キバネズ/やわらかなる夜に見る/キバネズ折り本オンリーで出したお話の再録になります。お手にとっていただきありがとうございました!


 雪の中、照らされてなお、輝くきみの。

 夕方。眼前にはオレンジ色に染まるキルクスの海がある。キバナはじいと目を凝らし、ネズを探した。
 ああ、キバナさん。アニキなら、今日は海に行ってるけん。訪ねた家で、そんなことをマリィから聞いたのだ。
 だが一向にネズが見つからない。キバナはかじかむ指に白い息を当てる。あまり温かくはなかった。こんなに寒くて冷たい世界に、あの細っこいネズは、居ても平気なのだろうか。少なくとも、キバナはそう長く居られそうになかった。
 そろそろ耐えられない。ならば、声を張り上げて呼ぶか。そうとすら思う頃になってようやく、じゃりじゃりと音を立てて、白黒の影が現れた。
 もう、時は夕暮れも間際となっている。
「ネズ!」
「お、キバナですか」
 おまえ、鼻が真っ赤ですよ。そうくつくつ笑うネズに、仕方ないだろと返して、きゅっと彼の手を握った。手は冷たかった。だけど、温かく感じた。
「早く帰ろうぜ」
「仕方ないですねえ」
 ネズはまた、くつくつと喉で笑った。やけに機嫌が良さそうだ。それは、あの引く手数多のキバナが、ネズだけを探していたことに起因するのだが、そんなことなど、キバナの知ったことではなかった。

 ネズとマリィの家に着くと、待ってたけんとマリィが声をかけて、ばたばたと入れ替わるように出掛けて行った。どうやら、ホップ達と泊りがけでワイルドエリアの調査と鍛錬に行くらしい。若者は元気だな、キバナは感心した。
 気をつけてくださいね、そんなネズの声に、分かっとーよと、マリィはぶっきらぼうに告げた。つれない声だが、その心は柔らかくも優しい。何だかんだで、似たもの兄妹なのだ。

 とにかく冷えた体を内側から温めたくて、ホットミルクを作る。ネズはパートナーのポケモンたちを出して、ブラッシングや体温チェックなど、あれこれと世話を焼いていた。特にタチフサグマが珍しくグズっていて、ネズは寒かったのが堪えましたかと、やや後悔した様子だった。なお、キバナのパートナーの代表たるジュラルドンは低体温症になりかけていたので、さっさと火をつけた暖炉の前に座らせた。ジュラルドンは体温の変化が激しい種だ。おそらくすぐに良くなるだろう。
 そんな彼らを横目に、キバナは勝手知ったる台所で、濃いモーモーミルクをマグに二杯分だけ鍋に入れ、あまいミツを大きなスプーンに一杯とバニラエッセンスを数滴垂らした。
 甘い香りが漂う中、あれこれと働いていたネズに声をかけて、二人でテーブルを囲みホットミルクを飲む。ネズがポケモン達に世話を焼く傍ら、早めにフーズを出したので、人間の夕食はこれから作ろうと話し合った。
「何があるっけ」
「今日、買い出しに行ったので、基本のものなら揃ってますよ」
「ポトフとか、ビーフシチューとか、いいかも」
「時間がかかりますよ。もっと簡単なものにしましょう」
「うーん、じゃあカレーかな」
「それなら、いいですね」
「残ったら明日の朝食にすればいいし」
「朝からカレーとはまた、重たいですね」
「ま、何とかなるって」
 そんな会話を終えると、ホットミルクのマグを洗ってから、二人でエプロンをして、台所に並ぶ。トントンと、手際よくカレーの材料を揃えていくと、メニューはチーズカレーに決まり、ヤローのところで買ったチーズがありましてと、ネズは上機嫌な様子で戸棚から丸いチーズを取り出した。これはもう、とっておきですよ。ネズは、やけに楽しそうだった。
 カレーは大成功。リザードン級だった。もうご飯を食べたポケモンたちにも、少しずつ分けて、夕食を食べる。
 チーズのおかげでまろやかなカレーは絶品だ。キバナは嬉しくなって、美味しいなあと笑った。
 食べ終えて食器を片付けると、時間はもう夜だ。暗い外にカーテンを閉めて、ふとキバナが聞く。
「風呂、どうする?」
「キバナからどうぞ」
「わかった」
 そうして、キバナは湯船に湯を張る。ネズが知り合いから貰ったらしいハーブの束をとぷんと入れて、シャワーを浴びた。念入りに身体を洗ってから、湯船に浸かる。じんわりと、外から体が温まる。やはり、あの海は寒かった。キバナはぶるりと身震いし、それからは唯、湯の温もりと、ハーブの爽やかな香りに、身を任せた。

 ネズと入れ替わるように風呂から出て、ベッドルームの確認をする。シーツがパリッとしていて、きちんと整えられていた。これなら心地良く眠れそうだと、キバナはふわふわする頭で手触りの良いシーツを撫でた。なんと、今日は溜まっていたジムリーダーの事務作業の山を片付けたところだったのだ。端的に言うと、キバナは大層疲れていた。
 そんなキバナを見抜いてか、寝酒はオススメしませんよと、風呂から上がったネズが声をかけてくる。なので、髪をドライヤーで乾かしてから、大人しく二人でベッドに入った。ネズのベッドが規格外のサイズになったのは、キバナが泊まるようになってからだ。
 温かいですね。ネズのそんなふわふわとした珍しい言葉に、キバナはそうだなと素直に返事をする。夢心地で、とても温かくて、キバナはうとうととした。

 ふと、カーテンの隙間から零れた月明かりを辿る。すると、柔らかで滑らかに照らされたネズが見えた。早く寝ようと目を閉じて、静かに息をする彼。ああ、美しいな。とうとう目を閉じて、眠る間際、夕暮れの雪の中に照らされて光る、彼を思い出した。
(まるで、ヒトじゃないみたいだ)
 それはまるで月光の流氷の下だ。人ならざるものがうごめくそこで、ネズが静かに息をしていた気がした。

- ナノ -