キバ(→←)ネズ/かみがかり/前作のキバナさん視点です


 キバナには気になる人がいる。恋愛的な意味ではなく、単純に人として気になる人がいる。

 いつも俯きがちで、猫背で、気怠げに歩く男。彼はネズという。ジムリーダーとして何度か見かけた男だが、バトルも、彼の歌もキバナからは遠かった。
 しかし、とあるシーズン、チャンピオンのダンデが破れたそのシーズンの中で、キバナの前に静かにネズが現れた。バトルなんて見たことがなかった。歌っているところなんて、もっと見たことがなかった。その男が、マイクを構えてキバナのポケモンたちに襲いかかった。圧倒的なプレッシャー、あくタイプの天才、哀愁のネズ。ああ!神がここに見給う!キバナは血が沸騰するかのような興奮を覚えた。彼は天才だ。間違えようもなく、彼には彼だけのバトルがある。それを天才と呼ばずに何と言うのか。キバナにはそうとしか思えなかった。
 それなのに、ネズがキバナに破れた瞬間に、良い引退試合だったと会場が湧いた。訳がわかなかった。引退だって?誰が、ネズが?そんなのはまだ先だろう。そう言いたいのに、試合後にキバナと控えめに握手をした彼は遠い記憶の母のように微笑んでいた。

 もう一度、彼とバトルがしたい。そう伝えたが、色良い返事は返ってこなかった。メディアはネズの引退と、新ジムリーダーのマリィについて騒ぎ立て、アラベスクタウンの新ジムリーダーのビートについてもわざわざあのアラベスクタウンに訪れて、また騒ぐ。煩い、煩い煩い煩い!キバナはむしゃくしゃしながらカレーを混ぜた。ソーナンス級のカレーは不味くはないのに、物足りない。ポケモン達は心配そうにキバナを覗き込む。理由は分かってる。あの人に連絡しなくてもいいのか、だ。連絡先も知らないのに。

 ジムリーダーの会合でマリィと会った時、慣れない様子の彼女に声をかければ、ホッとした顔で振り返ってくれた。キバナはそのまま、おまえさんのアニキとバトルがしたいと素直に言えば、マリィはけろりとアドレスを教えた。いいのかと思わず問えば、キバナさんは悪い人じゃなかと何かの確信を以って言われてしまった。自分は彼女に何かアクションを起こしただろうか。疑問だったが、これで連絡はつくようになった。

 それから、メッセージを送り続けた。頻度は一日一回と決めて、何気ない話ばかりを振った。たまにキャンプでポケモン達が遊んでる様子を送ることもあった。

 そんな中でもメディアは騒ぎ立て続ける。新世代の到来に、メディアは根掘り葉掘りあることないこと騒ぎ立てていて、キバナは多少疲弊していた。オレたちのことなんて何にも知らないくせに。そう言いたいのに、言えなくて、ニッと笑ってみせた。こんな強がりならいくらだって慣れている、はずなのに、どうしても心にわだかまりが残った。

 だから、そんな最中にネズから返信があった夜、思わず電話をかけてしまった。
『なんですか』
 ワンコールで繋がった通話に、キバナは狼狽えた。
「初めてメッセージが来たから吃驚してさあ」
 ありきたりな返事をすれば、ネズの気怠げな目がすうと細められる。あ、綺麗だな。キバナは目を見開いた。
『それだけですか』
「んーん、ちょっと寂しかったのもあるぜ」
 ほんの少し、本音を言えば、ネズはふいと目をそらした。それこそ寂しいから、その目にキバナをうつして欲しかった。
『寂しい、だなんて、おまえなら相手は選り取り見取りでしょうに』
「ひっでーの、オレさまはネズと話したいって思ったのに」
『は、』
 何を言っているんだと、ネズは目を白黒とさせていた。キバナは目尻を垂らして笑う。ああ、この目に己がうつった。バトル以来のそれが嬉しかった。
「なあネズ、バトルはまた今度でいいからさ」
 今だけは、ただのキバナとお喋りしてくれよ。甘えた声が出たのは気にしないことにした。頼むよと願いを込めて見つめていると、テレビ電話の向こうで彼が息を漏らした。
『じゃあナイトティーでも飲みながら話しますかね』
 嗚呼、今日はきっと、うんと長い夜になる。キバナはその予感に僅かに息が楽になったような気がした。キバナにとっての太陽は、もしかしたらネズだったのかもしれない。おお神よ。やっと見つけたその太陽に、キバナはとろりとした笑みを向けたのだった。

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