キバネズ/特別な日


 ぱ、ぱ、ぱ。

 踊るように、唄うように、讃歌のやうに。それは祈りだ。キバナはSNSをチェックしながら、ネズの鼻歌に耳を澄ませる。スクロールの手が止まったことを、彼はよく分かっているだろう。それでも、鼻歌は止まらない。機嫌が良いのだろうか。キバナは今日一日を振り返ったが、残念ながらキバナは夕方にネズの家に転がり込んだ為、ネズのスケジュールをよくは知らなかった。
「アニキ、風呂上がったけん」
「おやそうですか。キバナ、さっさと入ってください」
「お、泊まっていいの?」
「今日は特別ですから」
 ふーんと思いつつ、風呂に入る。しばし考えて、バスタブに浸からずにシャワーだけで済ませると部屋に戻った。

 マリィはリビングのソファにちょんと座ってモルペコをあやしている。いつもならすぐに部屋に引っ込むのにと、入れ替わるように風呂に入ったネズを見送って思うと、マリィは心を読んだかのように口を開く。
「今日は特別やけん」
 なあモルペコ。上機嫌にモルペコに接するマリィに、キバナは果てと首を傾げた。一体全体、何が特別だというのだろう。

 ネズが風呂から上がって髪を乾かし始めた頃。マリィがテキパキと紅茶の用意を始めた。手伝おうかといえば、奥のティーカップを取ってほしいと言われる。いつものティーセットではなく、食器棚の奥に仕舞われたそれを取り出す。一級品のそれらに驚きつつ、念の為に全てを洗って乾いた布で拭いた。
 そうしていると、マリィが冷蔵庫から紙の箱を取り出した。そこで、キバナはぴんと、まさかと思い当たった。だが、何かを言う前に、ネズのドライヤーの音が止まった。
「マリィ、整いましたか?」
「うん、ばっちり。キバナさんも座って」
「え、お、おう」
 ネズと並んで席につく。向かい側のマリィが、紙の箱から3つのケーキを取り出した。
「誕生日おめでと、アニキ」
「ありがとうございます、マリィ」
 ふわと笑う両者に、キバナがやっぱりと目を輝かせた。
「今日、ネズの誕生日なのか!」
「そうですよ。一切公にしていないので他言無用でお願いします」
「モチロン! あーでも、知ってたら誕生日プレゼント買ってきたのによう」
「おまえ、残業明けじゃないですか。教えもしてないのに来てくれただけで充分ですよ」
「それはそれ、これはこれだって!」
 兎に角おめでとう。キバナが声をかけると、ネズはへらと笑って、ありがとうございますと言った。

 誕生日ケーキと、とびきりの紅茶。あのティーセットは祝いの日しか出さないんですよと言われて、なるほど見たことなかった筈だとキバナは頷いた。
「じゃあ、マリィは寝るけん」
「歯磨きしてからですよ」
「わかっとーよ!」
 ぱたぱたと洗面台に向かったマリィを見送って、キバナはさてと考えた。
「ネズ、やっぱプレゼントしたいんだけど、いいか?」
「それで誕生日がバレるのは嫌です」
「でもさあ」
「おれは物に拘りませんから」
 おまえが居てくれればそれだけでいいってもんです。ネズの言葉に、キバナはあの鼻歌を思い出した。キバナがいるだけで、彼は鼻歌を歌うほどに機嫌が良くなるのだ、と。心がむず痒くなるほどに、愛おしい。
「ずりーの」
「あくタイプ使いですので」
「それ関係あんの?!」
 兎も角、物は要りませんとネズはきっぱり言い放った。それは突き放すような声なのに、裏にある健気な恋心を思うと、キバナは嬉しくて仕方がなかったのだった。

- ナノ -