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 キクの花毒殺事件・2
キクの花毒殺事件・2


 乱れのない衣服、争った形跡のない部屋。ただし、白い花が散らばっている。
「服毒による自殺、ですかね……」
 安室がぼやくが、違うよとコナンは言った。
「自殺の可能性もあるけど、ボクは他殺だと思う」
 だってとコナンは続ける。
「お花が散らばってるけど、リカさんの下には一つもないように見えるもん。リカさんが倒れてから、誰かが花をばら撒いたんだよ」
「つまり、何者かが僕たちより前にこの部屋を訪れていたか、あるいはその人物こそが犯人だと」
「うん。それと、もし毒殺なら犯人と被害者であるリカさんは面識があったと思う。だって争いの跡がないし、あと苦しんだ形跡がない」
「つまり、リカさんは毒だと知って薬を飲んだ、と?」
「多分ね」
「なあ、それってつまり自殺なんじゃねえのか?」
 獅子王が不可思議そうに言うと、そうだとしても誰かが死へと導いたことに変わりはないとコナンは鋭い目をしていた。
「それにしてもなあ、どうしてキクの花がばら撒かれているんだ?」
 鶴丸が奇っ怪なと眉を寄せる横で、鶯が黙っている。鶯はどうやら弟分が手入れした花をばら撒かれたことに怒りを感じているらしい。

 コナンがふっと死体から顔を上げると、部屋の花瓶には赤いキクが飾られていた。あれ、とコナンは首を傾げる。確か、リカは白いキクを部屋に生けると言っていなかったか。
「赤いキクか、情熱的なことだな」
 鶯がようやく口を開く。
「花言葉は『あなたを愛してます』だったか。婚約者にでも贈られたんじゃないか」
 コナンはそっと安室を見上げた。安室もまた、何か気に食わないような顔をしている。
「キクが使われたことがそんなに不満なの?」
 ずばりとコナンが聞くと、安室はいつものアルカイックスマイルで答えた。
「んん、何のことかな?」
 あ、これめっちゃ怒ってる。コナンはハハと乾いた声を漏らした。

 食堂には全員が揃っていた。昨日は見なかったサラリーマンらしい青年の墨明と婚約者の光広もいる。皆の顔色は悪く、その中でも婚約者の顔色が飛び抜けて悪い。メイドは仕事で気を紛らわしたいらしく、ばたばたとメイドにあるまじき小走りで食事の用意をしていた。
「ねえ羽黒さん、少し聞きたいんだけど今いい?」
「はい、なんでしょう」
 メイドの羽黒がコナンのために屈むと、コナンはあのねと質問した。
「リカさんの部屋に赤いキクが飾ってあったけど、あれはいつから?」
「いつから、と言いますと……三日ほど前に光広様がお嬢様に贈った花束ですよ」
「じゃあ白いキクは飾らなかったの?」
「飾りました。別の部屋から花瓶を運んで、赤いキクの隣に白いキクを飾ったはずです」
「ええ、そんなのあったかな」
「……ああ! 空の花瓶は元の部屋に戻してしまったんです。お嬢様の部屋に入ったら、足元に花瓶が転がっていたので、つい拾って元の部屋に……」
「あ、そうなんだ。そのこと、ちゃんと警察に言ったほうがいいからね?」
「そうすることにしますね」
 そう話していると、来客を知らせるベルが鳴り響いた。メイドの羽黒がばたばたと玄関に走る。コナンと獅子王も続いた。

 玄関扉を開くと、そこには銀髪に青い目の青年、山姥切長義がいた。
「本間リカさんが亡くなったと聞いて来たのだけど、この屋敷の主人はどこかな?」
「あのぅ、ええと、どちら様でしょうか」
「ああ失敬」
 そうして長義は名刺を羽黒に渡した。
「政府職員、本作長義というよ」
「せ、政府ですか?!」
「入らせてもらうよ」
「そんな、旦那様に聞いてきます!」
 ばたばたとまた走って食堂に戻る羽黒だったが、コナンと獅子王はその場に居たままだ。コナンは興味深そうに長義を見上げている。似た青の目が交差した。
「きみは保護者のところに戻るといい」
「えー、お兄さんは誰なの?」
「政府職員さ」
「んん、そっかあ」
 そこで、食堂にお通ししますと、羽黒が戻ってきた。

 食堂に集まる人々に、臆することなく長義は告げる。
「政府の伝令を伝えに来たよ。本間リカは政府が注視するだけの日本における優秀な人材だ。世間に騒がれては問題が起きる。そこで、警察は呼ばないようにとの厳命を受けたよ。ただし、」
「ただし、とは?」
 照久が恐る恐る問いかけると、長義はくすりと笑って告げた。
「真実は知りたい、とね」
 その言葉に二の句が告げないでいる照久に代わり、獅子王が口を開いた。
「警察は呼ばないって、どうするつもりだよ」
 がぶりと噛み付けば、そうだねと長義は微笑みを浮かべた。
「そうだね、このままだと花に毒があったとでもでっち上げて、花を手渡した友成鶯を犯人に仕立て上げるしかない、かな」
「な、なんだよそれ!」
 獅子王が冗談じゃないと机を叩き、立ち上がる。コナンも鋭い目で長義を見ていた。
「そう、許されることではない。そこで、丁度ここには探偵が居るわけだけど」
 そうして長義は安室を見た。安室は笑みを浮かべていたが、目だけは感情の読めない色を宿していた。
「無実の人間を罪人にしてはならない。探偵(・・)なら分かるだろう」
「そうですね」
 依頼、お受けしました。安室はそう言って、目を細めた。

 安室とコナン、そして鶯と獅子王と鶴丸が真実とやらを探すために屋敷内を動き回る許可を照久が出す。だが、照久はそのまま青ざめた顔で寝室へと行ってしまった。
 毒による自殺か、他殺か。判断がつかないが、万が一に愛する娘を殺した犯人が近くにいるかもしれないと思うと、気が気ではないのだろう。そもそも、他殺の場合は己自身の命も危ないかもしれないのだ。
 また、光広や墨明といった他の面々も自室に戻った。彼らもまた、こんな時に誰かと共にいるる気分にはなれないのだろう。

 安室とコナンは別行動をとり、後で合流するようだ。そうして食堂を出ようとした安室に、待ってくれと鶯が立ち上がった。
「俺も連れて行ってはくれないか。このまま犯人に仕立て上げられてはかなわん」
「僕としては貴方に容疑がある以上、連れて回りたく無いのですが」
「では監視してくれていい。俺はどうしても帰らねばならんのだ」
 強い声音に、分かりましたと安室は折れたらしかった。
 そのまま鶯と安室は食堂を出て行った。

「獅子、ぜひコナン君と行動してくれないか。俺は遡行軍を探す」
 ひそひそと言われた獅子王は、頼んだと鶴丸に告げると、コナンの元へ駆け寄った。コナンとしても、子供一人で歩き回っていては不自然だろうからと獅子王を受け入れたようだ。

 食堂を出ると、獅子王はコナンに問いかけた。
「なあ、コナン君の見解はどうなんだ?」
 誰が犯人だろうと獅子王が言うと、まだ分からないけれどとコナンはぼやいた。
「サラリーマンの墨明さんとパティシエの光広さん、そして御令嬢のリカさんで、痴情の縺れとかがあったのかも」
「墨明さんと、光広さん……そういえば、光広さんは酷い顔色だったな」
「うん。すっごく不安がってた」
 彼は何か知ってるんじゃないか。でも、それを問うには情報が足りなかった。
「獅子王さん、聞き込みをしよう!」
「おう!」
 まずは照久さんとみどりさんだと、コナンは走り、獅子王も続いた。

 そんな一人と一振りを見送ると、鶴丸はさてと腕を組んだ。
「探すと言ってもなあ……妙な気配がある方に歩いてみるか」
 じっとしていても仕方ないと、鶴丸は歩き出した。

・・・

 安室と鶯は地下の図書室に来ていた。念の為に調べられる部屋は全て調べたいと安室が言ったからだ。勿論、毒物が隠されているかどうか、違和感がないかを調べるのだ。
 図書室には膨大な数の書物が並んでいた。机に積まれた本もあるが、メイドの羽黒のお陰か、埃は一つも見当たらない。ぐるりと安室が見回していると、おやと鶯が何かに気がついた。安室がすぐに反応する。
「何か気がついたんですか」
「いや何、ここは英文学が多いなと」
 それにここ、と鶯は本棚の一つ、一箇所を指差す。
「ここに欠けがあるな」
「欠け、ですか? 確かに指を差し込めば一冊分の空間がありますが……」
「並ぶのはウィリアム・シェイクスピアの全集、ここにある筈の作品といえば」
「といえば?」
「ロミオとジュリエットだな」
 あの有名なと安室は眉を寄せた。
「四大悲劇の一つ、でしたか」
「その筈だ」
 だが、その本が無いとして何があるというのか。鶯は分からんなと口元に手を寄せた。

・・・

「ということで、獅子さん。整理するよ」
「おう、書き付けならこの獅子様に任せとけ!」
 場所は獅子王と鶴丸の泊まるゲストルーム。しっかりと周りを確認してから、コナンがつらつらと述べた。

 まず、メイドの羽黒の証言はこうだった。
「旦那様と奥様はご夕飯の後、ずっと自室にいらっしゃいました。お電話の御用を受けたので間違いありません。電話機に記録が残っていると思います……他の方ですと、奥様から御用を聞いたあと、部屋から出たところで亀甲ましろ様とはすれ違いましたが、それ以外だと……」
「亀甲さんが夫妻の部屋に入ったの?」
「いいえ、何処かへ向かう様子でした」
「まさか、リカさんの部屋じゃないよね?」
「真逆! 全くの逆方向、庭の方でした。下宿されている亀甲様はこのお屋敷の庭からインスピレーションを受けて、デザインを拵えているところだと伺っています。毎日お庭でスケッチをされているんですよ、そうそう、実際今日も食堂に集まった際にスケッチブックを持っていらっしゃいましたもの」
「へえー、そうなんだ」

「電話の履歴で裏は取れる、か?」
「そうかもね」
「光広さんはどうだったか」

 光広の証言はとても聞き取りづらかった。かなり気が動転していて、厚の支え無しでは今にも気が狂ってしまいそうに見えた。
「僕は夕飯のデザートを作って、夕飯を頂いたあとはずっと部屋にいました。でも、証拠はなくて、その、そんな、リカさんが……」
「光広さん、落ち着いて」
「厚、どうしよう、リカが居なくなったら僕はどうしたら!」
「落ち着いてくれ! 光広さんを一人になんかさせねえ、俺がちゃんといるから」
「厚、どうしよう、どうしたら僕は、僕は!」

「あの動揺はちょっとおかしいよね」
「俺もそう思うぜ」
 あと、厚は光広の刀なのかもしれないと、獅子王は口に出さずに考えた。
「次は墨明さんだけど……」

 墨明の証言はこうだ。
「俺は遅い夕飯を頂いてからは自室で持ち帰った仕事をしていました。一人だったので、アリバイとかはありませんね」
「じゃあ、夜に物音とか聞いた?」
「物音なんて一つも聞きませんでした」
「ふーん、そうだ。墨明さんは、リカさんとはどれくらい面識があったの?」
「それは……ずっと世話を焼いてもらっていました。ようやく、独り立ちをしたところ、ですかね」
「どういうこと? リカさんと墨明さんは年の差があるように見えないけど」
「リカさんにずっと仕事の相談を受けてもらって、手伝っても、もらっていたんです」
「仕事? そういえば、墨明さんは何のお仕事をしてるの?」
「国に仕える仕事ですので、細かいことは言えませんね」
「そっかあ」

「墨明さんもアリバイ無いんだよな。現時点でアリバイが無いのは墨明さんと光広さんと、厚くんか?」
「亀甲さんと天野さんは庭で会ってるもんね」

 執事の天野はこう述べた。
「私は庭の手入れを頼まれていました」
「夜に手入れをするの?」
「夜もこの庭には明かりが多いので手元の心配はありません。それに、手の空いた時は昼間だろうと夜だろうと、庭の手入れをしています。庭師を雇うより、私の手のほうが信用できると旦那様と奥様に言って頂いているのです」
「じゃあ、亀甲さんと会ったりした?」
「はい、勿論です。亀甲様はいつもの椅子に腰掛けて植物のデッサンをされていました。途中で飲み物を取りにか、屋敷き戻っておられましたが」
「そっかあ」

「亀甲さんが一度、屋敷に戻ってるのが気になるね」
「でもその亀甲さんにも話を聞いたけどさあ」

 亀甲ははきはきと答えた。
「ぼくは夜中の寝る前まで庭でデッサンをしていたよ」
「でも一度屋敷に戻ったんだよね?」
「ああ、飲み物を取りにね。羽黒さんに聞けばぼくが台所に寄ったことを確認できるんじゃないかな?」
「わかった、また聞いてみるね!」

「で、聞きに行ったら確かに飲み物を取りに来たって」
「うーん。とりあえず、皆して細かい時間は分かんねえんだな」
「そう! 電話の履歴ぐらいしか細かい時間はないから……皆怪しいと言えるかも」
「はぁ……ちなみに俺と鶴丸の証言もいるか?」
「探索をしてから部屋に戻ったんでしょ」
「探索といっても図書室とワインセラーの見学をしただけ、だけどな!」
「ちなみに安室さんはずっと僕と一緒にいてくれたからね」
「分かってるって」
 困ったなと獅子王はメモを整理しながら眉を下げた。

 こつこつと足音がして、気が付いた獅子王が部屋の扉を開く。コナンがどうしたのと問いかけると、下の階だと、獅子王はコナンを連れて二階に移動した。

 廊下を羽黒が歩いている。その腕の中にある花瓶の花を見て、獅子王は目を丸くし、コナンが驚いて声を上げた。
「羽黒さん! それ、黄色いキクだよね? どうしてそれを?」
「あ、源様に江戸川様ですか。この花は奥様から光広様への贈り物だそうです」
 美しいキクですよね。羽黒はそう微笑んで、光広の部屋へと向かおうとした。だがそこで、コナンがそういえばと口にする。
「光広さんって、名前で呼んでるんだね」
「ええ、八坂様だと厚様と同じですし……」
「墨明さんも名前だよね」
「ええ、そうですが、何かございましたか?」
「羽黒さんと天野さんは苗字……誰が名前で呼びだしたの?」
「奥様がそのように、と」
 それがどうかなさいましたかと、羽黒は不思議そうに目を丸くしていた。


・・・


 鶯と安室が墨明の部屋に向かう。彼らもまた証言を集め出したのだ。墨明はすぐに彼らにコナンたちに話した事を繰り返すと、あの、と口にした。
「鶯さん、ですよね」
「俺に用か?」
 少し、話がありますのでと、墨明は鶯だけを部屋に招き入れ、安室は部屋の外に残されたのだった。


・・・


 広い庭だ。鶴丸は妙な気配を辿って、庭へと足を踏み入れた。こそこそと小さな物の怪の気配がする。ひょこりと、コロボックルでも飛び出してきそうだ。
 ざわざわと風に揺れて木の葉の擦れる音がする。そのざわめきに耳を澄ませると、小さな小さな声がした。

「ハハゾ、ハハゾ、ボクラノハハゾ」「春に芽吹き、夏に栄え、秋に化粧をし、冬に眠る」「四季を報せる」「偉大なる御母様」

 きゃらきゃらと不快な声が響く。悪いものではないが、良いものでもない。奇っ怪な化け物がこの屋敷に住み着いている。それも、この庭に主人がいるようだ。
 ふと、鶴丸は顔を上げた。庭で最も大きな植物は木だった。
「これは、随分と立派な木だな」
 一体何の木だろうか。鶴丸は首を傾げた。

 ばたばたと庭に誰かがやって来た。鶴丸が振り返ると、獅子王とコナンが走ってきたところだった。
「鶴丸、何見てんだ?」
「ん? ああ、この木さ。随分と立派な木だなと」
「これ、オークだね」
「おーく?」
「ナラの木だよ」
 自生していたのかな。コナンが木をじろじろと眺める。獅子王ははあと感嘆のため息を漏らした。
「コナン君はそんなことまでわかるのか!」
「え、あー、ソウダネ!」
「自生していたのならば、もしかしてこの屋敷よりもこの木の方が長生きかもしれんな」
「木をそのままに、家を建てたってことか?」
 驚きを全面に出した獅子王の言葉に、その通りさと鶴丸は肯定した。
「その通りさ。だよな、コナン君」
「うん、そうだと思うよ!」
 そのままじろじろと木を観察するコナンの横で、こそりと獅子王が告げた。
「光広さんと厚は多分主従だぜ」
「お、やはりそうか。だとすると、亀甲は誰を主としているんだ」
「分かんねえな。光広さんの刀かもしれないし、もしかしたら遡行軍を殲滅するために一振りで派遣されたのかも」
 獅子王のその言葉に、分からんなと鶴丸はぼやく。コナンがパッと顔を上げた。
「獅子さん、鶴さん、ボク少し気になることあるから行くね!」
「え、ちょっと待てって、おい、コナン君早いな?!」
 すたたと走って行ったコナンに、獅子王はああもうと困った様子で顔を覆った。追いかけないのかと鶴丸が聞くと、それよりも確認したいことがあると、獅子王は携帯端末を取り出した。

 数コールの後、獅子王は問い掛ける。
「主。なあ、俺、聞きたいことあるんだ」
 頼むから、正直に答えてくれ、と。

「本間リカは審神者なのか」

「審神者だとして、これは」

「この本間リカの死は正史(・・)なのか?」

 しばらくの静寂。それを破る、諦観を纏う声。獅子王は、そうかと、通話を切った。
「鶴、政府が動いた理由が分かったぜ」

──リカの死は正史である。ただし、
──リカ及び光広は審神者であり、二人の間には既に子もいる。だが、
──それは、正史ではない。

「おい、だとしたら何処までが正史で、何処からが歴史改変だって言うんだ?!」
「事件はもっともっと昔から始まってたってことだ」
 俺達がここに来るよりも、ずっとずっと、昔から。獅子王はそう言って目の前のオークを見上げたのだった。



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