キバネズ/予防線はいらない/一緒が何よりも大切/朝日よりも珍しいもの
山間の町では朝はない。だが平野であれど、町が覆われていたらどうだろう。崖が迫るその町は屋根で覆われている。
朝日とは、どこかの地方では信仰の対象らしい。ネズは屋根の上、激しい風に殴られながら思う。吹き荒ぶ風の中、壊れかけたアーケードの修理にかかる。エール団の中でも力強い青年達と共に新たなトタンを運び、釘を打つ。雨漏りはこれで直るだろう。一安心し、次は劣化の激しい箇所を探す。雨漏りなどは、未然に防ぐべきである。音楽活動とジムリーダーの引き継ぎでエール団諸共駆けずり回っていたことが、今回の雨漏りの原因だった。
「それでは、そろそろ戻りますか」
全体のチェックを終えて屋根から降りる。エール団に解散を指示し、ネズはいつもの猫背とゆっくりとした足取りで自宅に戻った。
自宅の扉を開くと見慣れた、だが己のものではない大きな靴がある。勿論、マリィのものでもない。
「お、ネズおかえり!」
ひょいとキバナが顔を出した。スマホロトムがしゅんしゅんと動いて、お湯が沸騰したと知らせていた。
紅茶は二杯分。丁度戻ると思ってさ。キバナが整えたテーブルには他の地方から取り寄せたらしいバームクーヘンがあった。三角に整えられ、チョコレートに包まれたそれに、これまた甘そうなとネズはコートを脱ぎながら言う。
「手洗いうがいしてくるので待っててもらえます?」
「もちろん」
満面の笑みのキバナはどうやらやけに機嫌がいい。これは何かあったなとネズは全く何なんだかと手洗いうがいを済ませた。
「このバームクーヘン、なかなか取り寄せられなくてさあ」
どうやら機嫌の良さは茶菓子が原因らしい。どうしてもネズと食べたかったんだと、彼は語る。三角のバームクーヘンをオーブンで温めると、とろりとチョコレートが溶けて食べ頃となる。
「どうしておれなんかと?」
茶菓子を前に、不思議だと思ったままに問いかけると、分かってないなあとキバナは上機嫌に笑った。
「美味いもんは何でもネズと食べたいんだ」
これ、カブさんのオススメなんだぜ。そう言われてようやく口に運ぶと、ダークチョコレートの滑らかで甘過ぎない口当たりに、これはと瞬きをした。美味しい。素直に思ったが、それを告げるのは戸惑われた。そんな万人が言うような言葉を彼は望んでいるのだろうか。ネズがぐるぐると考えている目の前で、キバナが言う。
「美味いか?」
その分かりきった顔に、ネズは何時の間にか詰めていた息を吐いた。
混乱なんて、困惑なんて、無意味だって、価値観の相違だなんて、彼と己には関係なかったのだ。
「美味しいですよ、とても」
おまえも食べたらどうですか。そう促せば、勿論とキバナはようやく茶菓子を口にしたのだった。