応の罰があるものである。オメガは一人のアルファに支配されるべきではない。だいたいオメガも人間だしなあとカーヴェは思う。とにかく、カーヴェはアルファなのでうなじを噛まれても何ともないが、通常、うなじを噛む行為は見られると誤解を生むほどに重要視され、なおかつ禁忌だ。あと単純に人体の急所の一つである。
 誰が噛んでいるのか。カーヴェはよくわからないが、状況からすると、泥酔したカーヴェを運ぶアルハイゼンの可能性が高いが、合理性の塊である彼がそんな無駄なことをするわけがない。ならば酒場の誰かになるが、そんな悪質な嫌がらせをする飲兵衛は酒場から追い出されて出禁になるのがオチだ。マハマトラに突き出されないだけ良心的だと思う。甘いとも言う。
 何もわからないが、カーヴェは泥酔すると誰かにうなじを甘噛みされている。という事実だけが残る。意味がわからない。カーヴェは本気でわからなかった。
 なので、まあそのうち何とか犯人が分かるだろう程度の軽い気持ちでいつもの生活をしていた。

 しかし事件は起こる。
 カーヴェが仕事の後に髪を結んだまま夕飯作りをしていた時だった。アルハイゼンがいつも通りの定時で帰宅したので、おかえりとろくに振り返りもせずに調理を続けていたら、がぶり、とうなじを甘噛みされたのだ。
「……は?」
 一拍遅れて声が出た。振り返ると、アルハイゼンが部屋着に着替えに行こうとしているのか、自室へと向かっていた。
 犯人特定の瞬間であった。いや、現場を押さえていないが。
 なんでアルファがアルファのうなじを噛むのか。カーヴェはその夕飯時に聞き出そうとしたが、アルハイゼンはろくに返事をせず、話を逸らし、カーヴェを怒らせて口論に発展させ、いつも通りに風呂に入って読書をして就寝していた。
 何も聞き出せず、意図が分からず。カーヴェはあの後輩は本当に何を考えているのか分からんと済ませることにした。思考放棄である。

[newpage]

 そんなこんなでも日常は巡る。アルハイゼンは友人が増えたようだ。その友人たちから何故かカーヴェにお声が掛かる。何故も何も、アルハイゼンがろくに友人たちの相手をしないからである。おい、友人だろ、大切にしろ。カーヴェは毎回怒りながら、温かい友人たちからの言伝や贈り物を配送したわけである。言伝については長くなってもカーヴェの記憶力ならば問題なかった。でもそろそろ手紙のやり取りぐらいはしてほしい。
 バザールの近くで仕事の打ち合わせをしたので、夕飯の買い物をする。すると、こんにちはと声をかけられた。旅人の少女とパイモンだ。最初こそ"あの"アルハイゼンの友人という子どもたちに不信感を持ったカーヴェだったが、今ではすっかり絆された。何せ、とても良い子たちなのである。アルハイゼンには勿体無い。
「やあ、こんにちは。買い物かい?」
「そう。カーヴェも?」
「ああ、夕飯のね。食べていくかい?」
「ううん。アルハイゼンに怒られちゃう」
「怒ることはないと思うけど」
「でも最初の時に追い出されたんだぞ!!」
「今は違うんじゃないかい?」
「ううん。アルハイゼンはダメだと思う。それより、カーヴェ、一緒に旅して?」
「いや、僕は出来ないかな」
 システムの壁と旅人はぶつぶつ言った。よく聞こえないが、まあいい。
「そんなに僕と旅したいところがあるのか?」
 そう聞くと、旅人はそれもあるけれど、と言った。
「塵歌壺の中、えっと、洞天に来て欲しくて」
「ん?」
「旅人はたくさんの仲間を呼んでるんだぞ!!」
「みんな、アルハイゼンのルームメイトって聞いて興味津々なんだよ。私もカーヴェとお泊まり会したいし」
「ははっ、ありがとう。でも、なんだいそこは?」
「うーん。お家、みたいな。あ、カーヴェはアルファだよね? もしかしてオメガが怖い?」
「いや、別に。オメガが仲間にいるのかい?」
「ううん。いないよ、殆どがアルファだから」
「アルファばかりなのか?! それはそれですごいな。アルファも希少なのに」
「ベータもいるよ?」
「そりゃそうだよ。殆どがベータなんだから」
「にしてもカーヴェはアルファらしくないよな!」
「どういうことかなおチビちゃん?」
「わー! でも、オメガらしくもないんだぞ!」
「当たり前だろう」
 そうして旅人はまた洞天の話を考えておいてねと言って、パイモンと共にバザールから離れて行った。不思議な子たちである。カーヴェはとりあえず夕飯の買い出しをして、帰宅した。

 いつも通りに夕飯を作る。この頃のアルハイゼンは繁忙期である。定時に帰ってくるか不明であり、定時でない場合は不機嫌である。面倒なので、汁物は避けて、冷めても味の落ちない夕飯を作るのがこの時期の定番だ。しかし定番になるほどルームシェアが続くとは思わなかった。カーヴェとしてはほんの一ヶ月か、長くて数ヶ月お邪魔するつもりだったのだ。いつの間にか年を重ねている。そろそろ離れる時だとカーヴェは思う。お互いに伴侶を見つけるべきだし、カーヴェはこっそり貯金しているモラがそれなりに貯まっていた。まだ全額ではないが、ルームシェアをやめる動機にはなるだろう。

 こつこつと料理を作り、やはり定時で帰ってこなかった後輩にこれはまた不機嫌だろうなと思いつつ、風呂に入ってリビングで仕事をしていた。帰ってきたら、おかえりの挨拶と夕飯のこと、あとは風呂に入れとか、読書は程々に、とにかく寝ろとか、言わねばならない。あの後輩は個人主義で合理主義なのに、変なところでやらかすことがある。食事を抜いて読書をしたり、風呂に入ったと思ったら脱水症状で出てきたり、あとは風邪をひく。そう、あの人間性皆無とも言えるアルハイゼンだって免疫が落ちれば風邪を引くのである。

「うわあ」
 というわけで、おかえりの前にそう言ってしまった。見た目はおそらく他人にはわからない。だが彼の友人たちや、カーヴェからすればすぐ分かる。こいつ、風邪ひいてる。
「おかえり、アルハイゼン。君はおそらく体調を崩している」
「ただいま。体調はどうでもいいから夕飯が食べたい本が読みたい風呂に入りたい本が読みたい」
「壊れた稲妻式絡繰か? 夕飯なら用意してある。だが、その様子なら消化の良いものをすぐに作る。とにかく、水を飲んでから風呂に入れ」
「やだ」
「わがままになるな。ほら、水を汲んでやるから」
 そう言ってキッチンに向かい、水を汲む。その時だった。
 がぶり。
「は?」
 振り返ると、犯人は発熱でぼうっとした顔で唇を舐めていた。怖。
「ちょ、なんだ」
「カーヴェ」
「あ?」
「うなじ」
「単語しか喋れなくなったのかっていたたた馬鹿力! 自称文弱!!」
 かみかみとうなじを甘噛みされる。おそらく風邪の後輩は手でカーヴェを押さえつけているが、その手が熱い。確定で熱がある。顔を見ればすぐ分かるものだったが。
 とにかくかみかみかぷかぷと甘噛みを続ける後輩に、カーヴェはもう放置してコップに水を汲んだ。うん。
「アルハイゼン、水を飲め」
「うん」
 素直に離れて水を飲む。飲み終わるのを確認してから腕を掴んで風呂に連れて行き、投げ込んだ。もちろん比喩である。自称文弱と普通の人間を比べてほしくない。
 さっさと風呂に入れと言って、扉を閉めて。とりあえず過去に読んだ稲妻の料理本にあった粥を作る。
 とろとろの粥作って机に置いた。熱すぎると食べにくいだろう。
 風呂から出たアルハイゼンは寝間着はちゃんと着ていたが、髪をろくに乾かしていなかったので、ソファに座らせて髪を乾かす。想定内である。髪をきちんと乾かしたら粥を食べさせ、特に証明も必要なく買える一般的な風邪薬を飲ませて、部屋まで連れて行き、ベッドに寝かせてシーツを被せ、電気を消して寝かさせた。なお、部屋を出る前に本を読むなら寝ろと言うのは忘れない。
 そんな訳で、カーヴェはいつも通りに明日には治るだろうと期待して、夕飯の片付けなどをしたのだった。
 甘噛み事件はすっかり頭から飛んでいた。なにしろ、カーヴェにとってアルハイゼンに突然うなじを甘噛みされることは日常茶飯事になっていたからである。

 かくしてアルハイゼンは当然のように風邪を治し、次の日もいつもの時間に出勤した。風邪とは初期症状ならば適切な対応ですぐ治るものである。

・・・

「カーヴェ!」
「うわあ!」
 飛びついてきたのはパイモンだ。あれから、パイモンにたまたま持ち歩いていた昼食のピタのサンドを渡したら懐かれたのである。手作りだったので、たまに頼まれては作って渡していた。
 後ろから旅人と、見知らぬ少年がやってくる。いや、ぎりぎり青年だろうか。
「カーヴェ、おはよう」
「やあ、おはよう。そちらは?」
「こっちはタルタリヤ。仲間だよ」
「よろしく」
 タルタリヤはにこりと笑った。旅人がサクッと言う。
「タルタリヤもアルファだから安心して」
「別に不安はないよ。本当に君の仲間はアルファが多いんだな」
「ねえ、カーヴェさんもアルファなの?」
「うん? そうだよ」
 タルタリヤはなにやらじっとカーヴェを見ている。深い青の目だ。カーヴェとは対照的な色味に見えた。そして、相棒、と旅人を呼んで、何やらヒソヒソと話している。仲が良いな。
「カーヴェ! ピタはあるのか?!」
「ああ、今日もあるよ。君がいつ飛び込んでくるかわからないから、ここのところ昼食は毎日ピタにしてる。ほら、どうぞ」
「ありがとな!」
 パイモンはもぐもぐと美味しそうに食べる。カーヴェは自分の昼食が無くなったがそれで良かった。パイモンの空腹を癒す方が大事である。子どもには優しくすべきだ。
「あの、カーヴェ」
 旅人が言いづらそうにしている。タルタリヤもやや眉を下げていた。何か、言いたいことがあるらしい。しかし、ここでは言えない、と言った雰囲気である。確かに道の往来は内緒話には向かないなあとカーヴェは思った。
「こっちにおいで」
 カーヴェはすたすたと歩いた。
 そこは路地の奥。暗い路地の、わずかに光が射し込む行き止まり。ここなら人がいないだろう。振り返ると、旅人とタルタリヤがとんでもなく気まずい顔をしていた。どうした少年少女。
「えっとね、カーヴェ。最近、変なことない?」
「変なこと? 特に無いけど」
「例えば、あー、いや、相棒よろしく」
「タルタリヤは黙ってていいよ。私が言うから」
「うん?」
「ティナリってバース性に詳しい?」
「ティナリ? まあ詳しいんじゃないか?」
「友人だよね?」
「うん、まあ」
「じゃあすぐに行った方がいいよ」
「何で?」
「何なら今すぐ私たちが連れていくから」
「え?」
 旅人とタルタリヤがカーヴェの手をそれぞれ掴んだ。カーヴェは気がついたらガンダルヴァー村にいた。これは一種の誘拐の類ではないだろうか。カーヴェはぽかんとした。ワープだのどうのと旅人とタルタリヤは言いながらカーヴェを無理矢理ティナリの元に運んだ。何ならタルタリヤがカーヴェを横抱きに走った。そんなに急ぐ用があるのか。というかタルタリヤは力が強いな。パイモンは待ってくれよとピタを食べながらついてきていた。
「何事だい?」
 ティナリがキョトンとしていた。友人だが、カーヴェは彼と会うのが久しぶりだった。
 旅人とタルタリヤはティナリと旅をした面識があるらしく、名乗ることもせずに言った。
「カーヴェのフェロモンがおかしいってタルタリヤが言ったの」
「明らかにおかしいよ」
「……僕はベータだからさっぱりフェロモンがわからないのだけど、検査キットならあるよ」
 ティナリは深刻そうな顔でそう言った。というか旅人とタルタリヤもとても真剣だった。何なんだろう。カーヴェはキョトンとしながら、唾液を提供した。
 結果はすぐに出るものだったらしい。だが、ティナリはその上で、問診を始めた。
「最近、変わったことは?」
「その質問流行ってるのかい? 特にないけど」
「近くにアルファは?」
「アルハイゼンのことかい?」
「うなじを見せてもらえる?」
「どうぞ」
 まっさらなうなじである。ティナリは触ってまで確認していた。意味がわからない。
「ごめんね、今ここにアルファはタルタリヤしかいないよね」
「そうだと思う」
「うん?」
「タルタリヤ、うなじ、触ってみて。カーヴェも、これは診察だから」
「え、構わないけど」
 カーヴェの許しを得て、タルタリヤはそっとカーヴェのうなじに触れる。特に何もない。カーヴェは疑問符を浮かべながら、とりあえず動かないでおいた。タルタリヤは手を離し、カーヴェが顔を上げると、とっても渋い顔をしていた。何事だ。
「どう? タルタリヤ」
「確定。絶対噛まれてる」
「え、何が?」
「跡がないなら番関係はないね?」
「絶対にない」
「ちょっ」
「じゃあこの検査結果は」
「やっぱ検査でも出たんだ」
「は?」
 何の話だ。カーヴェが視線をティナリとタルタリヤ、そして旅人とその腕の中のパイモンに向ける。
 ティナリは落ち着いて聞いてね、と言った。
「カーヴェ、君はオメガになりかけてる」
「……ん?」
「オメガになりかけてる」
「誰が?」
「カーヴェが」
 しばらく、唖然とした。そして。
「はあ?!?!」
 叫んだ。

「ビッチングっていう行為があるんだ」
 ティナリは本を開いて言った。詳しくはないんだけど、と言う。そりゃバース性の専門医ではないから当たり前である。
 しかし、アルファ当事者たるタルタリヤは少し知識があった。
「アルファがアルファのうなじを何度も噛むことで、アルファをオメガに作り変える事が出来るんだよ。まあ、なかなかお目にかかることはないけど。実験はよくされてる。成功率は低いけど、時間をかければほぼ成功する」
「詳しいな」
「まあね。で、ビッチングされたアルファは時間をかけて体が文字通り作り変わる。分かりやすく言うと、オメガの第一の特徴であるヒートが起きる様になるし、子どもも孕めるようになる」
「怖いな」
「それがカーヴェさんに起きてる」
「嘘だろ」
「本当だよ」
 タルタリヤは息を吐いた。
「色々あって、ビッチングの実験の被験者を見たことがあって。だからすぐ分かった。あとカーヴェさんのうなじはアルファが触れば誰でも、誰かに噛まれ続けてる、ことが分かるよ」
「怖い」
「本当に怖がってね。完全にオメガになったら、そこは急所どころじゃないし」
「怖すぎる」
 話が異次元である。
 カーヴェが引いてる横で旅人が言った。
「カーヴェは犯人に心当たりある?」
「犯人とは露骨な言い方だな」
「いや、旅人の表現は正しいよ、カーヴェ。その様子だと、知らない間にビッチングを受けてることになる。犯罪だよ」
 ティナリのドストレート発言にカーヴェは、まあそうだよなと一般常識を思い出していた。うなじを噛むのは常識的にあり得ないことだ。犯罪、かは、この際よく分からないが。というか、本当に自分の体が作り変わってるのか不明である。検査はこの様子だとオメガの反応があったようだが。
 まあ、犯人には心当たりがある。
「アルハイゼンかな」
 タルタリヤがあの人かと遠い目をし、旅人の目が死に、ティナリがペンを折った。ボキッて音がした。
「その話、詳しく教えてね」
 この場において、ベータのティナリが一番怖かった。

 最初は泥酔時の感覚、その時に覚えた前から噛まれてる感覚、起きてる時にたまに甘噛みされること、風邪の際にかぷかぷと何度も甘噛みされたこと。包み隠すこともないので、全て話した。というかティナリの全て話せのオーラが凄かった。
 なお話を聞く間、タルタリヤはどんどん目が遠くなり、旅人の目はどんどん死んでいった。なお、パイモンは教育に悪いということで旅人に耳を塞がれていた。
 最終的に、ティナリは言った。
「カーヴェ、何でそんなになるまで放っておいたの?」
「いや、ビッチングとやらを知らなかったし」
「知らなくてもうなじを噛むのは頭がおかしいよ」
「アルハイゼンの行動の意味がわかったことがない」
「それはそう。で、犯人の意図を、カーヴェとしてはどう思う?」
「話を総合するに、僕をオメガにしたいってことかな?」
「そうなるね。じゃあカーヴェがすべきことは?」
「すぐに離れる」
「うん。まともな思考回路があって良かった」
 ティナリはようやく落ち着いた様だった。しかし、すぐに離れるにしても借金問題などがある。そのことはティナリに理解があった。
「とりあえず、一時的に離れて、様子見。というかバース性専門医にすぐ診てもらおう。僕が紹介状書くよ。旅人とタルタリヤは護衛頼める?」
「護衛って大袈裟な」
 苦笑すると、タルタリヤが口を開いた。
「フェロモンが感じられるんだよ」
「うん?」
「通常、アルファ同士のフェロモンは感じられないよね?」
「そうだな」
「それが感じられるのは、それだけカーヴェさんのフェロモンがオメガに寄ってるんだよ」
「おめがによってる」
「つまり街中でアルファに襲われる可能性と、国に捕えられる可能性があるね」
「うわあ」
 言われると、確かにそうである。旅人がティナリに、タルタリヤがフェロモンがおかしいと言っていた、という旨の話を最初にしていた。そういうことなのである。
「こわ」
 カーヴェは身体に確かに変化が起きていると再度指摘されて、己の腕をさすった。

 アルハイゼンの家である。家主はまだ帰っていなかった。定時帰宅なら、もう少しで帰ってくる。そのことを言うと旅人はすぐにカーヴェに数日分の宿泊支度をするように言い、カーヴェを手伝った。少女に手伝わせるのも、と思ったが、タルタリヤは万が一にアルハイゼンと鉢合わせたらアルファ同士での話し合いという名の戦闘になると笑顔で言っていた。怖い。
 せっせと荷物をまとめる。仕事道具は重たいのでとりあえず最低限である。製図台は重すぎる。荷物をまとめると、旅人とパイモンと共に部屋を飛び出した。まだアルハイゼンは帰ってきていない。カーヴェは自分の鍵を鍵入れに置いたまま、旅人とタルタリヤとパイモンに引き摺られてアルハイゼンの家を飛び出した。
 少年少女の思い切りは、強い。

 旅人はさっとパイモンと何かを操作している。あれは何と、周囲を警戒しているタルタリヤに聞くと塵歌壺らしい。洞天に連れて行かれるようだ。アルファばかりだと聞いたがいいのだろうか。その点はタルタリヤが、今の時点ならヒートは起きないと言い切った。それを信用するしかない。
「私の洞天は承認制してる。で、アルハイゼンはまだ承認してないから絶対に入らないよ」
「うん」
「カーヴェは今、無理矢理申請を通したから。御都合主義秘境だと思って」
「何だいそれは」
「何でもあるぞ!」
「何だいそれは?」
「相棒、用意できたなら早く行った方がいい」
「行こう、カーヴェ」
 カーヴェは差し出された旅人の少女の手を取った。

・・・

 かくして、壺の中。旅人の洞天である。
 美しい庭、高い青空。爽やかな空気、そして立派な建物。どこか、稲妻風を思い出させたそれは旅人が魔改造を重ねたものらしい。普通はこんなにならないとか何とか。普通とは何だ。
「そもそも洞天には何人も登録してないの。部屋に限りがあるから」
「部屋?」
「一人一部屋、承認した人は自由に洞天に入れるようにしてるから、プライベートスペースかな」
 そうしてカーヴェは二階の角部屋に案内された。中は旅人曰く大正ロマン式だとかで、板間にラグが敷かれ、シングルベッドがあった。机と椅子もある。窓は大きく、青空と庭がよく見えた。
「綺麗なところだね」
 思わず言うと、旅人は嬉しそうに笑った。笑えないのはタルタリヤだ。
「とりあえず、ここに住むとして、相棒はカーヴェさんをどこのバース性専門医に連れていくの?」
「稲妻かな。あそこが一番発展してる。鎖国してたからかな……稲妻にしかない抑制剤とかもあるし、何より、オメガが国に捕えられない」
「そうなんだね」
「うん。稲妻はオメガがそこまで珍しくないの。鎖国が何か影響してるとは思うけど」
「そうか。というか、ティナリの紹介状は?」
「後でちゃんと話しておく。アルハイゼンへのミスリードになるし」
「ミスリードって」
「とにかく、今、カーヴェにとって危険なのはアルハイゼンなんだよ」
「う、うん」
 それはそうだが。何だか急に危険と言われても、あのアルハイゼンが、とは思う。あのたまに抜けてる姿を家の中でだけ見せる後輩が危険とは思えなかった。だが、ビッチングとやらは事実である。それに、病院に行って検査すれば旅人たちの話の真偽もわかる。まあティナリがあれだけ怒っていたので真実だろうとは思うが。
 旅人とタルタリヤとパイモンは、ひとまず夕飯になったら呼ぶからとカーヴェを残して出て行った。
 嵐のようであった。とりあえずは荷物を置いて、ベッドに寝転がって、寝た。思考を整理するには寝るのが一番である。

「おはよう、カーヴェ」
「さ、クラクサナリデビ様?!」
「ナヒーダよ」
「はい?」
「ここではナヒーダと呼んでちょうだいね、愛しい子」
「あ、はい」
 ナヒーダはカーヴェの顔を覗き込んでにこりと笑った。そしてその小さな手でするするとカーヴェの頬を撫で、耳を撫で、頭を撫でる。
「熱はない、わね。うん。体調も大丈夫」
「ひえっ」
「安心して、ね?」
「はわ、」
「大丈夫よ」
「ああう」
 そこへ旅人が飛んできた。
「ナヒーダ、ストップ!!」
「あら?」
「ナヒーダはアルファでしょ? カーヴェの部屋は立ち入り禁止!」
「民なのに……?」
「ダメなものはダメ。ナヒーダ、ほら、手を離して、部屋を出て」
「わかったわ」
 とたたとナヒーダは部屋を出る。カーヴェはやっと体を起こした。自国の神がいる。バース性がどうのこうのより、こわい。
 旅人が入室する。カーヴェの手を引いて、言う。
「皆に一階に集まってもらったの」
「皆って?」
「この洞天に入れる人。とりあえず顔合わせと事情説明をしないと。いつも全員いるわけじゃなくて、好きな時に皆が出入りしてるからね」
「そうなんだ」

 かくして。一階。カーヴェは椅子に座った。
 旅人がぐるりと紹介する。
「まずタルタリヤ、アルファ。ナヒーダ、アルファ。ショウ、アルファ。鍾離先生、アルファ。ディルック、アルファ。アンバー、ベータ。雷電将軍、アルファ。以上」
「ほぼアルファ」
「アンバー以外、カーヴェの部屋は入室禁止だからね。で、こっちはカーヴェ。アルファだけど、ルームメイトことアルハイゼンからビッチングの被害を受けて、ちょっとオメガ化してるので避難中ね」
「何一つ包み隠さないな?」
 なお、この洞天の馴染みたちはアルハイゼンの面識があるらしく、遠い目をしていた。いや待て、アルハイゼンは普段、旅で何してるんだ。
「あいつ、旅で何してるんだ?」
「それはまあそのうち話すね」
「怖い話の前振りじゃないか」
「一応、ティナリとコレイも承認してたんだけど、念のためにスメール勢はナヒーダ以外承認取り消ししておいたよ」
「ふふ、よろしくね」
「は、はい」
「畏まらないで、ここではただのナヒーダよ」
「いや自国の神様なのでちょっと、」
 流石に無理がある。

 とりあえず解散となり、それぞれに励ましの言葉をもらった。今日洞天に泊まるのは旅人とパイモンとカーヴェだけらしい。なお、旅人はナヒーダに夢でもダメと念押ししていた。深くは聞くまい。
 食べたのは炒飯だった。美味しかった。

・・・

 かくして稲妻である。雷電将軍の導きとかなんか分かんないけどすごい、あの、口の固い、良い医者らしいバース性専門医に診察してもらった。なあこれ紹介状がいる人じゃないか。
「カーヴェさんの体ですが、子宮と卵巣が出来てます」
「えっ」
「ビッチングは相当進んでいます。ただ、オメガとしてのフェロモンの機能はまだ未発達なのでヒートも起きないですね」
「そうですか」
「ただ、あと数度ビッチングが続いていたら軽いヒートが始まって、さらに続けば通常のオメガと同じヒートが始まっていたでしょう」
「うわあ」
「とりあえず数種類の薬を出します。薬の名前や効果、想定される副作用などは別用紙できちんと出しておきます」
「はい」
「あと、スメールでしたね?」
「あ、はい」
「自国に戻られましたら、すぐにマハマトラに相談してください。同意のないビッチングはスメールにおいて犯罪です。そもそも、どの国においても、犯罪になります」
「おうふ」
「身近な方からの犯行だとお聞きしました」
「ルームメイトです」
「今は避難中だと」
「はい」
「ルームメイトは解消した方が良いです。事情はあるでしょうが、その方がカーヴェさんの身のためです」
「そうなりますね」
「では、本日の診察はここまでとします」
「ありがとうございました」
 カーヴェはかくして複数の抑制剤をゲットした。

 薬の内訳は、ヒート抑制剤というヒートが起きた時に飲むもの、低容量ピルは避妊薬として毎日飲むもの、オメガのフェロモン抑制剤は毎日飲むもの、抗フェロモン剤はアルファのフェロモンを効き難くするもの、あとは血中のオメガ値を下げてアルファ値を上げるものなどがあった。
 カーヴェは淡々と薬効と副作用を確認する。大体は頭痛と吐き気が副作用として出やすいようだ。その時のための頭痛薬と吐き気止めの薬も出ていた。
 頭に内容を入れて、そっと説明用紙をゴミ袋に入れる。これは多分、犯人ことアルハイゼンに見られたらいけないやつである。
 そろそろカーヴェはアルハイゼンが怖くなっていた。自分の体が本気で変わっていたことに吃驚したのである。子宮と卵巣に関してはエコーまで見せてくれた。マジであったのである。怖い。アルファというか男にそれは無いはずの器官である。
 というか、ヒートが来ないだけで、子宮と卵巣がしっかりあるということは、である。あとは生理さえきてしまえば子を孕めるのである。自分の薄い腹を眺めてゾッとした。
 そもそも、スメールではオメガは囚われる対象である。ナヒーダが一言、言ってしまえばカーヴェはこのまま貴重なオメガとしてビッチングを完遂させられ、オメガにされ、囚われの身である。オメガって、大変だ。思考放棄した。それ以上を考えてはいけない。
「カーヴェ殿、夕飯だぞ」
「あ、はい。鍾離先生」
「うむ。今日は湯豆腐だそうだ」
「ゆどうふ?」
「美味しいぞ」
 鍾離先生は楽しそうに一階に向かった。ていうかナヒーダ以外なんも分からないメンバーである。雷電将軍についてはなんか稲妻のヤバい人である気はしてきた。深く考えてはいけないやつだろうな。うん。
 夕飯についたのは旅人とパイモンと鍾離先生とカーヴェであった。
「そもそもアルハイゼン殿は何故、カーヴェ殿をオメガに?」
「知らないなあ」
「確かにアルハイゼン殿は気がつけば鍵を見ているが」
「はい?」
「あとあまり多くを話す方では無いが、話す時は大抵ルームメイトの話をしている。つまり、カーヴェ殿のことだろう?」
「えっ」
「そもそもルームメイトなのだから番になる必要はさほど無いのではないか?」
「ちょっと、待った」
 カーヴェはストップをかけた。旅人はもぐもぐと湯豆腐を食べている。鍾離先生の発言を止めなかったと言うことは事実である。パイモンは何一つ動揺していない。これは本当に事実である。
「あいつ何してるんだ?!」
「カーヴェ、落ち着いて」
「いつものアルハイゼンだぞ?」
「はあ?!」
「カーヴェ、ここでは周知の事実だから」
「というか、番って?!」
「ビッチングまでするならそれしか無いだろう」
 鍾離先生はしれっと言った。
「アルハイゼン殿はカーヴェ殿と番になりたいのだろうな」
「……つがいってなに」
「カーヴェ、この世界のバース性基礎基本。オメガのうなじをアルファが噛むと番関係になり、ある程度の運命共同体になり、アルファに取り消し権があり、オメガは番を失うと気が狂って死ぬし、何より」
「なにより」
「大罪」

 希少であるオメガは、たった一人のアルファなどに囚われてはならないのだ。

 カーヴェは何とか湯豆腐を食べた。美味しかった。鍾離先生は気を遣ってくれたのだろう。誰かが言わねばならんだろうからなと微笑んでいた。優しい人である。風呂に入り、部屋に戻る。そして、扉を閉めて内鍵を閉めて、ベッドに倒れた。
「なんなんだよお……」
 アルハイゼンがカーヴェと番になりたい、とは。カーヴェの今夜の脳内討論の論題であった。


・・・


「バース性における番はつまり婚姻よりも強い繋がりだ」
「はい」
 洞天の庭。そこで、カーヴェはショウの話していた。
「大罪であっても番という繋がりが欲しかったのだろう」
「アルハイゼンが、僕と」
「恋や愛などという生半可なものではない」
「恋愛じゃないのか」
「それ以上のもの、ということだ。執着、所有、庇護、保護、そして」
「うん」
「欲」
「それはどういう欲かな」
「それは当人しか分からぬ。だがまあ、性欲は確実に含まれるだろうな」
「うわあ」
「嫌か」
「とてもね」
「……ちなみに恋人などはいたことがあるのか」
「無いよ。そういった感情は全部勉強と仕事に捧げたから」
「……お前は人間か?」
「人間だよ」
「大抵の人間は恋愛で身を滅ぼすだろう」
「そうだな。泣いて、笑って、落ちて、這い上がって、また前を向く」
「ああ」
「そういうのは美しいよ。僕は素敵だと思う。でも、」
「……」
「僕とアルハイゼンにそういうものは無い、と思うんだけどなあ」
「知らん。だが、お前になくとも相手にはあるかもな」
「ちなみに旅の中でアルハイゼンを見ててどう思った?」
 ショウは一度口を閉じてから、言った。
「重い」
「うわあ」
 何がとは言わない。察したく無い。カーヴェは遠い目をした。


・・・


 朝だ。アンバーが起こしてくれた。そして、すぐに顔色を変えた。
「カーヴェさん、ちょっと、待って」
「へ、」
「血、出てる」
「は?」
 初潮であった。
 その日、洞天にいたのは、旅人とアンバーとパイモンとカーヴェであった。すぐに稲妻の医者と連絡を取り、初潮が来たことによる注意を受けに行く。もちろん、アンバーと旅人が引率だ。パイモンは癒しである。
 ビッチングが相当深刻だ。生理が始まるとはと、医者が眉を寄せていた。洞天のアルファたちはビッチングをしていないし、アルハイゼンはそもそも洞天に入れない。よって、今までのビッチングの効果が出ているということである。
 生理痛の薬と、低容量ピルの説明を再度受けて、洞天に帰る。
 アンバーと旅人という生理の先輩から仕組みと対処を教わる。カーヴェは思ったより動揺していなかった。おそらく、カーヴェが一晩脳内討論していたことが原因だ。そこで生理についても散々考えた。そして、おそらく来るだろうと思ったのだ。何故なら、あのアルハイゼンが中途半端なビッチングをするとは思えなかったのだ。
 つまり、オメガのフェロモンは出るようになるだろうし、ヒートだって来るだろう。
 伊達に付き合いが長く無い。離れていた時期が当然あるとしても、学生時代からのアルハイゼンの性格として、ビッチングという、ハイリスクを犯してまでやり通したかったことを、完遂しないわけがない。
 アルハイゼンはもう、ビッチングを済ませていた。だから、待っていたのだ。カーヴェの体が、完全にオメガになるのを。


・・・


 そもそも、である。
「カーヴェから見て、アルハイゼンはどういう人なんだい?」
 ディルックとカーヴェは旅人が料理をする後ろで、話していた。
「個人主義と合理主義の塊」
「分かるよ」
「あと、後輩」
「ああ、教令院の」
「で、うーん、元友人」
「元?」
「喧嘩して、一度、離れてるんだ。で、今はただのルームメイト、だと思う」
「ふむ」
「まあ、僕としてはまた友人になれたらとは思ってたけど、まさか友人すっ飛ばして番になろうとしてるとは思わなかった」
「まあ、確定では無いから」
「うん。番になろうとしてるのかは知らない。でも、ビッチングはした。そんなハイリスクを選ぶ奴じゃ無い」
「それは、どうだろう」
「ん?」
「いや、一連の、」
「ああ、代理賢者になったやつか。確かにあれはハイリスクだな。なんだっけ、日常生活をもう一度とか何とか」
「理由は聞いてないのかい?」
「うん。話さないから、人伝に少し聞いただけだな」
「そう……彼は多分、」
 そこでディルックは一度、口を閉じた。
「多分、カーヴェのことも日常だと思ってたんだろうね」
「それは無い」
「そうかい?」
「ルームメイトは永遠ではない。そもそも、今回のビッチングがなくとも、そろそろルームメイトを解消すべきだと僕は思ってたんだ。アルハイゼンは愛されて育ったのだから、ちゃんと愛を知ってる。だったら伴侶が欲しいだろうし、子供だって欲しいだろう?」
「……いくつか気になることがあるけど、まず一つ目、カーヴェは愛されて育っては無いのかい?」
「家族というものはよく分からないな」
「事情があるんだね。じゃあ、二つ目、伴侶と子供、だけれど」
「うん」
「それはカーヴェを番にすれば解決するね」
「……たしかに?!」
 カーヴェはハッとした。え、本当だ。
「えっでも、番なんてハイリスクを、あいつが、平穏無事ないつもの日常を送りたいやつが、手に取るか?!」
「いやそこまでは知らないけれど」
「う、うん、そうだよな。うん」
 あと、とディルックは難しい顔をした。
「ルームメイトを解消しようと、言ったことはある?」
「いや、無い」
「態度に出したことは?」
「多分、無い」
「今まで旅の同行で僕が見てきた印象だけれど。アルハイゼンはカーヴェのことをよく見ている、として」
「見てるのか……?」
「アルハイゼンは察していたんじゃないかな」
 カーヴェは、サッと青ざめた。
「ビッチングまでしたい対象。番という一種の運命共同体。番は大罪とされる。ハイリスク。日常生活。家族からの愛情を知っている」
「それ、は」
「もし、戻って話すようなことがあれば、きちんと話し合わないといけない。アルハイゼンは、カーヴェを手放す気は無いだろうね」
 カーヴェは、アルハイゼンのことが本当に分からなかった。


・・・


 通院と問診と洞天での避難生活。一度、戻って話し合うといいでしょう。そんな許可が医者から出て。旅人とナヒーダとしてもアルハイゼンを引き止めるとは限界だと宣言した。よって、カーヴェは明日、アルハイゼンの家に帰宅する。
 どうすればいいんだろうか。カーヴェには分からなかった。何も、何も。うとうととしながら、ベッドの中にいると、ぎし、と誰かがベッドに座った。
 月明かりの中で、タルタリヤが座っていた。
「答えは出た?」
「何も」
「アルハイゼンはさあ、本当にカーヴェさんが好きなんだろうね」
「そうなのか」
「カーヴェさんはアルファとしての欲求って知ってる?」
 タルタリヤは静かにカーヴェを見下ろしている。幼い顔つきをしていると思う。カーヴェはその言葉に戸惑う。
「特には」
「お見合いとかなかったんだね」
「うん」
「オメガに会ったことないんだ」
「うん、そうだね」
「フェロモンを浴びたことは?」
「無いよ」
「ヒートを目の前にしたことは?」
「無いけど……」
 あのね、とタルタリヤは言う。
「俺はあるよ。ヒート中のオメガに会ったことがある」
 カーヴェは何も言えなかった。タルタリヤは続ける。
「本当にさ、脳が焼き切れるようだよ。理性が無理矢理剥がされて、本能の獣にさせられる」
「……」
「まあ、抗フェロモン剤打ってたからそこまでだけどね」
 タルタリヤはそっとカーヴェの頬を撫でた。
「カーヴェさんはお見合いがなくて、オメガと会うこともなかった。ヒートも知らなかった」
「うん」
「じゃあ、アルハイゼンは?」
 タルタリヤはじっとカーヴェの目を見ていた。底なしの、海みたいだ。
「アルハイゼンはお見合いがあったと思う。そうは聞いてないけど」
「そう。じゃあ、好きでも無いオメガが目の前でヒートを起こしてて、理性を無くした獣にさせられそうになったとして」
「うん」
「アルハイゼンさんはどうする?」
「あいつは鋼みたいな理性持ってるから、たぶん、靡かないんじゃないか?」
「うん。じゃあね、そのまま帰ったとして。家に、カーヴェさんがいる」
「うん」
「ねえ、アルハイゼンにとってカーヴェさんは何?」
「さあ?」
「ビッチングと番。ねえ、カーヴェさん。分かってるよね?」
 タルタリヤはそっとカーヴェの目元をなぞる。カーヴェの赤い目が、タルタリヤにはどう見えているのだろう。
「……そうだとしたら、あいつの口から聞かないといけないな」
 ふわりと笑った。その笑みに、タルタリヤの目が揺らめいた。
「本当に、大事なことは何一つ言わないやつだから」
「……」
 タルタリヤが目を伏せた。そして、カーヴェから手を離す。
「カーヴェさんがいるアルハイゼンは、幸せ者だなあ」
「そうかい?」
「羨ましいよ」
「そうか」
「俺もカーヴェさんみたいな人が欲しい」
「いつか出会えるさ」
「ここにいるアルファは、皆、思ってるよ」
「そう?」
「カーヴェさんは真剣に考えてくれるから」
「うん」
 タルタリヤは息を吐いた。
「ねえ、カーヴェさん。番になるとね、互いのフェロモンは互いにしか効かなくなる。だから、それを使えば、カーヴェさんはオメガだとしても国に囚われる必要はなくなる」
「うん」
「どうか、」
「ダメだよ」
 カーヴェは言葉を遮る。
「それは僕とアルハイゼンの出すべき答えだ」
 タルタリヤは、そう、と、寂しそうに、羨ましそうに、言った。


・・・


 夜。カーヴェは人目を避けるために夜のスメールシティを歩いた。旅人とアンバーが護衛である。アルハイゼンの家の前にはティナリとセノがいる。
「暴れてはいない」
 セノの第一声にカーヴェは答える。
「ありがとう。帰って大丈夫だ」
 ティナリは心配そうにカーヴェを見る。
「いいの?」
 カーヴェは答える。
「いいんだ。きっと」
 そうして、カーヴェはアルハイゼンの家の扉を、開いた。

 皆が帰る音がする。家の中は暗い。電気をつけていない。よく晴れた、月明かりの強い夜だ。
 アルハイゼンは座っていた。
「ただいま」
 声をかける。アルハイゼンがゆっくりとカーヴェを見た。
「……いいのか」
「何一つよくない」
「そうだ」
「君は全部言わずに実行した。いつぞやと同じだな」
「ああ、そうだ」
「で、君の願いを聞こう」
 カーヴェはアルハイゼンの隣に座る。そして、手で彼の頬を包んだ。
「君は僕に何を望む?」
 アルハイゼンの目が、カーヴェを見ている。虚な目が、その焦点が合っていく。
「それを、」
「……」
「言ったら君は俺にくれるんだろう。助けを求める人へ手を伸ばすように」
「君は馬鹿か?」
 アルハイゼンは目を丸くした。カーヴェは言う。
「流石にそこまで僕は愚か者じゃないぞ。一応、これでも超えてはならない線引きはしてるつもりだ」
「破産したのにか」
「あれは想定外だ」
「理が通ってない」
「それとこれとは別だろ」
「君は、」
 アルハイゼンの目が揺れている。馬鹿だなあ。カーヴェは思った。この後輩は、欲しいものがハッキリしているのに、言いやしない。それは相手がカーヴェだから言わないのかもしれない。だとしても、言葉にすべきである。
「僕は君の行動を許さない」
「ああ」
「君が勝手にハイリスクを背負ったことが許せない」
「……」
「僕の可愛い可愛い、可愛くない後輩。分かるだろう」
「それは、あまりにも、俺に都合が良すぎる」
「だから君はいつまでも僕の後輩なんだ」
「……俺は、ずっと」
 きゅっと口を閉ざしたアルハイゼンに、カーヴェは問う。
「君は定期的に風邪を引いていたな」
「……ああ」
「あれは本当に風邪だったのか」
「……」
「言いたくないなら当てよう。オメガと会わされていたんじゃないか?」
 そっと、頬を撫でる。
「好きでもない、顔も初めて見る。そんなオメガと」
「……うん」
「そうか。だから一晩で治るわけだ」
「うん」
「で、君はそれでも僕を無理矢理押さえつけたりしなかった」
「うん」
「何度もあったな」
「うん」
「それは僕がオメガではなかったからか」
「違う、違うんだ」
 アルハイゼンは言う。
「君が、」
「僕が?」
「君が、ずっと、」
 アルハイゼンは口を閉じた。
 そして、開く。
「初めて、君のうなじを噛んだのは学生時代だ」
「は?」
「共同研究をする前から、君と僕はよく居る場所が同じだった」
「まあ、そうだったな」
「そこで、君が寝ていた」
「うん?」
「まだ俺は幼かった。改めて教令院で学ぶことにして、でもまだ、君より背が低かった」
 だから、
「その日、初めて君のうなじを見た。そして、君がオメガだったらと、思った。そうしたら、そうしたら、君は」
 そうしたら。
「俺だけのものになっただろう、と」
 そう思ったら、噛んでいたのだ、と。
 アルハイゼンは懺悔する。
「何度も、何度も、君は俺の前で寝ていた。その度に、噛んで、噛んで、噛んで、噛んで。最初は君がオメガだったらという空想だった。でも、本で知った」
 ビッチング。アルファをオメガにする唯一の方法。
「これだと思った。だから、それからは、ビッチングを目的として、噛んだ」
 それは、喧嘩別れして、終わったはずだった。
「君は、俺の前に再び現れた。運命だと、思った」
 だから、また。
「噛んだ」
「……うん」
「泥酔した日、君は何も覚えてないから、そういう日だけにしていた。段々と、タガが外れた。噛み続けた」
 そもそも。
「再会した頃には、もう何度もオメガに会わされていた。でも、俺はそういう見知らぬオメガに嫌悪感しかなかった。確かに、性的興奮はさせられた。相手は見合いに合わせてヒートを起こしている。ヒートのフェロモンは特にアルファの本能を揺さぶる。それが、気持ち悪かった。触れるわけがない。触りたくもない」
「そうか」
「君だったら、よかった。君だったら、そう思ってたら、君が、俺の前に居たんだ」
「僕を拾ったわけだ」
「君じゃなきゃ駄目だ。だからどんどん、噛んだ。酔ってる時、寝てる時、それだけじゃ足りない。帰ってきた時、ただいまと声をかけてくれる、君が」
「ろくに振り返りもしないのに?」
「好都合だった。だから、噛んだ」
「オメガに会った日も噛んだわけだ」
「そうだ。噛んで、噛んでも、足りなくて。でも跡が残るほど噛んだら、周りに気が付かれる。だから、甘噛みだった」
「その辺は考えてたんだな」
「カーヴェ、俺は君じゃ無いと駄目だ。俺は、」
 で、とカーヴェは遮った。
 月明かりが強くて、カーヴェとアルハイゼンの影を色濃くする。
「で、僕に言うべきことは?」
「……は、」
「あのなあ、アルハイゼン。君、もう少し言語化しろ。それでも知論派か?」
「は?」
「大体、君は出会った頃から人間として足りないものだらけだ」
「おい」
「愛想はないし、言葉にオブラートはないし、人の心がない」
「……」
「今回改めて言うならば、」
「……続けろ」
「言葉が足りない。圧倒的に、足りない。君、それだけ言葉を言っているのに、本当に大切なことは何も言わないな」
「どういうことだ」
「僕は妙論派だ。それでいて、美とロマンを大切にしてる」
「知っている」
「で、君、ここでそんな僕が欲しい言葉。そして、君が僕に言うべき言葉、言わなくてはならない、人間として必要な言葉は何だ」
 カーヴェは優しい目をしている。アルハイゼンは舌打ちをした。ああ、可愛くない。可愛くないところが、彼らしい!
「……すきだ」
「ん?」
「カーヴェが、好きだ」
 アルハイゼンがゆっくりと、噛み締めるように言う。だからカーヴェは返事をするのだ。
「僕は正直、君と同じ気持ちではない。まだな」
「知っている」
「だけど、絆されていい。これは決して慈悲じゃない。施しじゃない。僕の、君への、誠実な愛の答えだ」
「後悔するぞ」
「してもいい。だが、不確定で未知数の未来をどれだけ議論したところで、何になる?」
「君は俺が好きじゃない」
「でも愛してる」
「君は俺じゃなくてもいい」
「でも君は僕に温かいものを教えてくれた」
「……」
「君が普通に行って、帰ってきて、挨拶をして、一緒にご飯を食べて。そういう繰り返し。僕には縁のなかったもの。なあ、そういうのを"家族"って言うんだろ?」
「それは、」
「君がどう思おうと、僕は君が家族だと思ってたんだ。何も考えてなかったけど」
「刷り込みだ」
「意図的か?」
「分からない」
「じゃあ、そういうのを"運命"って言うんだろうな」
 アルハイゼン。
「僕らは家族だ」
 そうして、カーヴェは、アルハイゼンにうなじを差し出した。
 そうしたうなじへの痛みと愛しさを、カーヴェはきっと、いつまでも、忘れない。


・・・


 朝だ。カーヴェは起きる。とりあえずたったかと身支度をして、朝食を作る。ふんふんと作っていると、かたかたと音がした。振り返る。
「おはよう、アルハイゼン」
「おはよう」
「君、低血圧だろ。もう少し早く起きないと遅刻するぞ」
「遅刻はしない。いつも早めに行って知の殿堂にいるだけだ」
「ならいい。席に着いたら食べれるようにしておく」
 アルハイゼンが身支度を済ませる間に朝食の支度が済む。
 二人で食べ始める。
「そういえばそろそろヒートなんだ」
「……ああ」
「絶対覚えてただろ君。今の間はわざとだ」
「うん」
「おい、朝からポンコツになるな。とにかく、休暇の申請をしておいてくれ」
「詳しい日付は分かるか」
「さあ? 初めての本格的なヒートになるだろうから……うーん。ピルも飲んでないし」
「は?」
「なんだよ」
「いや、待て、カーヴェ」
「あ、子どもがまだいらないなら、今からでもピルを飲めば間に合うと思うぞ」
「違う、違う、カーヴェ、落ち着け」
「急にポンコツになるな書記官殿」
「その言い方は止めろ。正気か?」
「この上なく正気だ。酒は入ってない」
「ああ、うん」
「大体、僕自身初めての本格的なヒートでどうなるか分からないし、ピルはまあ、飲まない方が君が喜ぶかと」
「それ以上はやめてくれ」
「飲んだ方がいいか?」
「飲んでくれ。まだ子を持つには早い」
「理性的かつ合理的だな」
「育休制度を作らせてくれ」
「前からなかったか?」
「あれでは足りない」
「そうなのか。よく知らないが」
「あと君は軽率な行動と発言は控えろ」
「それは同じことを返すが?」
「俺はいい」
「横暴だな」
「あと結婚してない」
「書類提出してなかったか?」
「あれは番になるにあたっての公的文書だ」
「ふうん」
「君は番と婚姻を混同している」
「実際よく分からないからな」
「ああ……」
「気が遠くなるな。らしくないぞ」
「君の前だけだ」
「そうか」
「とにかく、プロポーズはする。君は何もするな」
「何でだ?」
「番の、申し出が、君からだったから」
「根に持ってるな」
「当たり前だ。大体、俺は一度、君を逃してしまったからな」
「それ関係あるか?」
「番と婚姻で縛れば君は逃げないだろう」
「今でも逃げない」
「あとは、結婚式だが」
「プロポーズの先の話だろ」
「友人だけとする」
「言葉が足りない」
「旅人の仲間たちはアルファばかりだから君を見せたくない。というか本当に君があの壺、洞天でアルファたちと過ごしたかと思うと全員首を落としたい」
「落ち着け、旅の仲間だろ」
「だとしても、だ」
「何を納得させようとしてるんだ。何も納得する要素がない。あと、彼らは相談に乗ってくれたんだから邪険にするな」
「大体、君はあそこに行って無理矢理襲われたり噛まれたりすると思わなかったのか」
「あの旅人の監視があった上でそんな奴はいないだろ」
「いる」
「信用してやれ」
「手足を切り落として君を監禁出来たらいいんだが」
「その割に、僕が仕事で飛び回ってるとちょっと嬉しそうにするよな」
「当然だ。個人は自由であるべきだ」
「矛盾してるぞ」
「兎に角、有給はとる」
「夢で、ナヒーダが、番なら番の休暇を作ったわ、って」
「待て。何故その名前で親しく呼んでいる」
「洞天」
「彼女はアルファだろう」
「いや自国の神様だろ。友達になったけど」
「カーヴェ、頼むから軽率な行動と発言は控えてくれ」
「さっきも同じこと言わなかったか?」
「繰り返させろ」
「ナヒーダは"番のヒート休暇"なんてものをどんな名前にしたんだろうな」
「頭が痛い」
「痛み止め飲むか?」
「要らない。ああクソ、そんな事したら君がオメガだと周囲にバレる」
「バレてるだろ。君の態度は分かりやすいぞ」
「そんな事はない」
「あ、そろそろ時間じゃないか」
「ああ、そうだな。行く」
 アルハイゼンは支度をした。そして、お見送りをしに玄関に来たカーヴェのうなじを触る。そこにはハッキリと歯形が残っていた。それを指先でしっかりと確かめて、言うのだ。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
 さあ、いつもの朝だ。

- ナノ -