ガーデン・ガーデン・ライブラリー


 花園3
膝(→←)大包/花園3/無自覚両片思いで友情だと思い込んでいる二振りの話/時系列は2→1→3(今回)です/自覚編


 兄者か大包平が庭当番になると、俺は毎日決まって軽食を運ぶ。すっかり日常となったそれを、厨番は丁度良いと喜んだ。兄者も大包平も、揃って作業に夢中になると休憩を忘れるからだ。
 次の図書当番は来週だったか。そう考えながら花園の扉を開くと、複数の声が聞こえた。今日は兄者と大包平が庭当番だが、他にも声がする。聞き覚えのある声だと思いながら進めば、広場の椅子に鶯丸が座っていた。楽しそうに声をかける先には、あれこれ答える大包平がいる。
「それは苺の花か? 実るのか?」
「実るに決まっている! そんな事はいいから部屋に戻れ!」
「何だ、心配してくれるのか?」
「当たり前だろう!」
「ただ転んだだけじゃないか」
「お前は滅多に転ばん。昨日の晩もうまく眠れなかったんだろう。確実に不調だ」
「そうか?」
「とにかく部屋で休め!」
「ははは、うるさいぐらいに元気だな」
「鶯丸が休まんからだ!」
 騒ぐ大包平だったが、視線は手元に、手は淀みない動作で作業を続けていた。鶯丸はその姿を、安心しきったように気の抜けた顔で見つめていて、どうにも居心地が悪かった。
 例えるなら、友人の家族の団欒に偶然鉢合わせてしまったかのような気持ちだ。
(全然例え話ではないな。そのままだ)
 声をかけるか迷っていると、おういひら君と兄者が大包平を呼んだ。相談事があるらしく、なにやら花の木の根を指差している兄者に、大包平が駆け寄った。
 それを眺めていた鶯丸が、ようやく俺に気がついて、おやと驚いた顔をした。
「膝丸じゃないか。もう八つ時か」
「ああ、休憩した方が良いだろう」
「そうか。だが、話し込んでいるからなあ。あれが終わってから声をかけた方が良い」
「そうだろうな」
 まあ座れと言われて、椅子に座る。軽食の入った籠は机に置いた。
「鶯丸がここに居るのは珍しいな」
 素朴な疑問を口にすると、そうかもしれないなと鶯丸は軽やかに笑った。
「俺はそこまで花に興味がないからな」
「では、何故此処にいるんだ?」
「姿を見たいと思ったからだ」
「大包平の姿を、か?」
「ああ、単純だろう?」
 鶯丸はそう言って、持参したらしい水筒の茶を飲んだ。ほうと息を吐き、続ける。
「大包平が言っていた通り、どうも不調でな。いや、原因は分かっている。単に出陣が続いた疲れだ。赤疲労というやつだな」
「それは素直に休んだほうが良いぞ」
「それはそうなんだが、弱っているからこそ、大包平が気になって仕方がなかったんだ。馬鹿やってる姿を見ると、安心するのさ」
 そういうものなのかと首を傾げれば、鶯丸はははと笑った。
「膝丸が髭切の姿を定期的に見ないと落ち着かなくなるのと同じだ。俺達は兄弟のようなものだからな」
「ああ、なるほど」
「分かってもらえて何よりだ」
 そこで兄者と大包平の話にキリがついたらしく、二振りは揃って俺達へと振り返った。方や嬉しそうに、方や呆れた顔でこちらを見ている。勿論、前者は兄者で、後者は大包平だ。

 いつものように休憩の準備をしていると、大包平が言った。
「全く、部屋に戻れと言っただろう」
「わかったわかった。だが、休暇なのだから何処で過ごしても良いだろう」
「外で倒れたらどうするつもりだ!」
「大包平が運んでくれると信じているからな」
「そうじゃない!」
「まあ、二振りとも落ち着いてくれ。休憩した方が良いぞ」
「そうだねえ、ひら君まで倒れたら困っちゃうよ」
「俺は倒れん!」
「はは、大包平は元気が取り柄だからな」
 鶯丸はそう言うと、さてと立ち上がった。大包平が追うように顔を上げると、彼はにこりと笑みを浮かべた。
「馬鹿やってる姿も見れたことだし、俺は部屋に戻ろう」
「一言多い! ったく、しっかり休め。夕餉には起こしに行くからな」
「ああ、頼んだ。それでは源氏の二人も、またな」
「ゆっくり休むんだよ」
「兄者と大包平の言うとおりだ。ちゃんと休むんだぞ」
 鶯丸は分かってるさと笑ったが、ふと俺を見て口を開いた。
「どうにも、俺達は単純なようだぞ」
「……どういうことだ?」
 そういう事だろうなあと言い、鶯丸はひらひらと手を振ってから背を向けて、花園から出て行った。
 何だったのかと思っていると、大包平もまた不思議そうな顔をしていた。その中で兄者だけは、ふふと笑った。
「やっぱり、気になるよねえ」
「何が気になるんだ、兄者」
「髭切、あいつは何を言ってるんだ?」
「気になって、もどかしくて、応援したいんだよ」
「兄者?」
「何だそれは?」
「ふふ、そのうち分かるよ」
 さあ、腹ごしらえをしてまた作業に戻ろうと、兄者は軽食のサンドイッチへと手を伸ばした。俺は大包平と目を合わせ、二人で首を傾げる。三人で食べた今日のサンドイッチは、トマトと焼いた川魚が挟んであった。


 花園から屋敷に戻り、夕餉の支度を手伝っていると、ひょこひょこと小さなけものが歩いて来た。鳴狐のお供の狐だ。お供はきょろきょろと辺りを見回すと、俺を見つけて足元に寄ってきた。膝丸どのと、尻尾を揺らす。
「膝丸どの、ようやく見つけました。鳴狐が大包平どのを探しているのですが、見つからず、落ち込んでいるのです。何処にいらっしゃるのでしょう?」
「大包平なら庭当番だから花園だぞ。しかし、俺に聞かずとも掲示を見れば分かるだろう」
「なんと、花園なのですか?! 先程、鳴狐と向かった時は見当たらなかったのですが……」
「小屋に居るのではないか?」
「なるほど、小屋は盲点でございました。鳴狐が、あまりにも落ち込むので、わたくしめも気が動転していたのかもしれません」
「落ち込むとは、何かあったのか?」
「最近、大包平どのが鳴狐とあまり遊んでくれないからですよぅ!」
「……遊んでいたのか?」
「遊ぶというよりも、手習いの先生と生徒ですねぇ。図書室の本を使って字の練習や読み解きを楽しんでいたので」
「それは何というか、情操教育というやつか?」
「巴形どのや静形どのもいらっしゃいましたねぇ」
「そんなことをしてたのか……」
「まあ、そういうわけですので、わたくしめは花園の小屋に行きますよぅ!」
「うむ、気をつけて行ってくるといい」
「膝丸どのは来てくださらないのですか?」
「何故だ?」
「わたくしはただのけものです故、花園の扉を開けれないのですよぅ。忙しいとは分かっていますが、哀れな狐に手を貸してくださいませ!」
「そうか、それなら手を貸そう。燭台切、聞こえていたか?」
「オーケー! お供くんは相変わらず健気だね。膝丸さんは気にせず手伝ってあげて。ついでに、庭当番を切り上げてくるように言ってくるといいんじゃないかな?」
 夕餉まではまだ時間がかかるけど、もうすぐ夕方だからねと言う燭台切は、どこか楽しそうだった。恐らく、今日は太鼓鐘がせっせと厨番を手伝っているからだろう。相変わらず仲が良い。ちなみに厨番は燭台切と小豆である。他の本丸ではよく厨に立つと聞く歌仙は、この本丸では初期刀で近侍をしている。

 まだ日が傾ききっていない晴天。しかしあと数刻もすれば夕暮れとなりそうな空の下をお供と共に歩いて花園へと向かい、扉を開いて小道を進む。
 広場を通り過ぎて小屋へと向かうと、開けられた窓から、兄者と大包平の声が外へ流れていた。
「きみは、本当にそのままでいいのかな?」
「どういうことだ?」
「そういうところだよ」
 クスクスと兄者が笑っている。大包平は静かだった。
「ふふ、ごめんね。そんなに悲しそうにしないで」
「悲しくはない」
「僕らはただ、気になって、もどかしくて、応援したいだけだよ」
「何が気になるんだ」
「分からないの?」
「ああ、何もないからな」
「本当に?」
「そうだ」
 何の話をしているのかと、歩みを止めると、お供もまた口を閉じて足を止めた。小さな狐が不安そうに俺を見上げた。
「良き友だからな」
 身に覚えのある言葉に、どくりと心臓が脈打った。兄者は、泣かないでと優しい声を出した。
「ほら、泣かないで。きみは笑っていた方がずっと良いよ」
「泣いてない」
「震えてるじゃない。ほら、ゆっくり呼吸して?」
「……髭切、俺は」
「うんうん、大丈夫だよ。僕の弟はきみと仲良しだよ」
「ああ、そうだろうな」
 大包平の声は震えていた。嗚咽は聞こえない。でも、泣いているのだとすぐに分かった。目の前が、真っ暗になったような気がした。
「行きましょう、膝丸どの」
「用があるのだろう」
「いいのです。わたくしめは鳴狐とまたここに来ますよぅ。ですから、膝丸どの、今はわたくしと屋敷に戻れば良いのです」
 お供はそれだけ言うと、音を立てずに踵を返した。俺は今すぐ走り出したい気持ちをぐっと抑え、ゆっくりと小屋に背を向けた。

 空が輝いている。燃えるような夕暮れが近付いている。俺はお供の狐と歩いている。先を行くけものに続くと、彼はとある部屋の前で立ち止まった。
「わたくしは、お二方のことをよく知りません。わたくしは只のけもの、言葉を操るだけの、けものでございます。鳴狐と出会ったのも、たった昨日のように、最近のことでございます」
 ですが、とお供は言った。
「ですが、わたくしは鳴狐を家族のように思っております。共にいた時間は関係ありませぬ。膝丸どの、想いに時間は関係ないのですよぅ」
 お供はそう言って、とんとんと襖に触れた。そうだ、この部屋は古備前の二振りの部屋だった。
「お考えください。よく、お考えくださいませ。しかし膝丸どの、例え間違いだったとしても、自分の言葉を否定してはなりませんよぅ」
 それではと、お供は小さな毛並みを揺らして、廊下の果てへと消えて行った。

 鶯丸、起きているか。そう声をかけると、入れば良いと言われた。するりと襖を開くと、内番着姿の鶯丸がいた。寝間着を着て寝ていたんだと笑った彼は、着替えたところらしかった。
「そろそろ夕餉かと思ってな。たまには大包平に起こされずとも起きるさ」
 大包平の名を呼ぶ温かな声に、じわりと視界が歪んだ。鶯丸は笑っている。
「まあ何だ。まだ少しは時間がある。ゆっくりすると良い。困り事か? 話なら聞くぞ?」
「困ってなど、いないぞ」
「そうかそうか。いやしかし、ああ、泣くな。お前達は泣くと目が溶けそうだからなあ」
「なんだそれは」
「何、俺の想像だ。お前達は何も気にしなくて良い。泣きたいなら泣けば良いが、駄目だな、俺達はお前達の涙に弱い」
「なんだ、それは」
 こちらの話だと、鶯丸は笑っている。涙を堪えて、手を握りしめた。一度だけ結んだ、大包平の手の温かさを思い出した。
「俺は」

─「きみは本当に良き友だ。本当だぞ?」

「俺は、」

─「ああ、良き友だ」

 伏せた銀の目の奥には、どのような感情があったのだろう。
 大包平は、小屋の中で兄者の言葉を受けて、泣いていた。

「俺は、間違えたのか」

「間違えていないさ」
 鶯丸はきっぱりと言い切った。
「何も間違えていない。友だと言った、その気持ちもまた、本当だろう」
「しかし、大包平が泣いていた」
「そうか。膝丸だって泣いているんだがなあ。まあいい。とにかく、否定はしないでやれ。お前達が互いを友だと思った期間を、過ごした時間を、間違いにも、嘘にも、してはならない」
「ならば、俺たちはどうすれば良いんだ」
 鶯丸を見れば、彼は底まで優しい兄の顔で微笑んでいた。
「素直になれば良い」
 その気持ちは全て、間違いではないのだから。そう言った鶯丸の優しい声に、俺はぽろりと涙を零した。そのまま静かに泣く俺に、鶯丸は黙って共にいてくれた。
 鶯丸と兄者は、全く違うのに、よく似ているなと思った。


「薄緑、ないていたのですか」
 取り付く島もない断言と決めつけである。しかし、強い口調の割に、その言葉は慈愛に満ちていた。
「なかせたのはだれですか。ぼくがとっちめてあげましょう」
「いや、待て今剣」
「大包平が原因だな」
「う、鶯丸?!」
「なんですって! なかがよいとおもったら、けんかですか! それはいけません、ぼくがこらしめてあげましょう!」
「待て、今剣!」
 夕餉の席、広間に集まる刀達の前で今剣はきっと赤い目をつり上げて、大包平を探す。そして、兄者に連れられて広間にやって来た姿を見ると、ずかずかと近寄った。
 どうもこうも、勘違いだ。駆け寄り、そう言いたかったのに、まあまあと鶯丸は笑いを堪えながら俺の腕を掴んで、俺をその場に留めた。
 今剣が目の前に立つと、大包平は唖然とした顔をしていた。だが、その目尻は赤く染まっていて、小屋で泣いていたのは明らかだった。胸がぎりぎりと締め付けられた。
「大包平、なにをいったのです! 薄緑をなかせるなんて、ぼくがゆるしませんよ!」
「っはあ?!」
 大包平は目を白黒として驚く。尤もな反応だろう。彼は困り果てた様子で兄者を見た。兄者は笑いを堪えながら、まあまあと大包平の腕を掴み動かないでと言った。完全に面白がっている。
「大包平! きいていますか!」
 小さな天狗が怒っているその時、待ちなさいと声がかかる。止めてくれるのかと声の方を見れば、今剣に負けず劣らず目をつり上げた毛利がいた。ずんずんと歩き、戸惑う弟たちを置いてけぼりにして、彼は今剣の前に立った。
「大包平さんは泣いていました。泣かせたのは膝丸さんだとお聞きしました!」
 きみは何を言ってるんだ。思わずツッコミそうになったが、それよりも思わず吹き出している隣の鶯丸が気になった。こちらも完全に面白がっている。もちろん、慌てる大包平の隣にいる兄者も笑いを堪えきれていない。おそらく、大包平が泣いた原因が俺だと言ったのは兄者だろう。戯れが過ぎるぞ、兄者。
 いや確かに、泣かせた原因は俺なのだろうし、俺が泣いた原因も大包平なのだが、できればそっとしておいてほしかった。そんな思いが湧き上がってきたが、今剣と毛利は止まらない。
「薄緑がなんですって?」
「どうもこうもありません! 大包平さんが泣くなんてよっぽどのことです。それだけのことを膝丸さんが言ったのではないですか?」
「いうわけないでしょう! それにないていたのは薄緑です!」
「今剣の目は節穴ですか? 大包平さんの目元を見てください! こんなにも痛々しい!」
「薄緑だってめもとがあんなにもあかいのですよ!」
 刀たちの目が俺と大包平の目元を行ったり来たりする。頼む、やめてくれ。そう思っていると大包平と目が合った。二人で頷き、そっと腕を掴む手から離れると、それぞれ、今剣と毛利の元に向かった。
「だいたい、大包平ならともかく、やさしい薄緑がなにをいったというのですか!」
「大包平さんの言葉が尊大で自信家で勘違いされやすいことは認めますが、大包平さんだって素直で真面目な刀ですよ! その言い掛かりは許しません!」
「なにおう!」
「決闘です!」
「いや待て、今剣。落ち着いてくれ」
「毛利、相手はお前が好きな小さい子だろう。落ち着け!」
「「だって!!」」
 そろって顔を上げた二振りは、俺と大包平を見てあれと首を傾げた。喧嘩したんじゃないんですか。そろってそんなような事を言った二振りに、俺は苦笑し、大包平は呆れ顔になる。
「喧嘩などしていないぞ」
「膝丸の言う通りだ。喧嘩などしていない」
「じゃあなんでないていたのですか?」
「大包平さんだけじゃなく、膝丸さんも泣いて。よっぽどの事があったのではないのですか?」
「それは」
 何と言えば良いのかと困れば、毛利の頭をぽんと撫でた大包平が言った。
「膝丸は知らんが、俺が泣いていたのは俺の問題だ。膝丸は何も悪くない。それにしても毛利らしくない。お前こそ何かあったのか」
「なっ、なんでもないです! 別に心配なんかしてないんですからね!」
「そうか。それなら兄弟達のところに戻ってやれ。秋田と五虎退が泣きそうにしているし、一期の胃が可哀想なことになっている」
「~~っ!! わかりました!」
 全くもうと粟田口の兄弟の元へ毛利が戻っていく。扱いに慣れているなと感心していると、大包平は今度は今剣を見た。
「今剣、どうして俺が膝丸を泣かせたと思ったんだ」
「鶯丸がそういっていました」
「そうか。あそこで笑い転げている奴か」
「え?!」
 ひいひいと笑う鶯丸を見て、今剣はクラリと目眩がしたようだった。大丈夫かと体を支えれば、今剣は全くもうと毛利と同じ言葉を言って、姿を正した。
「どうやらぼくとしたことが、あのとりにあそばれていたようですね」
「そうだ。今度、隙を見て焼き鳥にしてやらねばならんな」
「ええ、ついでにつるとからすもつくねにしなければ」
「おい、俺は関係ないだろう?!」
「ふふ、父もつくねにされるのか。よかろう、子らの遊び相手も父の役目」
「何を張り切っているんだ?!」
 ぎゃあぎゃあと楽しそうな鶴丸と小烏丸を、まあまあと獅子王が宥めていた。鶯丸はというと、すまんすまんと笑い過ぎて涙を浮かべた目で謝っていた。
「とにかく、それなら大包平にとやかくいうことはありません。まったく、大包平もないていたのにわるいことをしました」
「いや、俺が泣いていたのは気にするな。今剣は膝丸が大好きなだけだろう?」
「それはもう、もちろんです!」
 にっこりと満面の笑みを浮かべた今剣に、大包平はそれなら胸を張れと言って背中をばんと押した。それではと俺と大包平に声をかけて、今剣はパタパタと席に戻った。

 残された俺は、同じように残された大包平を見た。彼は泣いていたとは思わせないような明るい顔で席に戻った二振りを眺め、やがて俺の視線に気がつくとこちらを見た。
「どうした?」
 早く夕餉を食べねばと言う声は少しも震えていなかったが、その目元はやはり赤く染まっていた。


 夕餉を終えて、鶯丸と兄者は、今剣と毛利に見つかる前にと何処かへ消えた。恐らくは図書室だろうと呆れていると、同じように呆れていた大包平がふと足元を見た。そこにはするりと艶やかな毛並みを持ったお供の狐が座っていた。
「わたくしめはけものでございます。故に、人の形をしたもののことはよく分かりませぬ」
 物を語る口から、するりするりと言葉が流れる。
「しかしけものは人の形をしたものよりよっぽど素直でありましょう。何せ、けものには時間がありませぬ。ヒトと比べ、けものの生は刹那ほどに短いのでございます。われらけものは、刹那を目一杯生きるのです」
 刀剣男士の皆様は、そんなヒトよりも長いのですと彼は言った。
「長い長い命を持つ皆様にとって、我らけものが目一杯生きる様は、忙しないと、はしたないと思うのでしょう。しかし、誰かと共に過ごした時間は、きっとけものも皆様も、何も変わりませぬ」
 個の命の長さと、個の時間の価値。それはあくまで個のものだ、と。
「一瞬でございます。刹那でございます。大包平どのと、膝丸どのが今こうしてこの本丸に生きるのは、共に過ごすこの時は、その長い命の僅かな交差点でしかありませぬ」
 何一つとして、とけものは高らかに言う。
「何一つとして否定してはなりませぬ。何一つとして、取りこぼしてはなりませぬ。この交差点を、疎かにしてはなりませぬ。例え、間違えたとしても、皆様は、その間違いを否定し、まやかしとし、無かったことにしてはならないのです」
 わたくしは、けものです。
「けものの戯れ言ではありませぬ。これはけものの本意、鳴狐と出会ったわたくしめの心なのでございます」
 それでは失礼いたしますと、お供の狐は鳴狐の元へと戻って行った。

 彼に心配されたのだろう。そう思っていると、大包平は呟いた。
「あの狐は、最初から鳴狐と共にいたわけでは無い」
「……そうなのか?」
 ああ、そうだったと、大包平は痛いほどの懐かしさを視線に滲ませて、彼らを眺めていた。
「それでも、あの狐と鳴狐は共に居る事を選んだ。お前は、それが哀れだと思うか?」
「それは、全く思わない。選んだ彼らを侮辱して、何になる」
 むしろと、俺は続けた。
「尊敬に値する」
 そうだろうなと、大包平は鳴狐とお供が寄り添い合う姿を眺めていた。その銀の目に宿る懐かしさと、愛おしさと、憧れと、慈愛の色は、すとんと俺の心に落ちてきた。そして、俺は湧き上がる気持ちを胸の内で認めた。
(好きだ)
 お供が言葉を噛み砕いて、懸命に伝えてくれた、俺と大包平の交差点。小さな点に過ぎないこの時に生まれた感情を、俺は受け入れたいと思った。
(大包平が好きだ)
 良き友だと言った気持ちに間違いはなく。好きだと思ったこの気持ちにも間違いはない。兄者に嫉妬した気持ちにだって、間違いはない。俺は、それらを否定しない。俺は、この刀が、本当に好きだ。
「膝丸」
「なんだ」
 応えれば、大包平はいつもの様に美しい姿で、何一つ歪めることなく、言った。
「俺は部屋に戻ろう。お前も早く寝るといい。髭切と鶯丸を待っていたら夜が明ける」
「それもそうだな。兄者達は図書室だろうか?」
「そうだろうな。そして毛利と今剣に見つかるだろう」
「助けには行かないのだな?」
「今回は、な。あの毛利と今剣を焚き付けたんだ。たまには反省すれば良い」
 フハハと笑ってから、大包平はまた明日と言って背を向けた。俺はその背に、言葉をかける。
「また、明日。目元は冷やしてから寝たほうが良いぞ」
「それもそうだな。膝丸こそ、気をつけろ」
 そうして、彼は部屋へと戻って行った。



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