よく晴れた春の日のこと。それは四年い組の綾部喜八郎が蛸壺堀りに出かける途中の出来事だった。

「おやまあ」

 これは珍しいものを見たと、綾部は思った。その光景とは、五年い組の久々知兵助が木に寄りかかって昼寝をしているものだった。そんな久々知の手には書物。きっと予習でもしていたのだろう。い組の生徒はだいたい予習復習を欠かさない。もっとも綾部は一度だって予習復習をしたことがなかったが。本人曰く、そんなことをするより蛸壺を掘りたいとのこと。

「久々知先輩。起きてください」
「…」

 立ったままの綾部が、起こそうとするには小さな声で久々知に呼びかける。当然、久々知は起きない。ここで綾部はさらに珍しいと思った。たまごとはいえ上級生はかなりプロの忍者に近い。そんな生徒がこんなに無防備に寝るなんて、と。

「お疲れですか?」
「…」

 久々知は起きない。その真っ白な肌に映える漆黒の瞳は瞼の向こう。綾部は無性にその瞳が見たかった。理由は特にない。美しいものを見たいと思うことに理由などいらないからだ。
 そう、綾部は久々知をとても美しいと思っていた。思い始めた時期など聞かれてもとうに忘れたが、そんなことは彼にとってどうでもいいことだった。ただとても美しいと思っていたのだ。
 久々知は確かに整った顔立ちをしている。目は大きく睫毛は長い。艶々とした黒い髪はきちんと手入れされていた。これらは女装をする際に役に立つのだろう。ただ、それらがとても美しいという表現に行き着くのは綾部だけだろう。小綺麗な男だとは思っても彼のように、盲目的にとても美しいとは言わないだろう。

「先輩は美しいです。」
「…」

 久々知の瞼がゆっくりと開かれ、濡れた漆黒の瞳が露わになった。そして立っている綾部を見上げた。瞳に綾部だけが映る。その時綾部が感じたのは底なしの幸福感だった。

「せんぱい」
「…綾部、どうした」

 綾部の甘ったるい呟きに久々知は不思議そうに首を傾げた。一方、綾部は一つの事実を見つけることができたことに歓喜していた。

「わたし、せんぱいが好きです」
「綾部、」
「好きです、あいしてます」

 綾部は屈んで久々知を抱きしめた。久々知は驚いていた。ろくに話したこともない人間にいきなり告白されたのだ。仕方が無い。

「わたし、何度でも言います。久々知せんぱいがわたしの望む返事をくださるまで。ずっと」
「そうか」

 綾部は抱きしめていた久々知を離して久々知の目の前に座った。久々知は目を伏せていた。

(嗚呼その姿も美しい!)
「すまないが、俺は綾部と付き合えない。」
「何故です?」
「それは、」

 久々知は目を伏せたままだった。でもまあ考えているのは三病のことだろう。それ以前に性別というのもあるだろう。綾部はそれら全てがどうでもよかった。いや、関心が無かった。ただ今目の前の美しい人を、愛しい人を手に入れたかった。

「せんぱい。わたしはせんぱいが好きです。」
「だから」
「わたしは宣言しましたでしょう。わたしの望む返事をくださるまで、ずっとわたしは言います。毎日久々知せんぱいの元に行きます。」
「綾部…ごめん。俺は綾部と付き合えない」
「それではまた明日お伺いします」

 綾部は立ち上がり、くるりと方向転換して蛸壺堀りに出かけた。足取りは軽かった。





恋スルこども
(好きですせんぱい。三病を気にするなら溺れなければいいのですよ。)
(それでも俺は付き合えない)


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