キバ→(←)ネズ/ノイズ、レコード、リピート/幸福になるわけにはいかないネズさんと、共に幸福になりたいキバナさんの話/続くかもしれない


 幸福を定義せよ。ネズは思う。幸福とは、己から最も遠くなければならないものだと。

 空が高い。スパイクタウンのアーケードの上、ネズはハアと白い息を吐いた。キルクスの方向から吹き付ける、冷たく、荒い風に晒される。このような天上に、来たいという物好きはなかなかいない。
 だが、ネズは気分転換したい時はよく訪れる。今の家の近くにわざわざ穴を開け、梯子をかけたぐらいだ。
 冷たいが、それがいい。ジャミング塗れなのに、思考を邪魔されない風の音の中。ネズは根っからのスパイク育ちだと自認する。この風が気持ちいいだなんて、スパイク育ちじゃなければ分からないだろう。他の町のやつらはきっと、もっと上等な風を知っているから。たとえば、ネズがジムチャレンジ中に見た、シュートシティの高層マンションの屋上だとか。

 ネズはスパイクタウンが好きだ。囚われる必要はないと声をかけてくれた人はいた。ネズはそれに反抗した。ネズはスパイクタウンが好きだ。この身が朽ちたっていい。落ちたっていい。町と共に生きて、町と共に死ぬ覚悟は当の昔に決めていた。
「どうして、なんて野暮ですよ」
 人より良い耳は、異音を察知していた。バレてたか、キバナがフライゴンの力を借りてアーケードの上に降り立った。寒すぎる。彼は肌を震わせた。
「部屋に戻って、あったかいエネココアでも飲もうぜ」
「お一人でどうぞ」
「ネズも一緒がいい」
 キバナは、バトルを申し込まくなった。否、それよりも彼はネズを心配してくれているのだ。その心配事さえ片付けば、彼はまたバトルを申し込んでくるのだろう。
「ジムのこと、妹ちゃんに任せたんだろ」
 これは、ジムリーダーの全権限を受け渡したことを示す。ネズはそうですねえと息を吐いた。白い息は、冷たい。
「足枷、なくなっちまいましたね」
 困ったことです。ネズはブラブラと足を揺らして見せてから、ニイといびつに笑う。キバナは、ほら見たことかと、呆れた。
「町が大事なのは分かるぜ。でも、限度があるだろ」
「ええ、そうでしょうね。でも、おれはこの町に血と肉と骨を埋めると決めましたから」
「だからって、固着する必要はない」
「固着なんてしてませんよ、先週までガラルツアーしてたじゃないですか」
「じゃあ次は何をするつもりなんだよ」
「そうですねえ、全国ツアーとかですかね」
 まあ、おれがどこまで通用するのか分かりませんが。そうぼやけば、絶対通用するとキバナは力強く言った。
「ネズはスパイクタウンだけに留めておくには限界がある人材だ。オレさまが保証する。だから……」
「何ですか、ジムの移転ですか? それともおれの拠点を移せと?」
「違う、全然違う。オレさまはさ、オマエに」
 その続きは強風に煽られて聴こえなかった。それで良かった。吹き荒ぶ風の中、儚くも、ネズは笑う。

「おれ、この町に恋してるんですよ」

 知ってますか、この町に朝はなくて、昼と夜しかなくて、産業もろくに無くて。でも、町の結束は固くて、ポケジョブに依存していなくて、赤子や老人は出て行って、ロックを求めるアーティストや物好きなファンで構成されてるんです。
「おれは、この町を愛してるんですよ」
 恋も愛も、ぜんぶ捧げたんです。ネズは笑った。
「おまえの入る隙間なんか、見せねーってんです」
 一昨日来やがれ。べえと下を出せば、キバナは頭の固いやつと息を吐いた。彼の息もまた白かったのに、どうしてか、温かく見えた。
「絶対振り向かせてみせるからな」
 オレさまの意地と根性を見せてやる。だから、今はここから降りてエネココアを飲もうぜ。そう手を伸ばされて、ネズは仕方ないやつだと頷く。冷たくなった体を温めるのは悪くない。そうして、アーケードから降りることを受け入れたのだった。

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