キバネズ/貴方が欲した世界に僕はいるのか。


 目を閉じると見えてくる。あの頃の思い出。まだ、戦うこともままならなかった、泡沫のような日々。ネズは必死になって抗った。ポケモンと共に生きるために、何より、己のために。哀愁のネズは立ち止まらなかった。
 目を閉じると見えてくる。苦しくて、前が見えなくて、ただ、ただ、闇雲に足掻いていたあの日々だ。

「ネズは自分が恵まれてたと思うか?」
 キバナが問う。夕暮れ時のティールームは、うすく、本の糊付けのような匂いがしていた。古い書籍が天井まで届く本棚に詰め込まれている。店主の趣味らしい。趣味人でこそ、ティールームは成立するのではないかと、この頃のネズは思う。
 ふと、紅茶の匂いが鼻を掠める。そうだ、このはティールームなのだ。
「オレは恵まれてたよ」
 そうでしょうねと、軽く言うには彼は遠い目をしていた。ネズは思う。キバナは心の底から優しい人だ。そんな心はきっと、誰よりも傷つきやすい。
「おまえ、本当にそう思ってるんです?」
 ねえ、違うでしょう。おまえは、本当は辛かったんでしょう。
 そんな辛辣な言葉を言い出したいのに、キバナの雰囲気が言葉を詰まらせる。
 幸福だったよ。キバナは淡々と言う。ネズはただ、そうですかと、言う迄だ。静かな声だった。店主がジュークボックスを開く音がした。そろそろ夜だ。ティールームは酒場へと変化していく。
「明日は晴れるかな」
 さあ、どうだったか。ネズは思う。季節は冬。雪雲がキルクスから流れてくるかもしれない。なにせここはネズのホームグラウンド、スパイクタウンだったから。
「オレ、晴れてるのは好きだな」
 幸福だったよ。そう言った口で、他愛もない未来を語る。明日こそ良い日でありますように。そんな子どものような願いが、彼の純粋さを示している。
 キバナは底の底から優しくて。脆くて、柔くて、危なっかしい。だが、守るべきではない。彼は一人で立ち上がれる。それを、ネズは画面越しに知っている。

 永遠の二番手!

「明日、晴れたら何がしたいですか」
 単純な質問だ。キバナは当然だと笑った。
「ネズとバトルがしたい!」
 無垢なまでの目と、傷だらけの両手。ああ、彼は強い。ドラゴンタイプのように、耐え忍び、経験を積み、強く強く、開花したのだ。
「アンコールは無いですからね」
 一度だけ。そう伝えれば、充分だとキバナは嬉しそうに、また、笑っていた。

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