桜の夢と青いパティサラ/アルカヴェ/花吐き乙女パロ
ティナリ/コレイ/セノ/旅人(空)/パイモン/ナヒーダもいる。

!カーヴェの出生捏造!
!ていうか捏造しかない!
!二次創作です!


 誰が誰に恋したところで、誰の邪魔にもならないなら、その恋をどうしたっていい。ただ、その恋を振り翳し、凶器となろうものならば、カーヴェは絶対に許さない。

 教令院の隅、こほこほと花を吐く女子生徒の背中をカーヴェは摩る。
「呼吸を意識して、落ち着いて……」
 女子生徒はやや落ち着いてくる。カーヴェは女子生徒の吐いた花を素手でかき集めて袋に詰めた。周囲には何人かの生徒たちがいる。皆が切なそうに、でも優しい顔をしていた。カーヴェはその中でも、穏やかに言う。
「大丈夫。他の人には知られていない。きみがカミングアウトを決断しない限り、僕らがサポートする。そう決めただろう」
 女子生徒はこくんと頷いた。カーヴェは赤い上着の裏から吐き気止めの錠剤を出す。他の生徒が水を汲んできた。女子生徒は薬を飲む。そして、言った。
「ありがとうございます、カーヴェさん」

 嘔吐中枢花被性疾患。通称、花吐き病。どの地域にも少しだけ症例が確認される病だが、スメールだけは他の地域より発症率が高かった。だが、その実態は浸透していない。何故なら『花吐き病になったら妙論派へ』という伝説じみた慣例だけがスメールに広がっているからだ。
 妙論派は花吐き病について古くから調べている。他の学派は投げ出したそれを拾い上げたのが、冷遇されがちな妙論派だったのだ。
 そして、妙論派の中でも、花吐き病を研究するチームが秘密裏に結成されている。"古来花研究会"。表向きはそう言う名前になっていて、古来種の花をスケッチするような研究会として、年に一回の展示会も開いていた。
 そして、カーヴェは卒業生ながら、その古来花研究会に毎日顔を出している。なぜなら、カーヴェが花吐き病患者であり、症状が謎の寛解していることからである。
 花吐き病が寛解している人間は少ない。しかし、寛解した人間や、完治した人間でなければ、花吐き病患者のサポートは厳しい。
 花吐き病は吐いた花を触ることで感染する。いちいち手袋をした物々しい集団がいては目立つことこの上ない。さっと助けるなら、素手で嘔吐花を触っても大丈夫な人間に限られてくるのだ。
 全くもって厄介だ。カーヴェは思う。
「カーヴェさん」
「ああ、どうかしたかい?」
 花を吐いた女子生徒を研究会のベッドで休ませていると、上級生の生徒が駆け寄ってくる。
「クラクサナリデビ様がお呼びです」
「分かった」
 カーヴェはさっさと向かった。

 クラクサナリデビ様はカーヴェが来たことを知ると人払いをした。あっという間に下がった人々、二人きりの空間で、ようやくカーヴェは顔を上げる。
「お呼びですか」
「貴方にはいつも助けられているわ」
「いえ、この病が寛解している以上、妙論派の人間として、やるべきことをやっているだけです」
「でも、貴方の仕事に影響があるでしょう」
「それでも、苦しむ人々を救うのが先決です」
「ええ、そうね。せめて、貴方の、病が完治したらと、思うけれど」
「クラクサナリデビ様」
 カーヴェは穏やかに言う。
「悲しい顔をされないでください。僕は寛解しています。きっと、このまま、病で死ぬことはないでしょう」
 カーヴェの微笑みに、クラクサナリデビ様は傷ついた顔をする。だが、そうねと口にした。
「貴方の、病は、ずっと、奥底に沈んだ。きっともう、花を吐くことも、無いでしょう」
「はい」
 では、要件を言いましょう。クラクサナリデビ様は決心したようだった。
「生論派のティナリは知り合いね」
「はい」
「彼が病について興味を示し、サンプルを欲しがっているの。万が一、感染したらいけない。他の生徒では、見識が足りない。そもそも、言ってはならないこと、を言う可能性がある。その点、貴方なら深い知識と体験がある。そうでしょう」
「はい」
「くれぐれも、貴方自身が患者だとは知られないように」
「はい」
「わたくしからの使者として手紙を書いておくわ。いつがいいかしら」
「では……」
 カーヴェは日程を調整した。

 仕事の打ち合わせをしてカーヴェはアルハイゼンの家に帰る。まだ家主は帰っていない。夕暮れ、薄暗い部屋の中、電気をつけて、上着を脱いで部屋着になる。夕飯を作ろう。カーヴェが不規則な仕事のため、食事当番は決まっていない。早く帰った方が夕飯係である。
 テキパキと家事をする。風呂を沸かし、洗濯をし、料理を作る。慣れたものだ。カーヴェはさくさくと作り上げていく。
 がちゃり、鍵の音がした。こつこつと歩く音がする。カーヴェは振り返った。
「おかえり、アルハイゼン」
「ああ、ただいま」
 今日も定時で帰ったらしいアルハイゼンは部屋着になるべく、自室へ向かった。全くこちらをチラリとも見ないが、返事をしているあたり変に律儀である。というより、教育が良いのだろう。カーヴェは調理に戻った。
 夕飯を共に食べて、打ち合わせでの話をして、たまにアルハイゼンが話の内容で気になることを言う。風呂に交代で入り、読書をするアルハイゼンを放置して、自室へ向かう。
 カーヴェの部屋は花の写真と絵で溢れている。床は模型、机の上には描きかけの花の絵、図面台には設計図。アンバランスだが、それがカーヴェという男の全てだった。
 カーヴェが花吐き病を発病したのは学生時代。残念ながら、いつ感染したかは不明だ。昔から花のデッサンをしていたので、何らかの形で触れたのだろう。で、発病のきっかけは通常の花吐き病と変わらない。恋だ。ただの片思いではない。片思いを拗らせて、もうだめだと思った瞬間に真っ青なパティサラを吐いた。その花は、研究会の手で保護され、カーヴェの自室に、ガラス瓶の中で、飾ってある。
 で、その片思いを拗らせた相手がアルハイゼンなのだ。

 まあまあ、苦しんだと思う。カーヴェは真っ青なパティサラを見るたびに思う。だが、カーヴェはある日突然、花を吐かなくなった。何故かは、カーヴェ自身、分からない。ただ、ある日突然、砂漠にいたら、恋心というものが夜の砂漠のようにすうっと冷えて、砂底に沈むように落ちていった。それ以来、カーヴェはアルハイゼンを見ても花を吐かないし、思っても吐かないし、何より、恋を体験できなくなった。愛情はある。でも、恋は、深く深く、砂の底に沈んでいった。それだけだ。

 なお、アルハイゼンはカーヴェが花吐き病とは知らない。カーヴェが確実に隠したこと、当時の研究会のサポート、それらで知られなかった。今となってはとても良いことだったとカーヴェは思う。そうでなければ病の寛解はもっと遅かっただろうから。

 ティナリの元には来週行くことになる。資料を作成し、サンプルとなる花を選ばなくてはならない。花吐き病の嘔吐花は枯れることがない。形の良い嘔吐花は研究会が一時的に保護し、当事者との相談の上で、研究会が研究用に保管している。サンプルとして差し出すには充分な量があった。
 どの花がいいかな。カーヴェはアルハイゼンが入ったことのない、自室の壁を眺める。花、花、花、花。それらは全て、研究会に保存してある花と、カーヴェ自身が吐いた花の保存写真や絵画だった。
 どうせティナリに見せるなら、と思う。この世にもう無い、古来種にしよう。その方が、研究会の、古来花研究会という名前に信憑性がつく。カーヴェはそう結論つけて、眠った。


・・・


 桜の花の夢を見た。


・・・


 ティナリのいるガンダルヴァー村に向かう。レンジャーたちに迎えられて、ティナリとの待ち合わせの場所に行った。
「まさかクラクサナリデビ様の使者がカーヴェとは思わなかったよ」
 彼は耳を揺らして薬草茶を淹れてくれた。カーヴェはそうだなと笑う。
「僕もまさかティナリがこの病に興味を持つとは思わなかった。病、というより、花の観察かな?」
「そうだよ。村に花吐き病患者はいないし、純然たる興味というか……こんなことになるとは思わなかったんだけれど」
「クラクサナリデビ様まで話がいく、だなんて?」
「そうだよ。古来花研究会のことも初めて聞いた。カーヴェはもう卒業生だよね?」
「妙論派の卒業生だからこそ、さ。研究会の人数は少ないからね、それに自分自身の研究もある。皆、予定がなかなか合わないのさ」
 するすると言葉が出てくる。嘘では無い。だが、真実を言うわけにもいかない。カーヴェは嘘が下手だが、花吐き病に関することだけは別だ。
「とりあえず、資料はこれだ。で、ひとつ、完全なサンプルを持ってきたよ」
「完全な?」
「花吐き病患者の吐く花は完全な花ではなく、花びらの事が多いんだ」
 そっと出したのは真っ赤な薔薇だ。それも、原種に限りなく近く、絶滅している筈の、図鑑の中だけの花。花弁が少なく、匂いも少ない。まあ、ガラス瓶の中なので、匂いはしないはずだが。
 ティナリは目を丸くして、ガラス瓶を受け取って観察した。
「凄いね」
「とりあえず、その花は絶対に素手で触らないこと。というか、ガラス瓶から出さないこと。もしガラス瓶が割れたりして外に出てしまったら、研究会に連絡してあげてくれ」
「うん。もちろん」
「不要になったら、それもまた連絡だからな! 受け取りに来るよ」
「分かった」
 ティナリはこくんと頷く。目が輝いていて、見慣れぬ古来種に感激しているらしいと見えた。やはり、病のことは頭の隅に追いやられたようだ。カーヴェは苦笑する。
「その他、何かあれば研究会か、クラクサナリデビ様へ連絡してくれ」
「うん」
 じゃあ帰るよ。カーヴェが席を立とうとすると、ティナリは待ってと口にした。カーヴェが振り返るとティナリは、あの、と口にした。
「コレイに会って行ってくれないかな」
「え?」
「カーヴェに会いたがっていたんだ。旅人関連じゃないかな」
「あー、壺だっけ」
「それ。カーヴェもどうにかして招きたいってさ」
「何だ。内容がわかってるじゃないか!」
「でもカーヴェと話すしかないでしょう?」
「まあ、そうなるね」
 カーヴェが座り直すと、ティナリはコレイを呼び、入れ替わるように部屋を出て行った。

 目の前にはコレイがいる。
「あのっカーヴェさんっ」
「うん」
「えっと、その、」
「ゆっくりでいいよ」
「壺には来れない、んだよな?」
「そうみたいだね」
「だったら、村に泊まってくれないか?」
「それは駄目だよ」
「どうしてだ?」
 そうだなあとカーヴェは苦笑する。
「いくら何でもコレイと夜通しお喋りしたら嫌な噂が立つよ」
「それは! そうかもしれないけど……」
「何か話したいことがあるのかな」
「い、いっぱいあるぞ! だって、カーヴェさんは、なかなかスメールシティから出てこないし……」
「借金があるからねえ」
「行っても砂漠」
「仕事だね」
「村は?」
「駄目」
「何でだよお……」
「ごめんね。でも、村はレンジャーたちがいる。少しずつ会話していけばいいさ」
「う、うん……」
 そして、コレイとカーヴェは分かれて、カーヴェは帰路についた。
 村に滞在しない理由。それは個人の感情ではない。この村は花吐き病が長いこと発病していない地域の一つだった。だから、完治ではなく、寛解状態であるカーヴェが長期滞在するわけにはいかないのだ。
 病を村に振り撒くわけにはいかない。カーヴェは強く願った。

 帰ったらシティ内の現場を少し回った。指示をし、あれこれ改善する。案を出す。そして、帰宅だ。
 今日はアルハイゼンの方が早く帰っていた。明かりのついた家に鍵を使って入る。
「ただいま」
「おかえり。遅かったな」
「現場を回ったんだ」
 嘘では無い。でも、病のことは言わない。
「……そうか」
 ティナリからアルハイゼンに話が渡っても、クラクサナリデビ様の使者である。研究会の一員とは言っていない。それに、研究会の一員とバレても患者とは確定しない。さらに、病がバレてもカーヴェには関係ない。
 どうせアルハイゼンはカーヴェに恋をしない。カーヴェの恋もまた、もう砂の底だ。


・・・


 桜の花の夢を見た。
 女性が静かに泣いていた。


・・・


 カーヴェは馴染みの酒場にいた。酒を飲み、絵を描く。落書きだが、スケッチブックと画材は持参だ。だいたいは花の絵だ。酒を飲んだら花の絵が描きたくなる。スメールでは見たこともない花が多い。実際、カーヴェ自身、どこで見たか覚えのない花もある。後から、図鑑で同じ花を見ることがある。
 何故か、カーヴェは花の絵を描く。ずっと花に取り憑かれている。無言で描き続ける。そう言う日はなかなか酔い潰れない。単純に酒を飲む量が減るからだ。マスターは何も言わない。ここのマスターはカーヴェが病だとは知らない。だが、カーヴェの描いた花の絵の、きちんと彩色まで施したものを、幾つか買い取って酒場の壁に飾ってくれている。
 そろそろ店仕舞いだ。カーヴェは残り少なくなった客を眺める。大体が寝こけている。平和だ。カーヴェは微笑んだ。
「カーヴェさんお金は払うかい」
「払うよ」
「絵でいいよ」
「そういうのは絵を受け取ってから言ってくれ」
 モラを払って、カーヴェはスケッチブックと画材を手に、アルハイゼンの家に戻った。

 家主は常ならとっくに寝ている。しかし今日は電気がついていた。何でだろう。不思議に思いながら、鍵を開けて扉を開く。
「ただいま、おっと、寝てる」
 小声で言う。どうやら夕食後に読書していたら寝てしまったようだ。カーヴェは仕方ないやつと苦笑する。スメールは温暖な気候だ。だが、夜はそれなりに冷える。砂漠ほどではないが。
 とりあえず薄手の毛布を持ってきて、肩に掛ける。これで良し。カーヴェは自分の分の夕食が無いことをきちんと確認してから、コーヒーを入れる。こんな時間だが、趣向品が飲みたくなる日もある。明日は午前中に予定を入れていないので、寝坊しても良かった。
 コーヒーを淹れた。一杯分のコーヒーとは淹れにくい。いつも二杯作っている。アルハイゼンがいれば、彼に渡すし、いなければ二杯飲めばいいだけだ。マグを机に移動させる。椅子に座って、スケッチブックと画材を広げる。
 さらさらと花の絵を描く。まだ少し酔いが残っていた。コーヒーを度々飲みながら、描き続ける。これは真っ青なヒナゲシだろうか。
 ことん。音がした。目の前の席にアルハイゼンが座っていた。本も手にせず、コーヒーを飲んでいた。その目は、カーヴェを見ている。おぼろげな目だった。ああ、あまり意識がないな。カーヴェは思う。たぶん、コーヒーの匂いに釣られたのだ。
「寝るなら風呂に入れよ」
「きみが先に入ればいい」
「僕は後でいい。なんなら朝でもいい。きみは明日仕事だろう」
「ああ」
「じゃあさっさと風呂に入って寝ろよ」
 カーヴェはスケッチブックに視線を戻す。手を動かす。ああ、青いヒナゲシ。そんなもの、あっただろうか。花における色というのは重要な要素だ。解析すると、色に関するデータがある。そこに意図的かのように欠落したデータがある。花の色はそうして、多彩なのに、その花においては絶対に存在しない色の花、というのがある。それらを全て無視するのが、芸術であり、花吐き病患者の嘔吐花だった。
「きみは」
「何だよ」
「……何故」
「は?」
「何で花を描くんだ」
 ふむ、とカーヴェは思い出す。昔から花の絵を描いていた。だから、共同研究をしていたアルハイゼンも、カーヴェが花の絵を沢山描いていることを知っている。だが、だから何だというのだ。
「ただ描きたいからだろ」
 それだけだ。
 カーヴェの答えに、アルハイゼンは何も言わずに風呂に向かった。彼はコーヒーを全て飲んでいた。早いな。カーヴェは首を傾げた。まあ、いい。花の絵を描こう。


・・・


 桜の花の夢を見た。
 女性が静かに泣いていた。
 男性が静かに去っていく、その胸には白い手紙。



・・・


「カーヴェ」
「あれ、セノ? どうしたんだ?」
 教令院でセノに話しかけられる。人の少ない廊下とはいえ、大マハマトラに話しかけるのはなかなかに目立つので、お互いらしくない行動ではあった。
「今度、ティナリのところに行くんだが」
「もうそんな時期か。いいんじゃないかい?」
「コレイへの手土産を共に選んでくれないか」
「いや、それは自分で選ぶべきだろ」
「正直、あの年頃の少女が何を喜ぶのか分からない」
「僕も男なんだが?」
「俺よりは芸術に詳しい」
「……何を贈る気だったんだ」
「花を」
「花?」
「花束がいいかと、旅人たちに言われた。だが、実際に花屋を見ると花が多すぎて迷ったんだ」
「いやそれなら旅人たちと選べばいいだろ」
「彼らも忙しい」
「僕は?」
「忙しいか?」
「失礼すぎないか? まあ、コレイに贈る花なら選ぶ手伝いをするよ」
「助かる」
「じゃあいつがいい?」
「明日の午前中はどうだ?」
「構わない。じゃあ花屋の前で」
「ああ」
 カーヴェはそうしてすたすたと歩く。その背を、セノはやや眺めてから、気のせいかと戻った。

 ひらり、桜の花びらが、溶けて消えた。

 アルハイゼンの家。家主より早く帰ったので家事をする。淡々とやるべきことをこなす。やがて家主が帰ってきた。おかえり、そう振り返ると、アルハイゼンに続いて旅人の少年とパイモンがやって来た。友人を夕飯に招くなんて珍しい。カーヴェはいらっしゃいと二人を出迎えた。幸い、夕飯は多めに作っていた。きっと、足りるだろう。

 そんなカーヴェの背中を、アルハイゼンが見つめている。旅人は眉を寄せ、パイモンだけが、カーヴェの元へと飛んで行った。

 夕飯はカレーだ。机に椅子を増やして、アルハイゼンの隣には旅人の少年、カーヴェの隣にはパイモンがいた。沢山食べるパイモンの頬についた食べかすを拭ってあげる。カーヴェは、とても穏やかにパイモンを見ていた。食べる時に一生懸命になるところが大変好ましい。
 旅人は他の地域の話や、スメールでの話をする。アルハイゼンはいつも通りに気になることにだけ口を出す。カーヴェはパイモンを見つつ、旅人の話に相槌を打った。

 さて、夕飯を終えたら、時間も遅い。泊まっていくかいとカーヴェが言った。アルハイゼンは何も言わない。旅人はいいのと驚いていた。
「アルハイゼンのやつが連れてきたんだから大丈夫だろ」
「でも、カーヴェは?」
「僕は別にどちらでも。でもこんな夜中に少年たちを外に叩き出すのは、大人としてどうかと思うね」
「えっと、じゃあ、泊まらせてください」
「オイラも!」
「うん。じゃあ僕の部屋かな」
「えっ」
 旅人が戸惑う。カーヴェはきょとんとした。
「だってアルハイゼンの部屋は本だらけだぞ。あとこの家に客間はない」
「無いんだ……」
「僕の部屋は一応模型があるけど、まあ、ベッドからは遠ざけてあるし、大丈夫じゃないかな。壊しても直せばいいし」
「そう、なんだ……」
 旅人は神妙な顔をして、ちらりとアルハイゼンを見た。何だろう。カーヴェも振り返って見てみたが、いつも通りに読書している。
「じゃあ風呂に入ってくれ、寝間着はあるかい?」
「あるよ」
「パイモンは?」
「あるぞ!」
「うん。じゃあ、入っておいで」
 風呂の使い方を一応説明し、リビングに戻る。すると、アルハイゼンが本を閉じてカーヴェを見ていた。独特な目がカーヴェだけを見ていた。どこか、視界が霞む。
 砂。
「何故、旅人を部屋に泊まらせる?」
「何故も何も。客間がないからどちらかの部屋に泊まってもらうしかないだろ。あと旅人だけじゃない。パイモンもだ」
「……同じベッドで寝るのか」
「そりゃ、部屋に一つしかベッドはないからな」
「……ソファは」
「きみはなあ。友人をソファに寝させるつもりか」
「友人」
「きみの友人だろ? 数少ない友人なんだから大切にしろよ」
「人付き合いは最低限でいい」
「それなら尚の事、今の友人を大切にしろ」
 全くと夕飯の片付けをする。そうしていると、背中に声をかけられた。
「友人でいいなら、俺とも一緒に寝るのか」
「はあ?」
 カーヴェは息を吐いた。
「何でベッドがちゃんとあるのに、同じベッドで寝るんだ」
「……」
「きみの部屋について述べたのが気に入らないのか? 掃除しろと言うのはきみだろ」
「……ああ」
「ったく、何が不満なんだ」
「別に」
 本を開いたアルハイゼン、何なんだと、カーヴェは夕食の片付けに戻った。

 しかしアルハイゼンの目は、またカーヴェの背中を見ていた。

 風呂から出たカーヴェは旅人とパイモンを部屋に招く。すると二人は驚きの声を上げた。床の模型も、図面台も、花の絵も写真も、こんなに多くはなかなか見ないだろう。キョロキョロと歩き回る彼らに、カーヴェは子供らしいと微笑む。彼らが夢中になっている間に、ベッドにクッションを並べた。
 就寝だぞと声をかけると、壁にカーヴェ、真ん中に旅人、外側にパイモンと並んだ。電気を消して、部屋を暗くする。パイモンはすぐに寝た。旅人もきっとすぐ寝るだろう。カーヴェが思って目を閉じていると、ねえと、声をかけられた。
「ねえ、カーヴェ」
「ん? なんだい?」
「好きな人がいるの?」
「また突然だな。恋バナかい?」
「そんなところ。ねえ、好きな人、いるの?」
 うーんとカーヴェは少し間を作った。
「昔はいたよ」
「今は?」
「分からないな。分かんなくなっちゃった」
 旅人が瞬きをしていた。こちらを見ている。カーヴェも見てみる。
「もう恋が分からなくなったんだ」
「どうして?」
「さあ?」
「いつから?」
「いつだったかな」
「答えて、カーヴェ」
「んー、砂漠を歩いてた時だよ」
 あの時の、冷えた感覚がわずかに思い出せた。
「急に冷えて、恋というものが、砂の底に沈んだ。それはもう、戻ってこない」
「……」
「僕としても、沢山苦しんだからね。もういらないよ。あんなもの」
 ああでも。
「人が恋をしているのはとても輝かしいね」
 旅人がひどく傷ついた顔をする。泣きそうだ。そっと頭を撫でた。旅人は言う。
「俺、空だよ」
「うん」
「空って呼んで」
「空」
「俺、カーヴェが好きな人を思う気持ちを取り戻したい」
「そんな事するより、空にはやるべき事があるだろう?」
「だって、カーヴェは……」
 ああ、と気がついた。旅人は、空は、花吐き病を知っているのか、と。だから、体を横に向けて、空を抱きしめた。
「大丈夫。僕のことは気にしないで。今、この状態だからこそ、助けられる人たちがいるんだ」
「そんなの、カーヴェ自身を犠牲にしてるだけだよ」
「してないよ。出来ることをしてるだけだ」
 それだけ。もうお休み。
 カーヴェが告げると、空は黙って。カーヴェの薄い胸に擦り寄ったのだった。


・・・


 桜の花の夢を見た。
 女性が静かに泣いていた。
 男性が静かに去っていく、その胸には白い手紙。
 桜の花が咲いている。ひらひら、ひらひら。


・・・


 翌日。カーヴェが目覚めると空はもういなかった。パイモンが目をこすりながら起きたので、先にリビングに行かせて、カーヴェは寝間着から着替えて部屋を出る。
 すると、朝食を作るアルハイゼンと、ソファにいる空がいた。パイモンが不可解そうにしている。
「空、パイモン、どうしたんだ?」
「あ、カーヴェ! なんか旅人とアルハイゼンの様子がおかしいんだぞ!」
「おはよう、カーヴェ」
「おはよう」
「うん、おはよう」
 空は立ち上がり、パイモンを連れて、もう行くよと言う。もう少しいればいいのにと言えば、調べたいことがあるからと出て行った。見送って、首を傾げる。
「アルハイゼン、何かあったのか?」
「何もない」
「いや、そんな雰囲気じゃないだろ」
「さっさと席に着け」
「あ、おい!」
 そのまま黙々と食べ始めたアルハイゼンに、カーヴェはとりあえず朝食を食べたのだった。

 身支度を済ませ、アルハイゼンが出勤するのを見送る。カーヴェ自身も、しばらくしてから花屋へと向かった。

 セノがいる。たったと駆け寄れば、助かると言われた。まだ選んでもないと笑うと、まあそうだなと言われた。
 花屋には様々な花がある。
「どんな雰囲気がいい、とかあるのか?」
「特には無いが、子ども向けか?」
「あー、なるほど。うーん」
 女の子は早熟だ。特に精神において顕著である。コレイぐらいの年頃なら余計にそうだろう。よってセノの偏見による意見は却下である。
「色は?」
「……緑?」
「なんで?」
「髪が」
「ちょっとその思考は捨てろ」
 思わずカーヴェは言った。
「あの髪色に合わせるなら黄色。向日葵がオススメだ。できれば小さな向日葵がいい。ええと、あっちの品種。あとスプレーの白いカーネーションを添えよう。花言葉は二の次だ」
「花言葉?」
「花には意味があるんだ。でもまあ、今回は考えないことにしよう。厄介だからな」
「ふむ」
「店員さん、いるかい?」
 あれこれ花を合わせて相談し、セノが気に入った組み合わせで花束を作る。小さな花束だが、充分だろう。向日葵の花束だ。
「これから村に?」
「ああ。そうする。花が保たないかもしれない」
「一応、水元素の包みはされてるけど、まあ早めがいいな! ちゃんと運ぶんだぞ」
「勿論だ」
「うん、それでいい」
「カーヴェ、助かった。ありがとう」
「どういたしまして。友人の手伝いができてよかったよ」
 カーヴェが笑う。セノはややじっと、カーヴェを眺めた。
「カーヴェは」
「うん?」
「花に詳しいな」
「ははっ、そんな事はないだろ。僕のこれは趣味の範囲だ」
「そうか?」
「でも、また花に困ったら相談に乗るよ。じゃあ行ってこい」
「あ、ああ」
 またなとカーヴェはその場を去った。研究会の方に呼ばれているのだ。午後から呼び出されていたが、早めに行ったほうがいい気がした。こう言う時の第六勘はよく信じるべきだと相場が決まっている。

 その背をセノは見ていた。セノの目は、それを見逃さない。
 ひらひら、一枚の桜の花びらが、溶けて消えた。

 古来花研究会。研究室に入ると、一人の少年が運ばれていた。市井の人だろう。この部屋で見慣れない彼は、どうやら初めて花を吐いたらしい。
 こんなに幼いのに。カーヴェは胸が締め付けられる。愛情が、溢れた。
「呼吸できるかい?」
 カーヴェの呼びかけに、少年がうっすらと目を開いた。目は潤んでいた。花の嘔吐は、通常の嘔吐と同じように、苦しいものだ。生理現状として涙だって出る。カーヴェは白いハンカチでそっと目元を撫でた。
「くるしいよ、おにいちゃん」
「そうだね」
「いたい」
「どこが痛い?」
「むねが、いたい」
「そっか」
 少年はハンカチを持ったカーヴェの手をゆるく掴み、縋る。
「なんで、ぼく、が、はなを?」
「花吐き病は知ってるかい?」
「きいたよ、おしえてくれたよ、でも、ぼく」
「許されない恋かな」
 切り込む。少年はぽろりと涙をこぼした。
「すきなの」
「うん」
「すっごくすき」
「そうか」
「だけど……」
「言ってご覧。秘密にする。絶対に誰にも言わない」
「ほんと?」
「うん。本当さ。神様に誓おう」
「……おかあさんが、すきなの」
 血の繋がらない、母親を、養母を好きになったのだ、と。
 カーヴェは目を伏せた。この類は花吐き病に珍しくない片思いだ。絶対に叶わない、否、書類上はなんとかなる。でも、倫理的に、人にとって嫌悪感が強く、また、理解されず、受けいれられず、叶うことは限りなく少ない。絶望的な状況と言える。まだ、実母ではない、血の繋がりがないだけ、少年には希望がある。でも、この年齢での発症では、おそらく、叶う前に死んでしまう。
 愛が痛い。愛情だけが、カーヴェを支えた。
「それは辛いね」
「うん」
「どうしようもないね」
「うん」
「何とか結ばれたいかい?」
「……ううん」
 少年は言った。
「おとうさんと、おかあさんが、しあわせになってほしい」
 それは、恋であり、愛であり、世界の正義である。カーヴェはぎゅっと、少年を抱きしめた。少年は、わあわあと泣いた。研究会の会員たちは、皆が、自分の病を思って、目を伏せていた。
 少年には、ビマリスタンで調合された吐き気止めと、水分補給の水。そして、栄養のためのナツメヤシキャンディを置く。離れようとしない少年が疲れて寝ると、カーヴェはそっと彼をベッドに寝かせた。全く、厄介である。
 叶いそうにない恋は寛解しか生き残る道はない。花吐き病は花の嘔吐による衰弱、花が詰まることによる窒息死、心の病による自死が主な死因だ。それらを防ぐため、恋を叶えられそうなら全力でサポートして、純白の百合を吐いてもらうという完治。もしくは、恋心を落ち着かせる寛解になる。心理学と精神医学の心得がある会員を呼び寄せて、これからのカウンセリングの指針を立てる。最も、少年とのカウンセリングの中にこそ、少年の生き残る道がある。だから、指針を固め切ることはしない。カーヴェはその話し合いを終えると、仕事のための研究室に向かった。
 妙論派の研究室のひとつ。カーヴェが貸し切っているそこは、様々な利用者がいる。というか、カーヴェが貸し切っていることはそれこそ一定以上の地位の学者や賢者、あとまあ書記官であるアルハイゼンとか、大マハマトラのセノぐらいだろうか。でも、だとしても"何故"貸し切っているのか、までは彼らは知らない。知るのはカーヴェと古来花研究会、そして、利用者だ。
 カーヴェが図面を引いていると、ノック音がした。時間ぴったりだ。どうぞ、と口にする。ゆっくりと扉が開いた。
 彼は知論派の卒業生の青年だ。静かに入室する。
 この部屋の利用者。つまり、彼らはカーヴェのカウンセリングを受ける花吐き病患者たちだった。
「久しぶりだね」
「はい。カーヴェ先輩」
「畏まらなくていいよ。いつも通りでいこう」
「はい」
「体調はどうだい?」
「変わりません。毎日、花を吐きます」
「そうか。ここ最近で思い出せる花は?」
「今朝は薔薇の花を吐きました」
「そう」
「真っ赤な薔薇でした。夢を、見たんです」
「夢か」
「あの人が出てきました。やっぱり、好きなんです」
「うん」
「何度も夢を見ます。見るたびに、自覚するんです。好きだ、好きだ、って。そう思うと、花を吐いてるんです」
「うん」
「忘却は、声から、だと」
「そうだね。一般的にはそう言われてる」
「じゃあ、まだです。僕はまだ、あの人の声を覚えている」
「何も、忘れることだけが寛解への道じゃないよ」
「はい。ですが、やっぱり、僕は、あの人を忘れたい。そうしないと、いけない。あの人はもう、結婚して、スメールも出てる、から」
「そう」
「忘れたい、忘れたいんです。とても、許されないのに」
 こほ、と花を吐いた。オレンジ色の花びらだった。カーヴェがそっと背中をさする。お手数おかけします。青年は頭を下げた。
「カーヴェさんはどうして寛解したんですか」
「うーん、僕の場合は原因が分からないからね。現在も研究対象さ」
「そう、でしたね……すみません」
「いいよ、別に。だからこそ、君たちの話を聞ける」
 それからしばらく、青年と話をして、カウンセリングは終わった。

 研究室から出て、鍵を閉める。書記官殿ことアルハイゼンに提出する書類があった。こつこつと歩いていると、たまに声をかけられる。それは妙論派の人だったり、友達だったり、中にはそこに紛れて古来花研究会の仲間や、患者もいた。カーヴェは友達が多いという利点がある。そこに紛れて、様々な人が話しかけやすい、いわば窓口のようなものだった。
 かくして、アルハイゼンの執務室に入る。珍しく本人が在室していたので書類を手渡そうと差し出した。
 アルハイゼンの目が、じっとカーヴェを見ていた。座っているので、自然とアルハイゼンはカーヴェを見上げている。その不思議な目が鋭くカーヴェを見ていた。思わず眉を寄せる。
「何だい?」
「……はあ」
「人の顔を見てため息を吐くな!!」
「うるさい」
「だったらさっさと受け取れ!!」
「静かにしろ」
 後ろの方でアルハイゼンの部下が慌ててるのが見える。まあ、うん。カーヴェが悪いのもあるが、アルハイゼンの機嫌も悪い。何でかはカーヴェには分からない。というか、アルハイゼンは朝からおかしかった。
「空と喧嘩したのか」
 呆れて言うと、アルハイゼンが黙る。
「きみなあ、相手は少年だぞ。喧嘩なんて」
「してない」
「だったら何だ」
「何故、旅人を名前で呼ぶ」
「はあ?」
「答えろ」
「呼んでほしいと言われたからだ。それしかないだろ」
「だったら、」
「だったら?」
「……書類を寄越せ」
「言われずとも!!」
 書類を置いて、カーヴェはすたすたと部屋を出た。
 その背中をアルハイゼンがじっと見ていたが、カーヴェは特に気が付かなかった。


・・・


 桜の花の夢を見た。
 女性が静かに泣いていた。
 男性が静かに去っていく、その胸には白い手紙。
 桜の花が咲いている。ひらひら、ひらひら。
 女性が泣く、ひらひら、ひらひら。


・・・


 カーヴェは酒場で飲んでいた。酔い潰れてもいいや、という心持ちである。どうせここの支払いはアルハイゼンにツケるわけであるので。飲みながら、隣に座った人や、マスターと喋る。たまに席に呼ばれるから、その席に座る。ガヤガヤとした賑やかな酒場だ。
 とろとろと思考が溶けていく。眠いなと欠伸をすると、聞き覚えのある足音がした。アルハイゼンだな。と思う。昨日まで機嫌が悪かったが、今日の朝には戻っていた。よく分からないが、まあいいや。カーヴェはとろとろと思う。
「おい、カーヴェ」
「んー」
「帰るぞ」
「わかった」
 アルハイゼンに背負われて、帰る。今日は歩けそうにないからだろうか。広い背中に、擦り寄って眠る。
 次に意識が浮上したのはベッドの上だった。いつもならソファに投げられるのに。カーヴェはとろとろと思う。アルハイゼンは壁を見ていた。壁を埋め尽くす、花の絵と花の写真。そして、机の上の青いパティサラを眺めていた。
 馬鹿だなとカーヴェは思う。そんなものを見て、何になる。アルハイゼンには到底理解できない。理解できたら、彼は今頃、もっと豊かな生活をしているはずだ。カーヴェを拾わず、結婚し、家庭を築くはずだ。恋を理解できない男が、恋の花たちを見て何になる。何にもならない。なるわけがない。そうだろう、この馬鹿。カーヴェは眠る。
 花はもう吐かない。恋という心は、砂漠の夜に冷えて、落ちて、砂の底。埋もれたまま。

 目が覚めた。朝、二日酔い。だが、吐き気はなかった。頭痛だけがする。変な酔い方をしたのだろうか。全く覚えがない。そういえば、夢も見なかった。起きあがろうとして、起き上がれない。重しがある。いや、これは人の腕だ。
「は?」
 アルハイゼンがカーヴェを背中から抱き込むように寝ていた。

 とりあえずアルハイゼンを叩き起こす。低血圧だったような気がするが知らん。カーヴェも頭痛がするが、そんなことより言うことがある。
「なんで僕のベッドで寝てるんだ!!」
「うるさい」
「こら! 二度寝するな!」
「休みだ」
「きみは休みだろうと僕はやることがある。退け。即刻、僕のベッドから出ろ」
「きみの仕事は申請に無かった」
「家事がしたいって言ってるんだ!」
「静かにしろ」
「うわっ」
 上半身を上げられていたのを、ベッドの中に引きずり戻される。なんだこれ、何かの技か。しっかり抱き抱えられて、動けない。何してんだこいつ。いや本当に、何してるんだ。
 全く理解できないが、アルハイゼンは二度寝を始めたし、低血圧が想像以上に酷いようだ。あとカーヴェは二日酔いの頭痛がした。洗濯と掃除ぐらいはしたかった。朝食はもういい。昼は多めに食べよう。カーヴェは諦めて、全てを放棄して、寝た。

 昼だ。今度はアルハイゼンが消えていた。何だったんだと思いながら、昼食の匂いがした。うん。扉が開けっぱなしである。絶対にわざとだ。何がしたいのかは不明である。
 カーヴェは着替えて、部屋を出た。
 シャワーを浴びて、髪を乾かした。その他、身支度を済ませて昼食の席に着く。アルハイゼンが並べた昼食を無言で食べた。アルハイゼンも無言である。とりあえずカーヴェはやりたいこととして、掃除と洗濯がある。あとは買い出しだが、もうそれを一人でやる時間はない。ということで。
「これは買い物メモだ」
「うん」
「買ってこい」
「ああ」
 アルハイゼンはやけに素直に言うことを聞いて、買い出しに出かけた。さて、掃除と洗濯だ。

 家事をしていると、あっという間に時間が過ぎる。アルハイゼンが帰宅したら夕飯を作り始めた。なお、アルハイゼンは読書させておいた。最近の挙動が不審なのでいつものことをしておけ、という意味である。伝わっているかは知らない。
 二人分の料理を作る。
 夕飯が出来たな、という頃に、かこん、とポストに手紙が入った。カーヴェが見にいく。この時間だと、内容はほぼ確定だ。アルハイゼンに見られないようにすぐに封を切って読む。古来花研究会からの呼び出しだ。
「アルハイゼン、仕事に出かけるから夕飯食べておいてくれ」
「今からか」
 不可解そうなアルハイゼンに、仕方ないだろとカーヴェは言う。確かにこの時間に呼び出されるのは滅多に無い。だが、カーヴェを指定しているからには、行かないといけない。
「仕事だからな」
「こんな時間にか」
「ああ、こんな時間に、だ」
「打ち合わせなら昼間にやっているだろう」
「こんな時間になることもある」
「場所はどこだ?」
「何で言わなくちゃいけないんだ?」
「送る」
「僕は子供じゃない。あと、場所は教令院だ」
「教令院だと?」
「別に打ち合わせの場所におかしくない。この時間ならまだ空いてる」
「だが」
「いいから、ちゃんと夕飯食べて、風呂入って、寝ろ。あまり遅くまで本を読むなよ。最近のきみは挙動がおかしいから、多分疲れてるんだろう。さっさと寝るんだ」
 じゃあ行ってきます。カーヴェはそう言って上着を着て手紙を持って走った。
 その背を、アルハイゼンはじっと見つめて、手を握りしめていた。

 研究会の部屋に入ると、急患がいた。まだ花を吐いている。少女だった。まだ幼い。その事実に胸が締め付けられる。
「嘔吐はいつから?」
「三十分前から繰り返してます」
「分かった。ビマリスタンに連絡。あと緊急薬を持ってきてくれ」
 花の嘔吐が止まらない場合。睡眠薬を打ち込み、眠らせることで無理やり止めることもある。というか、しなければ、窒息死する可能性が高い。三十分前からであり、花は花弁だけではなく、一輪まるごと落ちているのもあった。子どもの気道は当然狭い。一刻を争う事態だが、慌ててはいけない。カーヴェはテキパキと指示を出す。
「吐き気止めと栄養剤の点滴を用意してくれ。一番小さなパックでいい。医療スタッフは?」
「到着しました」
「点滴の針は任せる。緊急薬は僕が打つ。責任は僕だ。いいね」
「カーヴェさん、手袋を」
 花吐き病の感染の危険はないが、万が一に血液が出たら大変だ。しっかりゴム手袋をして、緊急薬を少女の腕に打った。効果は五分だ。その間に窒息死なんてあってはならない。
 カーヴェは手袋を脱いでスタッフに渡し、少女に声をかけながら背中をさする。安心感を与える必要がある。そして、恋心が体を支配している状態から抜け出すべきだ。今ここに安心できる人たちがいること、必ずこのことは秘密にすること、色々なことをゆっくりと話しかける。やがて花は止まり、少女は眠っていた。顔色は悪い。予定通りに点滴を医療スタッフが打つ。
 その頃にはビマリスタンの使者が到着したので、専門の治療を施してもらう。カーヴェは一旦、離れて、カウンセリングのスタッフや皆と話し合う。少女から情報が得られなかったので、状況証拠を的確にまとめていく。不確実を排除し、確実を残す。そうして話し合い、一旦の方針を決めた。ビマリスタンの使者はもう大丈夫と頷いた。少女はビマリスタンの使者と夜勤スタッフに任せて、カーヴェは帰路に着いた。

 辛そうな少女を一旦頭から出して、置いておく。すぐにアルハイゼンの家だ。だが、鍵を忘れたことに気がついた。やってしまった。一応、ドアノブをガチャガチャとして見ると、鍵が空いていた。
 あれ、と思って扉を開く。暗い室内。玄関から入って扉を閉めると、アルハイゼンが立っていた。
「うわっきみ、何してるんだ?!」
「どこへ行っていた」
「どこも何も、仕事だ!」
「こんな時間にか」
「だから何だ」
「きみはひ弱だからこんな時間に外に出るな」
「そりゃきみみたいな自称文弱に比べたら誰でもひ弱だ。そこを退け。ん? 夕飯は食べたか?」
「食べてない」
「馬鹿か? ほら、電気をつけて夕飯を温めるぞ。食べて、ってきみ、風呂にも入ってないだろ!?」
「きみがいないから」
「は?」
 アルハイゼンは真面目な顔をして、暗い中、その双眼でじっとカーヴェを見ていた。カーヴェだけを見ていた。
「きみがいないのは、許さない」
「はあ?」
 意味がわからん。カーヴェは呆れた。何だか後輩の挙動がおかしい。いつもおかしいけれど、とびきりおかしい。とにかく、と電気をつけて、家を明るくする。上着を脱いでソファに置いて、夕飯を温め直して、席に着く。アルハイゼンも席についた。食べるのか。
 とりあえず一緒に夕飯を食べた。風呂に交代で入り、自室へ向かう。アルハイゼンも付いてきた。嫌な予感がしたので、まずアルハイゼンの部屋の扉を開いた。
「入れ」
「何故だ」
「きみの部屋だろ!! さっさと寝ろ!!」
「きみの部屋は向こうだ」
「そうだ。そしてこっちがきみの部屋だ。寝ろ」
「そうか」
 そうして部屋に入ろうとしたところで、カーヴェは引き摺り込まれた。なんだこの自称文弱。
 そのままベッドに投げられる。何なんだ。本で溢れた部屋だ。ベッドは綺麗だが。
 そうしているとアルハイゼンが正面からカーヴェを抱き込むように寝転がる。しっかりシーツも被った。何してるんだこいつ。カーヴェはもう何も分からなかった。意味が分からん。アルハイゼンの行動が分かった試しはないが、それ以上に分からない。
 ああもう。とカーヴェは全てを投げ出して寝た。
 恋は、冷えて、砂の底。


・・・


 桜の花の夢を見た。
 女性が静かに泣いていた。
 男性が静かに去っていく、その胸には白い手紙。
 桜の花が咲いている。ひらひら、ひらひら。
 女性が泣く、ひらひら、ひらひら。
 男性は走り出す、桜の花がひらひらり。


・・・


 夢を見た。桜の花の、夢だった。ああ、とカーヴェは思う。行かなければ。あの、夢の中に。桜の中に。あの人を、助けにいかないと。
 ぼんやりと起き上がろうとして、抱きしめられていた。アルハイゼンだった。寝ている。徐々に、カーヴェの頭が覚醒していく。そして、サッと血の気が引いた。
 今、自分は、何を考えていた?
 夢を今までも見ていた。だが、夢が徐々に進行していた。これは、クラクサナリデビ様に相談すべきだろう。どくどくと、嫌な動悸がした。自分が何を、しようとしたのか。どこへ行こうとしたのか。夢から覚めたカーヴェには分からない。だが、確かにカーヴェは、アルハイゼンがいなければそこへ行こうとしていた。
 アルハイゼンに夢を覗くなんてことは出来ないはずだ。だから、彼がカーヴェを抱いていたのは偶然だ。でも、助かったのは確かだった。ならば、今の状況に何も言うことはない。ただ心を落ち着かせて、カーヴェは二度寝する。夢は見ない。どうか、見ないでいたい。でも、二度寝しないと、アルハイゼンが起きるまで動けない。助けられたから、叩き起こせない。だから、眠る。
 どうか、桜の夢は見ないように。

 二度寝から目覚めると、アルハイゼンがカーヴェの顔を見ながら、カーヴェの髪に指を通していた。するすると、撫でられるような心地だ。
「起きたか」
「ああ、起きた」
「苦しそうだった」
「少し夢見が悪かっただけだ」
「どんな夢を見た」
「分からない。夢なんて、覚えてる方が稀だろ」
 さあ、起きて、朝食だ。時間はまだ朝だった。
「というか、きみ、仕事は?」
「午前中にさして有意義な会議はない」
「きみってやつは」
 自室で着替えて、朝食を二人で分担して作る。さっさと作って食べると、カーヴェが先に出た。ちゃんと自分の鍵を持つのを忘れない。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
 アルハイゼンの見送りって変な感じだな。カーヴェは思いながら、たったかと仕事に向かった。

 建築家としての打ち合わせを済ませて、古来花研究会に向かう。
 昨日の少女は目覚めていた。カウンセリングを担当していた女性生徒が困った顔をして振り返る。カーヴェは首を傾げた。
 席を変わる。
「こんにちは、僕はカーヴェだ」
「……」
「きみの名前を教えてもらっても?」
「……」
「分かった。教えたくないならそうしよう」
 カーヴェのその一言に、少女が目を丸くした。カーヴェは微笑む。
「言いたくないことを言う必要はない。そうだと思わないかい?」
「……あ」
「では、花を吐いた記憶はあるかい?」
「くるし、かった」
「そうだね」
「みょうろんは、に、れんらくって、ままとぱぱが」
「うん。良かった。ここは妙論派の研究会のひとつさ。きみの、おそらくきみにかかった病の研究をこっそりしてるのさ」
「こっそり?」
「そう、こっそり。秘密だよ?」
「うん、ひみつ。する」
「良かった。じゃあ……」
 とカウンセリングを続ける。どうやら片思い相手は近所のお姉さんらしい。同性であり、年齢差がある。これもまた、片思いを拗らせる花吐き病のパターンの一つだ。
 これはなかなか完治が難しいだろう。カウンセリングで寛解を目指すべきかもしれない。カーヴェが事実をゆっくりと言う。少女は叶わない恋だと、よく分かっていた。
「おねえちゃんに、こいびとができたの」
「そっか」
「かっこいいひと、すてきなひと、わたしにもやさしいの」
「うん」
「でも、おねえちゃん、とられちゃった。わたし、でも、すきになってもらえないよ」
「そう、か」
「だって、わたし、こどもだから、だから」
 こほ、と花が溢れた。一輪の白いカーネーションだ。病は急激に進行していると見える。
「きみ、率直に言うよ。病の状況が良くない」
「うん。わかるよ。ずっと、はなのにおいがする」
「そうだね。だから、ビマリスタンに入院するのはどうだい?」
「にゅういん?」
「ビマリスタンには花吐き病専門の病棟を作ってもらっている。専門医はいないが、痛みや吐き気を和らげる薬を飲ませてもらえる。そして、一時的にお姉さんと離れられる」
「……うん」
「一度、病状が良くなってから、家に帰るんだ。そうして、お姉さんを見てみよう。花はきっと、長く吐くことになる。でも、薬で大分楽になるし、何より、きみは家に帰りたいだろう」
「うん。いえに、かえりたい。おねえちゃんのすがたを、みるのは、くるしい。おねえちゃんはみたくないよ、でも、ままとぱぱにはあいたい」
「じゃあ、どうしたい?」
「にゅういんする。おかね、かかる?」
「そうかからない。安心して」
「よかった」
 少女はそう言って、眠った。
 どうやらカウンセリングはカーヴェにしか出来なかったらしい。入院してからも、カウンセリングに、カーヴェが向かうべきか。しかし、カーヴェは受け持っているカウンセリングの枠がいっぱいである。建築家の仕事も当然ある。少女を見れる隙間はない。
「今日はこのあとクラクサナリデビ様に相談したいことがある。どうか、この子と相性の良いカウンセリングができるように、僕のさっきのカウンセリングを参考にしてくれ。では」
 カーヴェは研究会を出て、クラクサナリデビ様の元に向かった。

 クラクサナリデビ様は面会してくださった。だが、予想外の先客がいた。
 ティナリだった。
「えっ、カーヴェ?」
「ティナリ、どうしたんだ?」
「カーヴェ、どうか、ティナリの話を共に」
「クラクサナリデビ様?」
 カーヴェはティナリの隣に膝をつく。ティナリはやや迷って、言った。
「サンプルとしてカーヴェが持ってきてくれた花ですが、古代種ではあるものの、このスメールのもので間違いないですね」
「ええ、そうね」
「そして、その、クラクサナリデビ様がご存知の時代かと」
「ええ、そうなるわ」
「だとしたら、花吐き病の起源は」
「それは違うわ、ティナリ」
 クラクサナリデビ様はやんわりと否定する。
「この病は各地にある。決して、スメールだけのものではない。ただ、スメールに多い、それだけのこと」
「しかし、スメールから各地に広がった可能性があるのでは?」
「それも無いわ。確実に、各地に原因はある。わたくしはそう信じているもの」
「それは」
「カーヴェ、内容を話せる?」
「ティナリは、どこまで?」
「何も」
「では、話せません」
「え、カーヴェ?」
 ティナリが怪訝そうな顔をする。だが、譲れなかった。クラクサナリデビ様はそう、とだけ言った。
「ティナリ、あなたの見解は悪いものでは無い。でも、良いものでも無いわ。花吐き病はとても繊細な病。禁忌に触れれば、患者たちは死ぬしか無いの」
「それは、どういう……」
「あなたは聡明な人よ、ティナリ。だから、この件からは身を引きなさい」
「そんな」
「意見がまとまったらもう一度来て頂戴」
「……はい」
 ティナリが去っていく。カーヴェはそれを見ない。ただ、クラクサナリデビ様を見ていた。そのまま人払いが済んだそこで、カーヴェは言う。
「夢を見ました」
 クラクサナリデビ様は目を丸くした。
「桜の花の、夢を見ました」
 クラクサナリデビ様は目を伏せた。
「そう、なの。やはり、あなたが」
「教えてくださいますか。どうして、どうして僕だけが、謎の寛解を起こしたのかを」
 クラクサナリデビ様は、一度口を閉じた。そして、言った。
「この事は、必ず、秘密に」

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