九寸五分の恋/恋愛の成就の全てを諦めてるアルカヴェ/@くっつかない/ひたすらに精神的に痛々しい感じの二人がいます。あとちょっと物理的に痛いシーンがあります。さらっと流血注意。友情出演ティナリ、セノ、旅人、パイモン。
※これは二次創作です。
※夏目漱石『虞美人草』の要素を散りばめてます。


 正午、カフェのテーブルに旅人とパイモンとカーヴェがいた。これは旅人からカーヴェへの依頼だ。アクセサリーのデザインをしてほしい。対価はきちんと払う。その言葉に、専門外だがと言いつつも、お人好しのカーヴェは依頼を受けた。
 旅人が持参したスケッチブックと筆記具。それをカーヴェはまるで普段使いしているように巧みに扱いながら、いくつかのアクセサリーの案をまとめていく。制限はネックレス、というだけだ。旅人がどうしてデザインを頼むのか、カーヴェには全く分からなかったが、知るつもりはなかったし、必要なかった。時折、旅人が遠くを見ていることをカーヴェは知っている。人伝いに、旅人には会いたい人がいることを知っている。だから、聞かない。必要ない。カーヴェはうるさい男だと自認しているが、言うことと言わないこと、言っていいことと、言ってはいけないこと、は、ある程度分かっているつもりだ。
 パイモンはもぐもぐと無心でスメールの名物料理の数々を食べている。余程気に入ったらしい。機会があれば手作りした料理を渡してみたいものだと思う。
 かりかりと作業を進めていると、旅人はぽつんと言った。
「カーヴェは恋愛したことある?」
「また急だね」
「大人ならあるものかなって」
「そうだね、あったかもしれないし、なかったかもしれない」
 カーヴェの返事を旅人は不思議そうに聞いていた。どうやら続きを求められている。求められたら、応えねばならない。それこそがカーヴェの博愛だ。
「もう、諦めたんだ」
「何を?」
「恋とか、愛とか、そういう美しいものを」
 カーヴェはそれらを手放しに美しいと讃えられる。心からそう思える。だが、それは他人であってこそだ。カーヴェ自身は恋愛というものを諦めていた。
「きれいなのに」
「ありがとう。でもまあ、そういう外見的特徴は、本当の願いが逆に叶わないものになるんだ」
「カーヴェなのに?」
 そうだよ。カーヴェはスケッチブックから目を離さない。デザイン案を詰めていく。より正確に、正しく伝わるように。
「誰かが僕を好きになって、恋をして、愛したところで、僕がその人を好きになるかは別だろう」
 旅人は黙った。難しいことじゃないよ、カーヴェは言う。
「恋も愛も、尊いものさ。素晴らしいものさ。だって、人を成長させるものだからね。でも、それは必ず、万人が成就するものではない。全てが成就してはならない。だって僕らは世界に一人きりなんだから」
 自分と、他人、の線引きだ。カーヴェはすうっと筆記具を滑らせる。直線は、美しく、画を分ける。明暗、陰陽、天と地、なんだっていい。
「僕はそういう恋愛において、常に弱者だということさ」
 全く、嫌になるね。顔を上げて笑えば、旅人は眉を寄せて、苦しそうにしていた。ああ、泣きそうだ。でも、きっと、旅人は泣かない。会うべき人がいるからだ。
「きれいだよ」
 ほんとうにあなたはきれいだよ。旅人はそう繰り返した。

 知の殿堂。アルハイゼンが片隅に座っていると、やあと声をかけられた。遮音機能を使わずとも、基本的には静かな場所だ。故に、今は機能を切っていた。
「ティナリか」
「ここで会うとは思わなかったよ」
「其方こそ」
「僕はただの調べ物。村じゃ限界があるからね」
 きみは仕事中じゃないの。そう言われて、アルハイゼンはしれっと答える。
「必要な業務は終えた」
「ふうん。よく知らないけど、部下が可哀想」
「知らん」
「何読んでるの」
「本だ」
「そんなことは分かるよ。えっと、あれ、それって」
 ティナリは背表紙を見て、目を丸くする。
「稲妻の恋愛小説だよね。しかも古典だ」
「ああ」
「古典なのは、まあ、きみらしいけれど。恋愛物語なんて読むんだね」
「……」
 答えないアルハイゼンに、ティナリは苦笑する。
「そもそも、きみは恋愛していたのに、まだそんなものを読むんだね」
「何が言いたい」
「学生時代だよ。あれだけ一人だけに対応が違えば誰でも分かるし、まあ僕は優秀な器官が備わってるし。でも、当の本人は気がついてなかったみたいだけれど」
 ティナリは遠くを見る。懐古だ。それをアルハイゼンは言葉によって止める。
「あれは最後まで気がつかなかった」
 その言い方に、ティナリは眉を寄せた。
「その言い方は無いんじゃない。だって、彼はまだ生きている。最後なんて、」
「もう何もない」
「そんなわけないでしょ。一緒に住んでるって、知ってるんだからね」
「何もない」
 それは、単なる機会のことではない。ティナリはわかった。耳が、よく聞こえるそれが、アルハイゼンの息を、脈を、心臓を捉える。
 何一つ、動いてない。動揺は、無かった。
「本当に?」
 だってそれは、もう恋愛感情が無いということか。否、そんなわけがない。では、それは、もう。
「諦めたの?」
 あのアルハイゼンが。そう告げれば、彼は無言で席を立った。稲妻の古典恋愛小説は、彼の手の中だった。
 ふざけるな。ティナリはここが知の殿堂でなければ叫んでいただろう。だって、そんなのはおかしい。恋愛感情がそうそう簡単に、しかも、運命とも取れるように、一度離れたのがまた出会ったのに、諦められるわけがない。常人ならば、ありえないのだ。ティナリは知っている。人間がそうやって、醜くも泣いて笑って縋って落ちて、下を向いても、いつかは顔を上げて歩く姿を知っている。恋愛とは、そういう泥臭いものだ。
 だが、もうアルハイゼンは外へと出ていて、ティナリは握りしめた拳から、ゆっくりと力を抜くしかなかった。

 旅人から報酬を貰い、カーヴェはてくてくとスメールシティを歩く。仕事は家で出来るものばかりだった。でもまだ帰るには早い。のんびりと歩いていると、声をかけられた。それがここでは聞こえないはずの声だったので、吃驚して振り返る。
「えっセノ?!」
「オフだ」
「きみにそんなのあったのかい」
「事情が重なったんだ。全く、よく分からん」
「きみが分からなかったら、誰にも分からないやつだろう、それ」
「そうだな。で、どこか行くのか」
「いや特には」
「じゃあ呑もう」
「いいのかい? ぜひ!」
 ぱっと顔を明るくしたカーヴェに、セノは柔らかく微笑んだ。
 入った酒場は完全に個室ばかりのところだ。運ばれてきた酒を手に、カーヴェはいつも通りに喋っていく。セノとカーヴェはあまり知られていないものの、ほんの少しの親交があった。まあどんなものだったか、と言われたらただ同時期の学生という単純な繋がりである。単純で、浅く、気軽なものだ。カーヴェの好むそれを、セノが知っているかは知らないが、少なくとも、カーヴェにとっては心地良いのだからそれで良かった。
「それで、あいつはまたシチューをキッシュにしたんだ」
「そうか」
「汁物が嫌いならシチューが食べたいとか言うな!」
「そのぐらい知ってただろう」
「知ってたけど! あと食事中に本を読むのをやめてほしい」
「マナーの上でよくないな」
「そうだよな、僕は間違ってない」
「それは分からないが」
「セノまでアルハイゼンの味方か?」
「いやどちらかというと、スメールの大半はカーヴェに同情的に見えると思うが」
「そこまでじゃない」
「世界三大美女だったか」
「僕は男だ」
「知っている」
「うん。セノは知ってる」
 ふわふわとカーヴェは言う。沢山喋ったので酒の回りが早いのだろうな。カーヴェはぼんやりと思った。元々酒に強くは無い。ただこの酩酊感は好ましかった。
「カーヴェ」
「ん?」
 セノは少し考える素振りをしてから、カーヴェを呼ぶ。呼ばれるままに顔を上げて、そっと髪を触られた。
「少し崩れてる」
「え、本当? 直してくれるか?」
 自分ではさっぱり分からない。椅子から立ち上がって、ぺたんとセノの座る椅子の前に座り込む。そうするとセノの腕がカーヴェの髪に届きやすいはずだ。セノは痛かったらすまないと言って、そっと髪を触っていく。穏やかな手つきだ。ふわふわとした酩酊感も合わさって、眠たくなる。まだ昼間なのに。まあ、午睡に良さそうな時間ではあるが。
「あと、また、痛かったらすまない」
「ん」
 同じことを繰り返さなくても。そう言いかけて、背中にピリッとした痛みが走る。何が何だか分からずに振り返ると、セノがゆっくりと離れていった。
「まあ、頑張れ」
「はあ?」
 グッドラック。そんな満足そうな顔だったから、この友人はたまに分からないんだよなあとカーヴェは苦笑一つで許したのだった。

 ふわふわとしたまま帰宅すると先にアルハイゼンが帰っていた。定時で帰れたのだろう。ならばリビングで本でも読んでるはずだ。
「ただいま」
 そう言って自室に戻り、上着を脱いでから、軽装になってリビングに戻る。キッチンで夕飯でも作ろう。幸い、そこまでは酔ってない。包丁で手を切ることはないだろう。
 上機嫌にメニューを考えていると、おい、と声をかけられた。
「うわっ、急に後ろに立つな!」
「背中」
「は? 背中が何だよ」
「これはどうしたんだ」
 つう、と背中を指でなぞられる。さっぱり分からない。心当たりがあったかなあと考えるが、少し酔っていて頭の働きが鈍いようだ。うーんと唸っていると、アルハイゼンは言う。
「髪型が違う」
「ああ! 友人だよ」
 崩れてたのを直してくれたんだ。セノのことを思い出しながら言う。そうだ、そういえば彼は背中に何かしていた。痛みがあった気がする。
「悪戯するようなやつじゃないけど、なんか変か?」
 顔だけ向けていた体勢から、振り返ろうとした時だった。
 ガリッと、強い痛みが走った。
「痛っ!!」
「……血が」
「は? きみ何したんだ今。え、指に血がついてるけど」
「きみの血だが」
「何してんだ??」
「シャツが汚れたぞ」
「原因はきみだろ?! えっ、そんなに血が出てるのか?!」
「うん」
「きみは馬鹿か?」
「応急箱を取ってくる」
「当たり前だ!!」
 ひりひりと背中が痛む。何なんだ一体。カーヴェは汚れているであろう白いシャツを、どうやって染み抜きしようかと現実逃避した。あのふわふわとした酩酊感がすっかり飛んでいってしまったのが、惜しいものである。

 応急箱を手に取る。指ついた、真っ赤な血を、じっと見る。白い肌に、流れた血。赤、赤、赤。それはまるで処女を奪ったかのような、うす暗い恍惚があった。アルハイゼンは、他人に痛みを与えて喜ぶ人間ではない。だから、これは勘違いだ。ただ、そこにあった赤い鬱血痕が、そこに寄せられた信頼が、あの金糸の髪に触れた者への愛情が、全てが。
 これは良くないものだ。
 アルハイゼンは指についた血を適当な布切れで拭う。アルハイゼンの日常にこれはいらない。あれは結局、最後まで"特別"に気が付かなかった。もう、それがアルハイゼンへのカーヴェの答えなのだ。
 無駄なことはしない。巡る、変わりのない日常が、アルハイゼンの心に平穏をもたらす。だから、これは、何も無かったのだ。
 怪我の手当てをしよう。ただのルームメイトとして。アルハイゼンはそうして、応急箱を持ってキッチンへと歩いたのだった。

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