キバネズ未満/痛みが愛になるまで/たぶん続かないです


 つんざくような悲鳴。ああ、間に合わなかった。キバナはそうして悪夢から目覚めるのだ。

 ナックルシティの最上階。研究資料が散らばる部屋で、キバナは起き上がる。食事諸々の朝の支度をして、適当に荷物をまとめる。それは主にジムトレーナーと共有すべき情報だ。サクサクと用意すると、キバナは自宅を出た。

 ナックルシティは今日も城塞然としている。整然と美しいそこで、人々が城を囲むように生活していて、その城の中央こそがキバナの職場だ。

 キバナさま、おはようございます。宿直のジムトレーナーに、帰っていいぞと声をかけると、いえと言葉を濁された。
「実は今日の陽の出辺りに、ポケモンがワイルドエリアから侵入しまして」
「まじか。オレを呼んでも良かったのに」
「いえ、ニューラが一体でしたので。ただ、妙に興奮していたのが気になっていて……」
「で?」
「ガラル粒子の検査待ちです」
「ははあ、なるほどな」
 そこに電話が入る。ジムトレーナーがはいと受けると、ポケモンセンターから、らしかった。ジムトレーナーは深刻そうに返事をし、すぐに向かいますと電話を切った。
「どうだって?」
「やはり、ガラル粒子が通常より多かったそうです。経過観察をして、落ち着きを取り戻したら自然に返すべきですね」
「オマエが預かるか?」
「はい。自分が彼を助けたので」
 これは手を伸ばした者の責任です。そう告げたジムトレーナーに、程々になと言いつつも、キバナは反対しなかった。彼は正しいと、キバナは思う。

 ガラル粒子。かつてローズ元委員長が活用し、今もなおガラルが頼らざるをえないエネルギー。キバナはナックルシティの地下にプラントがあったことから、マクロコスモスのガラル粒子の研究を引き継いだ。ポケモンをダイマックスさせる為の物。また、ねがいぼしの主成分。宇宙より飛来したそれは、ブラックナイトの騒動により、まだガラルの民に深い傷跡を残している。
 ダイマックスは本当にポケモンに影響はないのか。現在、キバナが追うのはその研究だ。

 入れ代わり立ち代わり、ジムトレーナーが事務室を出入りする。キバナはかつかつと研究をまとめ、必要なデータを確認する。どうやら、今日もワイルドエリアに行かねばならないようだ。事務作業を率先して行い、昼には上がって宿直のトレーナーに声をかけてから、ワイルドエリアに向かった。

 昼のワイルドエリアはあられが吹き荒ぶ空模様だった。ここは地域によって天気が変わる。まずはあられを抜けてしまおうとキバナは走った。

 げきりんの湖。ようやく晴れたそこで、キバナはふうと息を吐く。そして、くんと鼻をひくつかせた。わずかに甘いカレーの匂いだった。
「あ、」
 キャンプをしていたのはネズだった。彼はキバナに気がつくと、やや迷った後に、来たいならどうぞと受け入れた。
 キバナはキャンプに入ると、ヌメルゴンを出してやる。そして、カレーは食べちまったよなと言うと、これからですよとネズは言った。
「丁度作り過ぎちまったんです。どうぞ」
「さんきゅ」
 ハンバーグカレーをヌメルゴンと共に受け取る。そして皆でカレーを食べた。ネズのパートナーたちはガツガツと食べていて、どうやら腹がとてつもなく減っていたらしい。ネズはバトル明けですからと、けろりといった。
「野生ポケモンが荒れてましてね。その仲裁をしていたらもう疲れてしまって」
「野生ポケモンが、ねえ……」
 まさかガラル粒子の問題だろうか。ガラル粒子にはポケモンを凶暴化させる因子があるのではないかと、つい先日も研究会で指摘された。その場では否定したものの、あり得ない話ではないと、キバナは考えている。
 ネズはキバナが黙っていても気にせず、ポケモンたちの世話をしながらカレーを食べ終えた。
「キバナ、おれたちはしばらくキャンプしているので、調査なら行ってきたほうがいいですよ」
「うえっ、何で知ってんだ?」
「おれは詳しくないですが、野生ポケモンたちの様子が明らかにおかしいんですよ。ワイルドエリアに接するナックルシティのジムリーダーが、何らかの調査をしていても不思議ではないぐらいに」
「あー、それもそうだな」
 じゃあな。キバナはカレーを全て食べて、食器を返し、ヌルゴンをボールにしまってキャンプから出た。間際、ネズに声をかけられる。
「あまり無理するんじゃねーんですよ」
 野生ポケモンたち、本当に様子がおかしいので。ネズの忠告に、わかったとキバナはひらひらと手を振った。


 ストーンズ原野を駆け回る。あちこちでポケモン同士の衝突が見られた。あまり目に余るようなら仲裁する。ポケモンの巣ではダイマックスが確認され、三人で挑もうとしたトレーナー達に混ぜさせてもらって撃退する。
「一体何なんだ……」
 全て、ガラル粒子が起因しているのか。本当にそれだけなのか。キバナがぐるぐると考えていると、おやと声をかけられた。
「またおまえですか」
 ネズがいた。澄んだ水のような声で、冷静に口を開く。
「ここで会えて良かったです。そこのポケモンの巣でキョダイマックスを発見しましたよ」
「まじか!」
「人を集めようと思いまして……キバナは来ますか」
「混ぜさせてくれ」
「分かりました。あと二名なら適当に集まるでしょう」
 キョダイマックスはバタフリーだった。あっという間に四人のトレーナーが集まり、レイドバトルになる。ダイマックス封じのネズはレイド戦ではどうなのかと思ったが、これがなかなか上手く立ち回る。シールドがあるのでひたすらに攻勢であるべきだと、ネズは叫んだ。キバナも賛成だ。
 あっという間にキョダイマックスのバタフリーを鎮めた。
 トレーナーたちはゲットに乗り出したが、ネズとキバナはゲットせずに立ち去った。キバナは簡易のガラル粒子測定装置を取り出して、先程のキョダイマックスのバタフリーの数値を見る。どうやら、ガラル粒子の量は多いらしい。鱗粉のサンプルをひっそりと手に入れておいたので、ナックルシティの検査室で調べるべきだ。
「キバナ、おまえならこれらの異変になにか心当たりはありませんか」
 キョダイマックスなどそうそうお目にかかることはない。ネズの言い方からして、本日だけで何度も出会ったのだろう。キバナは、んんと、言葉を濁した。あくまでナックルシティに任された問題だ。他の街を巻き込むつもりはなかった。
「おい、聞いてますか」
「ああ、うん。聞いてるけど……」
「おまえ、オフシーズンなのに疲れ過ぎでは? 何をごちゃごちゃとやってるんです」
「いやまあ、色々と」
「おれなんかには頼れないと?」
「そういうわけじゃなくて……」
「ノイジーです。言い訳を聞きたいわけじゃねーんですよ」
 これでも、シーソー騒動に巻き込まれた身ですからね。ネズは呆れ顔だった。
「ねがいぼしとガラル粒子。全てはまだ片付いてないんでしょう」
 これは乗りかかった船。手伝いましょうか。ネズの申し出に、キバナは男前だなあと茶化しながらも手を取った。
「ごめん、助かるぜ」
「謝罪は要りません。次のシーズンまでに片付けるんですよ」
 子どもたちが安心して戦えるように。ネズのそんな祈りのような言葉を、キバナはどこか夢心地で聞いていた。
 頼れる人間ができたことで、どっと疲れが押し寄せる。しかし、まだ倒れるわけにはいかない。キバナは助かると、もう一度繰り返したのだった。

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