キバネズ/世界よりも深いもの


 しずみゆく。

 しずくが垂れる。ぽたり、ぽたり。びりびりと痛む傷口に、触る雫は雨粒だった。
 バトルで怪我をするなんて久しぶりだ。それこそ、新人トレーナーだった頃以来ではなかろうか。ネズはじとりと濡れた髪をぎゅっと絞った。ぼたぼたと、水が流れた。これはもうしずくだなんて言えないだろうな。ぼんやりと思う。現実逃避である。
 怪我は腹部だ。ばくりと口のように空いた傷口は、雨が染みてひどく痛む。熱をはらむ体に、ふうと息を吐いた。タチフサグマが、そっとネズを抱き上げた。ありがとう。そう言って、病院を目指すように告げた。

「ネズ!」
 ナックルの病院には、キバナがいた。野生ポケモンの争いに巻き込まれたとの連絡をしておいたのだ。
 野生ポケモンの縄張り争いは激しいものが多い。特にガラルにはワイルドエリアという保護区があるので、縄張り争いの警告はワイルドエリアに立ち入るトレーナーには平等に知らされる。
 ネズとて、その情報を知らなかったわけではない。ただ、生まれたてのジグザグマがいたのだ。あのか弱い命を守らなければと、思ってしまったのだ。
「タチフサグマもぼろぼろじゃん!」
「ノイジー、です」
「早く担架に……ドクター!」
 意識をしっかり持って。キバナはぎゅっとネズの手を握った。

 おのがゆく末は地獄しかあるまい。

 ネズはぱちりと目を覚ました。腹に手を寄せれば、しっかりと縫われており、体の火照りも取れていた。相変わらず、ナックルのドクターは質がいい。ネズが視線を上げると、椅子で寝コケているキバナがいた。パイプ椅子で眠るのは、体に負担となるだろうに。ネズはゆるゆると微笑んだ。
 タチフサグマはボールの中に戻っていて、ネズは個室をあてがわれているらしい。
 静かな病室に、広がる静寂。静かだ。ネズはやや心細くなった。
 ゆっくりと腕を持ち上げて、キバナの服の裾を掴んでくいと引っ張る。ぐら、と体が揺れて、目が開かれた。スカイブルーの目に、ネズがうつる。
「ネズ、起きたのか」
 傷口に触らぬように、だろうか。その声は静かなものだった。

 しずみゆく。

「地獄について来てくれますか」
 下手を打った。それでよかった。ネズは病床で、柔らかく、痛みをはらんで微笑み続ける。
 キバナはゆっくりと口にした。
「ネズを地獄になんて行かせない」
 一緒に天国に行こう。なんて、ロマンチストの大きな声に、ネズはノイジーなと笑ったのだった。

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