キバネズ/知らない二人/ネズさんが完全にバトルから引退した時空で、キバナさんが情緒不安定な話です/捏造多め


 知らない人だったら良かった。何も知らないのなら、受け入れられた。キバナはそっと彼の背をなぞる。なんにも、無ければよかった。

「そうしたら、おまえはおれとどうなりたかったんですか」

 心を読むかのような言葉は魔女と呼ばれるポプラに似ていた。でも、全然違う。彼は誠実で、立ち回りがうまくて、時にずるい。あくタイプですからと笑う姿が、キバナは好きだった。
「オレは、ネズのこと、どれだけ知ってんのかな」
 町の復興がしたいとか、妹を大切にしているとか、こどもに優しいとか。ロックシンガーだとか、哀愁のネズと名乗ることとか。

 でも、それらも全部知らなければよかった。
「ただ、あのバトルだけが全てなら良かったんだ」
 リーグ戦、ネズの引退試合のことを言えば、ネズは、そもそもと手を止めた。
 そうしてふわり、白黒の髪が舞う。ネズが振り返った。
「そもそも、おまえはおれのことなんて眼中になかったでしょう?」
 ダイマックス嫌いでローズ委員長と反りの合わない変なジムリーダー。キバナに次ぐ、ガラルで3本の指に入るトレーナー。その情報さえも、邪魔なのに。
「ただ、オレはネズとのバトルだけを知りたかったんだ」
 魂が震えるようなバトルだった。全力でぶつかっても、彼は倒れなかった。最後は僅かな天候の差が勝敗を分けた。それだけだった。それが、重要だった。
「オレさまは、またバトルしたい」
 なあネズ。オマエがもうジムリーダーを引退したなんて信じたくない。もう二度と戦わないなんて考えられない。チャンピオンのダンデはいなくなった。ネズもまた、キバナの次から消えた。
「なんにも、なくなっちまった」
 嫌だ、嫌だ。と泣ければよかった。泣けなかった。新たなチャンピオンと、新たなジムリーダー。世代交代とはしかるべくして起こるのだ。
「ネズ、頼むから、離れないで」
 オレさまを一人にしないで。指をそっと引けば、ネズは呆れた顔をしていた。
「おれみたいなのを欲しがるなんて、物好きなジムリーダーですねえ」
「卑下すんなよ」
「事実です。さて、寂しがりやのおまえにミルクティーでも淹れましょうかね」
 ちょうど作業の区切りがついたんです。へらとネズは笑った。屈託のない笑みに、キバナは視界が滲んだ。

 彼は、変わらなかった。
「それともホットミルクがお好きで?」
 ううん、ミルクティーがいい。そう答えれば、そうですかとネズは言った。
「リビングで待ってますから、その顔を何とかしてからいらっしゃい」
 ばたん、戸が閉じられる。ネズは優しいな。いつかの控え室での雑談を思い出した。チャンピオンも、ホップも、マリィも、そう言っていた。ネズさんは本当に優しい、と。
「……でもちょっとずるいよな」
 ぼやけば、部屋の隅で寝こけていたズルズキンがかくんと起きた。そうして寝ぼけ眼に、ずるいのはどっちだとでも言うように、キバナをじっとりと半目で見たのだった。

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