キバネズ/愚者の恋/キバナさんがネズさんの精神安定剤に至る物語/捏造しかない/これは二次創作です


 その日は何かとツいている日だった。ポケジョブの申請がスムーズに進み、治安維持のための見回りでも何事もなかった。さらにSNSに投稿した写真の評判も良く、ついでに久々にカレーを作ればリザードン級ができた。
 なのでキバナは夜になった頃に、久しぶりに馴染みの酒場に顔を出した。遠い親戚が運営しているそこで、たまに飲む一杯と小料理が好きなのだ。さらに、SNSには投稿しないと約束をしている隠れ家である。
 しかし、店に入るなり親戚はキバナの顔を見て、助かったと声を上げた。

「え、何?」
 ネズが度の強い酒をガバガバ飲んで動けなくなっていたのだ。なんと、ナックルシティでライブをしてからこの店にふらりと一人で来たのだとか。
 親戚はネズが有名人であることを考慮し、下手な人には預けられず、かと言って店を閉めることも出来ずと困っていたのだ。
「ネズならまあ、知らないやつじゃないし、引き取るわ」
 お金はいいから休ませてやんな。そう言う親戚はネズには荒れるだけの理由があると見抜いたらしい。キバナにも、ネズが荒れそうな事柄といえば全く心辺りがないわけではない。しかし、大人なんだからセーブぐらいしろよとは思った。

 よっこらせと背負おうとして持ち上げた腕の、その軽さに驚く。内蔵とか全部揃っているのだろうかと思いながら、ネズを背負った。酷く軽くて、寒気がした。

 自宅まで背負って帰る。ナックルシティは夜でも明るい。そこそこに大きな街だ。目の行き届かないところがあるんだろうなと、キバナはもやもやしながら、軽いネズを背負い直した。そうしていると、やっぱりこいつには内蔵がいくつか欠けている気がした。

 キバナが部屋に入り、ネズをソファに下ろすと、んんとうめき声がしてネズがわずかに目を開いた。とろりとした目に、じわじわと涙が浮かぶ。
「どうせ、おれはだめなやつです」
「はいはい」
「おれは、おれは……」
 そのまま泣き崩れたネズに、そうかそうかと返事をしながらベッドの用意をして寝かせた。シャワーは朝浴びればいいだろう。自分はソファで眠るかと離れようとすると、待ってと服の裾を掴まれた。
「ひとりに、しないで」
 ひとりぼっちはいやだと、ネズは寂しそうな声で言う。こいつ、相手がオレさまだと気がついていないな。やや分かっていたことを明確に理解し、キバナは嗚呼と一瞬迷ってから、わかったとベッドに潜り込んだ。背の高いキバナのベッドは普通よりかなり大きい。ネズと二人で眠っても充分に余裕があった。
 ネズが眠るまでは共に居よう。眠ったら夕飯でも食べて、寝よう。そう思いながらも、むずがりながら服の裾をがっつりと掴まれたキバナは、今晩は夕飯抜きかもしれねえと思い当たったのだった。確かに大人の男性なのに、こんなにも子どもみたいなやつを放ってはおけなかった。


・・・


 翌朝である。いつもの時間に起きて、シャワーを浴びたキバナがふんふんと朝飯を用意しようとしていると、ドタバタとネズが起きてきた。
「き、きばな?!」
「ん、おはよ」
「おはようございます、ここはどこですか」
「オレさまの家だけど?」
「な、なんでおれはキバナの家に?!」
「おー、やっぱ覚えてねーのな」
 青ざめているネズに、まあいいやと説明を放棄したキバナは朝食のリクエストを要求した。

 朝食を一緒に食べることになったわけだが。キバナは食事をしながらネズに目をやった。なんと、ネズはミルクティーだけを所望したのだ。
「朝は固形物が食べられないんですよ」
 いつもはどうしてんのと言えば、ゼリー飲料を飲んでいると答えられた。ありとあらゆる意味で駄目である。ゼリー飲料を朝食代わりにするのは悪くないが、毎日それなのは人としてよくない。栄養は摂れるかもしれないが、胃腸は弱っていくだろう。

 こいつやべーなと思いながら、キバナは自身の朝食を食べながら眺める。ビッグサイズのサンドイッチにコーンスープにミルクティーだ。人より朝からしっかり食べる方だが、ネズとの落差に少々驚くところがあった。
「ところでさあ、オレさまは今日オフなんだけど、ネズは?」
「スパイクタウンでライブがあります」
「ん。わかった。送るわ」
「は?」
「そんなぼろぼろな人間を放っておくほど非情じゃないんでね」
 タクシーにも頼れないことだしと言えば、引く気がないとわかったネズは分かりましたと蚊の鳴くような声を出したのだった。随分と弱々しい。バトルとは大違いの姿に調子が狂った。


・・・


 朝食を食べ終え、片付けを済ませた頃にはネズはミルクティーを飲み終わっていた。
 二人でスパイクタウンにぶらぶらと向かう。道中に話すことは特にない。キバナがぽつぽつと最近のチャンピオンの動向などを話しては、そうですかと愛想の無い相槌が返ってくる程度だった。
 スパイクタウンのネズの家につくと、マリィが出迎えてくれた。ネズはマリィにただ今帰りましたと挨拶をしてから、すぐに部屋に引っ込んだ。それを見て、マリィはキバナに向き直る。
「アニキが迷惑かけて……」
「いや、別にこれぐらいヘーキだけど、マリィのアニキいつもあんなんなの?」
 食事事情や情緒不安定なことだとマリィは気がついたらしい。彼女にしては珍しく、困った顔をした。
「マリィにはそういうところ見せてくれんと。ぼろぼろの顔で、大丈夫としか」
「あー、まじか……」
 そりゃ重症だなとキバナは頭を掻いた。身内にも弱いところを見せれない質なのだろう。実に厄介なことである。
「しばらく気にしておくから、連絡先だけ交換しねえ?」
 嫌なら断ってくれていいからとキバナが言うと、マリィは構わないとポケットからスマホを出した。スマホロトムがしゅいんと連絡先を読み込んだ。
「構わんけん、むしろありがたいと」
 心からアニキが心配なのがよく分かった。良い関係の兄妹だ。


・・・


 ナックルシティに戻ると、スマホロトムに連絡が入った。ソニアからだった。どうやら宝物庫に行きたいらしい。
 宝物庫前で会うなりすぐに、オフなのにごめんねと謝られて、平気だとキバナは穏やかに笑った。宝物庫の管理はジムリーダーの仕事の一つだが、キバナは宝物庫が好きなのでオフだからと宝物庫の見学者を断ることはなかった。むしろもっと表に出すべき資料がたくさんあるのだ。ポケジョブで役に立ちそうなポケモンの手を借りるべきだろうか。
 世間話に、スパイクタウンから帰ってきたところだと話せば、ああネズのところねとソニアは口にした。
「ネズって本当に妹さんが好きよね」
「あ、ソニアのねーちゃんから見てもそんな感じ?」
 シスコンだよなと言えば、そうとも言うわねとソニアはくすくす笑った。しかし、すぐにやや不安そうな思案顔になった。
「あと危なっかしいわ」
「ホントそれな」
「ダンデくんも心配してたのよ。ダンデくんは、ジムの移転についてローズさんとネズが揉めてる時に何度か出くわしたらしくて」
「じゃあ、今はローズさんが表舞台から身を引いたから少しは落ち着いたのか? あれで?」
 昨日の荒れた様子を思い出していると、ソニアはすぐに何かあったと察したらしい。
「何かあったの?」
「酒場で泣きまくってた」
 ぼかしたが、真実を言えば、ソニアはハァと息を吐いた。
「それは、重症ね」
「もちろん妹ちゃんには大丈夫の一点張りな」
「頼ることを覚えてほしいわね。ダンデくんもそうだったなあ」
「ホントにな」
 ダンデくんは今でこそチャンピオンやホップに頼ったりするんだけどなあ。ソニアがそうぼやく頃には宝物庫の重たい鍵が空いた。

 ソニアが宝物庫の見学をしている間、その待ち時間にSNSのチェックをした。どうやらナックルシティで飲み潰れていたことは話題になっていないらしく、今日のネズのライブは無事開催されるらしい。
「あんなんで大丈夫なのか?」
 ライブが終わる頃にマリィに連絡して、駄目そうなら押しかけるかと、キバナは決めた。一度気になってしまうと、落ち着くところに落ち着くまで世話を見てしまうのは大器晩成型ドラゴンタイプの使い手だからだろうか。関係ない気もするが、そう思うことにした。

 そんなことを考えていたら、ソニアが宝物庫から帰ってきた。錠を閉めると、ソニアはそもそもと口にする。
「そもそも、あなたってネズにそんな興味あったのね」
「んー、一度バトルしてみたら虜になるだろ、あれはさあ」
 昨日のことは言わないでいたが、ソニアとしては構う理由になるだけの言い分だと思ったらしい。そうねと言った。
「キョダイマックスを使わない、キョダイマックスの強みを活かさせないバトルは、ガラルでは珍しいからね」
「珍しいのもあるけど、純粋につえーんだよ、あいつ」
「それは確かにね」
 たった一人で町を背負ってるだけはあったわ、と。ソニアは少し寂しそうに言った。その寂しさに、キバナは昨日のネズの世迷言を思い出して、ひとりぼっちは嫌いなくせにと、言いたくなった言葉を飲み込んだ。ソニアに言ったって仕方がないのだから。


・・・


 そうして夜、ライブが終わって自宅に帰っているであろう頃。キバナはSNSを頼りに時間を見計らって、マリィに連絡した。すぐに、アニキは帰ってないとの返事があった。おそらく、夜中まで帰らないだろう、と。ただし、帰らないなんてことは絶対にないとも言われた。
『帰ってこんかったんは、キバナさんのとこに泊まった昨日ぐらいやけん』
「まじで?」
『マリィの朝食は絶対に作るんだーって。マリィを一人ぼっちで寝させないって』
「え、じゃあマリィもアニキが帰るまで起きてんの?」
『時間には寝るようにしとるけど、書き置きはしてる』
 素直で真面目な返答に、ああそうとキバナは息を吐いた。
「はあ、兄妹仲が良好でいいけどさあ……」
『心配やけん。キバナさんが良ければアニキを迎えに行ってほしいと。多分、スパイクタウンのいつものバーにおるけん』
「いつものって?」
『家の近くのところ。ネオンでわかると思う……』
「りょーかい」
 じゃあ切るなとキバナは通話を切った。

 夜のスパイクタウンはいつもよりもディープな魅力がある。こんな時でなければふらふらと歩いて楽しみたいところだ。キバナがネズの家から最も近いバーに顔を出せば、一人で胃を荒らすように飲んでいるネズがいた。
 マスターにひらひらと手を振りつつ、かつかつと近寄っておいと声をかけると、おまえですかと淀んだ目を向けられた。ああ、これは重症だ。キバナは引きずってでも連れて帰ることを決めた。
「帰るぞ」
「どこにですか。おれはマリィのところに帰るんです」
「ネズとマリィの家に決まってんだろ。マスター、いくら?」
「おれがフツーに出すんで引っ込んでろ」
「はいはい」
 ネズがお金を払うのを見てから、よっこらせと相変わらず内臓の無さそうな、軽くて薄くて平べったい体を背負って、ネズの家に向かった。いや、確かに重みはあるのだが、身長と性別と年齢に合わない体重だと思うのだ。詳しいことは知らないが。

 マリィはもう寝ている時間だろう。困ったなと鍵のかかった扉の前で立ち尽くしていると、背後でもぞりとネズが動いて鍵を差し出してきた。その鍵で扉を開き、暗い家に入った。
 マリィの書き置きを横目に、おそらくネズの部屋であろうという部屋に入る。そして、モンスターボールから勝手にタチフサグマを出した。そのまま、近くで寝てやってくれと頼む。昨日の様子からして、おそらく、他の体温があるとよく眠れる質なのだろうとの気遣いだった。
「オレさまは帰るから、あとは頼んだ」
 タチフサグマはもちろんだと頷いて、いそいそとネズを包むようにして眠ったのだった。キバナは物音を立てないようにネズとマリィの家から出た。鍵はネズのズルズキンに頼んだ。


・・・


 翌朝、ナックルシティにて。早朝の見回りを兼ねたランニングを済ませてシャワーも浴びてから、SNSのチェックをしていると、マリィの端末から、ネズからの感謝のメッセージが来た。なお、二度も酒場から運んでくれたのでマリィと連絡先を交換したことは大目に見てやるとの言葉付きだった。マリィに気があるわけではないので安心してほしいのだが、言うと面倒そうなのでやめておいた。シスコンの思考回路は時々理不尽なのだ。そのまま、マリィのスマホに電話をすると、ハイとネズが出た。
「おはよ、よく眠れたか」
『嫌味ですか』
「ネズが心配なんだって」
『うるせーです』
「そんなんじゃオレさまがおまえに勝つ前に体壊すぞ」
『おまえのライバルはダンデでしょう。そもそも、おれはおまえに負けてんですよ』
「知ってる。でも、今度はまた違うバトルになるだろ」
 ダイマックスを一切使わないのなら、お互いの戦略も変わってくるだろう、と言えば、知らねーですと拗ねた声がした。だが、耳が少しだけ赤かった。可愛らしいことである。


・・・


 本日の仕事終わりにスマホロトムにマリィから連絡があった。どうやら、ネズが会いたいと言っているらしい。仕方ないなやら嬉しいやらのないまぜの感情のまま、キバナはスパイクタウンに向かった。

 家につくなり、ネズがどんっと言った。
「連絡先を教えろってんですよ」
「え、まじで、いいの?」
 思わず聞き返せば、勿論ですと不満そうに言われた。
「マリィを経由しての連絡は兄としてどうかと思ったので」
「じゃあいつでもオレさまを頼ってくれよな!」
「嫌です」
 連絡先を交換すると、それはともかくとしてとネズは言った。
 とりあえず二度も運んでもらったのだから、何か借りを返させてくださいと言うのだ。真っ先にキバナが思い浮かんだのはバトルだった。
 そのことを伝えれば、別に構わねーですけどと口籠もった。
「今晩もライブで、明日ならオフなんですけど、キバナはオフではないんじゃねーですか」
「おう、リーグ戦の予定が入ってる」
「しばらくは予定が合いそうにありませんねえ」
「んー、でも別にバトルは急ぎじゃねーし、いつでもいいぜ」
「それなら、そういうことで」
 しばらく予定は合わないが、必ずバトルをしようと約束したのだった。

 さてそろそろ帰るかとの去り際、それにしてもキバナが運んでくれるとよく眠れるんですよねとネズがぼそりとつぶやく。その言葉に思わずキバナは立ち止まった。
「え、なんで?」
「おれが聞きてーんですよ」
「タチフサグマはだめだったか?」
「ん? それなら、おまえが帰ってから一度起きてしまって」
「んー、あれだ。人の体温じゃね?」
 二回とも背負ったしと思い返すように言えば、そうですかとネズは考えていた。同じベッドで寝たことは秘密にしておいたほうが良いだろうと気遣っているため、ネズは気がついていないらしかった。真実に気がつく前に、話題を逸らすべきだろう。
「そもそも、軽すぎなんだって。もっと食えよ」
「食べても太らないんですよ」
「そういうセリフは朝飯食ってから言えよな」
「そ、それはそうですけど!」
 慌てるネズに、貴重な写真が撮れそうと思いつつも、じゃあ帰るかと、名残惜しいが明日も早いキバナは帰路についたのだった。

 家に帰り、風呂から上がると、SNSのチェックをした。ネズの今晩のライブは絶好調らしい。いつもより刺激的だったとファンが騒いでいた。きゃいきゃいと賑わうネットに、いや、とキバナが首を傾げた。
「いや、それ多分、ちゃんと寝たからじゃね……?」
 そう勘付くと、ぴんとキバナは良い事を思いついて、すぐにいつがオフに出来るかとスケジュールを確認し始めたのだった。


・・・


 晴れてキバナがオフの日である。

「ネズが絶好調のライブに行きたいからオレさまが来た」
「何言ってんですかおまえは」

 ドン引きされながらも、安眠をお届けにきましたとひらひらと手を振った。ついでに食材買ったからカブさんから聞いた鍋ってやつをやろう。マリィちゃんも含めて鍋パだと言えば、珍しい料理に後ろにいたマリィが目を輝かせた。まだまだ成長期のマリィのことなので、多分たくさん食べるだろうと食材は多めである。
 もちろん、自分もよく食べることだって考慮している。

 鍋は野菜中心の優しい味付けにした。おまえのイメージに合いませんねと意外そうなネズに、ネズの胃に優しそうなのを聞いてきましたとキバナは応えた。
 なお、カブはとても親切に親身になって鍋の味付けについて教えてくれた。カブもネズの生活は、年長者として心配していたのである。案外皆に気が付かれてんなとキバナはちょっと面白くなかった。いや、良いことではあるのだが。

 鍋を用意する横で、ポケモンたちにはいつも通りのフーズにふりかけをかけて渡した。ぴょんと音符を出すぐらいに好評だった。喜ばしいことである。

 食が細いネズにもたっぷり食べさせて、風呂に入らせる。マリィが最初で、次はネズだ。そう順番を決め、マリィが風呂に入ると、キバナはビシッとネズに言った。
「湯船で百まで数えろよ!」
「逆上せます」
「せめて温まって来いって」
 そう話しているとマリィが風呂から上がった。そんなマリィにはあまいミツ入りのホットミルクを用意し、渡す。

 ネズが風呂の間にネズのガタガタな生活について聞いてみると、マリィは感心した様子で鍋について語った。
「アニキがあんなに食べたの始めてみたけん。キバナさんはすごか」
「オレさまっていうか、カブさんな」
「ほんと、アニキにそんな親身になってくれる人、いたんだって、マリィは知らんかったけん」
「あんなん誰でも世話したくなるだろ」
「そうでもなか。皆、離れてくってアニキは言ってた」
「そりゃクズだわ」
「そうやったんかな」
「少なくともカブさんもソニアのねーちゃんも心配してたぜ」
「……アニキが全部突っぱねてたんか」
「そうだろうなあ」
 そこでネズが風呂から上がる。マリィが少々悩んで見えたのか、じろりと睨まれた。理不尽である。話題は全てネズのことなのに。

 ネズにもホットミルクを作ってからキバナは風呂を借りた。泊るセットはもちろん持ってきている。

 風呂から出るとマリィは自室に入っていた。
 ネズはソファでコップを手に、じっと膝を曲げて座っている。そのうつらうつらとした様子にキバナは穏やかに声をかけた。
「そろそろ寝るぞー」
「おまえ、どこで寝るつもりなんです?」
「ネズのベッド。オレさまのベッドよりは狭いけど、サイズがデカかったしいけるだろ」
「ハァ……好きにしてください」
 どうやらとても眠いらしい。正常な判断を取り戻す前に背中を押して、ベッドルームに入った。

 二人でベッドに入る。背中を向けて寝転がったが、もぞりもぞりと落ち着かないらしいネズの様子に、キバナはすぐに抱きしめて寝ることにした。
 よっこらせと向き合って包むように抱きすくめると、離しやがれと力無く言われた。まあまあと流して、背中をぽんぽんと一定のリズムで叩いているとネズはすぐにとろりと眠った。人の気配に飢えているのだろう。ひとりぼっちが嫌いなくせに、ひとりぼっちで居たがる大馬鹿者。なのに、それがひどく愛おしかった。
 キバナは眠る彼を見ながら、じわりと眠った。夢は見なかった。それぐらい、深い眠りだった。


・・・


 朝、いつもの時間に目覚めて、ネズをベッドに残して起き上がる。昨日持ち込んだ食材とネズとマリィ宅にあった調味料で朝飯を作る。野菜のポタージュに、パンとハムエッグ。ミルクティー付き。簡単なメニューだが、普段食べない人間には丁度良いだろう。
 ポケモンたちにはフーズに昨日とは違うふりかけを用意した。ふりかけ一つで味にバリエーションが出るんだよと、これまたカブさんに教えてもらった知恵だった。良い知恵を聞いたものだ。

 起きてきたマリィに朝食を食べさせる。ネズも遅れて起きてきた。顔色がいつもより幾分も良かったので、キバナは満足そうにうんうんと一人で頷いた。
 朝食を食べ終えたネズは目を伏せながら言った。
「今晩のライブ、多分融通が効くんで」
 礼のつもりだろう。キバナは待ってましたと喜んだ。
「お、いいのか?! やった!」
「ただし、あんま目立つんじゃねーですよ」
「もちろん!」
 楽しみだとはしゃげば、そこまでですかとネズは首を傾げていた。

 今日のマリィはリーグ戦に向かうらしい。出掛け際、マリィの強い意思により、キバナは合鍵を託された。
「アニキを任せられる人は貴重やけん」
「そうだろうな」
「どういうことですかマリィ!」
「アニキはいつも大丈夫しかいわんと」
「それはアニキが悪かったですから……!」
「あと、他にも理由があるけど言わん。じゃ、リーグ戦に行ってきます」
 颯爽と去っていくマリィの背中はいつの間にかやけに大きく感じた。ジムリーダーの風格がある。スパイクタウンの未来は明るいのではないだろうか。

 遅れて、ライブの調整にと、ネズも外出した。不用心にも家に一人で残されたキバナは、SNSをチェックしつつ、生活感も塵も埃もない共用部屋に思いを馳せる。
 掃除はネズがやってそうだなあ。繊細で几帳面そうだし。いや、男に言うべきセリフじゃねーや。でも、背負った時めっちゃ軽かった。あれはやっぱ飯を食わせねえと。
 そこまで考えて、キバナは買い出しに行くことにした。冷蔵庫にはマリィ一人の食事分の材料と大量のゼリー飲料しか無かったことは確認済みである。あんまりな冷蔵庫にあんぐりと口を開いた今朝のキバナの心情は、"これは無いわ"だった。


・・・


 夜になりそうな夕方から、スパイクタウンの奥にて、ライブがある。
 遠目に陣取り、ステージを眺める。強い照明に照らされたステージの上、絶好調のネズのライブはずどんと心に響く。哀愁を語り、愛を語り、寂しさを語る。艷やかな声と、心を直接撫でるようなライブパフォーマンス。キバナはそれを見て、ふと思う。
(好きだなあ)
 自然と浮かんできたその感情に驚く間もなく、ライブはフィニッシュに向かっていた。

 目立つ前にさっさとネズたちの家に帰ると、挨拶だけしてすぐ帰ってきたネズが、舞台からおまえがよく見えましたと苦々しそうに言った。
 でも、それがまた愛おしくて、やっぱりオレさまはネズが好きだなあと思わず口にした。
「は?」
「ま、それは今はいーや。今晩はマッシュポテトとソーセージな!」
「また飯を作るんですか?!」
「いいだろ別に」
 ちなみに、マリィはリーグ戦の打ち上げで夕飯はいらないってさ。そう語れば、ネズはぽかんと目と口を開いていた。唖然、としている。とても珍しい顔だった。
「チャンピオンが送ってくれるらしいから迎えはいらねえらしい」
「は、はあ……?!」
 混乱するネズを横目に、まずは健康になってやろうぜ、話はそれからだと語ってやる。そうしてキバナはニッと笑った。

 小さなネズとマリィの家に、新たな明かりが灯ろうとしていたのだった。

- ナノ -