花嫁様は隠したがり03/カントボーイカーヴェとその周囲のすったもんだ/カーヴェ受けではある。書きたいシーンが恋愛シーンではないので特に相手を決めてません。常に余裕のないカーヴェくんがいます。あと女の子たちが強い。


!生理の話が出ます!


 薬を飲んだところですぐに生理は来ない。ただ、数値を成人女性並みにするだけであり、そしてこれは女性ホルモン剤などでもないから、体全体にまで影響するわけではない。カーヴェは知の殿堂で薬剤の本を読んで結論付けた。
 とまあ、仕事の関係で書類提出に来たついでに調べ物をして、帰ろうと去ろうとした。そしたら、やあ、と声をかけられた。ここに居ないはずの声に驚いて、振り返る。
「ティナリ、どうしたんだい?」
「少し調べ物がしたくてね。コレイには外で待ってもらってるんだ」
「あ、もしかして服でも買うのか?」
「その通り。でも僕には女性の服は自信ないし、カーヴェも手伝ってくれないかな」
 思わず息を呑む。少し怯んだカーヴェに、ティナリが気が付かないわけもなく、どうしたのと耳を揺らして不安そうにした。
「何かまずいこと言ったかな」
「い、いや何でも。ええと、服だろう? 一応僕は男性だから、そう詳しくはないぞ?」
「でもカーヴェの美的感覚は良いものだと思う。耳飾りとか綺麗だよ」
「ありがとう。でも、服を選ぶならコレイにも聞いてないと」
「勿論。で、何を調べてたの?」
 ここ、薬学の棚だよね。ティナリの言葉に、カーヴェは何も言えなかった。
 どうやら薬の本を開いていたのは察していたらしいが、何のページかまでは分からなかったようだ。見られていたとしても、何とでも取り繕うことはできる。ティナリはカーヴェ達に比較的優しいので、深く詮索もしてこないだろう。
 ティナリが調べ物をする間に、教令院の外にいるコレイを探した。ぽつんと立つコレイが不安そうに見えて、カーヴェは小走りで近寄った。
「コレイ!」
「あ、カーヴェさんっ」
「ティナリから居るって聞いたよ」
「そ、そういうことかあ」
 びっくりしたとコレイが息を吐いた。カーヴェは微笑み、さっき聞いたけどと言う。
「服を買うんだって? もし嫌でなければ手伝わせてほしい」
「いいのかっ?!」
 食いつきにカーヴェはぱちりと瞬きをする。コレイは、あの、その、とレンジャー服の裾をきゅっと掴んだ。
「カーヴェさん、きれい、だから、えっと、服を一緒に選んでくれると、うれしい。だって、自分じゃよく分からないんだ」
「そうかな?」
「そ、そうだぞ! カーヴェさんはきれいだ!」
「声が大きいよ」
「わ、悪い……」
 しょぼんとするコレイに、カーヴェは大丈夫と安心させるように彼女の頭を撫でた。
「僕のセンスを信用してくれてありがとう。きみを引き立てる服を選ぶように心を尽くそう」
「あ、ありがと、う」
 笑う彼女は愛らしい。女の子だなあ、なんてカーヴェはほのぼのしていた。

 かくして戻ってきたティナリと共に服飾の店に入る。彼女の気になる服の系統をそれとなく聞き出して選んだ店だ。
 カーヴェとコレイは上機嫌で服を選んでいく。ティナリが伝えた予算はカーヴェの頭にしっかり入っているので、問題はないだろう。ティナリは何だか仲の良い姉妹みたいだとふんわり思った。
 あと、加えるなら。今日会ったカーヴェは匂いが違った。ティナリの嗅覚でしか分からないだろうか、彼のいつも使う香油以外にもふわりと甘いような、香りがしたのだ。直接的に言うなら、まるで少女のような、花開く前の蕾のような、匂いである。
 彼が女性と会っていたのかとも思ったが、それだったら大人の女性の匂いだろうし、少女と会うにしても匂いが薄すぎる。さらに言うなら、この匂いは移るようなものには思えなかった。全く理由は分からないが、カーヴェから少女の匂いがする。薬学の本を見ていたのなら、何か薬でも飲んでいるのだろうか。しかしティナリの知るカーヴェは体調を崩さないことで学生時代から有名であった。どんなに過酷な実習の後でもさらりと平然な顔をして人助けをするのである。学派が違えど、よくそんなことができるなと呆れたものである。
 そんなような事を考えているティナリを放置して、カーヴェ指導のコレイの服選びは順調に進んでいた。あらかた決まり、これで良しと会計をする。袋を持ったコレイを確認してから、カーヴェはふとベルトに気がついた。
「あ、これいいな」
「うえっでも、それ女性向けじゃないか……?」
「大抵の装飾品なら男女どちらでも使えるよ」
 ベルトをよく見ているカーヴェに、コレイはふと彼の腰に目が行く。布で覆われているが、その腰はとても細い。えっ細すぎる。コレイは彼の体をまじまじと見た。服越しでしかないが、薄い、細い、折れそう。いや、女性ほどではない。少女なんてもっと細い。旅人とかめちゃくちゃ細い。だが、コレイの知る男性達を頭の中で浮かべた結果、カーヴェの細さに眩暈がした。
 守らねば。コレイはきゅっと決心した。これは庇護欲である。大の大人に湧く感情ではないが、コレイはこの人を守ろうと思った。
 何やら決意するコレイの横でカーヴェは気に入ったベルトを自分のモラで買った。最近多めに仕事をしているので、余裕があったのだ。酒もあまり飲んでいないことだし。
 そこでティナリに声をかけると、彼は思考の海から引き戻されたようにハッとして、終わったのかいと言う。二人の手に袋があるのを見て、買えたのならとティナリは言った。
「ごはんにしよう。奢るよ」
「え、いいのかい」
「コレイの服選びを手伝ってもらったからね」
 これは報酬さ。あ、酒はダメだよ。
 そんなティナリにカーヴェは分かってるよとカラカラ笑った。コレイは師匠とカーヴェさんは仲良しなんだなあと思っていた。

 食堂で食事をする。喋りながらも、進む食事に、器用だなあとコレイは思う。あと、カーヴェさんは一口が小さい。もぐもぐと食べながら、ああやって一口が小さいと喋りやすいのかなと考える。だが、コレイとしては美味しいものをもくもくと食べる方が性に合っている。ティナリも食べているが、彼は聞き役をしているように見えた。
「そういや最近のアルハイゼンはどうなの?」
「ああ、うん。定時で帰れてない」
「うわ、それは面倒くさそう」
「とてもね」
 コレイはきょとんとする。アルハイゼンが何だというのだろう。
 一方のカーヴェもティナリも周囲に教令院の人はいないと確認してから、言っている。
「不機嫌ならまだいいんだけど、この前めちゃくちゃ落ち込んで帰ってきてさ」
「え、アルハイゼンが?」
「たまにあるんだよ。彼も人間だよな。で、相手にすると長いから、一通り声をかけてから自室に篭ったさ」
「そうした方が賢明だろうね。口論すら出来ないアルハイゼンかあ、すごく面倒だねそれ」
「愚痴も言わないからすごいぞ。無言で何もせず落ち込んでる。あれこそ時間の無駄だろ」
「確かにきみは切り替えが早いよね」
「感情豊かなんだ」
「そうだろうなあ」
 え、待った。とコレイはもぐもぐと食べながら考える。この会話からして、カーヴェとアルハイゼンは同居しているのだろうか。同性とはいえ、折が良いとは思えない。ティナリとカーヴェのように仲良しなら分かるが、コレイは彼らからそんな話は聞いたことがない。大丈夫かな、カーヴェは嫌な思いとかしてないかな。庇護欲のままにカーヴェを眺めていると、視線に気がついたカーヴェがきょとんと首を傾げた。
「どうかしたかい?」
 きらり。カーヴェの大きな耳飾りが煌めいた。綺麗だ。カーヴェの綺麗な顔を更に引き立てるそれは、よく似合っている。どこで買ったんだろう。乙女心に気がついたのか、カーヴェはふんわりと笑った。
「この耳飾りは手作りだよ。昔作ったんだ」
「あれ、そうなの?」
「言ってなかったか?」
「うん。初耳。センスいいね」
「ふふん。だろう」
 そしてカーヴェはまたコレイを見る。
「良かったらコレイになにか装飾品を作ろうか?」
「ふえっ」
「何かリクエストはある? ピアスと指輪はやめた方がいいな。ペンダントかネックレスはどうだろう」
 適当な紙にペンを使ってさらさらとアイディアを描いていく。いくつかの案が出てきて、コレイは混乱した。しかしティナリは乗り気だった。
「いいね、僕にはよくわからないし。モラは払うよ」
「別に仕事じゃないからいいよ」
「材料費ときみの技術にはちゃんとモラを払わないとね」
「職人でもないし」
「きみのそれはすごいよ」
「うーん、なら、いいか」
 コレイはそんなやり取りを見て、ほわわと頬を染めた。師匠と仲良しなカーヴェを見ると嬉しい。師匠ならカーヴェを守れる。コレイは未熟な自分だけじゃカーヴェを守れないだろう。師匠も味方なら嬉しい。ほわほわと花を飛ばすコレイに、ティナリはアクセサリーが嬉しいのかなと微笑み、カーヴェはあれこれとコレイに合いそうな案を練っていた。
「また会ってくれるかな? その時にいくつか案をまとめておくよ。コレイ、何かリクエストはないのかい?」
「ふ、はふっ」
「食べてからでいいよ」
「ん、えっと、カーヴェさんとお揃いがいいっ」
「へっ」
 不意打ち、と言った様子のカーヴェに、コレイはだってと続ける。
「カーヴェさんのピアス、すごく、カーヴェさんに似合ってる、から」
「だったらきみに合うものの方が」
「でも! だって、その、お揃いが嬉しい」
「そうかい?」
 んん、と首を傾げたカーヴェと、様子のおかしいコレイに、ティナリが何か言う前に、コレイは更に言った。
「仲良しなら、お揃いだとおもうし、」
 えっ。ティナリは戸惑った。カーヴェは微笑む。
「仲良くなりたいと思ってくれてありがとう」
「うん」
「でも、多分異性で同じモチーフのアクセサリーは勘違いされるからやめた方がいい」
「あ、カーヴェさん男性だったな」
「うん?」
「ああ、カーヴェは綺麗だからね」
「いや、そうか? でも、うーん」
 何か嫌な事を言ってしまっただろうか。コレイはやっと失礼だったと慌てた。普通は、男性に男性だったな、なんて、つまり女性だと思った、みたいなことを言ったらいい気はしないだろう。なんならティナリならめちゃくちゃ地雷だろう。あわあわとしていると、カーヴェは、苦笑した。
「そこまで気にしなくていいよ。まあ、アルハイゼンと並んだりすると中性的って言われるし、色々あったし」
「告白とかあったよね」
「髪が長いからかな? 気に入ってるからこの長さなんだけど。あと結べると楽」
「き、切るのか?!」
「切らないよ」
「良かった……綺麗だから、切ったら、すごく勿体無いぞ……」
「あ、うん?」
「コレイ、大丈夫?」
「へっ?」
 いや、とティナリはそっと言った。
「口説いてるよ、それ」
「えっ」
「僕は勘違いしないから安心して」
「コレイは女の子なんだから気をつけてね」
「で、でもっ! カーヴェさんは綺麗だぞ!」
「まあ否定はしないけど」
「ティナリまで?」
「うん。昔から目立ってたよね。でも恋人は作らなかったから」
「あー、うん」
「恋人いた事ないのか?!」
 まあねとカーヴェは言った。
「恋人とか好い人は作らない主義なんだ」
 もったいない。そして、危うい。
 コレイは再び決意する。守らねば。
 何やら燃えているコレイに気がついたティナリが額をさする。カーヴェは女の子は恋バナが好きだなあと微笑ましかった。

 かくして、カーヴェはコレイのアクセサリー案をぽやぽや考えながら、上機嫌に帰宅した。
 したらアルハイゼンがいた。
 扉を開けたら居たので驚いて声を上げる。うるさいと言われた。理不尽である。
「なんで玄関に立ってるんだよ?!」
「きみが居なかったから」
「はあ? ていうか仕事はどうしたんだよ」
「不備のある書類が多すぎる」
「みんな忙しいんだろ。全部却下して帰ってきたのか」
「明日でもいいものばかりだった」
「そうか。きみが判断したならいいんだろうな。で、そこを通せ」
「うん」
 ここで、こいつ拗ねてると、カーヴェは気がついた。
「きみな、子どもか?」
「きみが俺を甘やかさないからだ」
「開き直るな!」
「うるさい」
「とりあえず通せ」
「それ何だ」
「ベルト。ちゃんと自分のモラで買ったからな!」
「そう」
 全くと、カーヴェはするりと横を通って室内に入る。ソファに座ったアルハイゼンを確認してから、袋を自室に置いてくる。まず、あの甘えたで拗ねてる後輩を何とかせねばならない。あれは過労の際にたまにあるやつである。それに、最近彼が辛い時に励ましてやってなかった。カーヴェに全く落ち度がないわけではない。ということで、カーヴェはリビングに戻った。
 本も読まずにむすっとしてるアルハイゼンに、待ってろと、常備してあるドライデーツを皿に並べ、コーヒーを淹れる。本を読むつもりがないなら飲み物を嫌うことはない。
 テーブルにそれらを置いて、アルハイゼンの隣に座る。少し背が足りない。よっとソファに乗り上げて、そっと頭を胸に抱く。ゆっくりと頭や肩を撫でた。
「きみはよく頑張ってるさ。今回のことも、きみが悪いわけじゃない」
「うん」
「疲れてるんだ。しっかり休めよ。まだしばらく定時で帰れないんだろう?」
「やだ」
「そう言うな。繁忙期は誰にでもある。この忙しさが落ち着けば、きみの好きなこの家に定時で帰れるぞ」
 だから大丈夫。ぽんぽんと軽く叩くように背を撫でる。アルハイゼンはさせるがままで、さらに目まで閉じている。これ重症だ。カーヴェは苦笑した。
「きみは僕の後輩だ。それも、僕と同等以上に頭の働くやつだよ。だから、この効率の低下も、うまくいかないのも、疲れてるだけだし、何よりきみのせいじゃない。いつだってそうだっただろ?」
「うん」
 そこでもぞりとアルハイゼンが顔を上げた。後輩の顔だった。
「きみは出て行くつもりなのか」
「は?」
「最近、仕事が増えているだろう。申請書が増えてる」
「不備はないだろ」
「ない。でも、」
「借金を返そうと真面目に働いてるだけだぞ」
「きみが?」
「何か問題があるか?」
「だって、きみは、借金を返したら、この家を出て行くだろう」
 いやまあそのつもりではあるが。後輩の顔をして甘えきった声で言わないでほしい。良心がめちゃくちゃ痛む。何でこんな思いをしなくちゃいけないんだ。カーヴェは遠い目をしそうになった。意識を何とか取り戻す。
「まず、僕が仕事を増やそうが勝手だ」
「うん」
「あと、借金を返すのは一般的に良いことだ」
「うん」
「さらに、借金を返す、イコール、この家を出るとはならない」
「本当に?」
「勿論」
 良かった。そう呟いて、アルハイゼンはカーヴェの背に腕を回して、優しく抱きしめた。カーヴェは胸の中のアルハイゼンの頭を撫でながら、まずいことになったなと苦い顔をしていた。
 旅人、ごめん。なんかこれ、ルームメイト解消が厳しいかもしれない。

 かくして、三度目の通院日がきた。あれからまだアルハイゼンの繁忙期は続いているが、あれだけ甘やかしたのでなんとか耐えているらしかった。今日もし甘えられても、多分カーヴェに余裕はない。ひとまず天に祈るだけ祈って、いつもの変装と合言葉で、旅人とパイモンと、モンドに向かった。
 合流したアンバーはいつもより難しい顔をしていた。詳しい話は病院で話すよ。アンバーの真剣な顔に、カーヴェと旅人はこくんと頷いた。
 いつも通りにそらで体温を述べて、血液検査をする。少し状態が良くなっています。医者は言った。
「まだ初潮には数値が低いので、安心してください」
「はい」
「ですが、とりあえず生理用品の使い方を説明しますね」
「はわ」
 いくつかの生理用品の使い方とリスクとリターンを説明される。カーヴェは混乱した。ナプキンは知っていたが、他の用品は何にも知らなかった。用途によって使い分けるのが良いでしょう。医者の言葉に、カーヴェはなんとか頷いた。
 そして診察を終えて、薬を処方されて。帰ろうとすると、ちょっと待ってねとアンバーが言った。
「まず、落ち着いて聞いてね」
「う、うん」
「モンドは人の行き交いが盛んだから、不審者とかそういう噂にはなってない」
「うん?」
「でもね、旅人は信頼されてるの」
「うん」
「で、そんな旅人がすっごく慎重に連れているローブの人物は誰だろうって、人によっては、不思議がってるんだよね」
 わあ。
「困るね」
「旅人は人誑しだからな!」
「ちょっとパイモン?」
「だから、その、今まで以上に気をつけてほしいな。本名ではないけど、カラーという名前を明かすのはリスクがあるし、顔を見せるのは当然ハイリスクだろうし、まだ心の準備も出来てないように見えるし」
「はえ、うん、はい」
 アンバーはカーヴェが半陰陽だと分かっている。そして戸惑っていることも、よく分かっている。故の、優しさである。カーヴェはちょっと泣きそうだった。赤い目が潤んでいるのをアンバーは見逃さないが、指摘はしなかった。優しさである。
「それに、誰か他に信用できそうな人はいる?」
「いない」
 これは旅人の返答である。即答であった。アンバーもだろうねと頷いている。この手の問題は彼女にとってよくあることなのだろう。
「モンドで過ごす時間は減らした方がいいね。すぐ帰る?」
「そうするよ」
「ガイアが怖いしな!」
「えっ」
 アンバーが目を丸くする。しまったとパイモンは口を手で押さえた。旅人が目を険しくする。カーヴェは泣きそうだった。
「何があったの?」
「ガイアがカラーさんに興味持ったみたい」
「ええっ」
「正直、カラーさんは病院帰りはとても繊細だから、ガイアに近づいてほしくないんだよね」
「すっごく正直に言ったね」
「絶対に二人きりにさせないように、カラーさんを一人にしないようにはしてるけど、ガイアもふらふらしてるでしょ? 神出鬼没だから、正直どこにいるか分かんない」
「まあ……」
「す、すぐ帰るぞ!」
「うん。そうだね」
 ね、と旅人に覗き込まれて、カーヴェはこくんと頷いた。

 アンバーの偵察の上で病院を出る。すぐにワープはできないんだと旅人は忌々しそうに言った。どうやらワープする際に光が放たれるらしく、この病院に迷惑をかけるわけにはいかない、とのことだった。せめて裏通りを出ないと、そう歩く旅人はきつくカーヴェの手を握っている。喋らないこと、という意味だ。返事しそうになるので、ありがたい。それに、頼りになる。心から縋っている自覚はあった。
 先を飛んでいたパイモンがふと止まる。旅人も足を止めた。パイモンがぴくぴくと耳を澄ませている。
 何かいる。ていうか、誰かいる。カーヴェはきゅっとローブの裾を握った。
 こつこつ、足音。カーヴェは目を閉じる。耳を澄ませる。記憶を繋げる。この音は聞いたことがある。ああ、誰かわかった。
「おや、こんな所でどうしたんだ?」
「やあ、ガイア。そっちこそ」
「近道しようと思っただけだぞ? あとこの先に酒場がある」
「また飲むの?」
 呆れた声がする。お酒好きなのか。カーヴェはお酒はいいよなあとちょっと思った。思っただけです。飲みたいとは言ってないです。とりあえず、帰りたい。アルハイゼンじゃないけど帰りたい。とっても帰りたい。
 ワープできないのかな。そっと旅人を窺う。まだ使えないという意味らしき反応があった。それは、とても、困る。
「そちらの方はどうだ?」
「カラーさんは飲まないよ」
 あっすごい普通に嘘ついた。話を合わせねばとカーヴェは脳に書きつけた。
「訳ありなんだろう?」
「まあね」
「信用ならないか?」
「うん」
 めちゃくちゃストレートに失礼じゃないか。カーヴェは根の善良さで、ちょっと慌てた。そんな様子がローブ越しでも分かったのだろう。ははとガイアは笑った。
「心当たりはあるからいいさ。ま、今度は食事でもしよう」
 心当たりがあるとは何だ。ええ、とカーヴェは普通にわからなかった。だが旅人は断るねとにっこり笑っている。もはやオブラートするない。え、当たりが強くないか?カーヴェがいるからです。はい。そうです。
 普段はもっと仲良しだろうな、と、このストレートなやり取りから察する。申し訳ないなと眉を下げてしまった。ガイアは怖いが、旅人にそんな対応をさせてしまって申し訳がない。落ち込むと、パイモンがそっと肩に乗って大丈夫だぞと言ってくれた。ありがたい。
 じゃあなと去って行くガイアが、そうだと立ち止まる。
「カラーさんの香りは独特だから、身分を隠すなら気をつけた方がいいぞ」
 そんな発言をして去っていったガイアに、カーヴェはぽかんとしていた。え、香り?
 旅人とパイモンは難しい顔をした。とりあえず、と裏道を出て、病院のある通りから離れるとワープした。

 いつもの中継地点である。
「スメールの人がよく使ってる香油の匂いはすると思う」
 旅人ははっきりと言った。
「でも、それで分かるのはスメール人ってぐらいだろ!」
「うん。だから、そこまで気にすることではないと思うんだけど……」
 気になる。旅人は黙り込んだ。カーヴェはそんなに特徴的な香りの香油は使っていない。香りだけならスメールでよく売っているやつである。ただ、少し値は張る。でもそんなに高い物でもない。だって毎日使う物だ。
 他に、というと入浴剤だろうか。しかし最近は疲れているアルハイゼンに任せているし、先に風呂に入るので入浴剤の香りはついてない。あとはクリームの類か?基本的に無香料を使っている。気分転換には香りのあるものを使う。スメールローズのものが好きだ。だが、それはたまに使うだけだ。日常使いではない。
 じゃあ何だ。わからん。カーヴェは困った。
「私にも分からないや。何の香りなんだろう」
「オイラもカーヴェからは良い匂いしかしないと思うぞ?」
「はは、ありがとう」
 だが、これは無視できない問題だろう。考えた結果、そうだと思った。
「ティナリに聞くのはどうだろう?」
「あ、彼なら鼻がいいね」
「ちょうど、コレイに会いに行く予定があるんだ」
「何で?」
「アクセサリーを頼まれたんだよ。次会う時までに案をまとめておこうかなって話してて。だったら、会いに行くのもいいだろうし」
「いいけど、村まで一人で行ける?」
「いや僕を何だと思ってるんだ……」
 一人で行けるよ。カーヴェは苦笑した。旅人は、何かあったらすぐに呼んでねと念を押して、スメールに帰ろうかとカーヴェに手を伸ばした。その手を取って、ふわりとワープした。

 かくして自宅である。匂いについて分からないが、ティナリに相談するのは我ながらいい案だろうと思う。口実もちゃんとある。不自然ではないはずだ。
 今日も定時で帰って来れていないアルハイゼンをやや心配しながら、冷めても美味しい夕飯を作り、一人で食べ、風呂に入り、保湿をする。部屋着で部屋を出て、そのままリビングで仕事を始めた。先日の拗ねたアルハイゼンの様子なら、帰ってきた時に姿が見えないのは嫌がるだろう。先輩だから後輩は甘やかしてやろう。そんな気持ちで、いつも通りの仕事をした。やはり、仕事をしていると落ち着く。決してワーカホリックではないが、軸というものが人間にはあるわけで。カーヴェにとって、建築士カーヴェというものは、大切な己の生きる指針だった。
 玄関の鍵の音がした。帰ってきた。振り返ると、がちゃりと扉が開いて、疲れ切った顔のアルハイゼンがいた。
「おかえり」
「ただいま」
 ペンを置いて、上着を受け取ってやる。きちんとコート掛けに掛けて、神の目も確認する。というか家の中とはいえ外していい物なのか、ていうか何で上着につけてるんだ。今更ながら疑問に思って眺めていると、声をかけられた。
「気になるのか」
「え、別に? なんで上着につけてるんだろうとは思うけど」
「どこでも同じだろう」
「まあ、きみは外で上着脱いでるところ見ないし、そうだろうな」
 夕飯食べるか、風呂に入るか、好きにしろよとカーヴェは振り返って言った。好きにするさ。アルハイゼンはそう言って風呂に行った。そっちが先か。カーヴェは疲れてるんだなあと改めて思って、仕事用の台の前に戻った。
 ガリガリと書く。シャワーの音がした。特にカーヴェの手は止まらない。頭にある物をそのまま書いていく。指定の文には少し悩む。分かりやすく指示しないと、とは、思う。
 風呂から出たアルハイゼンが髪をがしがしと拭きながらリビングにやってきた。濡れるぞと言えば、ああ、と返ってくる。だめだこりゃ。カーヴェは苦笑した。
「ソファに座れ」
「別に乾けばいい」
「さっさと乾かせば傷まないんだよ。ほら、座れ」
「……はあ」
 仕方ないという反応だったが、本を濡らしたりしたらどうすつもりなんだろうか。カーヴェは言わないものの、とりあえずソファに座るアルハイゼンの後ろに立って、優しくタオルドライを始めた。折角綺麗な髪色なんだから、丁寧に扱うべきだ。カーヴェは思う。これは美的感覚の問題なので、言わない。今のアルハイゼンは疲れ切っているので、発言は少ない方がいい。いつもヘッドホンを付けているぐらいだ。元来、静かなのが好きなのである。たぶん。
 タオルドライを終えて、髪が乾いたのを確認するように頭を撫でる。良し。そうして離れると、アルハイゼンはうつらうつらとしていた。
「夕飯は食べろよ」
「……うん」
「寝るな。ほら、立てってば」
「ああ」
 ぱちぱちと瞬きをして、ふらりと立ち上がる。そして机について、無言で食事を始めた。重症だ。繁忙期はおそらくあと数日だろう。それまでの辛抱だろうなとカーヴェは苦笑した。
「じゃあ、僕は寝るよ。おやすみ」
「おやすみ」
 そうして、去ろうとすると、ふと声をかけられた。
「いつの間に鍵をつけたんだ」
 なんで知ってんだ。カーヴェは鍵をかける音が聞こえたんだろうなと冷静に判断した。
「気分?」
「何だそれは」
「いや、プライバシーの保持?」
「鍵がなくとも君の部屋には入らない」
「知ってるよ」
 知ってるが、万が一に入られたら困る。とは言えない。だから、まあ、第一の理由を述べた。
「単に僕の心の安寧のためさ」
 アルハイゼンは眉を寄せた。納得していないらしいが、疲れているアルハイゼンは何も言わない。カーヴェはそれをいいことに、おやすみと言ってさっさと自室に戻り、鍵をかけた。

 で、翌日である。
 すっかり精神の疲れを癒して、カーヴェはアルハイゼンを見送り、身支度とアクセサリー案の書いた紙を大切にカバンに入れて、ガンダルヴァー村に向かった。

 てってことティナリの元に向かう。コレイがどこに住んでいるか知らないし、知らない方が安心だろう。たぶん。
「やあ、ティナリ」
「あれ、カーヴェ。どうしたの?」
「先日のアクセサリー案がまとまったから来たんだ。コレイはどこかな」
「少し頼み事をしてるよ。すぐに戻ると思う」
「じゃあここで待っててもいいかい?」
「どうぞ」
 適当な椅子に座って、カーヴェはふむと頷いた。話をするなら今だろう。
「なあティナリ。僕から何か特徴的な匂いとかするかい?」
「えっ」
「ん?」
 ティナリの戸惑った顔に、カーヴェは首を傾げた。予想外の反応だ。
「香油の匂いはする」
「だろうな」
「あと、たぶんハンドクリームかな」
「無香料だけどよく分かるな」
「まあ……あと他に聞きたい?」
「香油とハンドクリームなら、別に特徴的じゃないだろ?」
「というか何で聞きたいのか聞いてもいい?」
「んー、人に指摘されたんだ。特徴的な香りがするって」
 ティナリが思いっきり顔を顰めた。怒っている、訳ではないが、何やら不満そうだ。いや、これは不安だろうか。
「それ、誰に言われたの」
「あんまり知らない人」
「男?」
「よく分かったな」
「きみさあ……」
 ティナリは深いため息を吐いた。何なんだ。
「あれだけ恋愛沙汰に巻き込まれたのにまた?」
「いや、待て、今回はそういうのじゃない」
「だってそんな指摘する男、大抵はきみに告白する前兆だっただろう? アルハイゼンじゃなくても分かる」
「何でアルハイゼン、と言うまでもないか。あいつが一番巻き込まれてたもんな」
「可哀想な後輩……まあいいや。とりあえず、また恋愛事?」
「いや違う、と思う」
「本当に?」
「うん。だから、その、特徴的な匂いってやつを何とかできないかなって」
「無理だと思う」
 バッサリ言われて、カーヴェは眉を下げた。
「そこまでかい?」
「うん。多分だけど、」
「多分?」
「きみ、前からいい匂いはしてたけど、最近は違う匂いがするようになったよ」
「いやそれ何の匂いなんだ?」
「……言っていいの?」
 窺う様子のティナリに、あのすっぱり言うティナリが戸惑うのかと驚きつつも、カーヴェはこくんと頷いた。
「えっとね、少女みたいな匂いがする」
「は?」
「女性というより、少女かな。コレイの匂いではないよ。ただ、なんて言うかな。学生時代に、女の子たちからこんな匂いしたなあって」
「化粧の匂いってことかい?」
「ううん。違う。甘いような匂いだよ」
「甘い? スメールローズとか?」
「違うね」
「ええ?」
 何も分からん。カーヴェは考える。以前と違うのは、処方された薬を飲み始めたことだが、体臭まで変わるものなのか。さっぱりわからないし、以前調べた時はそんな効能は載ってなかった。ウンウン唸るカーヴェに、気になるならさとティナリは言った。
「いっそのこと、香水で隠すのも手だよ」
「香水? でもその方が匂いが」
「隠すなら匂いがしないと。あと、その場合は甘い匂いを誤魔化すために、甘い匂いがいいね。女性向けのものが多いけど、探せば男性向けもあるんじゃない? その辺はカーヴェの方が詳しいでしょ」
「ユニセックスなやつとかかな」
「中性的?」
「男女兼用だな。それなら探しやすそうだ」
「すぐ要るんだね」
「まあ、なるべく早く入手したいよ」
 通院日までには。言わなかったが、訳があるとは分かったのだろう。察したのか、ティナリは深追いしなかった。だけどね、と釘を刺す。
「その匂いを指摘した男には気をつけてね」
「うん」
「きみ、無防備なところあるし」
「そりゃ、ティナリに比べたらね」
「当たり前でしょ。レンジャー長だよ」
「そうだな」
 そこでコレイが戻ってきたので、カーヴェは挨拶をして、アクセサリーの話を始めたのだった。

- ナノ -