キバネズ/ただ甘いだけの


 美しいと思うことを許してほしい。

 ネズが歌う。ライブは最高潮を迎える。ネズのライブにアンコールはない。この瞬間に、ネズは音楽に全てを捧げ、観客は体中の全てが満たされて熱狂する。キバナはほうと、息を吐いた。ああ、美しいな。ステージ上の愛する人を見た。
 彼の歌は哀愁を漂わせる。それでいて、激しいロックのスタイルは、彼にとっては最適なのだろう。ガラルの音楽業界を牽引するネズのライブはいつだって最高の時間を観客に提供する。
 キバナはそっとドリンクを飲んだ。今日はアルコールではなく、ソフトドリンクだ。強烈な炭酸水に舌がぴりりと痛み、辛味を得る。
 さあ、ラストの一曲だ。ネズの叫びに観客は躍動する。ネズは歌う。観客は共鳴する。ガラルがロックの聖地だと言われてることを、この中のどれだけが知っているのだろう。脈々と受け継がれてきたガラルのロックの血を確かにひく男は、全てを歌い終えて舞台袖へと消えた。

 キバナはネズとマリィの家に先に帰る。マリィはもう寝ていて、合鍵で扉を開くとなるべく静かに家に入った。
 アルコールの気分ではない。キバナはネズに簡単な夜食を作るかと冷蔵庫を開いた。
「ただいま戻りました」
「お、早かったな。おかえり」
「ええまあ、おまえがいるのは分かってましたし」
 それよりも冷蔵庫とにらめっこしてどうしたんですかと聞かれて、夜食でも作ってやるよとキバナはパスタを取り出した。

 茹でてソースと絡めるだけ。シンプルなそれを、二人で食べる。ポケモンたちにはもちろんポケモンフーズだ。夕食を食べ逃した彼らもネズも、がつがつと夜食を食べる。その細い体のどこに入るのだろう。キバナは不思議に思いながら、パスタを食べ終えた。
「今日のライブ、どうしでしたか」
 質問されて、食器洗いをしながらキバナは答える。
「最高だったぜ」
 心の底からの本音だった。ネズはふうと息を吐いた。腹が満たされて、キバナと話をして、ようやく落ち着いたのだろう。脱力してソファに寝転がり、言う。
「実は今日使う予定の機材が使えなくて、急遽変更したんですよね。まあ、おまえがそう言うのなら問題なかったんでしょう」
「安心したか?」
「何を当たり前のことを」
 おまえの言葉が一番安心するんです。ネズはうつらうつらとしながら語る。ああ、美しいな。ゆめうつつの彼を見て、キバナはふらりと近寄った。
「シャワーだけでも浴びてこいよ」
「面倒です」
「なんだ、お姫様だっこを所望か?」
「ノイジーです。それぐらい自分で出来ます」
 ネズはよっこらせと起き上がり、ふわふわとしながら着替えを取りに寝室に向かった。すぐにシャワールームに向かったネズに、キバナは残されたポケモンたちを代わる代わる撫でたりブラッシングしたりしてやりながら、ライブに思いを馳せた。

 彼は本当に美しい。そして、それはキバナだけの美しさではない。キバナが占領できるものではない。しみじみと噛み締める。
 愛とは時に残酷である。哀愁を歌う男の全てがほしいのに、宝物庫に閉じ込めたらあっという間に光を失うだろう。キバナは難しいなとぼやいた。目の前には丁度、ネズの一番のパートナーであるタチフサグマがいた。

 タチフサグマにブラッシングをしていると、ネズがシャワールームから出てくる。キバナは交代してシャワールームに入ろうとして、ネズに引き止められた。どうした、柔らかな声で言うと、ネズは眠たげな目を懸命に開きながら、言った。
「心配せずとも、おれが好きなのはおまえですからね」
 アニキはおまえを寂しくなんてさせませんよ。そうくつくつと夢心地に笑うネズに、こいつの好きは重たいだろうなと自分のことなど棚に上げてキバナは言った。
「勿論、オレさまが愛してるのはネズだけだかんな」
 おやすみ、またベッドルームで。そうしてキバナはシャワールームに向かい、ネズはポケモンたちに声をかけてからベッドルームに向かったのだった。

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