キバネズ/初夏の波/恋人同士です


 ひら、ひら。

 遠い空のようだ。ネズは肺の中の息を全て吐き出すように、深呼吸する。ここはまるで、世界の果てだ。息を吸い込む。確かに、芽吹いたいのちの匂いがした。

 春を迎え、夏となる。ガラルの夏を満喫するなら、きっとバウタウンなのだろうなと、ネズは考える。次のエキシビションマッチはバウタウンのルリナとのマッチでもいいかもしれない。ネズは窓を開けて、作曲をしている。
 ノイズが混じるのは、知っている。だが、そのノイズは夏を迎えようとするスパイクタウンの喜びだから、嫌ではない。
 人はノイズを嫌なものだと認識しがちだが、ノイズも悪いばかりではない。ネズは古いレコードも、自然の音も愛している。劣化によるノイズも、大抵の人の耳には聞こえないノイズも、ネズは好きだ。
 ネズは人より耳がいい、と、マリィは言っていた。果て、そんなつもりはない。しかし、聴覚を共有する術などないから、否定のしようもない。ネズはそうですかねえと曖昧な返事をしたのみだった。
「ネズー!」
 窓の外から声がする。ノイジーなやつが来た。ヘッドホンを外して2階から下を見れば、フライゴンから降りたばかりのキバナがいた。
「ご飯買ってきた! 食べようぜ!」
「なんです、バーガー?」
「バーガー! テイクアウト!」
 鍵開けてと言われたのでカラマネロにキバナの迎えを頼む。その間に使用していた機材の電源を落とし、窓を閉める。カーテンを閉め、作業部屋から出た。

 光が溢れる室内に、窓がすべて開かれたことを知った。この短時間ならばとカラマネロを見れば、こくりと頷かれた。どうやら優秀なカラマネロはキバナの言うことを聞いたらしい。
 タチフサグマがキバナの背後にのっぺりと引っ付いている。キバナは離れろと言うことなく、オマエたちのご飯もちゃんと用意するからなと楽しそうだ。
「おまえ、挑戦者が来てたんじゃないですか」
「シーズン外な上にシンオウからの学者が来てたから帰ってもらった」
「お客様を置いてここに?」
「うん。というか、昼休憩? 何度かこっちに来たことあるから、自由に食べてくるって言ってた」
 キバナは昼休憩だけお邪魔するぜと笑い、バーガーを取り出した。どうやらマトマテイストのバーガーらしい。辛いぞ。タチフサグマがすんすんと鼻を鳴らした。

 マトマテイストとはいえ、食べられないものではない。充分に美味しかったと感想を述べつつ、未だフーズを食べているキバナとネズのポケモンたちを眺めていると、ジュラルドンがいないと見えた。どうしてと問えば、宝物庫の見張り番に頼んだらしい。
「最近、宝物庫にヤバチャが侵入したことがあってさ。ジムトレーナーに見てもらってるけど、万が一のときはジュラルドンとかのオレさまの手持ちに任せて逃げろって」
「それで、おまえに知らせろと?」
「なんか手持ちのポケモン……特にジュラルドンに何かあるとピーンッてくるからさ、なんていうの、きけんよち?」
「地味に手の内がバレるやつですか」
「まあ、そんな感じで、やばいなと思うから、最悪連絡来なくても分かる」
「ポケモントレーナーの第六感は鍛えられてますからねえ」
 特にジムリーダーなんてやってれば鍛えられる。正確には、第六感というより、状況への対応の速さだろう。判断力が一般人より飛び抜けている自覚はネズにもあった。それを、ネズは音楽に使い、キバナは宝物庫に使う。ただそれだけのことだ。

「あと10分だけ居させて」
「水出しの紅茶でも飲みます?」
「最高」
 ソファにでもいやがれと言えば、寝そうだからやだと返ってくる。疲れているのだろう。ネズはとやかく言わずに冷蔵庫から紅茶を取り出した。
「明日、オフです?」
「うん」
「ならレコード屋に行きませんか」
 おまえ、確か欲しいレコードがあったでしょう。昨日見かけたんですよね。そう言いながらグラスに紅茶を注ぐと、まじでとキバナの声が聞こえた。
「あれ廃盤じゃん?!」
「おれとしてはお使いをする気分ではないので、明日でいいかと」
「やった! 明日はデート!」
「で、デートって……」
 そんな喜ぶことか。そう呆れてグラスを渡させば、キバナはありがとうと笑った。
「オレさま忙しいし、ネズも忙しいもん。予定が合うなんて滅多にないし、よくて家デートだし。いや家もいいけど、やっぱ、好きな人と出掛けたいかなって」
 だめかな。そう、うかがうキバナの隣でヌメルゴンがキラキラとネズを見ている。ええい、どちらも無垢な目をしている。ネズはハイハイと顔をそらした。
「じゃあ、そういうことで」
「やったー!」
 じゃあ、あと5分。キバナは冷たい紅茶を飲みながら、明日のデートに思いを馳せている様子だった。

 ネズははあと息を吐く。小さなネズの家は押し寄せる夏の匂いに、満ちていた。

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