キバネズ/いつしか夢見た幸福を
世界で一番幸せなひと。
ネズはからんからんと音を鳴らしてグラスに氷を入れる。水出しの紅茶を注ぎ、モーモーミルクを注ぐ。乳白色の液体に、入れすぎたかと思うものの、まあいいでしょうとネズは口元に運んだ。
タチフサグマが小さなジグザグマの遊び相手をしている。保護したジグザグマはそろそろ怪我が回復するので、野生に戻すべきだろう。自警団と決めた日程は、と計算する。
たんたか。メロディが浮かんだ。すぐに模造紙のメモ用紙を取り出して、がりがりとペンで音を記録した。
ネズの家にはいたるところにメモ用紙がある。家のどこにいてもメロディが浮かんでいいように。ネズは記憶力に自信があるが、メロディとなると別だ。どうしても忘れてしまう音がある。その時は傑作だと思った音が、思い出せない。そんなことを繰り返した後の、対策だった。
「アニキ、先いっとーと!」
「マリィよ、何か用が?」
「トーナメントに誘われたけん、アニキもじゃないと?」
「おれは呼ばれてませんよ」
「あれ、そう?」
まあいいや。マリィは元気よく外へと駆け出して言った。ガラルの夏。新チャンピオンが戴冠した後、ジムチャレンジは何度目かのシーズンを迎えていた。
マリィも大きくなった。立派なレディである彼女には、新しい住処が必要だろう。ネズはふむと考える。タチフサグマとじゃれていたジグザグマは疲れて寝コケていた。
「引っ越しですかねえ」
だとしたら、どこがいいだろうか。ネズは気まぐれに新聞の住宅欄を覗いた。
「引っ越すのか?」
「ええまあ」
あの後、いい物件があったので、見て回った。これと決めたところがあった訳ではないが、ネズが引っ越し先を探していることは町中に知れ渡り、ひょんなことからネズと仲良くなったキバナの耳にも入ったらしいとみえる。
「マリィも大きくなりましたし、ライフステージを登るつもりで」
マリィも立派なレディ、一人で家を守るのも、学ぶべきである。
「まあ、いいと思うけど」
「何か問題でも?」
「いや、うーん」
キバナは歯切れ悪く、もごもごとビスコッティを食べる。噛み砕いたそれをミルクティーで流し込んでから、告げた。
「次はオレも眠れるベッドを、置いてほしいかな」
「……ああ」
おまえ、バカみたいにでかいですからね。ネズは呆れ半分、照れ半分に、ビスコッティを手にした。
そうして見つけたネズの家には、広い寝室に大きなベッドがあったそうな。