キバネズ/ノイズ、レコード、リピート5/幸福になるわけにはいかないネズさんと、共に幸福になりたいキバナさんの話/おわり!


 褒めよ讃えよ、そんな幸福は要らなかった。

 結局、キバナを遠ざける良い案が浮かばず、気持ちを切り替えてライブに挑んだ。
 熱狂するファンの外、関係者席に見える愛しい妹とモルペコの姿に安堵しながら、歌は進む。曲で舞う。ネズは目一杯、歌い切った。ネズにアンコールはない。ファンもよく分かっていて、アンコールを求む声は聴こえなかった。

 控え室に戻ると、じきにマリィとモルペコが訪ねてきた。うららと、ご機嫌なモルペコに、ネズは思わず顔を綻ばせる。すっかり機嫌が直っちゃって。マリィは少しばかり拗ねた様子だった。
「あのさ、アニキ」
「なんだい、妹よ」
「やっぱり、ちゃんとキバナさんと向き合うべきやけん」
「またその話ですか? それなら、」
 もう言ったはずですが。そんな言葉をマリィは鋭く遮った。
「言い訳は聞きたくなか。そもそも、キバナさんの気持ちはどうなっとーと!」
 は、とネズは息を吐いた。キバナの気持ち。そんなの、ネズには関係なかった。その筈だった。なのに、マリィはそれを怒っていた。
「アニキなら、キバナさんの気持ち、ちゃんと分かる。マリィにはそれがわかるけん。だから、もどかしい」
 ねえ、アニキ。マリィは強い眼差しをネズに向けた。それは立派な一人の人間の顔だった。ああ、大きくなった。立派なレディになった。ネズは泣きそうだった。
「ねえ、アニキ。アニキの人生、これから先はアンコールだなんて、言わせないから」
 ネズにアンコールはないのだから。
「まだ、アニキの舞台は真っ只中だよ」
 そんな言葉に、ネズは何も言えなかった。

 帰宅する。玄関扉を開き、革靴で階段を上がる。軋む音に、彼は気がつくだろう。だが、迎えはなかった。部屋に着けば、薄明るいリビングで、ポケモンたちが微睡んでいた。新入りのジグザグマがご主人おかえりと駆け寄ってくる。よしよしと撫でてやると、ヌメルゴンがちょいちょいとネズの肩をつついた。振り向けば、キバナが机の上に頭を置いて寝ていた。
 ずり落ちかけた毛布はポケモンたちが一生懸命になって掛けたものだろう。こんな古い毛布、どこにあったか。ネズは彼の指に触れた。冷たい。暖房の付いた部屋、寝ている彼。温かくたっていいだろうに、彼の指先は冷えていた。
 冷え性なのだろうか。知らなかった。でも、知らないのは、それだけじゃなかった。
 自分は何も知らなかった。知ろうともしなかった。ネズは息を吐く。白くはない。暖かな部屋で、彼だけが冷たかった。

 もう、潮時だった。何せもう、後戻りなんて出来なくなっていたのだ。ネズは心を決めた。逃げるのは、見ないふりは、もう止めだ。

 キバナ、キバナ、起きてください。そう声をかけると、キバナはバッと起き上がった。そして、ネズがいると夢見心地に告げた。ターコイズよりも鮮やかな瞳が蕩けているかのようで、甘ったるい。そういえば、アーケードの上で、彼はエネココアを所望していた。はて、彼は甘味が好きなのだったのだろうか。これもまた、知らなかった。
「おはようございます、キバナ」
 それと。
「おれも好きですよ」
 は、とキバナが息を止める。やがて、彼はがたんと勢い良く立ち上がり、頭を天井にぶつけて痛みにうずくまる。
 やがて、顔を上げた。
「オレも、すきだって」
 知ってるよな、オマエだもんな。そんなへらへらとした笑みと、痛みだけではない涙に、ネズは降参ですと笑ってみせたのだった。





おわり

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