さみくも/幸福のいろは


 忘れ物があったような、気がしている。

 ばちん。目覚める。深夜、月明かりに、また窓を開けたままだったと村雲は息を吐いた。
 水でも飲もう。ずるずると布団を出て、寝間着を整え、ペタペタと本丸屋敷を歩く。二階の給湯室に向かうと、そこには先客がいた。
「雲さん」
「雨さん、どうしたの、こんな時間に」
「雲さんこそ」
「俺は目覚めちゃって」
 水でも飲もうと。そう言うと、それならと五月雨は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
「冷たいですが、水です」
「ありがとう」
「寝苦しいですか」
「ううん。そんな事はないよ」
 なら、いいのですが。五月雨はそう言ってマグを傾けた。それ何。聞くと、コーヒーですよと返ってくる。
「これから夜の警備なんです」
「寝たの?」
「ええ、早めに寝たので。でもまあ、珈琲は保険です」
「ふうん」
 雲さんは早く寝てくださいね。そう言われて、うんと頷いた。


 朝だ。
 夏の朝だが、爽やかな風が部屋を駆け抜けた。村雲はのそりと起き上がると、朝の支度を整えて食堂に向かった。
 朝の食堂は正しく戦場である。村雲さんお早うと手伝いの太鼓鐘が真っ先に気がついて、膳を用意してくれた。

 朝餉を手にどこの席に座ろうかと思うと、おやと声をかけられた。
「村雲さん、どうしたんだい」
「あ、小豆さん」
「小豆こっち。ってアレ、村雲?」
「獅子王さん?」
 獅子王がキョトンとしていた。

 小豆、獅子王、大包平、愛染、そして村雲。奇妙な取り合わせの机に着く。
「山鳥毛がしゅつじんでね」
「鶴丸が隊長だったなあ」
「鶯丸をキッチリ連れ出していた。なかなかやるな!」
「そういや万屋街で夏祭りをやるみたいなんだけどさ!」
 愛染の言葉に、ほうと皆が注目する。愛染はどこ吹く風で、蛍たちと祭りに行くんだと楽しそうだった。
 小豆はそれはいいねと微笑む。獅子王が、俺も馴染みの刀に声をかけてみようかなと呟く。大包平は、日程を教えろと何やら手帳を開いた。
 愛染曰く、夏祭りは三日後から一週間続くらしい。万屋街の中でも、古い区域で行われるのだとか。
「村雲は、五月雨と行ってきたらどうだ?」
 獅子王の言葉に、村雲はパチリと瞬きをする。
「雨さんと?」
「おう。きっと楽しいぜ」
「でも、雨さんはよく夜警当番だから」
「当番なら……、昨日だったんじゃないか? だったら、しばらく当番は回って来ないぜ」
「そうなの?」
 それなら誘ってみようかな。村雲が控えめに言うと、それがいいよと小豆が穏やかに肯定してくれた。

 五月雨の部屋を訪れる。戸が開き、五月雨が出迎えてくれた。
「どうかしましたか」
「えっと、その」
「夏祭りですか?」
「え、よく分かったね」
「その話で持ちきりですから。昼間に行きますか? 宵まで続くようですが」
「昼間かな。夕餉までには帰りたいかも」
「わかりました。では三日後の昼間に門の前で落ち合いましょう」
「うん」
 そして五月雨は続ける。
「もしかして、雲さんは休日ですか」
「うん。一昨日出陣だったから」
「それなら、着物でも買いに行きませんか」
「着物?」
「ええ、夏祭りには和服が合うそうなので」
 おすすめの呉服店を教えてもらったことがあったので。五月雨はそう言うと微笑んだ。村雲は、それならと頷いた。


・・・


 夏祭り当日。村雲は着物を着る。淡い桃色と紫のそれに、深緑の帯を合わせた。
 着物は慣れない。これでいいのだろうかと思いながら、門に向かった。

 五月雨が立っている。すらりとした立ち姿、深い紫の着物は彼によく似合っていた。
「雨さん」
「雲さん、よく似合ってます」
「雨さんこそ」
「じゃあ行きましょうか」
「うん!」
 そうして門を通る。

 夏祭りというだけあって、屋台が出ている。刀剣男士や妖怪や人間がごちゃまぜに出歩いていた。
 五月雨はお好み焼きを買い、村雲はりんご飴を買った。
 りんご飴は帰ってから食べることとなり、お好み焼きを分け合う。
 他に何があるだろう。きょろりとすると、同じ本丸の獅子王の姿が見えた。
「あ、五月雨に村雲!」
「獅子王さん、ひとり?」
「いいや、鶴丸たちと一緒」
「鶴丸さんたちと?」
「伊達の皆さんですか?」
「そうそう」
 そう言うと、獅子王はふたりとも着物がよく似合ってるぜと笑ってくれた。
 それがまるで背中を押されたようで、村雲は人を模した心がむず痒くなったのだった。やはり、教育係の、先生は偉大である。


 日が傾くと本丸に帰った。まばらな食堂で夕餉を食べる。りんご飴は串を引き抜き、厨当番に切り分けてもらった。
 りんご飴を食べながらぽつぽつと話していると、伊達組と獅子王が帰ってくる。太鼓鐘がぱたぱたと村雲へと駆け寄ってきた。
「村雲さんっ、はい、これ!」
「え、何?」
「わたあめ! 村雲さんと五月雨さんの色だったから買ってみたんだ」
「あ、ありがとう」
「紫と桃色ですか。確かに私達の色ですね」
「だろお!」
 じゃあそれだけ。太鼓鐘はそう言って軽装を翻して、伊達組と獅子王の元へ戻った。
「綿飴も食べましょうか」
「うん」
 袋から取り出して、分け合う。口に含むとしゅわりと溶けるそれは、実に面白い食感だった。人の世って面白いな。村雲はうっすらと思ったのだった。

 それもこれも、五月雨が居るから、だけれども。

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