熱々のグラタンスープ

太鼓鐘貞宗+愛染国俊/おおきな末っ子、ちいさなお兄ちゃん


 本丸の隅。土蔵近くの、あまり刀が寄り付かない部屋で太鼓鐘はころりと転がっていた。
 そろそろ夕暮れの、黄昏時。夕餉の手伝いをしなければと思うものの、起き上がるのが億劫であった。
 生暖かい空気の中、重い瞼をゆるゆると下げる。浮かぶのは獅子王だ。兄弟なんていらないと言った彼は本気だった。太鼓鐘は息を吐く。あの刀には、本当に兄弟は必要ないのだろう。だが、そうだとしたら髭切の思いはどうなるのだろう。太鼓鐘は不安だった。穏やかな本丸に、小さな不穏因子が出来たような、そんな日常の崩壊が迫るような予感がした。

 ぱたぱたと足音がする。軽いそれに目を開けば、ここに居たのかと、愛染が夕焼け色の本丸でニッと笑っていた。
「探したぜ! 燭台切が、姿が見えないって心配しててさあ」
 ほらと小さな手が伸ばされる。太鼓鐘はそれをしばらく眺め、ゆっくりと己の手を持ち上げた。手と手の指と指が絡むと、ほらと立たされる。自分より遥かに低い位置にある愛染の、つむじが見えた。
「愛染は蛍丸と明石が兄弟なんだよな」
 ぽつりと言えば、国行はどっちかと言うと保護者だなとすげなく返される。ばっさりとした物言いに、太鼓鐘は僅かに怯んだ。怯んだことに気がついた愛染が、どうしたと太鼓鐘を見上げる。
「どうしたんだ?」
「いや、たぶん何だけど」
「うん?」
「髭切と獅子王のこと、どう思う?」
 嗚呼と愛染は一瞬だけ目を細めた。丸い目をくりくりと動かして、空を見る。燃えるような赤が本丸を埋め尽くしていた。
 その中で、元から赤い愛染の髪がゆらゆらと揺れていた。風が吹いているのだ。
「ありゃ、どーにかしないと、どうにもなんねえだろうな」
 どうにかってと太鼓鐘が首を傾げると、どうにかだよも愛染は言った。
「何かキッカケがあって、それを乗り越えれば落ち着くだろ」
「そうか?」
「そういうもんだろ」
 愛染は口に緩やかな弧を描く。鮮やかなまでの微笑みに、太鼓鐘は目を奪われた。小さいのに、同じ短刀なのに、どこか兄のように見えた。それも、同じ貞宗派の柔らかな笑顔とは違う、はっきりとした輪郭を持つ笑顔だ。まるで水を得た魚。ばちっと音を立てる閃光。花火よりも鮮やかなそれに、太鼓鐘は間違えようもなく憧れを抱いた。
 こんな兄弟がほしい。ただ、そう思う。

「髭切はさ、きっと分かってるんだ」
 獅子王に兄弟なんていらないことも。髭切に兄なんて必要ないことも。全部わかって、それでも、この本丸で兄の幻を、明確に、鮮明に見つけたのだと。
「勇気あるよな!」
 太鼓鐘はどうだ、何て言われて、太鼓鐘はカラカラの喉を震わせた。
「俺も、そんな勇気がほしいぜ」
 髭切のように、今、ここで愛染を弟だと呼べるような。そんな勇気が羨ましい。そう言われて、愛染はアハハと笑った。
「ははっ、そう簡単には掴まんねえかんな!」
 とりあえず、夕餉に行こうぜ。そうして腕を引っ張られて、太鼓鐘はなんとか足を動かした。

 誰そ彼。そんな合間だからこそ、未だに勇気のない自分が、愛染と手を繋げるのかもしれない。太鼓鐘は走る彼を追いかけながら、繋いだ手をぎゅっと握ったのだった。



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