キバネズ未満/やさしいまなこ


 純たる黒には魔力が宿る。ネズは髪を梳かす。純たる黒には魔力が宿る。長く伸びた髪に、ネズはきゅっと力を込めた。ならば、白は? 作られた白になど、力は宿らぬ。故に、人は、凡人たる人はそこに自己を見る。ネズは髪をまとめた。今日もまた、ハサミは取れなかった。

 これは古からの契約だ。ネズは思う。いつかこの髪を奪う誰かが、町とマリィを成長させる。それを人は願掛けという。亡者の髪は家を守る。生きたネズの対価は髪にのみ宿る。

 誰がこの髪を欲しがるかは分からない。契約は未だ、手の外だ。意識の外で、運命の糸紡ぎはくるくると回る。神無き土地の、外来種たる英雄の、選びし王が、治める土地、それこそがガラルだ。

 ネズはシュートシティのバトルタワーを見上げた。元チャンピオンにしてバトルタワーのオーナー。ダンデがタワーから飛び降りて、リザードンの背に乗って降りてくる。
「ネズ! 早かったな!」
「ノイジーですね……早いわけありますか。時間ちょうどですよ」
「そうか、ネズは迷わないからなあ」
「大抵の人間はおまえのような迷子癖は持ちません」
「ははは、そうだろうな。さて、話なんだが、バトルタワーのエントランスで話そう」
「人目があるのでは?」
「何、バトル狂いしかいないから精々強者がいるなと思う程度だ。それに、ここは下手したらジムリーダーより強いやつらが集まっているんだ」
「まあ、特定のルールに則るわけですから、ジムリーダーの強さとは違うでしょうね」
「その通り! じゃあ案内しよう。リザードンが」
「おまえ……」
 この距離でも迷子癖ですか。そんな呆れた声に、万全を期すまでだとダンデはからからと笑った。


・・・


「以上だ」
「バトルタワーのオーナーを一時的におれにすると?」
「休息が必要だとジョーイさんにこっぴどく言われてな……しかしバトルタワーの運営は止めるわけには行かないんだ」
「暇してそうで、それなりに強いところを狙ったわけですか。おれに務まりますかね」
「もちろん、期間限定オーナーの期間までは時間を設ける。それまでにポケモンや自分自身のこと、戦術などを考えておいてほしい」
「まるでおれが依頼を受けたみたいに言いますね」
「ん? 嫌だったか?」
 しかしなあ。ダンデは顎髭を撫でた。
「ネズの戦い方はバトルタワーでウケると思うんだが」
「おれの予定はどうなるんです?」
「ホップにしばらくは暇だと聞いたぞ」
「ああ、先日のお茶会で言いましたね」
 分かりました。ネズは頷いた。
「受けましょう。報酬はバトルタワーにスパイクタウンの広告と、おれのコラボブランドの広告で手を打ちますよ」
「コラボブランド?」
「メイクのブランドです。おまえには必要ないでしょうねえ」
「どういうことだ?」
「メイク映えしなさそうなんですよ。おまえは元がきらきらしてます」
「……褒めてくれたのか?」
「そういうわけじゃありませんけど、兄弟揃って美形ですね」
「褒めてくれたんだな! ありがとう」
「ノイジーです」
 ではと期間限定オーナーの期間を、決めようとスケジュールをかこかこと合わせると、ネズはダンデとリザードンに見送られてバトルタワーから出た。

 外はすっかり春の心地だ。ひゅうるりと吹く風はまだほんの少し寒いものの、すぐに暖かくなるだろう。

 ネズの長い髪が揺れる。いつになったら、ネズの髪を奪う人が現れるのだろう。ネズはハアと息を吐いた。ちっとも寒くないのに、心が寂しかった。今夜も一人で泣くような日になるだろう。
 そんなことを考えていると、名前を呼ばれた。その声に顔を上げると、街中に長身の男がいた。キバナだった。
「ネズだよな? どうしたんだよこんなところで」
「おまえはトーナメントですか?」
「うん、終わったところ。カフェでも寄るか?」
「そうですねえ。小腹が空いたのでブリオッシュでも食べたいところですね」
「任せろ。ヘイ、ロトム!」
 シュートシティのカフェの混雑状況などを参照した上で、ロトムが選んだのは路地裏の小さなカフェだった。

 テーブルもイスもプラスチックだが、外に出されたそれはさぞかし心地良いだろう。店内でブリオッシュやカヌレなどとミルクティーをそれぞれ頼み、店の外のイスに座った。そこは日陰で日射病にはならなさそうで安心できる。
「ホップと当たってさ、もうコテンパンにされた」
「それはご愁傷さまです。現役チャンピオンのライバルにそうそう勝てませんよ」
「だよなあ。オレさまもチャンピオンのライバルだって言えたらいいのに」
「無理でしょうね、ホップとの絆が強すぎます」
「だよなあ」
 オレさまさ、キバナは言う。
「チャンピオンダンデのライバルだったけど、ダンデのライバルになれてたのかな」
 その寂しげな子供のような声と顔に、ネズはパチリと瞬きをした。虚を突かれて、ひゅっと喉が鳴った。
「おまえ、そんなこと考えてたんですか」
 声は震えていなかっただろうか。平静は保てていただろうか。分からなかった。
 ライバルだって言っていただろう。それを周囲も認めていただろう。今だって、そうではないのか。
「ネズはそういう人いたか?」
 現チャンピオンとホップのような、ライバルがいたか。
 ネズは口を閉じるしかなかった。ひどく居心地が悪かった。春の陽気が、シャッターのように閉ざされて逃げていく。
 ネズにそんな人は居なかった。ネズはただ、マリィに引き継ぐ者だったから、必要なかった。

 純然たる黒には魔力が宿る。ネズの髪が揺れた。

「オレはさ。ネズのライバルになりたいよ」
 決定的な言葉だった。あ、と声が漏れた。髪がバサリと落ちた気がした。頭が軽くなった気がした。
 魔力は欲するものに与えよう。ネズはそう考えていた。対価だと、考えていた。だが、違うのだ。人生を変えるために、黒は必要だったのだ。
「おれ、来週末に、期間限定でオーナーやるんです」
 声は震えていた。泣きそうだった。
「挑みに来てください」
 そこで証明してほしい。どうか一人で泣くようなネズに、安心を与えて欲しい。
 キバナは驚いていた。そして、すぐにニッと笑った。
「一番に挑んでやるよ」
 待ってろよ。そう言われて、ネズは綻ぶようにへらりと笑った。

 やけに体が軽かった。

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