キバネズ/白を示せ2/続けたい/海馬と城と死の話です。


 階段を登ると、二階に到着した。そこには譜面台のような台、教本などを置く場がある。ネズは進み、中央のそれを見つめた。

"MEMORIES"

 また、だ。ネズは読めないなりに、字の形で判断する。一階にあったものと同じなのだろうか。手を伸ばし、開く。

"××年×月×日
マリィ、生を受ける"

 違う文字だ。ネズは読めないものの、気がついた。何と読むのだろう。いくら考えても、読み方が分からない。
 また、ページを捲る。音はなかった。

"○○年○月○日
ネズ、モルペコを捕まえる"

 読めない字だが、どこかが、そう、心臓のあたりが温まったような気がした。心が温まったような、満たされた気持ちになる。だが、まだ早いとネズは気がついた。
 塔を登らなければ。ネズは本を書見台に置き、次の階へと向かった。


・・・


 目覚める。ネズは酷い頭痛を覚え、ベッドの中で呻く。タチフサグマが真っ先にやって来て、顔を覗き込んでくれた。大丈夫ですよ。ネズは念の為にと、ポプラからもらったアロマを焚いた。
 夢見の悪さを相談したのはポプラだった。彼女はそうだねえといつもの顔で、一先ずこれをと、アロマを渡してくれた。どうやら、いくつかのエッセンスを調合したものらしく、ネズには馴染みのない匂いがした。それが普通だよ。ポプラは言った。それは夢見そのものよりも、目覚めを良くするアロマである。夢が象徴的なものなので、何らかの干渉がネズに及んでいる可能性があるのだが、今はまだ、ポプラにも因果が見えないのだという。
 しばらくは不快だろうが、耐えておくれ。こちらでも調べておくから。ポプラの励まされたことをネズは思い出しながら、手を擦る。夢見の悪さで指先まで冷えていたのを自覚した。段々と体が温まってくる。アロマオイルの効果は確かにあるようだ。

 録音スタジオなど、ネズの音楽活動の環境はスパイクタウンに集中している。しかし、アーマーガアタクシーが来ないこともあって、他地方から呼び寄せたアーティストなどからすると利便性に欠けてしまう。故に、ネズは近くの大都市であるナックルシティにもそれなりに設備の整えた部屋を用意していた。
 ナックルシティは今日も賑やかだ。城塞都市じみたそこの一角、録音スタジオのある部屋に入ると、先にアーティストがいた。イッシュ地方で活動するアーティスト、アーティ。今回のCDのジャケットイラストを担当してもらう約束をしていたのだ。
 招いたというのに、待たせてしまったと慌てそうになると、アーティは構わないよとにこにこと笑った。隣にはガラルでは見ないハハコモリがせっせと小さなクルマユに木の葉の服を作ってやっていた。
「今回のテーマを教えてくれる?」
 不慣れそうなガラル語によって伝えられたアーティの言葉に、ネズはええとと慣れないイッシュ語で応えた。
「今まで通り、恋愛をテーマにしたアルバムにしたいんです」
「うん、過去のアルバムなら聴いたよ」
「ありがとうございます。でも、今回は毛色が変わっていて、その、恋愛が成就したような歌が多いんです」
「へえ、そりゃ新しいイメージが欲しくなるね。依頼が来たのも納得だよ」
「ぜひ、アーティの絵が使いたいんです。できればカラフルな方がいい」
「それはそうだろうね。分かったよ、デモ音源とかはある? イメージを掴みたいんだ」
「デモならあります」
 アルバムのメインとなるデモ音源を再生する。アーティは伏し目がちに楽曲を聴いている。ハハコモリは動きを止めた。数分後、アーティは素晴らしいねと口元に手を当てた。
「素晴らしい楽曲だよ。これは楽曲に負けないように気合いを入れなくちゃ」
「ありがとうございます」
「ラフをすぐ作るよ。一応、一週間はナックルに滞在するから、その間に」
「助かります」
「イッシュで完成させて、データを送るね。リテイクはメールで伝えて」
「あなたがリテイクを出すような絵を描くとは思えませんが」
「買いかぶりすぎだよ」
 じゃあ、借りている部屋に戻るね。そう言って、アーティはスタジオを後にした。

 残されたネズはどっと疲れを感じながらも、好感触に嬉しさを滲ませた。
 そうだ、キバナに会ってから帰ろうか。そう思い、スマホで連絡すると、キバナはすぐに返信してきた。事務室に来てくれればすぐ会える。そんな甘えの混じった返信に、ネズは向かいますねときっと事務作業でてんてこ舞いになっているナックルジムの事務室へと向かった。


・・・


 白い塔の三階。案外早く着いたそこにも、木で出来た書見台があり、本がある。焦ることなく歩み寄り、表紙を見る。

"MEMORIES"

 相変わらず読めない字だ。だが、葡萄色に金字のそれは、今更ながらに、豪華な本だと思えた。
 ネズは迷うことなく本を手に取り、ページを開く。音はしなかった。

"○○年○月○日
ネズ、モルペコをマリィに譲渡する"

 読めない。だが、見終えた瞬間に、幸福感を得た。一つ、何かを成し得たのだと自覚した。
 字は黒いインクで綴られていた。次のページへと目を向けた。

"○○年○月○日
ネズ、旅立つ"

 短いそれに、首を傾げた。満たされるような幸福感はない。ただ、これから何かが起きるのだと感じられた。
 次のページにはいつ会えるのだろう。何となく、遠い気がして、また首を傾げた。満たされているような、焦りもあるような、それでいてどこか寂しいような気がした。

 ネズは本を書見台に置き、周りを見回す。すると本を開いたときには無かった絵画を見つけた。

 近づいて、絵の傍らにあるタイトルらしき金属プレートを見る。真っ黒に錆びついていた。これでは見えないと、シルクのスカーフで錆と汚れを取り除いた。

"若き少年の肖像"

 読めないが、見えるようになっただけマシだろう。ネズはそう心に言い聞かせて、絵に向き合った。絵はトランプほどのサイズの油彩画だった。目をそらした彼とは、目を合わせない方がいいのだろう。ネズは思った。彼はきっと、目を合わせたくないのだ。目を合わせたら、争いになる。闘志となる。肖像の少年は、この絵の中では、戦いたいわけではないのだろう。
 でもきっと、ごく普通の少年らしく、バトルが好きなのだろう。ネズは思った。

 絵を見終わると、ネズは次の階に向かうべきだ。そうして、階段へと向かった。

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