獅子の心臓

髭切+獅子王


 熱中症の注意書き。
 本丸屋敷の掲示板にでかでかと貼られたそれに、獅子王は気をつけないとなと思った。この本丸では熱中症が毎年猛威を奮う。否、熱中症は別に襲いかかってくるものではない。そういうものではないのだが、この本丸には夏を甘く見る刀が多過ぎるのだ。

 よく晴れているからと庭いっぱいに洗濯を干す作業を手伝った後、暇をもらったので、厨番に用意してもらった水筒を片手に、獅子王はお気に入りの木陰に向かう。水筒の中身は歌仙特製のスポーツドリンクで、少しだけ甘くてしょっぱくて、時々檸檬の匂いがする。獅子王は毎年夏になると作られるようになるそれを、存外気に入っていた。

 裏庭の使われていない小屋の横にある大きな木。ふんふんと鼻歌を歌いながら木陰へと向かうと、先客がいた。白い衣は鶴丸や今剣にも似ていたが、体格がどうにも違った。というより、髪色が淡い金色をしている。あっと気がついて、獅子王は走った。
「髭切っ?!」
 木の幹にもたれかかってだらりと力を抜いている姿に焦ると、ふっと金色の目が獅子王を見上げた。
「ああ、兄様かあ……よかった、」
 ほっと安心したような様子に、獅子王は一先ずは熱中症ではないかと検討を付けた。
「誰か呼んでくるから、ちょっと待っててくれよ」
 獅子王だけでは、体調不良の髭切を運ぶことが難しい。そう思って、水筒を髭切の隣に置いてから立ち上がろうとすると、袖をくいと引っ張られた。目を丸くすると、髭切がへらりと笑う。
「一緒にいて。きっと、すぐ平気になるから」
 大丈夫と笑う髭切に、獅子王は絶対駄目だなと思った。ここで言う事を聞いていては、悪化しかねない。いくら木陰が涼しいとはいえ、熱中症らしき体を冷やすには無理があるのだ。
「ねえ、兄様、どこ行くの」
 そんなことを言って、髭切は袖を握る。これではまるで幼子だ。獅子王は気が遠くなりそうだった。とにかく早く何とかしなければならない。誰か、誰か……。
「ひ、膝丸ー!! お前の兄者が倒れてるー!!」
 咄嗟に叫ぶと、髭切がありゃと困った顔をした。弟にバレたくなかったのかと今更気がついたが、もう遅い。ばたばたと本丸屋敷の方から音が聞こえてきた。

 膝丸が駆け付けるなり、獅子王は彼に髭切を頼んで厨に走った。途中の医務室で薬研に報告し、厨番の燭台切と小豆に体を冷やす為の凍らせたペットボトルなどを受け取った。
 あっという間に騒がしくなった本丸だったが、髭切は木陰から離れようとしなかった。膝丸が心配していたが、回復するまでは下手に動かすと悪化するかもしれんと薬研が助け舟を出したことで事態は収まった。


 その次の日。獅子王は木陰に向かった。洗った鵺を陰干しする場所を探していたのだ。どうやらこの本丸の獅子王の鵺は、日向が苦手らしいからだ。
 あそこは風通しが良いから、きっとぴったりだ。そんなことを考えながら、裏庭の小屋の横、大樹の木陰を見ると、白い塊がいた。
「あ、兄様」
 よかった、来てくれた。そんな風に笑った髭切に、獅子王はポカンと口を開いた。
「え、ええ、なんで?」
 というか、昨日今日のことなので、今は休んでもらっていると、鵺を洗う手伝いをしてくれた膝丸が言っていた。獅子王がしどろもどろに言えば、抜け出したんだよと微笑まれた。
「だめだろ?!」
「ええ、いいじゃない」
「お前なあ……あんま弟を困らせてやるなよ」
 俺が言っても聞かないだろうけど。そんな風に思いながら、獅子王は鵺を木陰に座らせた。ふわふわと体を広げて風を浴びる相棒を撫でていると、ねえ、と声がした。
「兄様は、僕の兄様なのに?」
 そうでしょう。どこか苦しそうに語るので、獅子王はまたそれかと言いそうになったのをぐっと飲み込んだ。
「髭切、お前は兄なんだろ」
「だって……」
 不満そうな髭切に、獅子王はくるりと振り返った。ざあっと強い風が吹いて、獅子王と髭切の色味の違うきんいろが揺れた。

「俺は獅子王、じっちゃんの誉れだ」

 ニッと笑えば、髭切はきゅうと唇を噛んだ。あ、泣きそう。獅子王が白く細い指を伸ばすと、指先が濡れた。
「兄様はひとの心が分からないね」
「刀だからなあ」
 そうじゃないよ。髭切は笑みを浮かべて、頬を撫でる獅子王の手を唯々受け入れていたのだった。



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