キバネズ/白を示せ3/続けたいんじゃ/海馬と城と死の話です。


 朝日がガンガンとした頭痛を呼び起こすようだった。ネズはふらつく手でアロマを焚いた。カラマネロが難しい顔をしている。ズルズキンが、ごつんとベッドに頭をぶつけてから、ネズを見上げた。心配されている。分かってはいた。ネズは何らかの因果により、夢の塔を登っているのだ。
 今日はアルバムの収録がある。先行して一曲だけ完成させよう。スタジオで真っ先にネズの不調を見抜いた優秀な監督からの提案だった。一つずつ、確実に。堅実な精神に、ネズは共感した。

 アルバムの収録を済ませると、そのままアーマーガアタクシーを呼んだ。気をつけろよ。アーティスト仲間からの声かけに、ネズはなるべく気をつけてきたつもりなんですけどねと皮肉を言って、スパイクタウンの外に止まったアーマーガアタクシーで、直ぐにアラベスクタウンへと向かった。

 ポプラの館。古い付き合いの、使用人らしき初老の女性がネズを招き入れた。
 館の奥ではポプラがマホイップと編み物をしていた。よく来たね。ポプラは顔を上げる。
「想像以上にひどい顔だね」
「そう見えますか」
 そう言いつつも、そう見えるのだろう。ネズは行く先々で人に心配されたことも加味して認識した。どうやら、自分の体は相当参っているらしい。
「こちらから調べたけれど、何にもなかったよ」
「そうでしたか……」
 ポプラでは手に負えないとすると、オニオンの専門になるのだろうか。いや、しかし。ネズがぶつぶつと呟いていると、だけどねとポプラが言った。
「坊や、坊や、ビートや、お出で」
 声をかけると、しばらくして、ビートが何ですかと顔を出した。彼とネズの目線がばちりと合う。

 ビートはネズの顔色を見ると、ぎょっとして、すぐに駆け寄ってくる。そして、言った。
「夢見が悪いのではないですか?」
「どうして、それを?」
 ポプラから聞いたのか。そうだと思ったが、ビートはいいえと頭を横に振った。ポプラが言う。
「そもそも、さいみんじゅつもゆめくいも、エスパータイプの技だっただろう」
「そういえば、そうでしたね」
 ネズはビートと向き直った。ビートは緊張した面持ちで、告げる。
「悪い夢ですか」
「ええ、起きたときにひどく、気分が悪くなります」
「いいえ、"それ"は悪い夢ですか?」
「えっと、どういう……?」
 ビートは唱えた。
「悪夢ならば、みかづきのはねがあれば治るものです。ですが、貴方のそれはきっと悪夢ではない」
 ネズは混乱したまま、ビートを見る。ビートは続けた。
「悪夢ではありません。ですが、夢を見させれてます。たぶん自宅の付近にエスパータイプの、ムシャーナが迷い込んでいると思います」
「ムシャーナですか?」
「はい。それも、白い煙を出していると思います」
「黒ではなく?」
「黒だったら悪夢ですよ」
 それは悪夢ではない。ビートの真っ直ぐな目にネズはハッとした。吸い込まれるような血潮の向こう、ビートは確かにネズの夢を見抜いていた。
「夢を終わらせねばなりません。ですが、無理に終わらせてはいけません。ムシャーナは苦しんでいる。貴方を苦しませたくはないんです」
「……まずはムシャーナの捕獲、ですか」
「はい。その後、ムシャーナを連れて来てください。ただ、もう夜も遅い。ムシャーナは既に眠りについています」
 分かりますか。ビートは切実な面持ちで言った。
「今晩の夢が佳境です。今晩の貴方の選択で、ムシャーナの運命が変わるんです」
 そしてもちろん、貴方の運命も。エスパータイプの使い手だった者として、ビートは立っていた。フェアリーの不思議な力をネズは知っている。ネズにはエスパータイプの力が分からない。だが、ビートの目に嘘偽りがないことは、あくタイプの使い手としてよく見抜けた。
 暖炉の中、薪の爆ぜる音がする。
「信じましょう」
 ネズは明日、必ずムシャーナを連れて来ると約束した。


 スパイクタウンに戻ると、ネズの家に明かりがついていた。マリィとは随分前から住まいを分かちあった。ならば家にいるのは一人しかありえない。いつもなら気分が上向くものの、ネズは困ってしまった。
 今晩、夢を見ると分かっている。あまり弱ったところを見せたくはなかった。たとえ、恋人であってもだ。
「ネズ、おかえり」
 飯なら出来てるぜ。そうにぱっと笑うとキバナに、ネズはありがとうございますと自然に笑った。

 夕飯を食べながら、洗いざらいポプラやビートに相談したことなどを話した。なるほどなとキバナは唸る。
「顔色が悪かったのはそれでか。フェアリーやゴーストもだけど、エスパータイプも食えないな」
「ええ、ですか、もし、今日何かあったとしたらいけません。キバナは家に帰ってください」
「え、なんで? 一緒にいるぜ」
「……夢が佳境に入るそうです」
「おう」
 柔らかで、真っ直ぐな目だった。キバナは覚悟してると囁く。
「オレさまも夢に巻き込まれたら、その時ってことだ」
「わざわざ身を呈する必要はありません」
「でも、ネズを助けたい」
 オレさまからしても、眠っているムシャーナには近づきたくないことだし。今晩を過ぎればいいだけだ。キバナは言う。
「明日、寝起きじゃないムシャーナに話しかけに行こうぜ。ネズなら居場所もわかるだろ」
「ですが……夢がどうなるか」
 食い下がるネズに、キバナは大丈夫と頷いた。
「ネズなら間違えない」
 確信に満ちた声だった。ネズの心がぽかぽかと温かくなる。ああ、この声だけは忘れない。ネズは決めた。


・・・


 四階は暗かった。置いてあった手燭に手を伸ばし、取っ手を持つとふわりと炎が揺らめいた。
 階の中央には、また本があるようだ。近づいて、手燭を片手に、片方の手だけで書見台の本を触った。

"MEMORIES"

 見慣れたが、読めない字。ネズは気にせず開いた。

 だが、全てのページに一文だけがあった。

"暗黒の時代"

 読めないが、どうにも何かへと掻き立てられるような気持ちになる。ふと、本のページが揺らめいた。ふっと手燭の火が消える。風だ、ネズは導かれるままに階段のない壁へと向かった。分厚い天鵞絨(ビロード)のカーテンを手に取る。重たい。勢いをつけて、思いっきり開いた。

 そこには窓があった。窓というより、柵も壁もない、ただの四角い出入り口のような場所だ。一歩、踏み出せば落ちるだろう。眼下には崖のような光景が広がっている。
 一歩、踏み出せば死だ。ネズはぼんやりと見つめている。不思議と、怖くはなかった。ただ、離れがたい。次の階へ行かないければ。そう思うものの、窓の外が気になって仕方なかった。
 もういっそ、踏み出してしまおうか。そう考えた時だった。
「ネズ!」
 声がした。振り返ると、キバナが立っていた。窓の外から四階に光が射し込んでいる。キバナの後ろには次の階への階段があった。
「ネズ」
 呼ばれている。手を差し伸べられている。ネズは名残惜しいと崖の下を見てから、窓のカーテンを開いたまま、キバナの元へと向かった。

 カーテンが揺れている。手燭の炎は消えている。

 書見台の本もまた、消えていた。

 だが、そんなことにネズは気が付かず、目の前のキバナと共に、次の階へと向かったのだった。

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