第3話:小学生探偵は謎を前にする
【コナン視点】
新しく出来たカフェにおっちゃんと蘭と三人で行った。おっちゃんは乗り気ではなかったが、美人の店員がいると聞いて渋々参加した。白が基調の店内。蘭がアイスカフェラテを頼み、小五郎のおっちゃんが珈琲を飲む。俺がお子様ランチを食べていると、ふと男女が入店してきた。季節は春。薄手でベージュのコートを着た女性と、ラフな男性。大学生ぐらいの二人は一番奥の席に案内された。その際、男性が辺りを不安そうに見回し、女性が仕切っていたのが少し引っかかる。怪しい点は何も無いが、女性は店員と気さくに話し、スマホを操作し、入り口付近のレジ横にあるカードを一枚取った。行動が多く、さり気なく、効率的だ。そこには慣れが見えた。なお、店の名前と簡単な紹介文と住所と電話番号、大体それらがプリントされているらしいカードは新店舗にはよくある。 特に怪しい点は無い。だが少し気になってちらりと観察する。メニューを見て、店員を呼び、女性が注文する。やがて運ばれてきたのはサンドイッチとコーヒーと紅茶。紅茶は女性、他二つは男性が頼んだようだ。 和やかそうな雰囲気が見える。話の内容は店内の会話に混じってあまり聞こえない。だが、女性の方が多く喋っているらしい。 そこで事件が起きた。叫び声と倒れる男性。急いで駆けつけて状態を見る。まだ息はあるがとても細い。救急車をおっちゃんが指示する。俺は下がってろと言われてしまった。犯人は恐らく同じ席にいた女性。毒殺。調べてみないと分からないが、女性の動揺を見ると、細かいトリックは無さそうだ。 そこで騒ぎの中、ふと先ほどの男女が気になって振り返ると、女性は座って紅茶を飲み、男性は事件を見て目を白黒とさせていた。混乱する男性は初めて事件を見た一般人らしい反応だが、女性の方が気になった。あまりに落ち着いている。 (話しかけみるか) 目の前の事件とは関係ないだろうが、気になっては放っておけないのが探偵のサガだった。
足音を立てて近寄り、話しかける。 「おねーさん!」 男性が先に反応する。女性が俺に気がつき、こちらを見た。日本人離れした緑の目をしていた。 「どうしたの?」 女性は表情を和らげて、柔らかな声を出す。その喉は白く、女性にしては珍しい喉仏が見えた。そういえば声が女性にしては低い。 「さっきから声がして驚いたんだ!」 「ああ、よく聞こえたね。全く、驚いたよ」 「うん! おねーさん、あの人が倒れるって分かってたの?」 あまりの落ち着きようにそうカマをかけたが、女性は動揺しない。目を少しも揺らさなかった。 「さっき血を吐いた男性だろう? 吐血はあまり良くないね。確か、三回で死ぬとか。キミは怖くないのかな?」 「僕も怖いよ! 吐血が三回かは知らないけど……でも、おねーさん、落ち着いてるね」 「アハハ、連れが慌てるからな、逆に冷静になったんだよ」 「そうなんだー」 探りを入れるが、はぐらかされる。応えているが、答えていない。吐血が三回で死ぬって何だ。とりあえず慌てる人が目の前にいれば、逆に冷静になることはあるだろう。なのに、どこか疑問を覚えながら口を開く。 「おねーさん達この辺じゃ見ないね?」 これは勘だった。この米花には色々な人が行き交う。知らない人など山ほどいる。しかし女性は何事もなく返事をした。 「少し遊びに来たんだよ。キミはこの辺りの人かな?」 「うん! おねーさん達は大学生?」 「よく分かったね。大学3年生だよ」 「どこの大学なの?」 「A大学だ」 「聞いたことないなー」 「あまり売り出してないからね。人も少ない」 「そうなの?」 「私としては広告費をもう少し出してもいいと思うよ」 「へえー」 A大学。聞いたこともない名前だった。後で調べてみようと思っていると蘭の声がした。バレたか。 「コナンくーん」 「あ、呼ばれちゃった」 「そうか、お姉さんかな? 早く行ってあげた方がいいよ。大人は子供を心配するものだ」 「うん。あ、おねーさん、首に何かついてるよ」 「フム。しかし呼ばれてるなら行った方がいい。私なら平気だ」 「そう?」 気になるので使い捨ての盗聴器を仕掛けてみようとすると、触れるのを断られた。緑の目からは何も汲み取れない。探偵の勘が警報を鳴らす。食い下がるか、それとも。 「コナンくん!」 「あ、」 蘭の声がした。時間切れだ。蘭が来ると女性は蘭を見た。 「これからお互い警察に絡まれることになるだろう。キミも早く帰れるといいな」 「ええっと私はお父さんが……でもあの、お姉さん達も早く帰れるといいですね」 「女の子や子どもは遅くなる前に帰るといい。お父さんにもそう伝えるんだよ」 「はい。ありがとうございます」 年上らしい言葉だが、何かが引っかかる。やはり、この人はおかしい。 一般人にしては会話が成立しない。女性らしいのに、女性らしさがイマイチ無い。雲のような、霧のような人物像。情報が何一つ分からなかった。名前すら分からない。その顔は確かに笑っているが、感情は分からない。目は日本人離れしていて、感情が見えない。あまりにちぐはぐだ。
蘭に連れて行かれ、俺は事件の捜査に加わったおっちゃんのそばにいた。先ほどの男女は一通りの捜査が終わる頃に他の客とカフェから出て行った。その背中をじっと見る。怪しさは無い。一般人に紛れ込む姿。なのに先ほどの目と会話があまりに不自然だった。
………
それから数日後。俺は学校から帰って荷物を置いてから、本を買いに外に出ていた。 一人で歩いていると、ふと曲がり角で男性が曲がってきた。スーパーの袋には牛乳が二本。そして何より、その顔には見覚えがあった。ラッキーと思いながら話しかける。 「おにーさん」 「……俺?」 あの時のカフェの男女のうちの、男性の方だ。驚く彼は目を白黒とさせている。 「前にカフェで会ったね!」 「あ、ああ。通りで見覚えがあると思った。どうかした?」 「ううん、少し歩いてだけだよ!」 「そうなのか。俺はスーパーの帰りだよ」 「スーパー?」 「少し遠いところのやつ。牛乳が安売りしてたから」 「ふーん、牛乳が好きなの?」 「なんか飲んじゃって」 男性は苦笑する。牛乳が飲みたい年頃なのか。確かに若くは見える。 隣にあの時の不自然な女性は居ない。 「おねーさんは?」 「冬沢さんなら今日はもう帰ってる筈だよ」 「冬沢さん?」 「うん。俺は遠崎ね。遠崎正紀」 驚いて聞き返すと、アッサリと名前が判明する。前回は一切分からなかったのに。 「遠崎さんだね」 「きみは?」 「僕は江戸川コナンだよ!」 「へー」 遠崎さんは驚いた様子だった。違和感は覚えていないらしい。 「遠崎さんのお家はどこ?」 「ボロアパートだよ」 「そうなの?」 「うん。ちょっと怖い人たちが多いね」 「怖いの?」 「うん。でも冬沢さんが上手に話すから皆良い人達なんだけどね」 「ふーん」 大学生、苦学生なのか。しかし俺は灰原に調べてもらって、A大学というのが存在しないことを知っている。この人たちは明らかに嘘をついている。ただし、意図は分からない。 分からない、怪しい奴は調査するのが基本だ。 「お家に行きたいなー」 「え、あんまりオススメできないよ」 「怖いから?」 「うん」 「えーでも行ってみたいなー!」 興味津々な小学生として振る舞えば、遠崎さんは苦笑した。この人、ちょろいぞ。 「冬沢さんに聞いてみるね」 「お願い!」 遠崎さんがスマホを取り出して操作する。メッセージを打ってすぐ、遠崎さんはスマホを閉じた。返信が来たようだ。とても早いな。スマホを見ていたのか。 「いいって」 「やったあ!」 「でも面白いところじゃないよ」 「そうかな?」 「俺か冬沢さんから離れないようにね」 そして遠崎さんに不審がられないような話題を振りつつ、歩く彼の隣を歩いた。
絵に描いたようなボロアパート。道に転がるビールの缶と、ヨボヨボのお婆さんの管理人さん。ここ色々と大丈夫かと思いながら、二階に上がり、遠崎さんが扉を開く。 「ただいまー」 「こんにちは!」 「お帰り。そしていらっしゃい。手を洗った方がいい」 女性、冬沢さんは小さな折りたたみ机の前に座っていた。ちゃぶ台というか、お下がりのようなプラスチック等で出来た軽いやつだ。というか許可を取る辺りで薄々感じてはいたが、二人で住んでるのかこの人たちは。恋人同士で同棲しているのか。それにしては態度と会話が素っ気ないような。 冬沢さんは俺と遠崎さんに直ぐに気がつくと、立ち上がり、キッチンに向かう。飲み物を出すようだ。 牛乳を冷蔵庫に入れる遠崎さんを見守ってから二人で手洗いうがいをる。完全に子供扱いだなと思った。 戻ると机に冷たい麦茶が置かれた。部屋はワンルームだろうか。物が無いわけではないが、きちんと整理されているらしい。 「片付いてるね」 「一応ね。冬沢さんが物を増やさない人だから」 「遠崎さんの物が多いの?」 「そうだよ」 「遠崎君。着替えてきたらどうだ」 「アッハイ」 どうやら遠崎さんの物が多いらしい。冬沢さんから見えない場所で着替えるらしい遠崎さんを片隅で気にしながら、俺をあの感情が読み取れない笑顔で見る冬沢さんにそれとなく警戒した。 何を話そうか。そう考えていると、冬沢さんの滑らかな声が聞こえた。 「この町は隙が無いようで、隙がある」 何か言いだした。冬沢さんは笑顔だ。俺は意味が汲み取れなくて聞き返す。 「隙?」 「ああ、警備が厳重かと思えば、たまに見落とされているらしい箇所が見受けられる」 「へ?」 何を言ってるんだこの人。警備にケチを付けているのだろうか。そう感じて思わず相槌を打つが、冬沢さんは特に気にしない様子で続けた。 「大掛かりな事から小さな事まで。種類は様々だ。大掛かりな事は大きな建築物がやけに頻繁に建設される。小さな事だと、そうだな」 「……」 この話は回り道をしている。まるでこれは学校の先生のような気がする。例え話から、本題へと移る、説明の方法の一つだ。じっと耳を澄ませ、彼女の言葉を待つ。冬沢さんは何かを思い出すようにどこかを見ていた。 「盗聴器や盗撮カメラだな」 思わぬ単語に目を丸くした。あまり穏やかではなく、一般人には馴染みのない言葉のはずだ。そして小学生にしか見えない筈の俺に何故、話した。 すると遠崎さんが呆れた声を出して戻ってきた。 「またその話?」 「それなりに気になるんだ」 「またって?」 聞き逃せない言葉を聞けば、遠崎さんが迷いながら教えてくれた。 「うーん、冬沢さんは前にストーカーに盗聴器とか盗撮カメラとか仕掛けられてたんだよ」 「ストーカー?!」 事件かと反応する。咄嗟に俺は質問した。 「それって警察に届け出た?」 「届け出ては無い」 「なんで?!」 「必要無かったからな」 「ええ……」 冬沢さんは自分がストーカーに遭ったにしてはあまりに素っ気ない様子だ。もう少し人間不信になったり、男性が怖くなったり、注意深くなったりしないのだろうか。遠崎さんと一緒に住んでいるのはそれだけ信頼しているのか。というか盗聴器や盗撮カメラは基本は警察沙汰ではないだろうか。 遠崎さんが遠い目をしている。俺もそんな目をしたかった。しかし当の冬沢さんは何事も無かった様子でスマホを見た。そういえばこの部屋に時計はない。 「そろそろ夕飯を作り始めるが、キミはどうする?」 「え?」 夕飯作りには早い時間ではないだろうか。質問する前に口が開かれる。 「小学生男子一人分なら増えても構わない。食べるか?」 「いや、帰ります……」 「そうか」 冬沢さんの提案を断って、キッチンへ向かった彼女を見た。まさか食事するかと言われるとは思わなかった。そして怪しい人物が作る食事は食べたくない。冬沢さんの今の提案は本気だったのだろうか。それとも断らせて俺を帰させるためか、冗談か。声色からは判断が出来なかった。 そんな俺に気がつかず、遠崎さんは話しかけてくる。 「来てくれたけどゲームも何も無いんだよ。トランプでも買っておいたら良かったんだけど」 「大丈夫だよ!」 「そうかな」 「遠崎君、彼を出会った処まで送って来た方が良い。今帰れば暗くならない」 「あ、そうなの?」 季節は春。昼が長くなったとはいえ、あと30分もここにいれば帰ると日が沈むだろう。しかし、家の位置も、俺も遠崎さんが出会った場所も知らない彼女からすればあまりに時間を多く見積もっている気がした。 そういえば、彼女は俺と遠崎さんが来るまで座っていた。飲み物が冷たいものなら確かに直ぐに出した方がいいが、普通は連絡を受ければ用意するものではないだろうか。とすると、彼女は何をしていた。整理された室内を見れば片付けではないことが分かる。ならば、何だ。 (スマホか?) 連絡が来てから時間を見ていた、とか。それだけの筈は無いが、俺を帰す時間を考えていたのだろうか。否、他に何かあるのではないか。 考えていると遠崎さんが口を開いた。 「どうかした?」 「ううん。何でもない。遠崎さん送ってくれる?」 「来てくれたばかりなのにごめんね」 「大丈夫! 面白かったよ!」 「そう?」 遠崎さんと部屋を出る。冬沢さんが玄関まで送ってくれた。その目はやはり緑だ。カラーコンタクトではないだろう。
遠崎さんに不審がられないように声をかけながら歩く。探偵事務所とボロアパートはわりと離れていた。でも歩けない距離ではない。 出会った場所で別れていく遠崎さんの背中を見て、さり気なく盗聴器を仕掛ける。位置情報は発信しない、使い捨ての盗聴器だ。小さいから大丈夫だろうと思いながら、俺は家に向かった。
盗聴器のデータ管理の為、一度博士の家に向かう。灰原と博士の隣で盗聴器のデータを確認、録画をした。 遠崎さんがボロアパートに帰る。遠崎さんが不思議そうな声を上げた。 『どうしたの』 『そこに座れ』 『アッハイ』 機械越しでも分かる冬沢さんの滑らかで高くも低くもない声。でも、機械越しだとさらに性別が曖昧だった。 命令口調から二人の上下関係を感じていると、ふいにゴソゴソと音がした。まさかと灰原が呟く。俺も同じ心境だ。 『エッ』 『レンズが無い。カメラではないな。盗聴器の類か』 『ええええ?!』 気がつかれた。あの盗聴器はとても小型で、ぱっと見は分からない。それなのに分かるのは勘がいいのか、それとも。 『私に盗聴器を仕掛けるなら放っておくが、遠崎君は困る』 滑らかな、感情の無い声。でも、やけに説明的だと直感した。これは、機械越しの俺たちに告げている、ような。 『は?!』 『壊し方が分からないな。とりあえず潰すか』 『え、ちょ』 急いでスピーカーの音量を下げる。ガンガンと派手な金属音がして、機械は壊された。
静かになった部屋の中。俺は盗聴器の画面を閉じた。 「クソッ気がつかれたか」 「余程勘の良い人なのね」 「ああ、只者じゃねーな」 「しかし、見せてもらった写真からすると普通の人に見えるが……」 「見た目はな」 警察の捜査中にカフェで隠し撮った写真。それを画面に開くと、灰原が静かな声で言った。 「一度報告したけれど、その二人、記録がないわよ」 「何もねーんだよな」 「ええ、何も」 写真からは何も分からなかった。そうだと名前を思い出す。 「遠崎正紀と、冬沢だ」 「名前ね。調べるわ」 灰原がパソコンを操作する。しかしすぐに結果は出た。 「何も無いわね」 「おかしいのう」 まるで、何も無いところから発生したかのような話。そう、ほぼ全てが捏造されている、江戸川コナンと灰原哀のように。
あの二人は俺たちが注意しなければならない組織の関係者なのか、それは分からない。だが、謎が多すぎることは分かった。若く、謎が多い二人。 「上等だ」 思ったより低い声が出た。でも、止まらない。謎を前にした、名探偵のサガだった。 「ぜってえ正体を暴き出す!」 覚えてろよ、と写真の中、カフェで座って会話しているらしい遠崎さんと冬沢さんの姿が見えた。冬沢さんの目は伏せられていたが、やはり、日本人離れした緑色をしていた。
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