さみくも/濃藍


 何も恐れるものがなく、何も秀でたものもなく。淡々とした日々を過ごすわたくしに、あなたが初めて彩りをくれたのです。

 村雲にとっての愛は信仰である。盲目とすら呼べるそれを、五月雨の周囲は注意深く見てきた。一方で村雲にとっての、三日月と亀甲という知己は、わりとよく面倒を見てくれていたと思う。どちらも、事なかれ主義とも言えるからだ。三日月は老齢で、穏やかである。亀甲はご主人様以外には、白菊のような美しいひとがたであった。

 四季は巡る。冬が過ぎ、春が華やぐ。もうすぐ初夏にもなろう頃、村雲は万屋街のショーケース前で、ううんと唸っていた。
「どうしたんだい」
「あ、余所の……」
「うん。違う本丸の桑名江だよ。きみは村雲江だよね、どうしたの?」
「この、西洋菓子、雨さん喜ぶかなって……」
「ああ、これ? ブルーベリーなら夏が旬だから、喜ぶんじゃないかな」
「そうなんだ。じゃあこれにしよう」
 村雲が買い物を終えると、桑名はにしてもと首を傾げる。
「一口で買い出し?」
「ううん、亀甲と来てたんだ。しばらく組紐選んでるから、その間に買っておいでって」
「そっか」
 桑名の穏やかな声に、村雲はもしかしてと告げる。
「もしかして、そっちに俺、いない?」
「うん。五月雨には申し訳ないけど」
「雨さんはいるんだ」
「色々諸事情あってね。松井と豊前もいないよ」
「ふうん」
 また妙な話だ。村雲はこてんと首を傾げた。
 桑名は、まあ色々さと、迎えに来たらしき前田へと振り返る。
「村雲が思うより、江が揃うのは珍しいことなんだよ」
「そう」
 そうなんだ。村雲は曖昧に頷いた。

「お待たせ」
「あ、亀甲」
「さあ帰ろうか……どうしたんだい?」
「何が?」
「まるで狐につままれたような顔をしてるよ」
「狐……」
 ああ、そういえば桑名の目は金色だったな。村雲は目を細めた。

 ブルーベリーの洋菓子は江の皆で食べようか。村雲は給湯室の冷蔵庫に箱を入れた。

 狐か。村雲は、庭をぴょんぴょこ動くお供の狐を眺める。どうかなさいましたか。お供の狐が寄って来る。彼の愛しい子たる鳴狐は粟田口の仲間たちと洗濯物を干しているところらしかった。
「鳴狐にご用ですか?」
「ううん。ねえ、お供の狐はさ」
「はい?」
「……いや、何でもない」
 これは聞いてもどうにもならないだろう。村雲が諦めると、さて果てとお供の狐は瞬きをした。
「村雲様にはキツネが見えるのですね」
「え?」
 ゆらり、彼の尾は三つにわかれていて。

 目覚める。ジィジィと蝉の声。じとりと暑い本丸で、蚊帳に潜って村雲は眠っていた。
「おはよう」
 松井が氷入りの麦茶を手にやって来る。
 薄手の洋服を着た彼は、村雲を起こすと、グラスを渡した。
「飲むといいよ」
「うん」
 それはいいけど。村雲は控えめに問うた。
「いつから夏になったの」
「さあ?」
 審神者は気まぐれだからね。松井は肩をすくめた。

 江が揃ったので、村雲はブルーベリータルトを切り分ける。篭手切は目を輝かせ、豊前はアイスティーだったかと水出しの器を探している。桑名は、これはいいねと納得している。そして、五月雨は、篭手切に負けず劣らず目を輝かせていた。
「季語……」
「雨さんらしいね」
「いや、早く食おうぜ」
「豊前はもう少し見て楽しんだらどうなんだい」
「ふぉーく、持ってきたよ」
「わ、ありがとうございます!」
 がやがやと食べれば、甘酸っぱいブルーベリーが冷たくて心地良い。

 そういえば狐の夢を見たような気がする。村雲がぱさりと外を見ると、お供の狐を抱いた桑名がひらりと振り返り、桜に消えた。

 残された蝉の声。今晩からは蚊帳が必要ですねと、五月雨が微笑んでいた。

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