夏のまぼろし、ぼくの影

獅子王+鶯丸+太鼓鐘貞宗


 やあ、とすれ違い様に声をかけられた獅子王はぱちりと瞬きをした。

 鶯丸は何事にもおおらかで、大包平をよく観察している。静かで、穏やかな刀だ。賑やかな獅子王とは真反対のような刀だが、この本丸の獅子王と鶯丸はかつての保管場所の縁もあり、存外相性が悪くない。
 せっせと茶を淹れて、鶯丸の前に座る。鶯丸は良い香りだと獅子王の淹れた茶を喜んだ。
「で、何かあったのか?」
「そう身構えるな。大したことではないんだが」
「うん?」
 きょとりと目を丸くする獅子王に、鶯丸は穏やかな声で告げた。
「兄弟は、必要ないか」
 瞬間、ひゅと、獅子王の喉が鳴った。

 夏の熱い風が部屋の中を駆け抜ける。炎天下、虫のひそひそ声と、セミの合唱。どこからか、蛙が跳ね、蛇が忍び、蝸牛が這う気配がする。今は夏だ。獅子王の好きな季節だった。
「なんで?」
 何でそんな事を言うんだよ。獅子王は目を伏せた。鶯丸はそうだなと思案顔だ。
「俺は大包平の兄弟のようなものだからな」
「それがどうしたっていうんだよ」
「はっきりと兄弟な訳では無い。ただ、俺が兄弟でありたいと望んだ。それを、大包平が受け入れてくれただけだ」
 あれは本当に素直で良い刀だ。鶯丸は柔らかく微笑んだ。きっとその脳裏には大包平の姿が浮かんでいる事だろう。もしかしたら、馬鹿やってると鶯丸が言うような、真面目に畑仕事に性を出している姿かもしれない。
 りんりんと、どこからか風鈴の音がした。そういえば、三日月が風鈴を出したんだったか。獅子王はぼんやりとする頭で考えた。
「別に、獅子王も大包平のような答えを出してほしいわけではない。だが、髭切のあの様子はいっそ哀れだ」
「哀れ、だって?」
「お前を追いかけて、掴まらなくて、俯いて肩を震わせている。まるで親を探す子だ」
「そこまで言うのかよ」
「まあ、ここの髭切が求めているのは親ではなく兄だがな」
 さてと、鶯丸は獅子王を見た。獅子王は目を伏せた侭だった。
 俺が聞きたいことは唯一。鶯丸は柔らかな声で問いかけた。
「優しいお前がどうしてそうまでして、拒否するんだ」
 兄弟だと何か不都合があるのか。鶯丸のまっさらな問いかけに、獅子王は思う。そういうところが鶯丸と大包平は似ていて、こんな質問は鶯丸にしか有り得ないのだ、と。
「刀に、さ」
 鶯丸がゆっくりと頷く。
「刀に、兄弟なんていらないだろ」
 鶯丸と大包平と、髭切と、俺は違う。"獅子王" に兄弟なんていらないのだ。獅子王はじっちゃんに下賜された太刀で、最後まで共にしたじっちゃんの為の刀だ。だから、そこに兄弟は必要ない。
「いらないだろ、なあ、そうだろ」
 頼むよ、もう言わないでくれよ、触れないでくれよ。心の柔い所がぐしゃりと握られたようだった。
「俺は、獅子王なんだって」
 そうだろう。獅子王がそう顔を上げた時。鶯丸は困ったように眉を下げた。
「すまない。お前なりに考えていたんだな」
 だから泣くなと鶯丸がハンカチを出すと、獅子王は大人しく滲む涙を拭われた。
「泣いてなんかない」
「そうだな」
 それは汗だろう。今日は暑いからと、鶯丸は歌うように言った。

 暫くそうしていると、かたりと音がして、二振りのいた空き部屋に太鼓鐘が現れた。ひょいと顔を出した彼は、饅頭があってさと二振り分の白い饅頭を渡した。渡した時に、太鼓鐘はそっと呟いた。
「あのさ、獅子王」
「ん」
 まだ目元の赤い獅子王にたじろぎつつも、太鼓鐘はゆっくりと口を動かした。
「兄弟ってさ、いるとか、いらないとかじゃないと思う」
 それだけ。そう言って、太鼓鐘は踵を返した。駆けていく彼の小さな背に、獅子王はまたきゅっと唇を噛んだのだった。



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