キバネズ/サヨナラのキバネズ/カラメル/別れ話からのよりを戻すまで
初恋は叶わない。
「別れましょう」
キバナはただ、唖然とするしかなかった。
いつも通りにネズとティールームで会って、いつも通りに日常の細やかな事柄を共有していた。
キバナは今まで、恋人が居たことがなかった。告白をされても、ナックルとバトルの勝利を天秤にかければ、軍配はそちらに傾く。そんな疎かな気持ちで、誰かを恋人になどできなかった。
そんな中、ネズと出会った。ネズは強かった。トレーナーとして興味を持ち、すげないネズに根気強く話しかけた。そのうちに、その人格が好きだと思えるようになった時、告白をした。ネズは、やや間をおいてから、受け入れてくれた。
それからは只々楽しくて、優しい日々だった。ナックルを守り、バトルに打ち込み、ネズと会っては細やかな日常を共有する。キバナは満たされていたのだ。確実に。
唯、それがネズも同じとは限らない。キバナは別れを切り出した恋人に、今更気がついたのだ。
キバナは気がついたら自室にいた。ネズとはどうやってあの場から別れたのだろう。スマホロトムがしゅんしゅんと画面を移ろっている。遊んでいるのかと思えば、出してきたのはルリナの番号だった。思わずかける。ルリナはすぐに電話に出た。
「ルリナぁ」
『何その情けない声は』
事情があると汲んだらしいルリナは、バウタウンの口が硬いティールームを指定した。
・・・
ソニアの研究所にて。突然訪ねたネズを彼女は快く受け入れると、簡易キッチンで紅茶を淹れながら話を聞くわと言った。
「大したことではないんですがね」
「そうなの?」
「キバナに別れ話を切り出しまして」
「っはあ?!」
ソニアがガタンと振り返る。ティーセットは無事だが、淑女としてその振る舞いはどうなのかと、ネズはクスクスと笑った。
「何で別れ話?!」
「未来が見えなかったので」
未来って。ソニアがぽかんとする。ネズはそのままですよと口にした。
「あいつはアイの苦さを知らない」
それが、不安だったのだと。
・・・
「で、何それ」
「別れようって言われた」
「そんなことは分かったわよ」
ルリナは呆れた声を出す。
「何で、別れ話になったかって聞いてるの」
「わかんない」
それが分かったら苦労しない。キバナの言葉に、ああそうとルリナは思案した。
やがて、ふと、口にする。
「楽しかった?」
「何が?」
「ネズと一緒にいたのは」
「とても、楽しかった」
そりゃもう、世界がバラ色になったかのように、楽しかった。
「じゃあ、苦しかった?」
問いかけに、果てと、キバナは目を丸くした。
「どうして?」
その表情に、ルリナはそういう事と呆れた顔をした。
「キバナは恋しか知らなかったのよ」
恋しか知らなかった。キバナは首を傾げた。
「それじゃダメなのか」
「ネズじゃないから分からないけど」
ルリナは荒れる海原を胸に、伝えてくれた。
「きっと、ネズは恋と愛の苦さを知ってるから」
苦さを。キバナは黙る。恋が苦い、だって。
「知らない人を隣に置ける程、強くはなかったのかもね」
キバナはぽかんと口を半開きにしたままだった。
・・・
研究所には穏やかな日溜りが落ちている。紅茶は赤く、色を持つ。
「おれは弱いから、同じところまで落ちてきてほしいんですよ」
ああそう。ソニアは頭を抱えた。
「アマノジャク」
「ご勝手に」
「ウソよ。あのねえ、優しすぎるの」
それはね、ネズさん。ソニアは言った。
「それは弱いんじゃなくて……」
そこで電話が掛かってきた。
・・・
キバナが指定したのはルートナイントンネルの隅だった。人目につくかもしれない場所なのにと、ネズは怒るかもしれない。でも、キバナとて譲れなかった。
表立って、言ったっていいとすら思えるのだから。
ネズがやって来る。キバナはひらりと手を振った。彼が隣に立った。
「恋とか愛が苦いとか、よく分かんないけど」
「はあ」
「別れる理由がオレには浮かばない」
「でしょうね」
ネズは冷ややかな目をしている。だが、その奥には優しさで溢れていた。キバナはそれを見抜けるだけ、ネズとの仲を育んでいたと自負する。
この人は、キバナのことを思っているのだ。恋も愛も、その奥を知らないキバナに、教えてみようと思っているのだ。
「だから、チャンスをくれよ」
それ以上は言わなかった。でも、ネズが教えてほしい。それがキバナが真剣に考えた末に導いた答えだった。
「いいですけど」
ネズにしては端切れが悪い。キバナは小首を傾げた。
「けど?」
「素直に教えてくれとは言わないんですね」
確かに、キバナにしては珍しく回りくどい方法だろう。でも、理由がある。
「だって、ネズを苦しめたくないもん」
「甘いですね」
「それがオレだよ」
いいでしょう。ネズはそうして、キバナを見上げた。
「しっかり、学んでくださいね」
それが二人の、別れ話の結末だった。