ガーデン・ガーデン・ライブラリー


 花園2
膝(→←)大包/花園2/無自覚両片思いで友情だと思い込んでいる二振りの話/時系列は前回より前の話です/なぜか一万字もあります。区切るところがみつかりませんでした。


 初めて会ったのは朝だった。

 俺や兄者が所属している本丸に大包平が顕現したのは、冬の寒い夜のことだった。その晩は審神者と近侍、そして同室として割り当てられた鶯丸にのみ顔を合わせ、朝餉の席で本丸中の刀に紹介された。しかし、俺が大包平を初めて見かけたのは朝餉の席ではない。早朝、扉越しに花園を眺めている彼を、俺は見つけたのだ。
「きみは新しい刀剣男士か?」
 たまに演練で見かける大包平の姿と一致しているとは分かっていながらも、俺はそう声をかけた。深い赤色の髪を揺らし、真新しい内番着姿で彼は振り返る。鋼色、否、銀の目が俺を見た。
「俺は大包平。昨晩、この本丸に顕現した」
「そうか、俺は源氏の重宝、膝丸だ。同じ本丸の刀としてよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしく頼む。ところで、この花園は一体何なんだ?」
「審神者から何も聞いてないのか? 俺はてっきり、審神者から庭当番を頼まれたのかと」
「まだ何も話していないに等しい。何せ、夜も遅かったからな!」
「ふむ……朝餉まではまだ時間があるな。俺で良ければ案内しよう」
「頼む」
 俺は錆びた扉に触れて、ギイと音を立てて開く。鍵は無いのかと不思議そうな大包平に、審神者もしくさ同じ本丸の刀ならば扉は開くのだと教えた。つまり、外部の者はどのような者であっても、扉を開くことができない。
「非常時の城か?」
「そのようなものだな。中にあるのは花と小屋だが」
「小屋があるのか」
「庭の手入れの為の道具を収納しているらしい」
 大包平を連れて小道を歩く間、彼は興味深そうに花々を見ていた。どうやら園芸に興味がありそうな個体だ。庭当番に組み込まれる日は遠くないのだろうと思いながら、俺は花園の中心にある小さな広場を目指した。
 咲く花は薔薇、チューリップ、紫陽花、桜と季節に縛られない。顕現したばかりとはいえ、それが普通ではないことは分かるらしい大包平が、キョロキョロの辺りを見回しているのを見て、審神者の霊力が注がれているらしいと伝えた。
「花に霊力が?」
「花というより、この花園の区域に注がれているらしい」
「ということは、扉が外部の者では開かないのはそのせいか」
「察しが良いな。審神者の霊力が濃すぎるから、弾かれるそうだぞ」
 広場に着くと、大包平はぐるりと花々を見回した。咲き誇る花々は、朝露に濡れて美しい。
「美しいな」
 大包平が目を柔らかく歪めて言うので、俺は頷く。確かに、ここの花々には他の花には無い美しさがある。
 審神者の霊力に満ちているからだろうと思っていると、大包平は噛み締めるように続けた。
「それだけ愛されているということだろう」
 その言葉に、パチリと瞬きをした。愛されているという言葉を、人に愛されて生まれた付喪神たる刀剣男士が言うと、随分と重みのある印象を受ける。いつだったか、そんな事を誰かが言っていたのを思い出した。あれは、初期刀の歌仙だったか。
 誰が言ったかはともかく、確かに大包平が言った愛には、重みと深みがある気がした。
「ここの手入れは当番制なのか?」
「ああ、園芸に興味のある刀が順番に手入れしている。大包平も興味があるのなら、審神者に言うといい」
「膝丸は庭当番なのか?」
「いや、俺は違うな」
「では何故、扉の前に来たんだ」
「兄者が庭当番なのだ。遠征前に庭当番だったのだが、どうやら小屋に忘れ物をされたようでな。取りに来たのだ」
「兄がいるのか」
「髭切という刀だ。素晴らしいお人だぞ。長期の遠征に行っていて、紹介できないのが口惜しい」
「随分と悔しそうだな。帰ってきたら紹介すれば良いだろう」
「それもそうなのだが、歯痒くてな」
「兄を慕っているんだな」
「勿論だ」
 大包平は少し呆れたような、楽しそうな顔をしていた。俺は兄者は元気だろうかと思いながら、広場の隅にある小道へと向かった。何も言わなくとも大包平がついて来ていることに安心しつつ、俺は小道を辿って行く。
 小道の先には、道具入れにしては随分と立派な小屋がある。濃い橙色の煉瓦で作られたそれは、外ツ国の造りらしい。
 木の扉を押して小屋内に入ると、大包平が入っても良いかと聞いてきたので、構わないだろうと答えておいた。兄者が忘れたのは園芸用の鋏だったので、以前見たその姿を思い出しつつも、うっかり物を動かさないように注意しながら、机の上や棚を確認した。
 しばらく探し回り、ようやく見つけた小さな暖炉の上にあった園芸鋏を手に取ると、大包平へと振り返った。帰ろうと言おうとして、思わず口を閉じる。窓から庭を眺める、その目があんまりにも優しかったので、随分と花を気に入ったようだと俺は首を傾げた。
 正直、俺は花を綺麗だとは思うが、そこまで思い入れはない。庭当番になる刀は、兄者を含めて、どこか花に魅入られたような節があると分析するほどだ。
「忘れ物は見つかったか?」
 大包平が振り返った。柔らかな朝の日差しが差し込む窓辺、白い肌と銀の目が滑らかに煌いた。
「美しいな」
 思わず呟くと、大包平は驚くことなく、笑みを浮かべた。
「そうだろうとも」
 俺は美しいのだと、彼は艷やかに笑っていた。


 あれから大包平は庭当番となり、数振りの刀と当番制で庭仕事をしている。新しい花を多く植えたり、新しく花壇を作ったりと、大掛かりな手入れをする時は、庭当番が総出で庭へと出陣していた。俺は兄者が庭当番なので、手伝いはしないものの、厨当番から飲み物や軽食を受け取って差し入れを行ったりした。
 ちなみに、手伝いをしないのは単純に手が足りているからだ。庭当番は兄者と大包平以外だと、五虎退、秋田、物吉、宗三、加州、江雪、太郎太刀だ。最近本丸に所属した山姥切長義もよく出入りしているので、直にまた一振り増えるだろう。


「兄者、大包平。そろそろ昼だ。休憩したほうが良いぞ」
「ん、ああ、脛丸。持ってきてくれてありがとう。おーい、ひら君、僕の弟が来たよ」
「俺は膝丸だぞ兄者。そしてひら君ではなく、大包平だろう」
「まあまあ、細かいことは気しないで」
 そう話していると、隣の花壇の中で作業していた大包平がひょいと立ち上がった。今日の庭当番は、兄者と大包平の二振りだ。
「膝丸か、いつも助かる。それにしても、もうそんな時間か」
「そうだねえ、困っちゃうよ」
「ん? 何かあったのか?」
「小虎君が紐を落としたらしくてね。黄色いリボンだそうなんだけど……」
「それは五虎退のことか?」
「五虎退で合っている。作業の傍ら、探していたのだが、見つからなくてな」
「そうか。しかし、根を詰め過ぎても見つからないだろう。とりあえず休憩した方が良いぞ。兄者も大包平も、朝からずっと此処にいるのだろう?」
「ありゃ、そうだっけ」
「花の世話をしているとあっという間に時間が過ぎるな」
「とにかく、手を洗ってきてくれ」
 急き立てれば、兄者と大包平は揃って水道のある庭の隅へと向かった。水やりの為に、花園にはいくつかの水道が設けられている。どれも簡易的なものだが、ジョウロに水を汲み、手を洗うには充分だ。
 二振りが戻ってくる前に、広場のガーデンテーブルへ持ってきた籠の中身を並べる。今日は卵とレタスのサンドイッチだ。
「美味しそうだねぇ」
「いつ見ても量が多いな」
「兄者も大包平も多く食べる方だからな。厨当番が目一杯籠に詰め込むんだ」
 それぞれ椅子に座ると、それではと手を合わせた。
「いただきます」
 全員で挨拶をしてから、食事を始めた。サンドイッチを食べ、茶を飲み、二振りはあれこれと庭仕事の計画を立てる。
 秋田が主から新たな種を預かったらしい。それなら新しいスペースが必要かもしれないね。いや、少ない数だからパンジーの横で足りるだろう。でも種類によってはプランターの方が良いんじゃないかな。それもそうか。
「花の種類を聞かねば」
「ひとまず、ふわふわ君とひら君に任せるよ」
「秋田と大包平だぞ、兄者」
「そうだったねぇ」
 ふふと笑う兄者は楽しそうで、一方の大包平は主は執務室だろうかと呟いていた。どうやら、呼び名に関してあまり気にしていないらしい。
 いちいち気にしていたら話が進まないだろうと、前にぼやいていた気もする。
「ああ、筋丸、休憩が終わったらすぐに戻った方が良いよ。雨が振りそうだからね」
「俺は膝丸だぞ、兄者。それなら兄者と大包平も戻った方が良いだろう」
「僕らは小屋で雨宿りするよ。通り雨だろうから」
「それなら俺も小屋に向かおう」
「お前は図書当番の仕事があるじゃない」
「うっ……」
 それもそうだがと眉を下げれば、兄者はちゃんと当番の仕事をしておいでと笑っていた。
 兄者の言う通り、俺は庭当番ではなく、図書当番に組み込まれている。本が好きだからというより、整理整頓が得意な刀ということで選ばれたのだ。
 図書当番は嫌いではないが、何となく二振りに庭から追い出されたような気がして気落ちしていると、大包平が口を開いた。
「何も膝丸から髭切を奪うわけじゃないから安心しろ。小屋でドライフラワーの仕分けがあるんだ」
「ドライフラワー?」
「乾燥させた花だ。主が友人に頼まれたらしい」
「結婚式の飾りに使うそうだよ。なんだっけ、うぇるかむ……」
「ウェルカムボードだ」
「そうそう。庭当番で花を揃えて、主が組み立てるんだって」
「そうか。それなら仕方がない。大包平、兄者を任せたぞ」
「ふん、任せろ!」
「ありゃ?」
 首を傾げた兄者に、大包平は早く花を揃えなければ主が納期に間に合わなくなるからなと、話をそらしていた。


 花園を後にし、厨番に昼餉の用意を返すと、図書室へ向かった。今日の図書当番は誰とだっただろうか、そう思いながら図書準備室で当番表を確認すると、どうやら鶯丸らしかった。
「膝丸か、珍しく遅かったな」
 図書室内を歩き回っていた鶯丸に言われ、一言謝ってから何をすれば良いかと確認すれば、彼の腕の中には数種類の図鑑が積まれていた。どうやら今日はまず、図書室で本の整理をした方が良いらしい。

 この本丸には、図書室と図書準備室がある。他の本丸にはあまり無いらしい規模の二部屋があることには、それなりの理由がある。
 この本丸の主は審神者に就任する前、とある図書館に勤務していた。多くの本に触れていた主は気がつくと本という概念と縁が出来上がっていたそうだ。そんな主が時空の狭間のこの本丸に来てからというもの、その縁を頼りにどこからか本が流れ着くようになったらしい。この本丸に審神者が入る前から点検などで出入りしていたこんのすけと政府の人間が、たまにそういう方がいらっしゃるんですよねと遠い目をしながら教えてくれたことだ。

 ところで普通は時空の狭間に流れ着くものなどない。そんなイレギュラーな流れ着く本達は、何かしら曰く付きであったり、意思があることが常であった。
「また図鑑が飛んでいたのか。鳥類か?」
「おお、よく分かったな。この図鑑三度目の逃走劇だ。三度目の正直を期待したのかもしれない」
「誰が捕まえたんだ?」
「本を借りに来ていた巴形だ。天井付近を飛んでいたので助かった」
「ふむ、俺からも礼を言っておこう」
「いや、今頃はもう演練場だろう。さて、俺はこの図鑑の山を戻してくる。膝丸は文庫を見てきてくれるか。多分、猫の本がいくつか消えている」
「足跡でもあったのか?」
「魚の図鑑と虫の絵巻が騒がしかったからなあ」
「なるほど」
 鶯丸と別れてカウンターのパソコンで所蔵している猫の本を検索し、一覧を印刷してから、それを片手に文庫本の本棚へと向かう。すると言われた通りに、二冊の本が見当たらなかった。念の為に文庫以外も目を通してから、二冊の本を探しているとリンと鈴の音がした。
 動物など生き物に関連する本は頻繁に逃走するので、何かしら音の鳴る物を描き込んである。猫の本ならば鈴の絵を描き込んであり、逃げ出したら動く度に鈴の音が鳴るようになっているのだ。この簡単な呪術は、図書当番であれば受けられる審神者の指導で、全員習得している。
 猫の本は、二冊とも図書室の窓辺に転がっていた。魚の図鑑や虫の絵巻を追いかけ回して、疲れて昼寝でもしていたのだろうか。物言わぬ彼らを手に取って、欠けや汚れがないかを確認してから元の本棚に戻しておいた。

 あらかたの本の整理を終えると、図書準備室で新たに流れ着いた本に目を通す。欠け、汚れ、穢れの有無は勿論のこと、内容も見なければならない。それらの情報をパソコンのデータベースに入力して、必要ならば絵や印を書き込み、補強の為のテープや分類のラベルを貼り付ける。
 黙々と作業していると、鶯丸が図書室で図書資料の貸し出しをしている声がした。どうやら本を借りに来たのは毛利らしい。手続きの後は、カウンターに掛かってくる電話の対応などをしていた。掛かってくる電話は、現世の図書館で紛失した図書資料が流れ着いていないか、という相談が多い。ちなみに電話ではなく手紙やメールで相談が届くこともある。一件一件確認し、データベースと照合しては返事をするのも、図書当番の大切な仕事なのだ。
「膝丸さん、少しいいですか」
 図書準備室に毛利が顔を出す。本を借りて帰ったのかと思ったら、そのまま図書室にいたようだ。彼はきょろきょろと辺りを見回してから、失礼しますと言って図書準備室に入った。
 彼の腕の中には葡萄色の本があった。
「図書室の隅に流れ着いてました」
「ありがとう、助かった。俺が受け取ろう」
「あの、少し中身を見たのですが……」
「別に問題ないと思うが、何かあったのか?」
「本の中に蝶の挿絵があったんです」
「蝶か、それなら絵を描き入れねばならんな」
「それはそうなのですが」
 毛利は視線をうろつかせてから、不安そうに顔を上げた。
「大包平さんが何処にいるか知っていますか?」
「む? 大包平なら花園の小屋だと思うが……」
 どうして大包平のことを聞くのかと問いかける前に、毛利はありがとうございますとだけ言って、足早で図書準備室から出て行った。そのまま廊下を走っていく音がして、俺は首を傾げる。一体、何なのか。まさか本に何か気になることがあったのだろうかと、葡萄色の表紙を開く。

 そこには美しい女性の挿絵があった。さらに頁を捲ると、タイトルらしき英文が書かれている。
「まだ、まだま……」
 読み慣れない英文を、ゆっくりと読み上げる。
「まだま・ばたふらい?」
「蝶々夫人か?」
 顔を上げると、鶯丸が図書準備室に入って来るところだった。彼は毛利が駆けていったこと不思議そうに言い、俺の手から葡萄色の本をするりと抜き取った。
「オペラを紹介している本か」
「蝶々夫人とは?」
「オペラの作品のひとつだな。ふむ、蝶々夫人のあらすじも載っているらしい」
「鶯丸は英文が読めるのだな」
「長く図書当番をしているからな、必要だったのさ」
 ふむふむと読み進める鶯丸に、毛利がその本を拾って俺に渡した後、大包平に会いに行ったのだと言えば、ははと笑いだした。
「そうか、毛利にとっては大包平は蝶々ということか」
 不安になったんだろうと、鶯丸は愉快そうに続ける。
「蝶々夫人は物語の最後に死んでしまうからな。あまり良い気分になれなかったのだろう。それにしても、大包平とは似ても似つかないだろうに」
「そんなに笑うのか……しかし、そうすると蝶が死ぬ挿絵でもあったということか」
 少しばかり悪趣味だなと思って呟けば、鶯丸はぴたりと笑うのを止めて、目を丸くした。
「蝶の挿絵?」
「ああ、毛利は蝶の挿絵があったと言っていたが」
「一通り眺めたが、そのような挿絵は無かったな」
「……どういうことだ?」
 鶯丸が差し出した葡萄色の本をパラパラと捲ったが、人間の絵はあっても蝶の挿絵など一枚もなかった。ひやりと、背筋に悪寒が走る。

 ならば、毛利は"何"を見たというのだ。

「膝丸、大包平の様子を見てきてくれ。俺はこの本を主に見せて来よう」
「俺が大包平を?」
「その本、どうやらただの本だが、そんな本が流れ着くわけがない」
「そうか、何かが抜け出したのか!」
「恐らくは。毛利は短刀で、察しが良いからな。大包平を気にしたのなら、もしかしたら怪異は大包平へと向かっているのかもしれない。今日の大包平は庭当番だろう? あの庭にいるなら怪異は近づけないが、念の為だ」
 鶯丸の方がよっぽど大包平が気になるだろうにと戸惑えば、彼は葡萄色の本を持って力強く言った。
「この本に憑いていたものならば、本から逆探知が出来る。俺が怪異を斬る為に、大包平には花園から出ないように伝えてくれ」
「あ、おい!」
 そのまま駆け出した鶯丸は、確かに怒っているらしかった。ああ見えて彼は兄だよねと、前に兄者が鶯丸を評していたことを、俺は思い出した。

 急いで花園に向かうと、門の前には抜刀した毛利がいて、周囲を警戒するように見回していた。彼はすぐに俺に気がつき、眉を下げた。
「膝丸さん、来たんですね」
「大包平は?」
「花園の中です。髭切さんに頼みました」
「そうか。その、毛利は何を見たんだ」
「大きな蝶です」
 毛利は真っ直ぐな目を向けた。
「大きな揚羽蝶でした」
 あれはぼくらのたからものをねらっているのです、と。

 一度大包平の様子が見たいと言って、俺は花園へと入った。いつも通りに花が咲き誇るそこは、雨によってどこもかしこも濡れていた。
 大包平と兄者はどこだろうか。早足で探すと、兄者の声がした。
「兄者、そこにいるのか!」
「えーと、僕の弟! 早く来てほしいかな!」
「俺は膝丸だぞ!」
 兄者の声の方向へと走ると、蹲る大包平の背中を兄者が撫でていた。何があったのかと駆け寄れば、むしろ兄者に、何が外で起きているのかと聞かれた。
「外では兄者も知っている通り、毛利が警戒しているぞ。何でも、蝶の怪異だそうだ。鶯丸が怪異が住み着いていた本を主に見せに行ったぞ」
「そう、じきに手が打たれるね。聞こえたかいひら君、大丈夫だよ」
「兄者、大包平に何があったんだ」
「突然苦しそうにし始めてね……分からないけれど、多分その蝶の怪が原因じゃないかな」
 外の者には扉は開かない。故に、庭は安全である。そう、怪異だって通れないのだ。なのに、なぜ大包平は苦しんでいるのか。蹲る大包平はどうやら喉に手を当てている。
 喉が痛いのだろうか。苦しそうではあるが、声一つ上げないのは、喉が痛いからなのか。
(いや、待て)
 大包平の手を掴み、すまないと謝ってから力づくで喉から手を離した。ぬるりと、液体が滴っている。
「これは」
「いやはや、やられたね」
 彼の喉には刀を突き立てたかのような、生々しい傷があったのだ。

 鶯丸がすぐに審神者へ本を届けたことが功を奏し、怪異の位置はすぐに判明した。その蝶の怪は鶯丸と毛利が斬り伏せたことで退治された。大包平の喉の刀傷は手入れにより消えたものの、暫く声を出せないだろうと石切丸が診断した。
 なぜ怪異の影響が花園の中まで届いたのかについては、刀剣男士が名前代わりに使用する紋のうち、大包平の紋には蝶が組込まれていたこと、さらに彼が拠り所にし、紋にも影響している池田家の紋は蝶であり、その蝶が揚羽蝶と少なからず関係があったことから、大きな揚羽蝶の姿をした怪異とはある意味で相性がとてつもなく良かったせいだろうとの結論が出た。

 声が出せない間、戦場には出せない。休暇を出そうと主が言うと、大包平は筆談で庭仕事があると主張した。しかし、庭仕事だってコミュニケーションが必要だ。主が渋ると、意外なところから大包平へ助け舟が出た。
「僕がちょうちょ君の手伝いをしようか」
 兄者が軽い口調のわりに真剣な目をして言うと、主はしばらく思案したのちに許可を出した。大包平が驚いた顔で兄者を見ると、兄者はすまなそうに眉を下げる。
「僕が早く喉に気がついていればと思ってね。ふふ、そう困った顔をしないで」
 それからしばらく、声が問題なく出せるようになるまで、兄者と大包平は共に庭当番を過ごすことになった。花園の中であの大きな声が聞こえず、兄者の声だけが聞こえるのはとても不思議で、俺は休憩の為の軽食を運ぶたびに、寂しい気持ちになった。大包平の隣で兄者が笑うと、大包平もまた笑う。しかし、そこに笑い声は一振り分しかない。あの元気な刀が、意思とは無関係に静かにせざるおえない状況は、気分の良いものではなかった。

「ああ、赤君、弟が来たよ。ほら、行こう」
 大包平の手を取り、兄者が立ち上がる。土だらけの手を見て、先に洗ってこなきゃねと笑い、俺へと振り返る。すると兄者は少し驚いた顔をしてから、苦笑をして、不思議そうな大包平を水道へと連れて行った。
(そんなに酷い顔をしていただろうか)
 最近、兄者と大包平が共に居るのを見ると、あまり良い気がしなかった。大包平は少しなら声を出せるようになったが、まだ満足に会話ができない。庭当番では兄者が付き添い、本丸では鶯丸が側にいる日々が続いている。鶯丸と居る時は気分が悪くならないので、兄者が要因なのだろう。だとしたら、俺は兄者を取られてしまうのかと不安なのだろうか。
(……考えるのはやめよう)
 どうにもしっくりくる答えではなかったので、俺は頭を軽く振ってから籠の中身をガーデンテーブルに広げた。今日はスコーンだった。


 その日の晩。鶯丸が一人で居たので、大包平はどうしたと聞けば、花園だと教えてくれた。
「花園に置いてきたのか」
「一人にしてくれと言われてな」
「そうか」
「膝丸こそ髭切はどうしたんだ?」
「兄者は今剣とかるたで勝負している」
「なるほど、景品は膝丸か?」
「頭が痛いな……」
「はは、愛されているじゃないか」
 鶯丸の言葉に、そういえばと思い出した。初めて花園の花を見た大包平は、愛されていると言っていた。その重みのある言葉には何が込められていたのだろう。
「大包平は"愛されている"ことと何か繋がりがあるのか?」
「ん? 突然どうした?」
「いや、少し気になってな。以前、花園の花を見て言っていたんだ」
「もしかして、初めて花園に行った時のことか? それなら恐らく、主に愛されている花を見て安心したんじゃないか。俺もだが、大包平は大切にされてきた刀だとは知っているだろう。大包平の刀剣男士としての在り方は、例えば膝丸とは大きく異なる。まあ、同じ在り方をする刀なんて居ないがな」
「ええと、つまりどういうことだ?」
「主の元に降りた際、大包平は主を見極めかねていたんだろうな。そこであの花園を見て、ここの主は、自分はともかく、こんなにも花を愛しているのだと気がついた。それがこの本丸の大包平が下した評価なのだろう。こんな風に愛せる人間ならば、主はきっと素晴らしい人間なのだ、と」
「なんだそれは」
「まあ、俺の想像でしかないがな」
 はははと笑った鶯丸はいつも通りの様子だったが、その想像は俺にとってうっすらとした不安を覚えるものだった。
 あの花園が審神者への評価のバロメータだとすると、もしあの花園に何かあった時、大包平はどうするのだろう。
「何はともあれ、気になるなら大包平に直接聞けばいい。あれは花園にいるからな」
「……わかった。ついでに鶯丸達の部屋に連れて行こう」
「膝丸の部屋に泊めても構わないぞ?」
「何故だ?」
「髭切なら俺が預かろう」
「いや、何故そうなる?」
 鶯丸は困惑する俺を放って、冗談だと愉快そうに笑い、早く花園へ行ってこいと俺の背中を押した。ふらふらと部屋に戻るらしい彼の背を見送ってから、俺は何はともあれ大包平がいるという花園へ向かった。


 花園は静かな月の光に満ちていた。扉を通って小道を進むと、広場に出る。大包平はどこだろうかと辺りを見回すと、小屋に明かりが見えた。
 しっとりした夜の空気の中、小道を歩いて小屋の前に立つと、わけも無く緊張した。息を詰めて扉をノックし、名を名乗って開けば、薄暗い部屋の中、机の上の電気のランタンが輝いていた。外から見えた明かりはそのランタンであり、室内の電気はついていなかった。
「膝丸?」
 机の上で何かを広げて作業していた大包平が、こちらを見る。その喉が震えて形作られた声に、俺は息を呑む。鶯丸の想像によって覚えたうっすらとした不安は、どこか遠くへ吹き飛んでしまった。
 そんなの、仕方がないだろう。随分と久しぶりに、彼が俺の名を呼ぶのを聞いたのだから。
「どうしたんだ」
 早く入ってくれば良いと彼は言い、作業に戻った。俺は小屋の中に入り、扉を閉め、机へと近寄った。

 机の上には白い和紙が広げられ、小さな粒と透明な小袋が転がっていた。どうやら、花の種を小袋に分けていたらしい。
「こんな夜にやらずとも、明日の昼間に分ければいいだろう」
「そんなことは分かっている」
「では何故だ?」
「ここに来たかっただけだ」
 それだけだと、大包平は言い、袋と種を片付け始めた。俺のことは気にせず続ければ良いと、空いていた椅子に座ったが、大包平は別にと言って片付けを止めなかった。
 机の上がすっかり片付くと、大包平は帰ろうと言った。
「いいのか?」
「構わん」
「俺は別にきみを連れ戻しに来たわけではないぞ」
「別にいい」
 まだあまり声が出せないらしい大包平は、そう言うと口を閉じた。理由が聞けそうもないと分かると、俺は立ち上がり、自然と彼の手を取った。
 手を取ってから、俺ははたと動きを止めた。

 は、と大包平の口から小さな息が零れる。俺もまた、何も言えずにいた。
「どう、した?」
 暫くの静寂の後、大包平が言った。俺は暫く考えてから、思い当たったことを言った。
「兄者が、こうしていただろう」
 思い出すのは昼間に見た、兄者が大包平の手を取って歩く様子だ。きっと、あれを見ていたからだ。そう伝えれば、大包平は気まずそうな表情で頷いた。とりあえず納得したらしい。
 俺は無言で電気のランタンを手に取り、大包平に渡すと、手を引いて扉を開き、夜の花園を歩いた。

 片手に大包平の体温を感じる。明かりは彼の手にある。俺の進む先は、月明かりにのみ照らされていた。
「膝丸、機嫌は治ったのか」
 ふと、大包平が言った。その言葉を聞いて、兄者と大包平に感じていた不快感が、夜の風にのって駆け抜けたような気がした。それは俺の指を乱暴にすり抜け、嵐の風のように吹き荒れるだけで、俺にはそれが何を表すのか分からなかった。

 なので、俺は言うのだ。
「どうやら、俺は存外きみを気に入っているようだ」
「はあ?」
「きみは本当に良き友だ。本当だぞ?」
 そう言い終えて振り返れば、また気まずそうな顔をした大包平がいたので、俺は自然と笑みが零れた。
「本当だからな」
 月明かりの花園で二人きり。耳に届いた自分の声が、少しだけ震えているような気がした。そんな声に大包平は一度目を見開き、それからそのまま伏せて、口を開いた。
「ああ、良き友だ」
 ずきりと、心臓が締め付けられる。痛い、痛い。だが、これ以上はまだ、俺には分からない。
 荒れ狂う風を飲み込んで、俺は彼の手を握る力を少しばかり強めた。俺に出来る事は、ただそれだけだった。



- ナノ -